出 版 物  記 事


アニタ助産院の出版物
 

『産む ~自分の力で産みたいと願った52人の母たち~』 

 
高知県のとある漁港のそばの小さな助産院と出会い、

我が子の誕生を迎えた母たちから、

自分自身へ

我が子へ

次の母たちへと思いを伝えるの記。


定価 1,260円(税込)
編集・発行 アニタ助産院
デザイン  タケムラナオヤ
イラスト    高橋かよこ
お問合せ  アニタ助産院

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注)送料を、書籍費に加えて
頂くことになります。
ご了承ください。
http://wwwc.pikara.ne.jp/anita/photoymubook2.jpg 




アニタ助産院関連記事


 アニタ助産院や、アニタ助産院でのお産についてなど。 

 2019.11.8高知新聞松田さやか記者
 2019.10.31高知新聞夕刊松田さやか記者

2019.8.27高知新聞松田さやか記者
 
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2018.5.25高知新聞山本仁記者

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2016.1.31高知新聞松田さやか記者

 
 2015.12.15高知新聞

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みんな元気に育って
★安芸市・下山小★
 11月13日に、生命の学習をしました=写真。
 にんぷさんが来てくれて、おなかの中にいる赤ちゃんのしんぞうの音を聞きました、ドックンドックンといっていました。
 次に、助産しさんが紙しばいを読んでくれました。とっても絵が上手でした。
 にんぷさんのおなかをさわらせてもらいました。スイカと同じくらいの大きさでした。とってもあったかかったです。おなかの横はかたくて、真ん中はやわらかかったです。
 赤ちゃんもさわらせてもらいました。手があったかくて、かわいかったです。妹が赤ちゃんだったときを思いだしました。
 今日はきちょうなけいけんをさせてもらいました。私は、「赤ちゃんがみんな元気に育ったらいいな」と思いました。(4年楠村羽琉記者)
 2015.5.1FACEBOOK

【アニタ助産院17周年に思うこと】2016.5.1 田邉佳香(facebook)

子どもを産み育てるということは、新しい命を自立させるということ。

自分の命を大切に・自分の命を自分で守れるようにすること。

そのためには支える自分(保護者)も自立をするということ。

自立とは、依存先をふやすこと。

依存させて支配するのでなく、
当事者性を奪わずにその人に内在する力が活かされるよう整えること。

この世に生まれ入ったことこそ大いなる才能。

その才能の開花に蕾の前から伴奏し、祝福する。

そんな助産師さんのいるアニタ助産院が高知にあってよかった。

17年、その場・その選択肢をつないでくださりありがとうございます。

助産院という場で産んだからよかったのではなくて、

専門だからこそ掴み・更新され続けるその哲学を

沁みわたるまで注ぎ続けてくれる助産師さんに出会えたことが一生ものの宝物。

これからもそんな助産師さんに出会い、なにをか思う人が多くありますように。


 自動代替テキストはありません。

 2013.12.27高知新聞澤田万亀記者

2009高知新聞

 ↑ 自然なお産 52人の体験記
感動や分娩の痛み 率直に
アニタ助産院(高知市)出版
分娩(ぶんべん)台を使わない自由な姿勢の出産方法を取り入れている高知市長浜のアニタ助産院がこのほど、同院で出産した52人の体験記をまとめた「産む」を自費出版した。同院を選んだ女性たちの思いや分娩の痛み、感動が率直な言葉でつづられている。
 同院は助産師の竹内喜美恵さん(62)が1999年5月に開院。「(分娩台での)あおむけは重力に逆らった姿勢」という考えから、ひざをついて産綱(うみづな)につかまる姿勢やよつんばいなど妊婦自身が産みやすい姿勢を勧めている。
 開院10年を記念し、妊婦の体験ノートをまとめた「産む」には「自然なお産がしたい」「自宅で産みたい」など同院を選んだ理由や、「おたけび」を上げたり、立ち会った夫にしがみつくなどしたそれぞれの出産風景が紹介されている。

 赤ちゃんが出てきた瞬間を「つるん」と表現し、「女性に生まれてきてよかった!」「わが子が生まれようとする感覚を身体で感じられた」などと出産の喜びを伝えている。
 竹内さんは「お産は女性だけの出来事ではない。多くの人が自分たちの一部のこととして、命の誕生について考えてもらえたら」と話している。
 価格1260円(税込み)。同院や同市内の金高堂書店本店で販売している。問い合わせは同院(088・841・3000)へ。(松田さやか記者)
 2007季刊高知
 

