コラム

牧師の堅苦しくない文章を掲載します。

 幸先の話  ゆっくりも良い
省略嫌い 好きになれるか?
こちらが先 ○○よりも□□
わがままかな? これって宗教的?
主人公への強い愛情 信仰か、行き当たりばったりか
言ってることと実際やること ほんのささいなこと
何のへんてつもない日常 わずかなもの、大きなもの
変わらない神は変える神 無かったことにする。

間違えるから人間はいい

横文字はどれくらい?
全知全能の神 意味のあること
カツカレー 驚かそうと思ったのに

度肝を抜かすパフォーマンス

恰好ではないと言うけれど
枕するところがあった。 何という偶然
宿題、レポート、卒論 流行よりも本性
変わってないなあ 知らされていなくて良かった
運が良くても悪くても  成長したのに 
食べ方ぐらい  流行にのれなくても 
早寝早起き  トラブル対策 
無駄ではないと思いたい 身体で理解
神さまが語っているのだと思うことに  言わなきゃ良かった。言えば良かった。 
何でもいい  人それぞれ 
「知らない」と言えるように  汚名返上 
恐いよう  路面電車 
「先生」という言葉   

幸先の話

 高松太田キリスト教会のホームページを作成するにあたり、このコラムの欄の最初に何を書こうかと考えた。以前コラムを作成し,いくつかの駄文を書いたことがあるが、その記念すべき最初のコラムは当時頻繁に起こっていた凶悪事件についてであった。それは当然といえば当然だったのだが「コラムの最初がこのような話題とは」と嘆いたものだった。
 思えば私の牧師の最初の日もそうであった。私が牧師としての最初、それは鮫バプテスト教会の牧師に就任した日で1991年の4月1日である。その前日がイースターでメッセージをした。そのイースターの日は天気は良かったのだが、その明くる日「今日から牧師としての歩みが始まる」と教会から外を見ていたら、昼だというのにやけに暗くてとうとう雪が降り始め、嵐のようになってしまった。私の牧師としての幸先は天気から判断するとあまり良いとは言えなかった。
 幸先が悪くても神様は最善に導いてくださるお方である。そのコラムもその後、明るい話題も書けたし。牧師としての歩みも曲がりなりに導かれてきた。これからも幸先にこだわらず、神様に祈りつつ歩みたいと思う。
 でも幸先が悪いより良いほうが良いだろうということでこのような文を最初に記したというわけである。「この話が最初だからって別に幸先が良いわけでもないだろう。」と言われると返す言葉もない。
  

ゆっくりも良い

 先日、ある研修会に出席していたとき、「時速5キロ」でという話があった。時速5キロと言えば歩く速さぐらいと言える。そしてこれは普通「ゆっくりいこう」ということを意味する。私たちの世の中は何においてもスピードアップが求められる。「速い」「早い」が良いこととされる。この「速い」「早い」がもてはやされるのは決して間違ってはいない。ただ急ぐあまり失敗することも多い。世の中をにぎわす失敗の多くが、急ぐあまりに完全さが欠けたものとなっているから起こったと言えるものが多いと感じる。安全や完全をないがしろにしても速さが求められる。世の中がいかに急いでいるかが分かる気がする。
 以前「人は歩くように造られている」と何かに書いたことがある。速い車はよく事故を起こす。でも歩いている者同士がぶつかることはあまりない。たとえあったとしても、大きな怪我をしたりすることはまずないだろう。
 ゆっくりいけば失敗は少なくなる。そしてゆっくりだけど動いている。確実に目標に近づいていけるのである。また速さについていけない人はたくさんいるが、ゆっくりだと多くの人が共に行ける。ゆっくりも良いものである。
 このことを書くのに少し気恥ずかしく思っている。私は何事にもスローである。こんな私が「歩く速さで」と言っても説得力がない。以前見たテレビドラマで喧嘩の弱い男が暴力反対を叫んでいてあきれられていたという場面があったが、それと同じだねこれじゃ。

省略嫌い

 「陽炎(かげろう)もゆる武蔵野に、若草伸びて望み湧く、新生日本の礎(いしずえ)を、我が手によりて築かんと、学ぶ健児に栄光(はえ)あらん」これは私の出身中学校の校歌の1番である。まあ創立が1947年だから、校歌も少し時代がかった詞と感じる。この校歌は4番まであって、この1番が春の詞である。2番が夏で、3番が秋、4番が冬である。春と夏の行事(卒業式など)の時には1番と2番を歌い、3番と4番は省略する。秋の行事(体育祭など)の時は1番と3番を歌い、2番と4番は省略するのが常であった。
 私はこの省略が好きでなかった。特に4番は、校歌を歌う冬の行事は無くて「行事で4番を歌ったのは記憶が無い」と音楽の先生が言うくらいだった。「全部で4番くらいなら省略しないで歌えばよいのに」これが私の思いだった。まあ歌謡曲やテレビ番組の主題歌も省略されるのが当たり前なのだから、こういう省略は当然なのかもしれないが。
 「鉄道唱歌」という曲がある。全5集、334番からなる曲である。私はこの内の1集の東海道篇の歌集を以前持っていた。1集だけでも66番まである。それを66番まで全部通しで歌ったことが3回ある。もちろん人に聴かせた分けではない。自分で歌集を見ながら歌ったのである。「まあ、何と暇な」とか「おかしなことをする」と思う人も多いだろう。でも私は省略したくなかったのである。
 私は1979年4月に教会に通い始めた。「この時、なぜ教会に行ったか」については自己紹介の欄に書いてある。では「なぜ教会に通い続けることにしたのか」については、いろいろな理由があるのだが、その理由の内の一つは「教会では讃美歌を省略しないで、4番まである曲は4番まで歌ったから」というのがある。教会では讃美歌を時間の関係で省略して歌うこともたまにはあるが、詞を大切にしているということもあって、たいてい最後まで歌う。省略嫌いの私にとってうれしいことである。でもこんな風に思うのは私ぐらいだろうか。
 「こんなことを思うということは、さぞかし歌が上手なのだろう」と思われるかもしれないが、はっきり記しておく「人に聴かせるようなものではない」と。

好きになれるか?

 私の好きなものはいろいろある。そのいろいろある好きなものだが、ある共通点を持ったものがある。自己紹介の欄にも記したが、読書は案外好きなものである。ただ以前はそんなに好きではなかった。その理由はいくつもあるのだが、その内の一つは「本を読むことをよく勧められたから」というのがある。両親、祖父、祖母、その他親戚が教師ばかりの家庭で育った私は子供の頃よく「本を読むように」言われた。すると私は読書がそんなに好きではなくなってしまったのである。日本の古典の何かに著者が親から本をもらってうれしくてたまらない様子が書かれているが、私には信じられなかった。現在は図書館に通うのが楽しみの一つなのだが。
 食べ物で魚介類も好きである。食べ残すのは太い骨ぐらいであとはきれいに食べてしまう。妻は「猫が怒り出すような食べ方」と言うくらいである。ただ子供の頃はそんなに好きではなかった。その理由の一つは私の父が魚介類が大好きで、私の家の食卓には必ずと言って良いほど魚料理が並んでいたことがある。
 以上のように「過ぎて嫌いになる」こともあるようだが、この法則が当てはまらないのもある。「好きになる」ことは理論では解明するのが難しい。ただ「好きになる」ことはわずらわしいものではなく、良いものであると思う。「好き」の先には「愛」があるのだから。
 1つ目の神学校で学んでいた時、早天祈祷会をよくサボって先輩から叱られた。その時は「祈れ、祈れとうるさいから祈りたくなくなる」と思っていた。今、言われなくなったが祈るようになったかというと……さあ、がんばろうっと。

こちらが先

 前任の教会にいたとき近隣の幼稚園を持っている教会の牧師から「お宅の教会でも幼稚園をしたらいい」と言われたことがある。その理由は名前だった。私の前任の教会は「鮫バプテスト教会」で以前は幼稚園の運営もしていた。私が赴任する前に休園していたのである。八戸市の鮫町で昔から幼稚園を運営していたので名前も「鮫幼稚園(確かそうだったと思う?)」といった。その近隣の牧師が言うには「お宅の教会が昔から幼稚園をしていて『鮫幼稚園』という名前を使う権利があるのだからしたら良い」ということだった。確かにそのとき鮫にあった幼稚園は「鮫幼稚園」ではなかった。私達に敬意をはらったのかもしれない。
 先日ワールドベースボールクラッシックで日本が優勝した。スポーツ好きな私も楽しませていただいた。このことを話題にしたり、教会のホームページやブログのコラムなどに書く牧師もおられるだろう。その中で私は誰も書かないであろうことを記したい(素直でない性格のあらわれ)。新聞などには盛んに「WBC」優勝と記事が載っている。ヤフーなどで「WBC」で検索をかけても「ワールドベースボールクラッシック」関係ばかりが出てくる。スポーツ好きの私はひどくそれが気に入らない。「WBC」とは私の中では「ワールドボクシングコンチェル(世界ボクシング評議会)」のことなのだ。先に「WBC」の略称を使ったのは「ワールドボクシングコンチェル(世界ボクシング評議会)」が先で「ワールドベースボールクラッシック」は後なのだ。スポーツ新聞などはそのことを知っているはずで、野球もボクシングも共に扱うはずなのに「WBC」とは「ワールドベースボールクラッシック」のことのように扱っているのが解せないのである。
 妻にこのことを言うと「そんなことにこだわっているあんたの方がよっぽど解せない」という顔をしていた。何ということかと嘆いていたら、妻が「ねえ、私がもらったあのお菓子、なんであんたが先に食べちゃったの?」と怒ったように言う。「あのな、聖書には『後のものが先になる』とあってだな。」と私が変な言い訳をする。そんな私にスポーツ新聞を批判する資格はあるのだろうか。
 これを書いてから更新しないでいたらWBC(世界ボクシング評議会)の世界チャンピオンの人が「WBC」といったらボクシングでしょうと言っているのが新聞に載っていた。

○○よりも□□

 私が中学生の時に、学校の文集にある先生が自分の娘さんの名前について文章を載せていた。その内容は、その娘さんの名前は「△子」(△は仮の字)というように下に「子」が付いているのだが、最初は「△子」ではなく「△美」とするつもりだった。だが、生まれてきた娘さんの顔が「美」にそぐわないので「子」にすることにした。だけど今はこの「△美」ではなく「△子」がかわいい、「△美」よりも「△子」のほうがずっと良い。というものだった。この先生の娘さんに対する愛情はよく伝わって来たし、言わんとすることも分かった。でも私のクラスには「△美」さんという名の人がいたのでこの人や、何よりこの先生の娘さんが気を悪くしないかと心配させられもした文章だった。
 今年の春、わが家にスズメが巣を作った。私が高松に来る前年に高松太田キリスト教会にツバメが巣を作ったと聞いていたので、妻は「何だスズメか」と言っていた。しかし見ているとこのスズメはなかなか健気で、子育てなど感心させられた。雨が降っていても濡れるのも構わず何度も雛のために餌などを取りに行ったりしていた。雛もまた一生懸命「チュンチュン」と親を呼んでいるのがよく聞こえた。妻は次第にスズメがかわいくなって、私が大きな音をたてたりすると「スズメがびっくりする」と怒られた。妻は巣立ちの時が来る頃にはすっかりスズメびいきになっていて、巣立ちを泣きながら迎えこう言った。「ツバメじゃなくてスズメで良かった。だいたい聖書にはツバメはあまり出てこないけど、スズメはよく出てくる。」と。「何だスズメか」と言っていた人がこう変わったのである。(その後2回卵を産み育て、巣立ちがあった。)
 中学の時の先生の「△美でなく△子」と私の妻の「ツバメでなくスズメ」は共通するものがあると思う。それは愛情であろう。愛は私たちの見る目からの常識的な判断基準や、世間の評価や評判を超えるものなんだなと思わせられる。
 実は私自身の娘も名前の下に「子」が付く。ただ我が娘が生まれたときの顔が「美」にそぐわなかったというわけではまったくない。最初からこの名前にするつもりであった。

わがままかな?

 2009年に私どもの教会の属する教派の全国牧師研修会が伊豆の天城で行なわれた。その2日目の午後はかなりの自由時間があった。どのように過ごしても良いのだが、一応こんな過ごし方はどうかとオプショナルのプログラムも用意されていた。たとえば「講師の先生を囲んで交わる」とか「いくらかのお金を集めてバスを出し、近くの名所や温泉を巡る」というのもあった。自由時間が終わって聞いてみると皆の過ごし方はさまざまであった。先にあげたオプショナルのプログラムのほかに、近くの川で釣りをしていた者もいれば、友人と話をしていた者もいた。中には友人と車でドライブに行ったり、場所を変えて友人とお茶を飲んだ者もいたようだ。私もどうするかいろいろと考えた。妻は「バスの名所、温泉巡りにしたら」と勧めてくれた。「それもいいな」と私も考えていたのだが、結局これもオプショナルのプログラムにあったのだが、近くの浄蓮の滝に徒歩で行き、その後やはり徒歩で「天城越え」の道の駅まで遊歩道を行くというプログラムを選んだ。私は自由に好きなだけ滝を見て、自分のペースで好きなように歩いて戻ってきた。滝まではかなりの人と出会ったが、道の駅までの遊歩道ではほとんど人と会わなかった。
 その夜妻から電話があり「自由時間はどうした?」と聞かれ「遊歩道を一人で歩いてきた」と答えたら、仲間外れにでもされてるのではと心配していた。私はそうではなくて、自分の好きなように歩き、見たいところを好きなだけ見たくてそうしたと答えたが、妻は何でそうするかよくわからないという感じの反応だった。「だってここをもっと見ていたいとか、逆にもう次のところに行きたいと思っても団体行動だったらそんなわがまま言えないだろう」と同意を求めても「それはそうかもしれないけど…」といった感じであった。「俺はわがままかな?」と聞くと「そんなことはないけど、あなたらしい」とほめられたのかどうなのか微妙な反応だった。団体行動で自分の思うように皆を動かすのがわがままであって、私がしたことは悪いことではない、むしろ神の導きのまま行動したのだと自分で納得していた。
 すると妻は「でもやはり○○(娘の名)はあなたの子だね。あなたのそういうところそっくりだ」と言っていた。それは私はいいけど娘は嫌がるような気がする。