イラストーク・タカハシの部屋。
渡船場のある風景。

●皆さんは、浦戸湾にある県営渡船(フェリー)をご存知だろうか?私は種崎の自宅から長浜にある「アニタ助産院」へ通うのに、1月から8月までフェリーを利用していた。たった7分程度の海の旅だが、フェリーから見える小さな浦戸大橋や、御畳瀬の自然な山の風景、フェリーにふりかかる水しぶきや顔に当たる涼しい潮風らは、なんとなく非日常的な感じがして、とても気に入っていた。同乗するのは、雪蹊寺に向かう歩き遍路さんや、リアカーを押すお年寄り、原付にまたがる仕事帰りのお父さん達や、学生達だ。「男か女か、もうわかっちゅう?」とか「うちも先月孫が産まれてねぇ」とか、私が、妊婦らしくなるに従ってよく声を掛けられた。フェリーのおんちゃん(乗務員)も親切で、口数少ないながらもいつもニコニコしている。実際、この渡船がいつも満員で活気に満ちているとは言えないが、利用者が少なくなってもなくならないで欲しいと強く思う。買物や散歩がてら、ふらりとフェリーを利用するのも、とてもいいんじゃないかと思う。皆さんもお時間があればお試しあれ。

   ←イラストーク・タカハシの部屋・③
ちゃんと産んだんです。

●私は三人目となる女の子を四つん這いで産んだ。お産は本能的で、人間はやっぱり動物なんだと実感した。お世話になったアニタ助産院の助産婦である竹内さんは笑顔でこう言った。「あんたが産みたいように産みや!」と。
●産みたいように産むなど考えたことも無かった私だが、どうしたら良いお産が出来るのかを、本を読んだり、話を聞いたりして勉強した。妊娠中には、安産に向けて出来る限りの努力をしたつもりだが、お産は始まってみないと何が起こるかわからない。万が一の事を考えるあまり「ちゃんと産んでやる!」という意志が弱まることもあった。
●助産院には医師はいない。だから、安産でなくてはならない。私は、何かあったらどうしようと思うより、どうやったら赤ちゃんが苦しまずに出てこられるかを考えるようになった。結局、頭で考えるより、体がしっかり反応して陣痛を乗り越えて、赤ちゃんは静かに出てきた。安産だった。
●「自分で産む」「産みたいように産む」と思うことは、赤ちゃんと向き合う第一歩だったかもしれない。どこで産んでも、そう思うことは、とても大切だと思う。私は育児の中でしばしばヒステリックに子どもたちを怒鳴りつけることがある。その度に自己嫌悪に陥る。そんな私を立ち直らせてくれるのが、お産の時に感じた自分が産んだんだという自信だったりするのだ。

2007.4.1発行「高知母乳の会」会報
  
 2005.3.15体験記

 2000.3.5高知新聞
(→)その後、ラマーズ法を日本でもいち早く取り入れた三森孔子(よしこ)さんが経営する東京の三森助産院に勤務した。そこでは、出産したお母さんも生まれた赤ちゃんも安らかで満ち足りた顔をしていた。「妊娠中からきちんと安全の階段を踏んで、その結果として出産に行き着く。これしかない」と心に刻んだ。
 「妊娠中は元気で明るく過ごす。出産は自由に伸びやかに。そして、その連続に育児があってほしい」
 お産があれば24時間、いつでも呼ばれる産婦人科勤務の中で週1回、自分の自由になる時間を持ち、助産院を開業。新生児訪問や母乳育児の指導に当たっている。アニタという名前は、10数年前、竹内さんが出産を介助したフィンランド人女性の名前にちなんだ。
 昨年11月には須崎市に住む川村美智子さん(25)がこの助産院で二男を出産した。自然なお産を望んでいた川村さんは、電話帳でアニタ助産院のことを知り、妊娠8ヵ月で来院。2歳の長男が出産に立ち会うことや、生まれた赤ちゃんをすぐ抱っこすることなど、自分の希望を伝えた。カルテは川村さんも自宅での状態を書いて、竹内さんと二人で作った。
 出産時には友人の助産婦の手も借りる。
 「長男は『頑張れ』と言ったり、一緒に踏ん張ってくれました。立ち会ったためか、弟の世話もよくしてくれます」と川村さん。「へその緒も自分で切って、理想に近い出産ができました」
 今も子どもが熱を出したら竹内さんに相談したり、子どもの成長ぶりを見せに行くなど、連絡を取り合っている。
 同助産院で出産したのはまだ川村さん一人。しかし「助産院を事業として成功させたいという希望は強く持っていない」という竹内さんは、「1年に以内に1人来てくれて喜びこけています。あとは1年後でもいいくらい」と満足している。
 産後もここにお母さんたちが集まって、相談し合う場になればいいですね」
 ↑「母子とともに 助産婦の活動から」
念願の助産院開業
「自然で安全」を信念に
 開業の希望を胸に10数年。竹内喜美恵さん(53)は高知市一宮の浅井産婦人科に助産婦として勤める傍ら、昨年5月、勤務先に近い一宮にアニタ助産院を開業した。お産を扱う助産院はここを含めて、県内でわずか2軒だ。
 「(お産が)自然であることと安全であることは対立することではない、というのが私の1つの信念。出産の姿勢も自由だし、自然で安全なやり方をお母さん1人ひとりと一緒に追求し、実現したいのです」
 東京で看護婦を10年間やった後、帰高して助産婦の資格を取得。梼原町立母子健康センターなどで助産業務に携わった。⤴
 高知新聞声ひろば投稿 
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2013(平成25)年11月2日
「恩返し」井上悦子
 赤ちゃんをおなかの中で育てる期間に、仕事なんてしている暇はないくらい自分を向き合う作業と、少しでも赤ちゃんに歩み寄る努力をした。その結果お産のプロセスがそれに見合う形で報われたかといえばノーだった。
 分娩(ぶんべん)台を使わず重力に任せた姿勢で、赤ちゃんのタイミングで産みたいと願う私の希望はかなわずに、助産院で産めないわ、緊急帝王切開になるわ、揚げ句の果てに術後には3人に1人は命を落とす病気にかかり、産んだばかりのわが子とは離れ離れの闘病生活が始まった。
 これだけの事をしたから大丈夫というのがお産ではないことを知った。誰にも予測ができない命がけのお産であると言われる意味をかみしめた。そんな状況のなか、私を助けたのは助産師の竹内喜美恵さんと歩んだ、おなかの赤ちゃんとの二人三脚の日々でした。
 新たな命を宿した肉体を尊び、冷え性対策の半身浴やおきゅうに明け暮れる日々は決してたやすいものではなかった。だからこそ、あそこまで頑張ったからここで死ぬもんかと思えた。
 あれから1年9ヶ月。母子ともに健康に成長している。生きることが恩返しである。