これって宗教的?
私はスポーツを見るのが好きだ。分野はほとんど問わない。陸上、水泳、球技、ウインタースポーツ、格闘技何でも好きである。今年もサッカーのワールドカップや夏の甲子園など楽しませてもらった。
 応援している選手やチームが勝つのはもちろんうれしい。応援にも力が入る。応援は勝敗とは関係が無いようだが、そうとも言い切れない。ホームとアウェーではホームの方が勝率が高いのが普通である。同じルールで試合をしているのだから関係なさそうに思うのだが…やはり応援は選手の力になるのだろう。応援に感謝する選手が多いのがそれを証明しているように思う。
 試合会場に足を運んでの応援は、その声も選手に聞こえるだろうし影響があるのはよく分かる。でもテレビなどを見ながらの応援はどうだろうか?選手に声は届かないし、応援している姿も見えない。でもどこかで影響があるように思っている人はかなりいるのではないだろうか。私は以前横になってテレビで高校野球を見ていた。その時応援しているチームが負けていると身体の向きを変えていた。ということは応援しているチームが勝っているとずっと同じ体勢なのである。体勢を変えると応援しているチームも調子が悪くなるような気がして「そのまま!そのまま!」と身体の向きを変えたくなっても我慢してそのままで見ていた。こんなことをしているのは私だけだろうと思っていたら、私の弟も同じような事をしていた。作家の北杜夫氏は応援している野球チーム(阪神タイガース)の試合中にテレビに向かって念力を送り続け、特に試合の大切な状況の時は、ヨガをしているかのような体勢で念力を送り続けた結果、身体がどうかなりそうになったとご自身の随筆に書いておられた。私はそれを読んで「よく分かる」と思った。私も、今でも応援している方が調子が良いとトイレにも行かないで応援し続けたりしている。そのことを考えると「これはもう物理を超えた宗教的な神の世界だ」と感じた。
 そんなことを言うと妻が「クリスチャンなのだから、そんな変なジンクスみたいなものにたよるなんておかしいでしょう。お祈りしたらいいじゃない。」と言っていた。それはもちろんそうなのだが、牧師が「自分の好きなチームが勝つように」なんて人前で祈るのは何か恥ずかしいような気がするのである。人前じゃないならもちろん祈ってますよ。もしかすると神様は「勝手な事ばかり祈っている」と思ってるかもしれないけれど。
                                            
主人公への強い愛情

 私が子供の頃に読んだ漫画に「あしたのジョー」というボクシングの漫画があった。不良少年だった主人公の矢吹丈は、少年院に入ったりした後、ボクシング界に身を投じ、最後ついに無敵の世界チャンピオンに挑戦し、あと一歩のところまで追い込むが善戦空しく判定負けを喫する。判定を聞いてすぐ、恩師である会長が声をかけようとするが、丈はコーナーの椅子に座ったまま目をつぶり、微笑みを浮かべて、身体が白い灰のようになっているというところでこの漫画は終わっている。こういう終わり方なので、はたして矢吹丈は最後死んだのか、それとも生きているのかが謎とされていた。ある者は、丈がこの試合前にパンチドランカーの症状が出ていて、医者から試合を棄権するように言われていたことや身体が白くなった最後の姿もあって「矢吹丈は最後死んだ」と言い、ある者は題名が「あしたのジョー」なので、主人公が明日が無い死で終わるのはありえないと「矢吹丈は生きている」と言ったものだった。
 数年前にテレビ番組でこのことが取り上げられていた。その番組によると「矢吹丈は生きている」そうである。それは医学的に見ると人間は死ぬと身体の力が無くなるので、コーナーの椅子に座っていることはできずにずり落ちてしまうから、座り続けている矢吹丈は生きているということだった。そしてこのテレビ番組のスタッフがそのことをこの漫画の作者のちばてつや氏に知らせたところ、ちばてつや氏は大変喜ばれて「もしできることならば矢吹丈を今度は指導者として続きを書いてみたい。」と言われたそうである。作者の主人公への強い愛情が感じられると思った。
 また野球好きで野球漫画の第一人者の水島新司氏は「日本で最高の打者は誰か」との質問を受けたとき、もちろん質問者は水島氏が野球好きなので現実の話で聞いたのだが、水島氏はご自身の漫画の主人公の名前を挙げていた。これも作者の主人公への強い愛情を感じる話である。
 漫画家がご自身の作品の主人公や登場人物に強い愛情を持つということはよくあることのようである。それくらい精魂こめて作品をしたためているのであろう。
 私は漫画家ではない。だいたい絵は大の苦手である。なりたくてもとてもなることはできない。今、私は牧師をしている。聖書と日々取り組んでいる者である。(偉そうに記しているが現実は…)聖書の主人公は神である。私はこれからも漫画家の方々に負けないで聖書の主人公である神様を愛して歩んでいきたいと思っている。
 この駄文を妻にみてもらったところ「まあこれはあなたにしか書けないでしょうね。こんなに漫画のことに詳しい牧師は他にいないでしょうから。」と言われた。それはほめているのではなさそうだ。

信仰か、行き当たりばったりか

 私は2007年4月、この高松の「高松太田キリスト教会」に赴任してきた。それまで四国とは無縁に過ごしてきたので、休みには時々遠出をしてリフレッシュをしたものである。初めて高知に行ったときは良かった。「鰹のたたき」が食べたいと出かけたのだが、一軒のお店を見つけて無事に「鰹のたたき」にありつけた。その後、帰り際に見つけた果樹園で取れたての果物を食べることもできて妻も満足していた。
 一方最初に愛媛県の宇和島や八幡浜、松山を訪れたときはさんざんだった。高速料金1,000円に気を良くして一気に宇和島まで行った。途中のパーキングエリアで「じゃこ天」を食べ、美味しかったので宇和島でも食べた。これも美味しかった。ここまでは良かったのだが、八幡浜で名物と聞いた「ちゃんぽん」を食べようと思っていたのだが、店が見つからず断念した。お腹が空いたので途中で軽くラーメンを食べ、その後は松山に行き、美味しいと聞いていた「鯛めし」をと思っていたのだが、これまたお店が見つからず車でうろうろする羽目になった。あきれてすっかり機嫌が悪くなった妻に娘から電話があり、送ってほしいものがあるということですぐに高松に帰ることとなった。妻は今でもこのことをよく持ち出し「宇和島、八幡浜、松山まで行って食べたのはじゃこ天だけ」と言っている。「ラーメンも食べたんだけど、忘れたのか?」と思うのだが言わないでいる。
 初めての「高知行き」とやはり初めての「宇和島、八幡浜、松山行き」はまさに明暗が分かれたことになるが、原因は何だろうか。答えは「運の良し悪し」である。私のずぼらな性格でどちらも下調べなどしないで出かけて行き、運良くお店を見つけられたか、不運にも見つけられなかったの違いである。
 妻からは「これからはある程度ちゃんと調べてから連れて行って」と言われている。私は反論しないでいるのだが、「あのアブラハムは神の導きにより、行き先を知らずに旅立って祝福を受けた。自分も同じ。」と内心こんなことを考えたりしている。でもこんなことは言えない。言ったって「アブラハムは信仰。あんたは行き当たりばったり。」とか言われるだろうから。
 しかし、我が家ではどこに行くのにも「食べ物」の占めるウエートは半端ではない。その後、徳島に行ったときは花や景色も見たのだが、「イチゴや昼食が美味しかった。」とよく妻と思い出しながら話している。ちなみにこのときは妻からうるさく言われて、ちゃんと調べて行った。

言ってることと実際やること

 「国民性」という言葉がある。世界には数多くの国があるが、それぞれの国民に特性があると感じる。国民性は距離的に近い国ごとで似ているという傾向はあるだろう。ただ一概にそうは言えないとも思う。日本と隣の韓国ではその国民性にかなりの違いを感じる。今も、世界の国々はそれぞれの国の特性を生かして歩みを続けている。
 「国民性」といえば以前おもしろい実験をテレビでしていた。それは「妻が仕事に行っている夫に『具合が悪いので帰ってきて』と電話をかけたら夫はどうするか?」というもので、国によって夫がどういう反応をするかという実験であった。まず我が日本では大方の予想どおり夫は「仕事中だから帰れない。」という反応だった。興味深かったのは、その日本人の妻は残念そうではあったが、夫の反応は当然という感じもあったことだ。「仕事中だから帰れない。」という反応は、夫はもちろん、妻ですらそう感じる日本人の一般的な反応なのかもしれないと思った。それと反対だったのはイタリアで、「分かった。すぐ帰る。」と夫は反応し、ほどなく帰宅して「大丈夫か」と真っ先に妻を気遣っていた。これは実験で妻は元気と夫は知ってもそれを喜んでいた。夫のこの行動には妻も大感激であった。夫は「最愛の妻のために仕事をほっぽりだして帰ってくるのは当然だよ。」と言っていた。面白かったのはアフリカのどこかの国の夫の反応であった。夫は「分かった。帰るよ。」と反応したが、その後待っても待っても帰ってこないのである。しびれを切らした妻がもう一度電話をかけると夫はまだ会社にいて「分かった。帰るよ。」と同じ反応だった。そして夫はとうとう帰ってこなかったのである。もしかすると世界のどこかの国では、「帰れない。」と答えながら帰ってくる夫が普通という国もあるかもしれないと思った。
 もちろん日本でもイタリアのような夫もいるし、イタリアで日本のような反応の夫もいるだろうし、それぞれの国でまたそれぞれの夫がいるだろう。ちなみに聖書にもこれに似た話が出てきている。主のためには「やります。」と行動したいものである。
 では私はこの実験でどういう反応をするだろうか?やはり日本人だから「仕事中だから帰れない。」と答える可能性が一番高く50%くらいか?「仕事中だから帰れない。」と答えながらも、やはり仕事中心主義の日本人の妻が言う事だからよほど大変なのだろうと心配し帰ってくる可能性が30%くらいで、最初からイタリアの夫のように帰ると言って本当に帰ってくる可能性が15%くらい、アフリカの国のような帰ると言って帰ってこない可能性が5%くらいではないかと思っている。でも実のところこのアフリカの国のような気楽さにあこがれているのである。
 そこで私の妻に聞いてみたらこう言った。「あなたはきっとアフリカの国の夫と同じよ。私が何か頼んでも『分かった。分かった。』と言って、結局してくれないということがよくあるもの。」うん、やはりあこがれているだけのことはあるようだ。

ほんのささいなこと

 このコラムの「省略嫌い」の中で私の出身中学校の校歌を取り上げた。この欄では私の出身小学校の校歌を取り上げたい。それは私が入学した西秋留小学校の校歌である。私はこの校歌が好きではなかった。それと同じような理由で富山県の民謡「こきりこ節」も好きでなかった。西秋留小学校の校歌も1番と3番は嫌いではない。好きでないのは2番の詞で、こきりこ節も1番だけが好きでないのだ。こきりこ節の1番は「こきりこの竹は7寸五分じゃ、長いは袖のかなかいじゃ、まどのサンサもデデレコデン、はれのサンサもデデレコデン」という詞だが、この最初の「こきりこの竹」のところが苦手だった。というのは「こきりこの」の後は伸ばすように私は教わった。しかもそこで音も変わるのだ。ということは「こきりこの」の後は伸ばした音というより「おー」という音に聞こえるのだ。つまり「おーたけ」と聞こえてしまうのである。西秋留小学校の校歌の2番には「大岳」というその地の山が出てくる。標高1266,5メートルの山で西秋留小学校の地域からよく見える山である。この山の読み方は「おおたけ」あるいは「おおだけ」で、校歌では「おおたけ」と歌っていた。つまり別に西秋留小学校の校歌やこきりこ節に責任があるわけではないのだ。私、大竹が「おおたけ」というひびきが出てくるので嫌いだっただけである。西秋留小学校に入学して最初は校歌を歌ってもだれもこのことに気づかなかった。ただ2年生になって2番になるとみんなが私の方を見て笑っていた。こきりこ節は中学校の時音楽の時間に習ったのだが、あまり気がついた人はいなかったようである。ただ、この歌を音楽のテストで一人ずつ歌うことになり、1番か2番かそれはその場で先生が指定すると言われ、私は2番にしてほしいと先生にお願いした。理由を聞かれ「1番は『おーたけ』というように感じる詞なので」と答えたのだが、みんなから「そんなの気にするようなことではない」と言われてしまった。ただテストの時は先生は覚えていてくれたのか、2番が指定された。
 ここまで読んだ人は「何だそんなことか」と感じておられるだろう。確かにそのとおりだ。でもこんなささいなことが案外心に残っているものなのである。他人からは「あんたみたいにシャレばかりの人間が」と言われそうだが、自分のことだとどうもよろしくなくなってしまうのである。でも他の名前の人によっては「そんなことは気にしてられない」という人もいるだろうと思う。私のこの思いはわがままなのかもしれない。
 ところで小学校の近くに「シロ」という名前の犬が飼われていたら運動会のたびに大変だろうなと思う。「白勝て」「白頑張れ」とそのたびに反応したりしているのかもしれない。それに比べたらやはり私の悩みは贅沢な悩みだ。


何のへんてつもない日常

 私は推理小説をよく読む。しかしその読み方は少し変わっているかもしれない。ある推理小説家がこんなことを言っていた。あるファンがその小説家の代表作を何度も読んだと手紙をくれたのだが、「推理小説は何度も読むものか?」と思ったそうである。確かに推理小説は推理謎解きが大きなテーマであって、1度読んで犯人が分かればもう読みたくなくなるというのはあるだろう。推理小説を読んでる者に途中で犯人を教えてしまうのは、昔から意地悪の定番である。でも私は少し変わっていて推理小説を、推理を楽しむように読んでいないのである。私はむしろその小説の中の人間関係や日常を楽しんで読んでいるのだ。だから私が推理小説を読んでいるときに、誰かが犯人を私に教えてもそんなに困るわけではない。現に私は推理小説を読んでいる途中で結末の方を読み、犯人が誰かを見てしまうことがよくある。途中どころか読み始めてすぐのときもあるくらいだ。同情すべき犯人に思い入れが強くなってしまい、あとで犯人だったらショックなのでそんなことをしているのである。
 小説は作家が設定などを考える。普通の文学では作家の主張を有効にあらわすために小説の舞台設定がなされることもあるだろう。したがって時にその小説では特別な設定がなされていく。つまり普通の小説はおうおうにして設定が特殊になる。推理小説は推理のために設定がなされている。ただあんまり変わった設定だったら「そんなことあるわけない」ということになる。つまり推理小説の設定は特殊ではなく、平凡なのだ。私は推理小説のその平凡な日常や人間関係を楽しんで読んでいるように思う。もちろんそれだけではなく、少しは推理を楽しんでいるし、これと決めた読み方をしているわけではないのだが。
 私たちは実際特殊な日常に出会う事はあまりない。多くが「何のへんてつもない日常」を送っている。ということは「何のへんてつもない日常」を楽しむことができれば、人生は喜びである。私は牧師として「何のへんてつもない日常」を送る私たちが神の御心のままに歩むために「何のへんてつもない日常」を生きるこの世の人たちにこれからもみ言葉を語っていきたいと思っている。
 とここまで偉そうなことを書いてきたが、本当は私は推理しても犯人が分からず、途中であきらめて犯人を見てしまっているだけなのかもしれない。また難しい小説は読んでも理解できないだけだとも言える。自己紹介のところにも書いてあるが、私は難しいものが嫌いで他愛のないものが好きなのだ。でもこんな言い訳をしているということは、私はかなり見栄っ張りだな。

わずかなもの、大きなもの

 私が小学生の時、ある日のホームルームでクラスのメンバーの一人が「通学路の変更」を願い出た。彼の家は少し遠くて、たいへん交通量の多いバイパスを超えて行かなくてはならない場所だった。通学路は最短距離と決まってはいない。安全も考慮されたので、彼の通学路はかなり離れた所にあった歩道橋を渡ってというもので、かなり遠回りであった。それが家の近くに信号機のある横断歩道ができたのでそちらに変更したいと願い出たのだった。この申し出は彼の通学時間のかなりの短縮にもなり、あっさりと許可された。
 私は、そこで自分も通学路の変更を願い出た。先生やクラスのみんなはけげんそうな顔をしていた。私の家は学校から近かったからである。私の通学路はそんなに交通量の多くない道の横断歩道を1回渡って行くものだったが、横断歩道を2回渡る方法だと、数メートルほど近くなるので変更したいと言ったのである。先生の返事は「たいして変わらない」とのことで許可にならなかった。まあ予想通りの答えだった。
 ただ、不満はあった。その1つは「たいして変わらない」のならば(実際そのとおりである)、変更も「たいしたこと」ではないと許可してくれてもいいのにと思ったことであった。そしてもう1つが、通学路違反をした場合の罰則のことであった。私のクラスでは全員登校後、校庭を何周か走るという決まりがあった。通学路違反が発覚するとそれにプラスして、たしか倍の罰走が加えられた。私も1度その罰走を経験していた。確かにわずか数メートルだけれど、違反すれば何百メートルの罰走なのだ。だから不満だった。そしてその前にこんなこともあった。ある日私は親から「出かけるから学校が終わったらすぐに帰って来い。」と言われてたのだが、すっかり忘れて友達とのんびり帰って来た。見ると家の前では親がこちらを見て立っていた。「しまった。」と走り出したのだが、通学路に沿って帰って来たところ、親から「急いでいるのになぜ遠回りする。」と怒られた。「あっちが通学路だ。」という私の主張は「言い訳無用」とさらに怒られた。わずかなことかもしれないが、その罰が大きいのだから考慮されないのはおかしいというのが私の不満であった。ただ考えてみると違反はわずかでも違反である。
 私たち人間は皆罪を持っている。皆罪を持っているので比較したりして「あの人より自分は…」などと考え、自分の罪の大きさを実感できないことがある。しかし皆が罪を持っていて、それはとても大きいのである。しかし神はその大きな罪を赦して下さったのだ。これは神の大きな愛である。本当は大きな罰が与えられるはずの私たちが赦されたことを喜びつつ歩みたいものである。
 「他と比較して罰の大きさが問われるならば私は…」と考えたら、罪深い私は特に感謝しなくてはならないだろう。「何百メートルの罰走なんてなんぼのものか」である。とめずらしくまじめな終わり方でした。

変わらない神は変える神
 
 「人間はそんなに変わるものではない。」これは神学校で学んでいたときのある先生の言葉である。これは学生をいましめる意味で言われたようだ。神学校で努力もしないで好き勝手に過ごしている学生(例えば私)が「今はともかく、卒業したら真面目になる」などと考えている事に対して「今努力しない者は将来も同じ」と言われたのである。私に関して言えば先生の言われたことは当たっていたようである。
 でも人はまったく変わらないというわけではないようだ。少しは変わるのである。私関係で変わったものをあげてみよう。食べ物の好みに関しては誰もがあるだろう。私はまず野菜一般である。みんな嫌いだったのだが、好きでも嫌いでもないくらいになったのがいくつもある。大嫌いだったトマトは今でも大嫌いだが、食べられるくらいになった。納豆も大嫌いだったが小嫌いくらいになった。マヨネーズは嫌いだったが普通より好きに近くなった。ポン酢も嫌いだったが好きに近くなった。上には魚が好きになったと書いた。好きだったもので嫌いになったのは思い当たるのはない。食べ物に関しては他にもいくつもある。食べ物以外では涙もろくなった。(歳とったからかも)暑がりだったのにそうでもなくなった。(これも歳かな)また、以前に比べるときれい好きになったと思われているかもしれない。ただこれは私が変わったのではなく、妻の努力であろう。だらしなくてでめんどくさがりのところは変わっていない。
 このように人はそんなに変わるものではない。だがまったく変わらないものでもない、ということであろう。「男子三日会わざるば刮目して見よ」という中国の三国志がもとになっている日本の慣用句がある。人は成長するのである。人は本質は変わらないが、成長することによって結果としてかなり変わってくるのではないだろうか。私で言えば我が娘の教育のために嫌いな食べ物を食べるようになったり、前はひどい風体だったが何とか人前に出られるようになったり、牧師として歩むためにほんの少しだが努力するようになったのである。そう確かに「人間はそんなに変わるものではない。」が少しは変わるのである。
 ではまったく変わらないものがあるのだろうか。それは神である。神は最初からすべてが完全なので成長する必要がない。悪いものが変わらないのは困るが、良いものが変わらないのはありがたいものである。また変わらない神は変える事の出来る神である。上記のような私の成長(他人に言わせると大したことでもない)は自分で変えたと思ったら大間違えで、神が変えて下さったのであろう。妻はよく「神さま頑張ったねえ」と言う。私の少し変わったこともその頑張ったことに入れているに違いない。


 
無かったことにする。

 このところのプロ野球界は、以前と比べて特に人気という面で様子が違ってきている。以前は巨人というチームの人気が断然高く、それにつられるように巨人のいるセントラルリーグの人気が非常に高かった。それに対してパシフィックリーグは人気面では圧倒され、「人気のセ、実力のパ」と言われていた。まあ実際人気は圧倒的にセリーグだったのは間違いなく、人気で勝てないパリーグが「実力はこっちが上」と自らを慰めていたようにも思えた。今は人気面で以前ほどの差は無くなっているようである。
 セリーグ人気が圧倒的なころでも、もちろんパリーグが好きだという人もたくさんいた。私もそうであった。しかし、そういう私に輪をかけたパリーグファンがいて、その人たちが出した本をそのころ読んだ。その本はその年ごとにシーズンと特に日本シリーズについて記しているのだが、徹底したパリーグびいきの内容で、パリーグのチームが日本シリーズを制した年については、まず「大大大大大勝利」とかたくさん「大」がついた勝利が記され、長々と記述が続くのである。それに対してセリーグのチームが日本シリーズで勝った年については、記述はたった一言「無かったことにする。」とあるだけであった。つまりその本では例えばパリーグのチームが勝った1986年から1988年までは年ごとにそれぞれたくさんのことが書かれているのだが、1989年については「無かったことにする。」しか書かれていないのである。パリーグのチームが負けてしまったら、その年全部「無かったことにする。」という豪快さに思わず笑ってしまった。
 実はこの笑ってしまうような豪快なことが私にも起こっている。私は罪を持っていて、救い主イエスキリストにより救われたのだが、その罪は赦されただけで、今も私は罪を持っているのである。だから相変わらず罪を犯しているのだ。そう私はイエス様から言わば罪を「無かったこと」あるいは「無いこと」にしてもらっているだけなのである。罪は相変わらずあるのだが、私たちを愛して下さる神は罪全部を豪快に「無かったことに」して下さったのである。感謝である。
 そんな話を妻としていたら妻は「特にあなたはたくさん赦してもらっているものね。」と言った。「これからも神さまに豪快に無かったことにしてもらわないといけない。」と私は感じている。まあ神は「少しは罪を犯さないよう努力せよ。」と思っているだろうけど。


間違えるから人間はいい

 パソコンなどでどこかのホームページやサイトを見るには、検索サイトなどから目的のものを見るのが一番ポピュラーな方法だろう。私もほとんどこの方法である。「お気に入り」などに入れておくこともあるが、例えば自分の教会のこのホームページを見るのも、よそからなら、検索サイトから行きついて見ている。でも一番基本的な方法はそのホームページのアドレスを知り、それを打ち込む方法である。ただこの方法は難しい面がある。だいたい時間がかかる。また相手がパソコンのような機械などで困ったことがある。以前の教会でホームページを開いていたのだが、まだ検索サイトから開けなかった時に、ある人にアドレスを教えたのだが、その人から「見ることができない」と電話があった。その人にはアドレスをメモして渡したのだが、そのアドレスの中の「~(チルダ)」を「^(サーカムフレックス)」と打ち込んでいたからだった。また「.(ドット)」が一つ抜けていて見ることができなかった人もいた。機械は本当に難しいものである。相手が人間なら「惜しい‼」と声がかかりそうなところである。
 スポーツなどで審判のミスジャッジが問題になることがある。審判は人間だから間違えることもあるのだ。そこで間違いをなくすために機械を導入することがしばしば論じられる。確かに応援している選手やチームがミスジャッジで不利が生じたりしたら頭にくる。機械の導入を支持したくなる。でも少し冷静になるとやはり人間が良いかなと思う。人間は「惜しい」とか「残念」とか「まだまだ」がある。サッカーで反則らしきプレーがあったとき審判は反則ではないと首を振ったり、プレーを続けなさいとジェスチャーしたりする。野球でも投手が投げたきわどいボールを首を振りながら「ボール‼」とコールする審判も多い。そんな場面を見ると何かほっとするような気がする。あれが機械だったら、おそらく、どんなにぎりぎりでも冷静に判断されるだろう。きわどくても、まるっきりそうでなくても機械的に判断されるのだ。ホームページのアドレスもたった一文字違っていたり、あるいは抜けていても「惜しい」とか「ここが違う」とかは出ないで、「このリンクは無効です。」とか「見つかりませんでした。」とかが出てくる。やはり私は機械より人間が良いなと思う。「間違い」があり、「惜しい」とか「残念」とか「まだまだ」がある人間が良いなと思うのである。神さまもそんな人間を愛して下さったのである。
 そんなことを考え書いていたら、妻から私の書いた文書の文字の間違いを指摘された。私は「人間は間違えるから良いのだ」などと言っていた。まあ上のような文を間違いの少ない人が書くと説得力がますのだが、私のような間違いだらけの人間が書くとあまり説得力はなく、ただの自己弁護にしかならないかな。


横文字はどれくらい?

 キリスト教音楽伝道者として活躍しておられる久米小百合さんが「久保田早紀」という芸名で出して大ヒットした「異邦人」という曲の歌詞は、すべて日本語で横文字が無いということだ。それがすばらしいと言っていた人がいたが、私は「横文字が入っていないからすばらしい」とは別に思わない。ただ時々賛成したくなることがある。それは私が愛国者だということではなくて、語学が苦手で横文字で言われても意味が分からない場合がよくあるからである。私は実は「アイデンティティー」や「コンセンサス」また教会でよく使う「ミッション」などの言葉の意味があやふやである。あやふやなのに使ったりするのだから私も相当な見栄っ張りである。
 「なぜ日本語にしないのか?」と聞かれたら何と答えるだろうか。中には「かっこいい」とか「頭がよさそうに見える」なんていう私のような見栄っ張りもいるだろうが、理由として一番多いのは「日本語に訳すことが難しい」というのがあると思う。横文字ではないが、私の妻が自分の出身地でその土地の言葉でよく使う言葉があった。私は妻に「その○○というのはどういう意味?」と聞いたら、妻はしばらく考えていたが結局「○○は○○」と答えた。共通語にしにくい言葉のようだった。「なぜ横文字を使うのか?」と聞かれたら「横文字の方がしっくりくる。」と答える人は多いだろう。
 ただ、横文字ばかりも困るが日本語ばかりも困る。日本語よりも横文字が浸透している言葉は横文字でお願いしたい。スポーツでは「野球」や「卓球」は日本語で良い。でも「蹴球」は「ア式」でも「ラ式」でも「サッカー」「ラグビー」が良い。「籠球」や「排球」に至っては日本語の方が分からない。「バスケットボール」「バレーボール」とした方が良いと思う。その他では「提琴」も「バイオリン」が良いだろうし、教会関係では「降誕日」あるいは「降誕祭」は「クリスマス」が良いだろう。
 また例外もあると思われる。聖書の中に、あるスポーツが出てくる。それは横文字の方の名ががよく知られている。それは「ボクシング」である。しかし日本語訳の聖書では多くの訳が「ボクシング」ではなく「拳闘」と訳している。私もここは「拳闘」が良いと思う。「空を打つような拳闘はしない」の方が「空を打つようなボクシングをしない」よりしっくりくるような気がする。要は分かりやすく、しっくりくるような言葉の用い方が良いということだろう。
 聖書は旧約聖書はヘブル語で、新約聖書はギリシャ語で書かれている。妻からはよく「あまり偉そうにギリシャ語やヘブル語の引用はしないで」と言われている。私は語学が苦手なので、これまでまあまあ妻の願ったとおりになってきた。ただまかり間違えてギリシャ語やヘブル語が分かっていたら、見栄っ張りの私は引用しまくりになる可能性が非常に高い。語学が苦手なのは神の導きかもしれない。