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2013(平成25)年10月24日
「人と関わり生きる」福本かおり
 高知市で開かれたキッズバリアフリーフェスティバルに遊びに行かせてもらいました。一番の目的はお産でもお世話になったアニタ助産院の竹内さんのセミナー受講でしたが、体験コーナー等も充実しており大満足の1日を過ごさせていただきました。普段なじみのない車椅子や福祉機器を使わせてもらったり、説明を受けたり。一緒に行った3人の子供たちも聞き入り、いろんな生き方や生活のフィールドがあるという事に思いを巡らせていました。
 私のお最後のお産は、6年前になります。順調に妊娠、出産をおえたと感じています。自分自身、それに向かい努力もしました。セミナーで竹内さんは、出産は努力が報われるとは限らないとおっしゃいました。ですが報われなくとも、いや、報われなかったからこその強さと優しさをまとい、前を向いて生きている方々にお会いします。その輝きを考えた時、心の根底にはアニタ助産院の存在があるのではないかと考えます。
 一生懸命な姿を隣で見守っていてくれる。結果にかかわらず私は1人じゃないのだと感じだ時、その努力は意味のあるものになるのではないかと思います。お産に限らず育児にしても、人生にしても。人との関わりの中で生きる事の意味を考える1日となりました。
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2007(平成19)年10月30日
「助産師さんの力でお産楽しめました」
 10月20日付本欄の「県看護専門学校の助産学科存続を」の投稿を読み、高知で助産師資格を取りにくくなると知りショックを受けました。
 私は8月末に助産院でお産をしました。周囲の人は助産院に対して不安なイメージがあるようで、お産に対して前向きで、恐怖心を訴えることもない、そして何より楽しそうに毎日を過ごしている私を見て不思議に感じているようでした。私自身は、毎回の健診で助産師さんとともに赤ちゃんの成長を喜んだり、さまざまな相談事に対して共感してくれる言葉がとても心地よく、うれしかったのが印象に残っています。
 お産が始まってからも、とてもリラックスした気持ちで陣痛を受け入れ、命懸けの大仕事である出産を心から楽しめたのです。ここまで満足のいくお産ができたのも、妊娠中から私の心に寄り添い、母のようにやさしく厳しく接してくれた助産師さんのおかげです。妊娠、出産、産後のかかわりの中でとても大きくあったかい「愛」をたくさん頂きました。
 お産をして2ヶ月たちますが、私の中にはまだあったかい気持ちがあふれています。私たち家族の生活もより充実したものになったように感じます。お産の直後、夫と2人、思わず出た言葉が「竹内さん(助産師さんの名前)、いい仕事してますね!」でした。これから先も助産師さんの力を借りながら、幸せなお産が続いていくことを願っています。福本かおり