全知全能の神
 
 「二刀流」という言葉がある。これは文字通り二本の刀で戦う事を意味している。現在剣道の試合ではほとんどの選手が1本の竹刀で対戦するが、実は二本で戦っても反則ではないそうだ。ただ右手と左手と別々に竹刀を持って戦うのは難しく、あまり二刀流の選手がいないという。刀を使わない競技でも「二刀流」という言葉を使う。野球では日本ハムの大谷翔平選手が「二刀流」と言われる。野球の場合の「二刀流」とは投手と野手の両方をする選手の事を言う。大谷選手は投手としても野手としても能力が高く、どちらも一流である。ただやはり、どちらかにした方が良いという意見は多いようだ。私としてはぜひ「二刀流」を貫いてもらいたいと思っている。
 しかし上には上がある。大谷選手は野球という同一の競技の中での「二刀流」だが、同じ競技ではなく別の競技で一流という人がいる。そんな人はたくさんいると考える人もいるだろう。確かに別の時期に別の競技で一流という人は多い。このほどエージシートをなしとげたプロゴルファーのジャンボ尾崎選手は高校時代野球のピッチャーで甲子園優勝投手である。プロレスラーのジャイアント馬場さんは、レスラーになる前はプロ野球の巨人軍に在籍していた。しかし同時期に別の競技で一流という人はなかなか思いつかない。日本人では橋本聖子さんはスケートと自転車でそれぞれオリンピックに出場している。すばらしいことだが、これはスケートの練習に自転車を用いることが大きいということだ。アメリカにはディオン・サンダース、ボー・ジャクソン両選手のようにプロ野球とプロのアメリカンフットボールのチームに同時に在籍して、それぞれすばらしい結果を残した人たちがいる。彼らは「マルチアスリート」と呼ばれている。近年スポーツの競技も専門性が高まり、なかなか別の競技で同時に結果を出すのは難しくなってきた。だから両選手とも比較的最近(1900年代後半)の選手であることはすばらしいことである。以前は別の競技でそれぞれ結果を出すことは近年ほど難しくはなかったようだ。とはいっても1900年代前半に活躍したジム・ソープという人は半端ではない。陸上競技でオリンピックに出場し優勝し、同時期に野球とアメリカンフットボールとバスケットボールでプロの選手として活躍した。ちなみに当時はアマチュア規定が厳しくて、オリンピックの金メダルは一時はく奪されたそうだ。
 私はスポーツは何でも好きなので、複数の競技で活躍できるなんてすごいとあこがれてしまう。しかしありとあらゆるスポーツ、いやそれどころか他のありとあらゆるすべての分野について誰にも負けない方がいる。そうイエスキリストである。「なーんだ」と思う人も多いと思う。ただ人よりもはるかに高い全知全能の神にゆだねていけることは感謝である。
 私は牧師をさせていただいているが、時々他の牧師がうらやましくなる。音楽的才能がある牧師、博学な牧師、スポーツマンの牧師、美術的才能を持つ牧師、器用で何でも作ってしまう牧師、機械に強い牧師、かっこ良くてイケメンの牧師、みんなうらやましくてしょうがない。石川啄木の「友がみな、我よりえらく、見ゆる日よ、花を買い来て、妻としたしむ」の歌が身にしみる。私も花でも買うかという気になる。ああ我が家の場合は「花より団子」がいいかな。あっそうだ花にしても団子にしても買うお金が…


意味のあること
 
 人は意味のあることをしたいものだと思う。逆に言うと意味の無い無駄なことはしたくないのが普通であろう。忙しく「早い」「速い」がもてはやされるこの時代は特にそうであろう。ただ人は意味のあることばかりをしていくわけにはいかない。いや、別の言い方をすれば「一見意味の無いように思えることも、何か意味がある」ということだろうと思う。
 この意味は人によって「ある」と「なし」は違う。ある人にとってはとても意味のあることでも、人によってまるっきり意味無しと感じることがある。以前鉄道作家として有名な宮脇俊三さんの著書を読んだが、その中でJRの列車もバスも使わないで東京から大阪まで行くという企画を出版社から提案された。すると宮脇さんは「そんなことして意味があるのかな?」と言ったところ、出版社の担当者から「意味が無いとダメでしょうか?」と言われたと書いていた。宮脇俊三さんにとってJRの全線を乗ることは意味があり、実際それをしているのだが、人によっては「JR全線乗車」など何も意味が無いと思う人がいる、いや多いだろう。宮脇さんにとって意味を感じない「JRを使わないで大阪まで行く」ことが出版社にとっては意味があるのかもしれないのだ。いや、これはむしろ意味のある無しだけで人は行動しないということを担当者の人の答えから感じる。意味のある無しは結構深い問題である。
 ということは、人は意味のある無しだけで行動しているわけではないことを意味している。実は意味の無いと思えることが、実は大切だということがよくあるのだ。車のブレーキは遊びの部分があるが、それがないと運転に支障をきたすからである。またある人がお店で注文したとする、品切れだとして、すぐに「品切れ」と答えずに店員さんが在庫を確認に行くのは「意味の無い」行為かもしれないが、それで注文した側は不快にならないで済むかもしれないのだから「意味がある」とも言えるのだ。また文書の絵やカット、メールの絵文字も、それがなくても相手に内容は伝わるのだから「意味が無い」とも言えるのだが、カットや絵文字が人を和ませるという意味を持っている。このように「意味の無い」「無駄」と思えることが実は人にとって必要なのだと無駄ばかりの私は思うのである。特に人の精神的な部分は遊びや無駄によって正常に保たれていることが多いのではないだろうか。遊び大好きで無駄の多い私にとってこれは自己正当化にうってつけである。
 そこで妻に言った。「だからね、あなたにとって意味の無いと思えるようなこと、例えば僕の趣味や遊び、またテレビを見ることは、実は意味のあることなんだよ。女の人たちのおしゃべりのようなものだよ。」すると妻は「ふーん、でもあなたは寝ないで遅くまでテレビを見たり、くだらないことをしたりしていたりするのだから、寝ることは意味が無いと思っているということ?」と言ってきた。私は「いやいやとんでもない。寝ることは意味がありますよ。だから僕はときどき昼間に机で寝てるでしょう。」と答えた。そう人にとって寝ることはとても意味のあることだ。


カツカレー

 私は子どものころから食べ物の好き嫌いが多く、またアレルギーのものなどもあり、食べられないものがたくさんあった。1980年から私は東京キリスト教短期大学という神学校に入学したが、その神学校の寮生活で嫌いなものもかなり食べられるようになった。卒業の頃にはアレルギーのもの以外、いくつかの大嫌いなものを除けば食べられるようになった。そして今はアレルギーも無くなり、残っていた大嫌いなものも克服し、食べられないものは無くなった。感謝である。ただ、食べられないものは無くなっただけで、嫌いなものは今でもたくさんある。その神学校でも食べられないものが少なくなっただけで、嫌いなものは減ってはいなかった。
 時々「嫌いなものは何も無い」という人もいる。その神学校の同級生にもいた。うらやましいかぎりである。ただ、私と同じように嫌いなものが多い同級生もいた。その同級生とは食べ物の好みも似ていて、よく二人で食事のメニューに文句を言いあっていた。ある日、その同級生が「夕飯のメニューを見てくる」と食堂に行った。戻ってきたら怒ってる。メニューが気に入らなかったらしい。私と好みが似ているので、私もあきらめの境地でメニューを聞くと「カツカレー」と答えた。私はこれを聞いて意外だった。めずらしく彼と好みが合わなかったと感じて「カツカレー嫌いだったのか?」と言うと「いや、大好きだ」と答える。好きなのになぜ不満なのか?と聞くと、彼が言うにはもったいないというのだ。つまり今日はカツにして、明日はカレーにすれば、今日と明日二日間美味しいのがつづくのにということだった。
 私は美味しいのが一緒にというのも、豪華な気がして良いと思う。だいたいカツカレーはカツカレーの美味しさがあると思う。ただ、その同級生の言うことにもうなずける部分はある。たとえば私たちはうれしいことがつづくと「そんな良いことばかりつづかない」と考え、そろそろ嫌なことが起こりそうと思ったりする。そういう考え方からすると「カツカレーはもったいない」となるかもしれない。
 でも神さまの恵みはカツカレーのように恵みに恵みが加えられていくことがありうる。神さまは愛と恵みに満ちた方だからである。つまり、今日恵みに満ちた日だから、明日は恵みが無いということはないのだ。感謝である。今年もクリスマスが近くなってきたが、子どもの頃クリスマスは、プレゼントにケーキに鶏肉と私にとってうれしいことのてんこ盛りだった。神さまは恵みに満ちた方だと実感できる。
 そう私たちの歩みは恵みに恵みが加えられたカツカレーのようなものである。そこで妻に「今日の夕飯のメニューはカツカレーにしよう」と提案したら、妻から「カロリーを考えなさい」と叱られた。「じゃあ今日はカツにして明日はカレーにするか」と言うと「もっとカツとカレーの間隔を開けたほうが健康に良い」と言われた。私の食事に関してはなかなかうれしいことはつづかないかな?


驚かそうと思ったのに

 今から二十数年前、三十年近く前のことである。私は東京の葛飾区の教会で副牧師をしていた。その前に卒業した神学校の同期生が千葉県で牧師をしていた。私はまだ独身だったが、彼はその神学校の同期生と結婚していた。つまりご夫婦どちらも私の同期となる。そのご夫妻に子どもが生まれたと聞いた。お二人の結婚式にも参列させていただいたが、お祝いを贈った記憶がなかった。それが子どもが生まれたと聞いたので、結婚祝いと出産祝いを持っていこうと考えた。
 こういう時に何を贈るかは結構悩むものだ。オーソドックスにしても良いのだが、少し奇抜な要素もと考えた。私の贈り物らしく驚いて記憶に残る贈り物をと考えたのである。(それが私らしいというのも…)ただ、驚いたは良いが贈られて迷惑なものは避けたいと思うから難しいのである。ただ幸い今回は結婚祝いと出産祝いの二つである。どちらかを当たり前のオーソドックスなものにして、もう1つを奇抜なものと考えた。オーソドックスな方は彼らの住む所から近い大きな町の大型店舗の商品券にした。奇抜な方はなかなか良いものが見つからない。とうとう彼らの住む所の最寄りの駅に決まらないまま着いてしまった。ここから彼が牧師をしている教会まで少しである。そこで良いものを見つけた。あまり贈り物というイメージはないが、必要なもので迷惑でもないだろうし、多少の驚きもあり、記憶にも残りそうだ。そしてその見つけたものを売っている店に入った。そこはお米屋さんであった。そう、米を10キロぐらいドンと贈り物にしようと考えたのである。やはり贈りものなので一番高価な米を確か10キロぐらい買った。「我ながらおもしろいものを買った」と喜んで教会に向かった。教会に着くと留守であった。当時は携帯電話などまだ普及していなかったので、公衆電話から彼らの自宅に電話をすると家にいた。連絡もせずいきなりの訪問でも「大竹らしい」と笑っていたが「迎えに行きたいんだが…」と困っている。誰か先客がいるらしい、聞けば彼らと私の神学校の教授であった。それもあるし、だいたい驚かせたいと思っていたので「こっちから行く」と言うと、非常に恐縮して道を教えてくれた。そこからそんなに遠くはなくて、分かりやすい道だったが、彼が非常に恐縮していた理由が理解できた。それは彼の家は高台にあって最後はかなりの長さの上りの階段で行く所であった。普通ならちょっときつい上り階段だろうが、こちらは米を抱えているのである。かなりへばってやっと着いた。受けをねらって散々な目に遭った心境である。彼らはお米に驚くより申し訳ないような様子である。こちらも驚く顔を見る余裕などなくへたりこんでいた。教授だけが「大竹君らしい」と笑っていた。贈り物がユニークだということと、最後の落ちがこんなことになるということのどちらが私らしいと思ったのかは分からない。
 まあ人の考えることなどはこんなものだろう。全部が計画通りいくとは限らないのである。だいたいちょっと驚かせてやろうなどと考えての行動なんかはこんなふうになって良いのだろう。本当に大切なことは神さまに祈りつつ進めたいものである。
 その後、商品券もお米も有効に使わせて頂いたとお礼の手紙をもらった。私もへばったかいがあったというものである。


度肝を抜かすパフォーマンス

 小学生時代の夏休みの楽しみの一つにプールがあった。市のプールに行くのもいいが、学校のプールもそれなりに楽しめた。ただ、学校のプールは学年ごとに割り当てがあったので毎日は行けなかった。
 ある時、学校の主催ではなくて地域の自治体の主催で学校のプールを利用してのプール実施日があった。学年ごとではないので弟と一緒に行けるし、学校の先生と違ってうるさく注意されることもないだろうと楽しみにしていた。実際行ってみるとスタッフの人たちは先生以上にうるさくて、何かするとすぐ注意された。ただ弟たちと一緒のいつもと違う雰囲気の中、楽しく遊んでいた。予定の半分くらい時間が経った頃、私たちは何回目かの休憩をさせられていたのだが、ポツリポツリと雨が降ってきた。スタッフの人たちは集まって話し合っている。最終学年だった私たちは子どもたちを代表するかたちで次々と声を上げた。「こんな雨、大したことないよ‼(実際、大したことなかった。)」「こんな雨すぐ止むよ‼(本当にすぐ止んだ。)」「どうせ濡れてるし‼(これは子どもの時、いつも思っていた。濡れるのは雨が降っても同じだと)」そんな私たち子どもの気持ちは届いたか、スタッフの話し合いはすぐ終わった。最初に挨拶をした。自治会長さんか誰かがスタッフの一人に何か言うと、その人はうなづいて服を脱ぐといきなりプールに入った。そしてプールの真ん中に行って、こちらを向いて大きく両手を上にあげて、すぐに手をクロスさせて「中止します。」と叫んだのである。
 私たちは不満だった。こんな弱くすぐ止みそうな雨なのになぜ中止なのかという思いである。そして雨は私たちが着替える頃にはほとんど止み、帰宅途中で晴れてきたのである。ただその中止の決定にそんなに強く反抗した記憶もない。なぜだろうか。後で考えると私の弟が着替え中に言っていたことが関係していたようである。弟は何て言ったかそれは「あのおやじ(スタッフのことである。おやじと言うには気の毒なくらい若い人だった。でも弟にはおやじである。)何でわざわざプールに入って中止って言ったんだ。別に入らないで中止と言えばいいじゃないか。」と言ったのである。そう私たちはあのわざわざプールに入って交通整理のように中止と叫んだあの1つのパフォーマンスに度肝を抜かれたように従ってしまったのである。そう考えるとあのパフォーマンスも意味があったのかもしれない。ちなみにそれから私たちはしばらくの間、誰かが意味はないけど目立つことをすると「あいつ中止おやじしている。」と言ったりしていた。
 あのイエス様はガリラヤ湖周辺で活動され、時に湖に船を浮かべて、そこから岸にいる人たちに話をされたようである。それはもちろん意味があり、私たち人に必要なものであった。牧師である私の話には、時々身振り手振りも入るが、それが人の度肝だけ抜かした中止おやじにならないようにこれからも心がけよう。


 
恰好ではないと言うけれど 
 

  私は自己紹介のページにあるように、教会付属の幼稚園に通っていた時期がある。その頃のことである。母と幼稚園のことを話していた。話している中で母は突然「敏生、あなた園長先生を別の人と思ってない?」と聞いてきた。私が園長先生だと思っていた人とは別の人が園長先生だったのである。
 当時、私が通っていた幼稚園は男のスタッフが二人おられた。若い方と少し年配の方である。私は若い方のほうが園長先生だと思っていた。私に間違って誰かが教えたのだろうか?それは考えられない。ということは私が勝手に間違えていたのである。その間違えた理由は、今は思い当たることがある。それは恰好である。若いほうの方はいつも黒っぽい色のスーツを着ていて、ネクタイもしていた。一方、年配の本当の園長先生はスーツを着ていることはあまりなく、ノーネクタイの開襟シャツでいたりすることが多かったように記憶している。なので本当の園長先生にはまったく申し訳ないが、雑用を担当しているスタッフの方か何かだと思っていたのである。ただ誤解のないように記すが、園長先生は決して変な恰好をしていたのではない。むしろ動きやすい恰好をされていたのではなかろうか。園長先生はおそらく教会の牧師であられたと思う。恰好で判断するなんて、もしその園長先生兼牧師先生が一休和尚ならスーツがガウンを投げつけられて「これに祈ってもらえ、メッセージしてもらえ」と言われそうである。まあ幼稚園児のことと失礼をおゆるしいただきたい。
 さてそれから50年近く経った。神と教会の愛によって私も牧師にさせられている。この幼稚園の時に会った牧師のように恰好はともかく中身のある牧師を目指して歩んでいる。でも現実はというと…まあ頑張っていこうと思う。だいたい私は対外的なことで出かけるときはほとんどスーツかブレザーでネクタイ着用である。これは妻と娘の願いどおりしているからである。私は自己紹介のページにあるように面倒くさがりだから、だいたい着替えるのが億劫である。私は妻にこの幼稚園の時の牧師の話をしたり、近隣の教会の牧師たちもネクタイして来ないと言うのだが、妻は「だってあなた以外の牧師先生はラフな格好でも牧師だと言われたら信じられるけど、あなたはそう思われないほどラフな格好や普段着がしっくりきてるから」と褒めているのか分からないことを言われている。娘には「お父さんはネクタイしているのが一番恰好がいい」と非常に分かりやすいおだてを言われる。それに見事にのせられているのだ。よく考えると二人の言いたいことは「スーツかブレザーにネクタイの恰好をしてないと牧師に見えない」だったりするのかもしれない。それはそれでうれしいのだけどな。

 
 
 
枕するところがあった。 
 

  今から30年以上前、私が東京基督教短期大学(TCC)で学んでいた時のことである。当時私は独身で、男子寮に入っていた。寮なので門限があり、10時か10時半だった。ただ、教会での奉仕などで門限までに帰れない時は、寮に連絡を入れると、電話を受けた者が「○○兄は帰寮が○時になるので鍵は開けておいて」と玄関のところの黒板に書いておく事になっていた。それを見た当番の人は鍵をかけず、帰ってきた者が閉める決まりであった。
 ある時私は教会奉仕でたいへん遅く1時30分に帰寮すると連絡を入れた。電話には同室の同級生が出て黒板に書いておくと言ってくれた。そして1時30分に帰寮すると扉が開かないのである。鍵がかかっているらしい。(後で考えたが、同じように遅れて帰宅した寮生が「自分が最後」と信じて鍵を閉めたのだと思われる。)もし1階の寮生が起きていたら窓をたたいて扉を開けてもらうのだが、灯りがついている部屋は1階にはなかった。3階の一番奥の私の部屋は灯りついているので、非常階段から上がって声をかけてみたが聞こえないのか反応はなかった。(後で分かったが、同室者は遅く帰る私のために灯りをつけたまま寝ていたのだった。)。一応決まりで無断外泊は禁止されていたので私は玄関に戻ってそのままそこで朝を待つことにした。(真面目なのか不真面目なのかよく分からない私らしい)「創世記のヤコブのように石を枕にという感じかな」とか「福音書には『人の子(イエス様)には枕するところもない』とかあったな。今の自分みたいだ。」そんなことを思っていたら何と雨が降ってきた。雨宿りができるところを探したら良い場所があった。寮の前に体育倉庫があったのだが、そこはかなり広くて、卓球台があって卓球ができた。その周りには椅子が並べてあり、そのうちの一つは簡易のソファー型の長椅子であった。私は「これは良い」とその長椅子に横になった。そして朝までそこで寝ていたのである。
 朝、目が覚めるとちょうど玄関が開く時間であった。当番の人は開けたらすぐに私が入ってきたので驚いていた。事情を説明するのも面倒なので、黒板を指さしながら「ちゃんと書いてあるのに閉めちゃうんだから」と言って部屋に直行した。同室者はちょうど起きたところでやはり驚いていた。
 しかし思えば、私が高慢にも「ヤコブやイエス様と同じ」なんて考えていたら雨が降ってきたのである。イエス様から「偉そうに何を考えている。」と怒られたように思えた。そして今、牧師として歩ませていただいているがやはり「ヤコブやイエス様にはまだまだ」と言われているように思う。そう私は石を枕にしたり、枕が無かったりせず、柔らかい枕で寝ている。今牧師をさせていただいているのは、ただ恵みによるのである。

  
 
 
何という偶然 
 

 世の中には「偶然」の出来事というものがある。歩いていたら偶然知り合いと思いがけないところで会ったりすること、そういうことは多くの人が経験しているだろう。以前テレビを見ていたら、アメリカのある女性が子どもの時にテーマパークでキャラクターと記念撮影を撮ったのだが、その写真の後方に今の夫が写っていたということが紹介されていた。そうこのご夫婦は結婚する20年以上前に偶然出会っていたのである。またいろいろな偶然の出来事を紹介した本には、ある人が事故を起こしたが、事故の相手が何年か前に事故を起こした時の相手と同一人物だった話とか、ある地方で水害が起こり、お墓のある棺が海に流されてしまったが、その棺が何千キロと流されて中の死んだ人物の生まれ故郷に流されてきた話などが掲載されていた。その本では特に後者の話などは偶然ではすまされない何かの力が働いたとしか思えないと書かれていた。
 その本に紹介されていた話とは比べ物にならないが、私も偶然の体験がある。子どものころ友達と野球をしていた。その日に限って自分のところによく打球が飛んできた。しかももう少しで捕れそうなところばかり飛んできた。打球を追いかけるのだが、寸前でボールを目で追うと、あと1メートルくらいで届かないことが続いた。打球を見るとどうしても走るスピードが落ちるので、また同じようなところに打球が来たとき、少し受けを狙って今度は走るスピードをゆるめず打球を見ないで、走りながら適当にグローブを差し出したらグローブの掌の部分に打球があたったのである。そこまではまああることだろう。しかしその時は何とその掌にあたってはねたボールがまた走り続けていた私のグローブに飛び込んできたのである。私がボールを見たのは打者が打ってすぐと、グローブに収まったときだけなのである。同じチームのメンバーからは「よくやった」とたたえられたが、中にはどうやってあんな捕り方ができたのかと聞く者もいた。「あと少しで捕れそうな打球が続いたので、今度は打球を見ないで適当にやったら偶然捕れた」と話したが、信じていないのか「もう一回やれ」と言われた。ただその後はこれも偶然か、そんな芸当を見せるような打球が私の方には飛んでこなかった。
 まあ私の話はともかく、世の中には先の棺の話のように偶然ではかたずけられない話がある。クリスチャンである私に言わせるとそれが神のなせる業ということになる。私たちには偶然でも神には必然なのである。
 またある人がこんなことを言っていた。「幸運な偶然は一人の人の人生の内に1回与えられることになっている」とである。これは信じたくない。私の人生の幸運な偶然があの野球で終わったとは考えたくない。どうしたらいい?そう神に祈ることによって偶然ではなく神の必然がなり、1回ではなく何回も祝福がくるのだ。


 
 
宿題、レポート、卒論
 

 もう社会人にになって何十年と経つのに、今でもたまに宿題やレポートの提出に四苦八苦している夢を見る。いかに劣等生であったかが分かる。そこで私の今までの「宿題」や「レポート」への取り組み方を考えてみたいと思う。
 小学生の時は毎日の宿題はあまり記憶にない。ただある授業参観の日帰ってきたら母から「宿題をやりなさい」と言われたので「ない」と答えたら「先生が言ってた」と言われた。そういえば明日までにやっておくように言われた記憶があった。「あれが宿題か」と理解した。それまでも何回も言われたことがあったが、それが宿題とは思っていなかった。あの時初めて宿題をしたのである。小学校では他に夏休みの宿題が記憶にある。さくらももこさんがご自身の漫画で夏休みの宿題帳の「夏休みの友」をこんな友達はいないと書いていたがあれである。ただ私はむしろ工作の宿題を思い出す。図工が大の苦手な私は、やってはいったのだが他の人たちのすさまじい出来の工作に驚き、自分のちゃちな工作物を出すことができずに帰り道、焼却炉に投げ込んできた。弟は「気持ちは分かる。あれは出せない」と言っていた。先生はそんな事情を理解していたようである。また宿題ではないが、40の粒がついているぶどうが描いてある絵が渡され、その粒には夏休みの日付が書いてあり、いくつかある夏休みの1日の決まりをすべて守れたら紫色をその日付の粒に塗り、一つ守れなかったら何色、二つだったら何色と決められた色を塗っていくものだった。私は大まけにまけて紫が一粒だけのカラフルなブドウが出来上がった。夏休みが終わって学校に持って行ったら、皆は紫ばっかりだった。みんな夏休みは楽しくなかったのではと思った。中学生になり夏休みの宿題は多く出た。中学一年の夏休み、ほとんど宿題をしないまま最後の日を迎えた。その日徹夜をして終わらせた。初めての完全徹夜であった。何か英雄になった気がした。その後高校生まで、まじめに宿題をしなかったように思う。神学校に入って今度はレポートに悩まされる。レポートに対する取り組みは神学生たちはいくつかのグループに分類された。「提出期限までまだ数か月もあるのにレポートが出された日に終わっているのではと思うくらい早く終わらせる人たち」「期限までにはきちっと余裕をもって終わらせる人たち」「早くて期限前日、普通に当日朝、下手すれば提出する日の授業中にやっと終わらせるような人たち」である。私は当然3番目のグループであった。続いて行った神学校の卒論では、私が図書閲覧室で「あと何枚」と言いながら卒論を書いているので「何で終わりまでの枚数が分かるのか」と不思議がられていた。そしてあと何枚が0枚になったら私は「やったこれでいつでも終われる」と言ったのである。つまり何枚というのは卒論の最低枚数だったのである。
 これを見ると私の宿題、レポート、卒論は、やらないか、やっても出来はたいしたことはないということである。これは神の命令に対する私の取り組みと似ているかもしれない。神の命令を守らないか、守ってもたいしたことはないということだ。ただ「神さま、神学校ではレポート提出をしなかったことはなかったと思います。これからも命令を守らないことはなるべく少なくしますので勘弁して下さい。」とお祈りしておこう。

 
 
 
流行よりも本性 
 

 以前、まだ娘が子どもだったころ、二人で古い写真を見ていた。私の子どものころからの写真である。そのうちの一つの写真を見ながら娘は驚いたように声をあげた。「お父さんは髪の毛が長かったんだねえ」見ると私の高校生の時の写真で、確かにかなりの長髪であった。「お父さんの若かった時は長髪が流行ってたんだよ。みんなが長くするので、学校では髪の毛の長さが決まりであったんだから」と言うと「へー」と驚いていた。さらに「○○とか△△とかの芸能人も、このころはみんな髪の毛が長かったんだよ。みんな長い髪の毛がカッコいいと思っていたのかもしれないね。」と言いながら自分の子どものころを思い出してみた。確かに髪の毛に関する校則ギリギリ、あるいは校則違反をしても何とか誤魔化すことに苦心していたように思う。そしてそれは私だけではなかった。皆が何とか髪の毛を切らないで伸ばそうとしていた。「戦争を知らない子どもたち」という歌では「髪の毛が長いとゆるされないなら」という詩があった。そのころの若者の思いを代弁したかのようにである。
 確かにあのころは長い髪が流行りであった。あれがカッコいいと思っていた人も多かったと思う。でも私の場合は恰好や見た目を気にしていたのかといえば疑問である。これは決して流行に惑わされていないと偉そうに言っているのではない。それはその後の娘との対話で分かる。娘は「お父さんは髪の毛が長いほうがカッコいいと思うから、今でも床屋さんに行きたがらないんだね。」と合点がいったというように私に言った。確かに妻に「そろそろ床屋さんに行ったら」と勧められても「えーっまだいいよ」と気乗りしない返事をよくしていた。娘はそれを思い出していたようだ。私は娘に答えた。「いや、お父さんが髪の毛を切りたくない理由はね。この前、髪を切ってすぐに一緒に公園に遊びに行ったじゃない。あの時めちゃくちゃ頭が寒かったんだ。切らなきゃよかったと思ったよ。」娘は「寒くない時だって行きたがらないじゃないか」というような顔をしている。「それと一番大きな理由はね。床屋さんに行くのが面倒くさいんだよ。」娘は「なーんだ」という顔をして笑っていた。私が若かったころも実のところは億劫で髪の毛を切りに行きたくなかったということが大きかったのである。自己紹介のページにも記したが、私は子どものころから相当な面倒くさがりだったようだ。長髪が流行りでなくなったのに髪の毛を切りに行きたがらないのは、流行よりも面倒くさがりという本性が優っていうことなのである。
 でも少し反省をして娘に言った。「でもそういえばイエス様も長髪だったみたいだね。お父さんもイエス様のように髪を伸ばすかな。」娘はそれを聞くと「お願いだからそれは止めて。お父さんには似合わないし、イエス様がかわいそう。」と言った。「イエス様も嫌がるかもな。」私はそう言って長髪はあきらめた。

 
 
 
変わってないなあ 
 

 数カ月前、妻と二人で沖縄に行った。沖縄は私は初めてで妻は2度目であった。妻は2度目と言っても最初は学生の頃だったそうで、今回訪れたいろいろなところが「へーっこんなになったんだ。」と変わっていて驚いていた。これは多くが「便利になった」「良くなった」ということだったと思われる。人はいろいろなものが良いように変わることを求めているのであろう。
 ただ人は変わることばかりを求めていない。中には「こんなになっちゃったんだ」「前の方が良かった」なんて感じることも多いのである。私は東京出身だが、小学校の1年と2年のときは東京の山に近いほうに住んでいた。西の方を見るといつも「馬頭刈山」と「大岳山」という2つの山が見えていた。その後引っ越してその景色とはお別れしたのだが、10年以上たってその地を訪れて西の方角を見ると「馬頭刈山」と「大岳山」が以前と変わりなく見ることができた。何かすごく感動したように覚えている。「ふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな」と詠んだ石川啄木の気持ちが少し分かったような気がした(何を偉そうにと啄木にあきれられるだろうが)。また多くの人が古いものや昔のものにノスタルジックな思いを抱いているように思う。クラシックな不便な車にわざわざ乗っている人、薪や石炭のストーブを好む人、CDではなくレコードにこだわる人などは変わらない方が良かったと思っているのかもしれない。実は聖書も新しい訳が出ているが、前の訳の方が良いと思う人は多いのである。
 何か案外「変わらない」方を求めていることが多いように感じたりもする。それは変化についていけていないのかもしれないし、もしかすると変化することが当たり前のように感じていて、変わらなくても良いものを評価しているのかもしれない。特に年を重ねると変わらないものを喜んだり、ノスタルジーを感じることが多くなったように思う。少し元気を出して変わったものを喜ぶようにしてみようと思う。
 考えてみれば良いものは変わらない方が良いのだ。限りなく良い神は昔も今も全く変わりないのである。一方悪いものや完全ではないものは変わった方が良いのである。だいたい人は変わらなくてはならないのだ。その変化を別の言い方で「成長」とも言う。「変わってないなあ」という言葉は良い意味なのか悪い意味なのかよく考えなくてはならない。人が「変わってないなあ」と言われたとき、それは「相変わらず素敵だ。」という意味か「相変わらずおかしなやつだ。まるで成長していない」という意味のどちらだろうか。私は後者であろう。ただかなり成長しているところもあると思うんだけどね。

 
 
 
知らされていなくて良かった 
 

 聖書には「預言」がたくさん記されている。「預言」であって「予言」ではない。神のみ言葉を預かって人が語っているので「予言」ではなくて「預言」なのだ。ただたくさんの「預言」の中にも「予言」のようにまだ起こっていないことが語られ、後でそれが実現するというような「預言」もある。そして2015年の終わりを迎えた現在も起こっていない「預言」も聖書にはある。それはたとえばこの世の終わりについての「預言」がそうである。
 上の方にも少し記しているが、私が中学生の時の夏休み、多くの宿題が出た。怠惰には定評のある私もさすがに「やはり計画を立てて宿題に取り組むべきではないか」と少しは考えた。ただある雑誌から情報が私にもたされた。それはいくつかのこの世の終わりに関しての「予言」についてであった。一時大ブームになったノストラダムスの「予言」もあった。しかし私が注目したのはそんな有名なものではないある「予言」であった。なぜそんな知られていない「予言」に注目したかというと、その「予言」によればその年の夏休み中のある日にこの世の終わりが来ることになっていた。「これはこの日まで宿題をしないほうがいいな。本当にその日にこの世の終わりが来たら宿題やっていても無意味だ。」と私のような者が考えるのは当然であった。でどうなったかというと、その「予言」は外れた。私は「計画にそって宿題をする」ということができずに「夏休み最終日に完全徹夜をして宿題をする」という事態を招くことになったのである。
 今思うと聖書のこの世の終わりについての「預言」が愛に満ちていることが理解できる。聖書のこの世の終わりについての「預言」は、その時どういうことが起こるかは書いてあるが、いつ起こるかは書いてないのだ。弱い人間はいつこの世の終わりが来るか知らされていたらパニックになるだろうが、知らされていないから平安に生きることができるのだと感じている。知らされていなくて良かったのである。今私たちは神に委ねて平安に、そしていつこの世の終わりが来てもよいように歩む必要があるのである。
 とまあ偉そうに記してきたのだが、ある雑誌がもたらした私の中学生の時の宿題パニックについては、その雑誌の関係者が聞いたら私に文句を言うだろう。なぜかというとその外れた「予言」のこの世の終わりの日は7月中だったのである。普通の人であればまだたっぷりと夏休み期間があるので、そこからでも計画的に宿題ができたはずだからだ。まあ私が平均をはるかに超えた怠け者だったから招いたパニックだとも言われれば、反論はできない。

 
 
 
運が良くても悪くても 
 

 自分が「運が良い」とか「ついている」とかいう状態にあればうれしくなる。そしてそういう人がいると羨ましくなる。逆に「運が悪い」とか「ついていない」という人には同情してしまう。また人は占いに頼ったりする。ジンクスなども気にする。無神論の人でも信じていない神に祈ったりもする。また不幸な人には「行ないが悪いから」と言い、幸運な人には「普段の善行が」と言ったりする。私たちは運が良いことを望むが、いつも自由に運を扱うのは無理である。行ないによる良し悪しも絶対的な存在である神によってコントロールされていると考えているのであろう。「運」や「つき」は私たちの手には及ばないものなのである。
 私たちは神は平等だから神の導く運の良し悪しも平等だと考えるだろう。一人の人がずっとつき続けることなどないと思うだろう。また運が良いのか悪いのか判断が難しいこともある。小学生の時に、小学校からの下校前に担任の先生からクラスのメンバーの名前が呼ばれ始めた。そしてそのメンバーは残されることになった。下校の準備をする時間だったのだが、おしゃべりしたり、遊んだりしていた者が残されることになったのである。私は呼ばれなかった。何と男では私だけが呼ばれなかったのである。そんなに真面目だったのか。あるいはいじめられていたか。と思われそうだが、どちらも違う。たまたま考え事をしていただけであった。誰かが話しかければきっとしゃべっていただろう。またふざけたりもよくしていた。その日たまたま考え事をしていただけである。そう考えようによっては私は運が良かったのである。でも私は子どものころから女性に縁がなかったので一人で帰宅することになった。妙に寂しい帰宅だった。私にとって運が良かったのか悪かったのかわからない出来事だった。
 私たちは「運」や「つき」は平等だと考えている。良いこともそんなに続かないけど、悪いことだってそんなに続かないと考えている。そうトータルではだれも平等だと思いたいのである。あるいは運が良かったと思うこともそうでもなかったり、反対に状況が悪いと思われる状況も案外良かったと思うこともある。そうトータルで考えたらきっと平等なのだと信じたいのである。
 そう考えると私は今まで良いことが多かったか。それとも悪いことが多かったか。どちらだろう。何となく悪いことが少し多かったような気もするかな。これから良いことが多くなるかもしれないな。とにやつきながら妻に話すと「えっ、でも行いが悪いと良くないことが起こるかもよ。」と言う。それで悪いことが多いような気がしてたのかな。いややっぱり神様は平等だ。良いことも悪いことも同じくらいだったと急に思えてきた。

 
 
 
成長したのに 
 

 今からもう30年以上前のことである。私は東京の神学校で学んでいたが、ある年の夏休みに、長野県にあるキリスト教のキャンプ場でワーカーの奉仕をした。初めての体験で経験済みの神学生からどういうことをするのかを聞いてはいたのだが、実際私の役目は聞いていたものとは違っていた。私はキャンプ場にあるかまどの火おこしをしたりするのが役目だった。かまどは電気やガスでするのはではなく、マキで火をおこすものだった。いざ火をおこそうととするのだが、まったく火はつかない。するとリーダーから怒られた。「こうやるのだ」と指導されたのだが、上手くいかない。すっかり私は文明の機器でならされていたのである。「タバコの火の不始末で火事になった」なんて話を聞いていたが「なぜタバコで火がついて、俺がこんなにマッチを無駄にしてもつかないんだ」と嘆いたものである。でも火がつかないと怒られるので、怒られるのが嫌いな私は(好きな人はいないかな?)、1つのことを決心した。それは他のワーカーより早く起きて火おこしにかかることであった。早く作業にかかれば失敗してもやり直しが何回もできるからである。それともう一つの理由は、何回やっても火がつかず、皆の作業時間になってしまっても、早く起きて火をおこそうとしていたことが分かれば、怒られ具合も少し違うのではないかと考えたのである。そんな努力が実を結んだのか、それとも祈りがきかれたのか、やがて火をたやすくおこすことができるようになってきた。自分のおこした火の前で口笛でも吹きそうな私を見て、リーダーは「最初はそんな余裕は無かったよな」と笑っていた。
 確かに私は「マキで火をつける」という作業においては成長したのである。リーダーの教え方が良かったのもあるし、怠け者の私がそれなりに頑張ったのもあるかもしれない。何よりも神の助けがあったのだろう。あんなに1つのことを祈って頑張ったのは初めてだったかもしれない。神の導きによって成長できて感謝である。
 ただ成長はそこまでであった。私はかまど周りの掃除など一応他の仕事もあったのだが、ほとんどしなかった。リーダーは「マキの大きなものを一つかまどにくべておけば火は消えない」と教えてくれて、その間に他の作業ができると助言してくれたのだが、「まかり間違えて消えてしまったら」と思うとかまどのそばを片時も離れられなかった。つまり他の作業は、別のワーカーがしていてくれたのである。そんな助けがあって数週間ほどの作業を何とか終えたのである。火をおこすことだけ成長した私だった。その報いが来たのか奉仕なので少ない額だったが、奉仕料をもらった。「あの涙の火おこしの奉仕料」だったのだが、うっかり帰りの列車に置き忘れてしまった。寮に帰って子どものころ以来久しぶりに泣いた。

 
 
 
食べ方ぐらい 
 

 皆さんは食べ物を食べるとき、食べる順番を気にしているだろうか。あまりこだわらないという人が多いのではないだろうか。インターネットを見ていたら「トンカツを食べるとき、キャベツを先に食べるのはマナー違反」とあった。私は少し動揺しつつ記事を読んだ。その主張をする一人のトンカツマニアの方が言うには「トンカツは揚げたてがおいしいのであって、先に食べないのは失礼」ということであった。ただ賛成しない意見も多く「食べ方ぐらい自由にさせてほしい」とか「揚げたてがおいしいのは分かるが、マナー違反や失礼は言い過ぎ」とかの反論があった。そして有名なとんかつ屋さんの意見は「順番などは気にしないで、おいしく食べてほしい」がおおかたであった。私は読んでほっとした。そう私はキャベツから食べる方である。またある人がこんなことを言っていた。それは「ラーメンを食べるときの口をつける順番は、最初にスープを飲み、次に麺を食べ、最後に具という順番の人が多数だ」と言うのである。これにも少し驚いた。私は意識しているわけでは無いのだが「最初に具、次に麺、そしてスープ」が多いように思う。麺とスープが逆になることもあるのだが、たいてい具が最初なのである。私はマナー違反だったり、普通とは逆の食べ方をしているのだろうかと考えさせられた。
 ただ、私のそういう食べ方は一つ理由があるのだ。私は「嫌いな食べ物を早めに食べる」ようにしているのである。「おいしい物を取っておく」ということというより「嫌いな物を早めにかたづける」ことに重きをおいているのである。私は嫌いな食べ物がけっこうたくさんある。でも出された食べ物を残すのは失礼と思うのでそうしているのだ。つまり空腹のときは、少しぐらい嫌いな物でも食べるのは苦にならないが、満腹に近くなると嫌いな物を食べるのは苦痛となってくるのでそうしているのである。つまり私は「カツよりキャベツが嫌い」であって「ラーメンの具に嫌いな物がある場合がある(たとえばほうれん草。また嫌いというほどではないが、麩とかなると巻き、メンマよりも麺やスープのほうが好き)」ということである。
 ただこの食べ方は、以前は母にそして今は妻に注意されることがある。私としては食べ物を残さないように配慮した食べ方なのだが、あまり理解してくれない。健康的にもすべてが同じくらいに食べ終わるのが良いというのである。ただ私としては食べ方くらい自由にさせてほしいのが本音である。そこで私の配慮の食べ方を妻に説明するのだが、あまり納得できていないようだ。妻から「そう、ということはあなたは困難なことからかたづけるのね。なのにメッセージは土曜日の遅くまで準備しているね。」と言われた。私は冷や汗をかきながら「そうだよ。メッセージの準備は喜びだよ。」と答えたのである。そして「土曜日の遅くだって?日曜日の朝までやってるだろう」と心の中で言っているのである。本当に喜びの中でメッセージを神に聞き、余裕をもって終わらなくてはいけないと反省を少しした。(でも現実は今もって変わっていない)


 
 
 
 流行にのれなくても
 

 少し前に参加した集会で「福音は変わらないが、世の中の変化に対して教会も変わる必要があるのでは」という話を聞いた。世俗的な牧師である私にとって「わが意を得たり」の内容かと思われているかもしれない。確かに賛同できるのだが、自分が得意かは分からない。私自身ある分野(例えばスポーツとか)ではかなり現代にマッチしているが、別の分野(例えばファッションや芸能界アイドル路線など)ではとんでもなく流行遅れである。苦手なこともたくさんある。変われと言われたら困ってしまうこともありそうだ。
 私が青年だった時、教会である青年が牧師に「先生、ゴダイゴって知っていますか?」と聞いたところ、牧師は「天皇ですか?」と言われたことがあった。聞いた青年、周りにいた人も、そして私も「やっぱりね」という感じで、むしろほっとしたような感じだった。(ゴダイゴというのは当時の人気のバンドで、一時活動を停止していたけれど、今また活動を再開しているグループ。ちなみにメンバーの一人のスティーブ・フォックス氏は牧師をしているらしい)それから40年近く経ち、今私は現在活躍中のアーティストはよく知らない。
 でももしかするとイエス様は流行の最先端を行ってたりしてるかもしれない。そう主張する方もおられるようである。だとすると私も少し苦手な分野も知っていなくてはいけないかもしれない。いつか私の目の前に、えらく現代的なファッションで身を飾ったイエス様が現れて、私の知らないアーティストやはやりのファッションの話をされたら面食らうだろう。少しは勉強しないといけないなと思う。そしてもしかするとイエス様から「大竹君、ラインしよう。」と言われるかもしれない。機械が苦手な私は「申し訳ありません。スマホを持ってません。」と答えるしかないだろう。そうしたらイエス様は「なんだ君は」という顔をされるかもしれない。でもプライド高い私はイエス様にこう言ってやろうと思っている。「確かに私はラインはできません。でもイエス様と私にはラインは無くても、祈りがあるではありませんか」とである。これにはイエス様もぐうの音も出ないかと思っていたのだが、考えてみるとイエス様はあっさりとこう返してこられるだろう。「そうだよ。私は祈りというすばらしいものを与えているよ。ラインと違って技術的なものは必要ないし、故障や不具合もないはずだ。だけど大竹君、君の祈りは故障や不具合でもあるのかね。あんまり祈りは来ないし、来てもすぐ終わる。他の牧師はラインしなくても祈りはよく来る。ある牧師なんかラインもするが、祈りもよくするぞ」。私はイエス様に反論は何もできず。「祈り、修理しておきます」とこたえるしかないのである。
 祈りはすごい。確実に届くし不具合や故障はない。なのに私はあまり使わない。流行遅れはしょうがないかもしれないが、祈りはもっとしなくてはならないと反省させられた。(反省だけならサルでも…)

  
 
 
早寝早起き 
 

 私が子どものころ母親からよく「早寝早起き」をするように言われた。学校から帰ってきたら遊びに行くし、遊びから帰ってきたらテレビを見るしで「寝るのが遅い」とよく言われた。ある年の大晦日テレビを見ていたら22時くらいに「もう遅いから寝なさい。こんな遅くまで起きている子はいない。」と言われた。大晦日は面白いテレビがあるので不満だった。冬休みが終わり学校で「大晦日は何時まで起きていたか」を先生がクラスで尋ねた。するとクラスの大多数が紅白を終わりまで見ていたと答えていた。0時過ぎまで起きていた人もかなりいた。除夜の鐘(当時その地域では鳴り始めが22時30分くらいだった)を聞かないで寝たのは3名だけだった。私は家に帰って母に抗議した。母は「今度の大晦日は除夜の鐘を聞くまで起きていてよい」と言われてうれしかったのを覚えている。ただ次の大晦日、私はどうしてかは分からないのだが無性に眠くて「もう寝る」と言って寝ようとした。すると母は「まだ寝るな。せめて除夜の鐘を聞くまでは」と言われた。「寝る」「寝るな」とやり合っているうちに除夜の鐘が聞こえたのですぐに寝てしまった。冬休みが終わって、その年は「大晦日何時まで起きていたか」は聞かれなかった。ただ大晦日の件は特殊であって、子どものころはいつも「早く寝るように」と言われていた。それは受験生のころ「勉強しないでこんな早い時間に寝る」と怒られるようになるまでつづいていたように思う。
 「早寝早起き」が勧められたとき、私はいつもある問いを心に思っていた。それは「早寝早起き」が1番良いなら「遅寝遅起き」が1番悪いことになるのは分かる。では「早寝遅起き」と「遅寝早起き」はどちらが良いのかということであった。母に尋ねたこともある。母ははっきり答えなかった。「遅く寝ても早く起きるから」と夜更かしを認めるようにという魂胆が見抜かれていたのだろう。「早寝早起き」の推奨というか命令は、母から妻に引き継がれて今に至るが、妻は「年齢が年齢なんだから睡眠時間をしっかりとれ」との主張であるので「早寝遅起き」に軍配を上げるだろう。もしかすると「遅寝早起き」は「遅寝遅起き」よりもダメと思っている可能性もある。
 実はこのような問いは牧師の仕事にもある。メッセージは「内容があって簡潔」なものが1番良いと言われる。ということは「内容が無くてだらだら長い」のが最悪となる。では「内容があって長い」メッセージと「内容は無いが簡潔」なメッセージはどちらが良いのだろうか。これは牧師によって違うようだ。ある牧師は非常に長いメッセージをするそうだ。短くて60分、普通に70分から90分、長いと2時間という先生がいると聞いた。この牧師は「内容がある」ことが良いと考えているのだろう。そこの教会の青年が「メッセージ中に寝てしまって起きてもまだメッセージが続いているのは当たり前で、また寝てしまって起きてもまだ続いていることもざらにある」と言っていた。一方ある牧師は「内容が無くても簡潔」を上としていて「いつもそれを目指している」と言っていた。では私はどうかというと、どちらが良いのか自分なりの結論は出ていない。おしゃべりだから長く話すのも良いけど、あまり長いとお腹が空くしね。

 
 
 
トラブル対策 
 

 子どものころある刑事ものの範疇に入るテレビ番組を毎週見ていた。ある日その番組を見ていたが、話が複雑で込み入った話になってきた。一人の人が殺し屋に殺人を依頼する。その殺し屋が依頼を果たす前に別の人が殺してしまう。依頼した人は殺し屋が依頼を果たしたらお金を渡すのだが、スキー場のリフトに乗ると殺し屋が手を振る。それを見た依頼者はカバンに入れたお金を落とすことになっていた。依頼が果たされたと信じた依頼者がリフトに乗ると、たまたま依頼者の前に座っていた人に向けて手を振る人がいた。依頼者はその人が殺し屋だと思い、カバンを落とすというふうに話が進んだ。結局勘違いの連続でこの話は進み、最後は一応解決するのだが、どうしてこうなったのかはとうとう最後まではっきりしないままであった。私はその番組を見て後悔した。すっきりしなかったのである。私は複雑で込み入ったことが嫌いな性格だ。つまりこういう面倒なことは嫌いである。そんな性格なのでいろいろと計画を立てたりせず、行き当たりばったりで行動することが多い。ときどき自分は慎重で引っ込み思案な性格でもあるのになと思うことがあるのだが。
 私がなぜ計画を立てるのが嫌いかというと面倒だからである。計画を立ててもその通りことが進むとは限らない。なら計画を立てずにその場で考える方がよいと思うのである。あるプロゴルファーの話を聞いたことがある。そのプロは試合前徹底的に試合が行なわれるコースを下見するという。1つのホールごとに丹念に見ていくのである。この人はプロゴルファーである。あまりミスはしないだろう。でもミスした時のことも考えて徹底的に下見するのである。このプロは臆病なのであろうか。いやむしろ勇気ある行動ではないか。一流のスポーツ選手は失敗してもくよくよしないことが大切なのだそうだ。失敗した時の対策はくよくよしないためにも必要なのである。勝利を目指すプロにとって失敗やトラブルに対する対策は欠かせないものであり、時にプライドを捨てた勇気ある行動と言えるのである。昨今「想定外」という言葉が良く出てくる。確かにあり得ないことが起こることもある。でもあり得ないこともあるかもしれないと考えて対策を練ることが、プロや専門家にとって大切なことなのではないだろうか。
 偉そうに書いているが私はそういうことは苦手である。そんなに能力が無く失敗も多いのに、何事も行き当たりばったりである。ある式典に出席するため会場に前日向かったら、その式典で聖書のメッセージをすることを忘れていたことがあった。その失敗を隠し、何事も無かったように聖書箇所を告げたことがあった。メッセージのメモを間違えて別のものを持ってきてしまったことは何度もある。そういう時は、私は字が下手なので「正しいメモを持ってきてもどうせ読めないし」と自分を慰めている。くよくよしないようにはできているかもしれないが、心臓には良くないね。

  
 
 
無駄ではないと思いたい 
 

 皆さんはおそらく「無駄」は嫌いだろう。私も嫌いである。無駄なことはしたくない。普通に効率的に歩んでいきたいと思っている。ある数学者が生涯にわたって円周率の計算をしたのだが、何桁目だかに間違いがあって、かなりの桁が無駄な計算になったとい話を聞いたことがあるが気の毒である。
 でも時に人は「無駄」を恐れず進まなくてはならないこともある。以前見ていたテレビのドラマのストーリーでこんなものがあった。ある事件が起こり、その容疑者が、事件が起きた時間には、かなり離れた場所にいたとアリバイを主張した。ただそれを証明するには、公衆電話をかけていたことを証明するしかなく、その地域のかなりの数の公衆電話から多くの10円玉を回収し、それを一つ一つ指紋を調べて、彼の使用した10円玉を見つけ出すというものであった。多くの人が集められ、何とも無駄ばかりの作業が始まった。少し余談だが私はテレビを見ながら「また主人公かその周辺の人間が見つけ出してヒーローかヒロインになるのだろう」と考えていた。かなりの時間が経ち、その他大勢の範疇に入る人が「見つけましたあー」と叫び、皆が喜ぶというストーリーであった。私は自分の予想がはずれて、何か「良かった」と感じた。話を戻して、確かに膨大な数の10円玉からたった1枚を見つけ出すのは多くの作業が無駄であるが、正解にたどり着くのには必要だったのである。そのドラマでも「冤罪を防ぐことができて良かった」と皆が考えていた。私は先日教会のチラシを印刷したが、320枚の内の1枚に印刷ミスがあることが分かった。1枚1枚調べていくと何と318枚目でようやくその1枚が見つかった。反対から調べていたら3枚目であった。私は「何と運の悪いこと」とは思ったが、それほどがっかりもしなかった。その作業で印刷ミスを見つけ出せたからである。こうして考えると「無駄」も本当に「無駄」なのかは分からないものである。上の方にも記したが「人を不快にさせないように品切れが分かっていても確認に行くこと」や「プロ選手が失敗した時の対策を練る」ことは「無駄」とも言えるが、やはり必要で意味のある事なのだと思われるのである。
 聖書には「神は最善を成さる」とある。つまり神の行なうことや私たちに行わせるには「無駄」は無いのだと考えることができる。神は「無駄」ではなく「意味のある」「必要」なことを私たちさせて下さるのである。私はかなりの面倒くさがりである。だから特に「無駄」が嫌いである。「無駄」を嫌って行動しないこともよくある。だから私は特に、神は無駄をさせないと信じて歩む必要がある。たとえ318枚目で間違いを見つけても「無駄ではなかった」とやせ我慢でも思う必要がね。

   
 
 
 身体で理解
 

 私は2007年4月にここ高松に引っ越してきた。前任の地は青森県八戸市である。東北の北部のいわゆる北国からこの南国と言ってもよい四国高松にやってきたのである。なので最初の年は高松の夏を前にして、武者震いをするような心境だった。「かなり暑いのだろう」「久しぶりに夏バテを起こすかな」「熱射病に気をつけなくては」「クーラーが苦手なんて言ってられない」そんなことを妻と語り合っていた。そして夏本番を迎えて「やっぱり暑いな」と感じていたけれど充分想定内だった。「八戸でも最高気温が35度なんて日もあったよな」と考えながら過ごしていた。そして8月も終わり9月に入ってすぐに妻と「高松の夏もそんなでもなかったね」とねぎらい合った。ところが9月の終わりにまた妻とこんなことを言い合った。「ねえこの暑い日はいつまで続くのだろう」。そう私たちの最初の高松の夏は「気温の高さは」覚悟した範囲内だったのだが、「夏の期間の長さ」は想定を超えていたのである。やっと涼しくなったころ妻とまた語り合った。「やっぱり高松の夏は厳しかったな」「南国の夏はあまくない」とである。
 このことをとおして、人の身体は頭で想定していた範囲だと結構耐えられるのだと思った。つまり私たちは「気温の高さ」については覚悟していたので耐えられたが、「暑い期間が長い」ことについては、想定外で覚悟が足りなかったのである。また「身体の慣れ」もあるだろう。4月から高松で過ごすうちに高松の気候に慣れていて、少なくても「気温の高さ」については南国向きになっていたのではないだろうかと思っている。というのは2008年の1月に八戸に行ったのだが、夕方、バス停でバス待ちをしているときすごく寒かった。宿に戻って天気予報で気温を確認すると、高松ではそんな低い気温の日はまずないけれど、八戸の冬にはよくある気温であった。その時も妻と「こんなに寒いところにいたんだ」と語り合った。高松の気候に慣れていた私たちは「北国の寒さ」は完全に想定外だったのである。
 「身体が覚える」とはこんなことであろうか。神が造られた人の身体はさすがである。以前テレビで先輩が後輩に対して「言って分からない奴は身体で理解してもらうぞ」と言っていたが、あながちめちゃくちゃな言葉と言えないかもと一瞬考えた。でももちろん「身体で理解」させるのは赦されない。身体が自然に理解するのである。でも身体は覚えが良いと感じる。しかも忘れないようだ。私も身体だけではなく、頭ももっと覚えが良くなれば、また物忘れもなくなればよいのにと思う。まあ知りたくないこともあるし、嫌なことは忘れたいのもあるしな。やはり神の造られた身体も頭もすばらしい。

 
 
 
 神さまが語っているのだと思うことに
 

 子どものころに「酒飲みになるなと父は飲んでいる」という川柳を本で読んだ。挿絵として父親が子どもに説教をしているのだが、酒を飲んで顔を赤くしながら子どもに説教している絵があった。またある漫画にあったのだが、ある講演会で聴衆の中に態度の悪い者が数名いて場を乱していた。強面の講師が「お前ら静かにしろ!」と激怒して怒鳴りつけて、やっと会場が落ち着いて講演が始まり、講師は「短気はいけません。」と話し始めたというのがあった。これらは実際にはなかなかありえそうもないことであろう。でもありそうなこととしては、例えばAという人とBという人が同じことをしたとして、それを見た人がAさんはたたえてBさんは褒めないとか、Bさんを非難しAさんは問わないとかいうことは、この人がAさんに好意を持っていてBさんは好きではない場合あるかもしれないのである。これを今の若い人たちは「ダブルスタンダード」と言ったりするそうだ。またある人が他人の行動を非難したとして、その後、自分が同じことをしてしまうなんてこともあるだろう。これを今の若い人たちは「ブーメラン」と呼ぶらしい。
 私はこういうことのないようにと心がけて歩んできたつもりである。だから子供のころ読んだ川柳を今でも覚えているのだろう。また若い人たちが揶揄していることからも、多くの人たちがギャグならいいが、実際にそういう生き方はしたくないと思っているのではないだろうか。でも実際どうだろうか。案外そんなしたくはないことをしてしまっているのである。聖書ではこれは私たちの罪から来る弱さゆえのことと記している。思い通りに生きられず、発した言葉に責任を持てない弱さは私たちの罪から来るのである。私たちの罪から来るということはしないようにするのは難しいということだ。若い人たちが言う「ダブルスタンダード」や「ブーメラン」にならないように自分を吟味して歩みたいと思っている。
 でもやはりこれは難しい。特に毎週のメッセージである。「愛しなさい」なんていうメッセージをしておきながら、その前に家族に「愛の無い」発言や行為をしたりしているのである。妻はその対処方法を教えてくれた。それは「やっぱりメッセージは神さまが語っているのだと思うことね。あなたが語っていると思ったら聞いちゃいられない」ということだった。なかなかいい対処方法だと思う。どうせならメッセージではないときでも「神さまが語っている」と考えて聞いてくれたら私のわがままも素直に聞いてくれるのではないかなと思っている。そう妻に言ったら「冗談じゃない」と言われた。

  
 
 
 言わなきゃ良かった。言えば良かった。 
 

 小学校の1年生か2年生のころクラスメイトと回文を出し合っていた。回文とは言葉や分の初めから読んでも終わりから読んでも同じ読みになるものであるが、その時は「回文」という言葉を知らなかった。皆で「トマト」「しんぶんし」「竹屋が焼けた」などを出しあったのである。その他「わたし負けましたわ」「イカ食べたかい」などが出た後、ある子がお茶と海苔のお店の名を出した。皆はうなずいたりしていた。私は我慢しようとしたのだが我慢できず「それは違う」と言ってしまった。そのお店の名は「山本山」であった。そう漢字ならば回文になるが、かななら違うのである。ただその場は私の方が間違っているという雰囲気だった。言った子を含めて何人かは「かなでも回文」と信じていたようで「大竹、お前がおかしい」と言われた記憶がある。中には「漢字でだろう。わざわざ言うか」と考えた子もいただろうなと今なら思う。私も言ってから言わない方が良かったと思い、それ以上言わなかった。でも、なぜ多くの子が「かなでも回文」と思ったのだろうか。実は私も最初はそう思っていた。それはテレビのコマーシャルで「上から読んでも山本山。下から読んでも山本山」と宣伝していたからではないだろうか。「テレビの言うことは間違いない」と子どものころは信じていたのである。他の子どもたちもテレビの影響でそうだったのかもしれない。少し疑り深い子や冷静沈着な子が「漢字の回文」と理解し、疑り深く、思慮に欠ける私が「違う」と発言したのである。
 考えてみると私は皆が感動している前日のテレビ番組や漫画について、矛盾や偶然が過ぎることを指摘したりして場の雰囲気を壊したりしていた。例えば「ウルトラマンはスペシウム光線を発したら30秒しか持たないはずなのに少し長かった」とか「野球漫画で、球もひしゃげるばかりの弾丸ライナー、三遊間突破か?とアナウンサーが言うが、そんな弾丸ライナーは言っている間にレフトに到達しているはず。ましてピッチャーが捕球するなんてありえない」とか言ってしまい。皆をしらけさせたりしたことがある。そういう疑り深く、思慮に欠ける私は「言わなきゃよかった」と思う失敗を何回かした。それに懲りて何か発言する前に考えたりすることも多くなってきた。実は大人になっても本質は変わっていない。配慮して発言しなくてはと考えて生きるようになってきたし、今も心がけている。私も大人になったなと少し感じている。
 ただ逆の失敗もある。そう言わなくてもよいことを言ったりするのは減少したかもしれないが、言わなければならないことを言わなかったりすることが逆に増えてきたりしている。「それは早く言ってほしかった」と妻にはよく言われる。なかなか完ぺきにはいかない。まして「言わなければならないことを言わずに、言わないでよいことを言ったり」していないように吟味する必要が私にはあるようだ。またどうでもよいことやふざけたこともよく言う私は神さまに口をコントロールしてもらわなくてはいけない。でもそうしたら私はしゃべることが出来なくなるかもしれない。

 
 
 
 何でもいい
 

 「何でもいい」「どれでもいい」「どこでもいい」「どっちでもいい」こういう言葉を言うと、時に批判される。「それは人に決めさせる言葉だ」とか「自分の意思が無い」とかである。実は私はよく「何でもいい」のような言葉を使う。そして妻から「たまにはあなたが決めて」と言われたりするのである。確かに批判は当たっている。ただ「何でもいい」等頻繁発言者である私からもいくつかの反論(言い訳)をせていただきたい。
 一つは本当に「何でもいい」時があるのだ。だとするならば、希望がある人が決める方が良いと思うのである。私が何でもよいのにてきとうに決めて、本当は希望があった相手の希望がかなえられないのは気の毒である。また自分がAとBで迷ってAに決めたとして、後でやっぱりBの方が良かったかな?と悔んだりしたり。そしてやっぱりBが良かったということになった時の落ち込みは半端ないのである。つまり他に決めてもらう方が迷いがなくなるのである。またこんなこともあった。小学校の6年生の時に学校新聞の係にさせられた。好きでなったかは記憶が無い。ただそれなりにやる気を出して「こんな新聞を」なんて考えていた。その最初の話し合いの時、担当の先生から「どんな新聞を出すのか?今までのような各自に配布する印刷形式のものか?」と問いかけがあった。私や6年生の委員は「それがいい」と主張した。私などはそれ以外に考えが無かった。すると先生は「壁新聞という考えもあるぞ」と言われた。壁新聞はたしか3年生か4年生の時にクラスでしたことがあった。6年生たちは「今さら」という感じであった。ただ下級生たちは壁新聞の方がなじみがあったようで多数決で壁新聞を作成することになった。私はその後、新聞係としての仕事を何かしたという記憶が無い。おそらく何もしなかった。担当の先生も「最終学年の委員の希望が通らなかった」ことを気の毒に思ったのか「これしろ」「あれしろ」と言われたことは無かった。そして私も「新聞を作ろう」という気持ちが全くと言ってよいほど無くなってしまったのである。まあ私が携わってもたいしたことはできないだろうし、どうでもよかったのかもしれない。ただ「やる気」や「意気込み」に関しては、あの時あんなにこだわらないで「どっちでもいい」と考えていたら違ったかもしれないと今は思う。以上のような理由で私は「何でもいい」「どれでもいい」「どこでもいい」「どっちでもいい」と言うのはそれなりに理由があるのだと自己弁護している。
 私が「何でもいい」「どれでもいい」「どこでもいい」「どっちでもいい」などをよく用いるのは、私のある種の処世術のようなものかもしれない。でも「人に決めさせる」「意思が無い」「無気力」などの批判があることも知っている。ケースバイケースで必要な時は自分の思いを出すことも必要だと考えなくてはならないだろう。頑張らなくてはいけないと思う。でも心ではやっぱり「何でもいい」的な生き方が楽ではと思う。いっそのこと「今日遊ぶ?それとも掃除する?」とか「お小遣いの金額上げる?それとも下げる?」とか「タマゴ食べる?それともトマト食べる?」のような質問ならすぐに迷うことなく「前者」とこたえられるのにと思う。妻にそれを言ったら「そうね。あなたが前者とこたえたら後者にすればよいし、何を思ったか後者とこたえたらお医者さんに連れていく」と言われた。やっぱり「何でもいい」「どれでもいい」「どこでもいい」「どっちでもいい」は良い言葉だ。

 
 
 
人それぞれ 
 

 人間の性格で例えば「ちゃらんぽらん」と「几帳面」の2つは対立している。共存は無いように思う。確かに全てにおいて「ちゃらんぽらん」な人、また逆に全てにおいて「几帳面」な人もいるだろう。ただ多くの人間はこの相対する性格を共に持っているのではないだろうか。例えば私と妻だがたいがいは妻が「真面目」で「几帳面」である。私はたいていどうでもよく「ちゃらんぽらん」である。ただ例外もある。ある時妻が忙しくしていて「インスタントラーメンを作ってほしい」と言われた。私は用意をしながら妻に「計量カップはどこにある?」と訊ねた。すると妻が使用目的を聞くので「お湯500CCと作り方にある」とこたえたら、妻は鍋に適当に水を入れ「これで良いでしょう?」と言うのである。私は内心「良くない」と思ったがその鍋でインスタントラーメンを作ったのである。実は「お湯500CCと作り方にある」の後に続けて「だから蒸発する水分を考えて、ほんの少し水を多くした方が良いよね?」と言いたかったのだが、とても言えなかった。私は工作は苦手であるが、作るとしたら作り方に記されているとおりに作りたい方である。おそらく妻はそこらへんは「てきとう」が良いのだと思う。しかしひとたび料理が終わったら妻は「てきとう」でなくなる。鍋や皿などを片づけるのだが、私はてきとうである。妻はどこに何をしまうかきちっとしている。「この皿はここではない」とよく注意されるのである。ある旅行作家が何かに書いていたが、旅行の計画をきちっと作る人と計画を立てずに行く人が2とおりいると思われがちだが。実はもっと細分化されるそうだ。きちっと計画を立て、そのとおり忠実に行動する人がいれば、計画は丹念に立てるのだが、いざ旅に出ると「計画はどこに行った」となる人もいる。また計画を立てず、最後まで行き当たりばったりに行動する人もいれば、いざ旅に出れば、急に計画を立てそのとおり行動する人もいるそうだ。人というのは単純でないのであろう。
 また同じ人間でも年齢とともに変わる人もいる。私はたいていがずぼらでだらしない。しかし母に言わせると私の子どものころはそれとは反対のところがあったそうである。私は今は「片づけない」方である。ただ母が言うには、私の子ども時代はおもちゃをきちっと片づける方だったそうだ。それもきちっとどこにしまうかも決めていて、母が「てきとう」にしまうと「場所が違う」と泣いて抗議したそうである。食事をしていても「絶対にこぼさない」ことにすごくこだわり、ご飯粒1つこぼしたら泣いて悔み食事を止めてしまうこともあったそうである。妻は「信じられない」と言うが無理もない、本人の私ですら信じられないくらいである。
 人間はいろいろである。単純ではない。だから面白いのかもしれない。あるところはまじめであり、またあるところはてきとうであったり、また同じ人間でも変わったり、それぞれある。そして夫婦のように永い付き合いになるとその加減が分かってくる。それも面白い。私はこれからも多くの部分では「てきとう」「不真面目」「ちゃらんぽらん」に歩むだろう。またまれにある部分で「几帳面」「真面目」「細かく」歩むだろう。どちらにしても私なのだ。それにしても「お湯500CC」についてはまだ正解を聞いていない。今度インスタントラーメンの会社に聞いてみようかと思ったりもする。ただ新手のクレーマーかと思われたりするかもしれない。

  
 
 
 「知らない」と言えるように
 

 人には得意不得意がある。多くの人が得意でないことを問われたら「分からない」と正直に言うだろう。ただ少し見栄っ張りになると分からなくても分かったように振舞ったりするかもしれない。私はそういう傾向がある。人に聞くのが嫌いだということもあるだろう。素直になった方が良いのだが、見栄が素直を押しのけてしまうことが多い。以前ある小説を読んでいたら、主人公がゴルフに付き合うことになった(出来ないので見るだけ。)そこで皆がプレー中に主人公がしたり顔で発言するが、全く頓珍漢なことを言うので主人公の友人が赤面したり、あわてて訂正したりしていた。ゴルフのことをこの主人公は知らなかったのである。私もそんなことがある。私の牧師としての仕事に関しては、知らないことは「調べておきます」と言うこともあるのだが、知らないことを認めたくないという意識が働き、知っているように振舞ってしまうこともある。また牧師としての仕事に使うパソコンのこと、自動車のこと、また特に横文字の用語についてなどでも、知らないことなのに知っているように振舞っていることがよくある。またその相手が同じ牧師同士だったりしたら、さらにその傾向が強くなる。ただそんな私でも素直に「分からない」と言えることもある。それは全く門外漢なことである。妻と娘の会話に私は全く入れないことがある。それは例えば料理のことだったりである。「お父さん、○○はどうやって作れば良かったっけ?」と言われれば素直に「知らん。食べたことしかない。作ったことなんかないし、作れと言われても多分できない」と言うだろう。また見栄で知っているように振舞っていても、話が進んでどうしても振りが通用しなくなることもある。パソコンも実は得意でないのだが、ある程度分かった振りをしている。以前本格的に話が進み、ではネットで話し合いをとなったとき、やっと素直に謝り「ごめんなさい。よく分からないので、娘に設定してもらう」と白状したりしている。そして娘に設定してもらっているときに、またあの主人公のようにしたり顔で何か分かってないことを言い、娘を呆れさせたりするのである。神は全知全能である。その方に従っているのだから、全てを知らなくても問題ないのである。でも知っているように振舞いたい。そういう傾向が人間にはあるようである。これも人の罪から来ることなのだろう。大きな失敗をしないためにも知らないことは知らないと言えるようになった方が良いのだろうが。
 それにしても私の知っている同業の牧師で、本当にもの知りの方がいる。うらやましい限りである。私の得意分野の話でもかなりよく知っている。知らないことはないのか?と思うほどだ。あるときその牧師が人と話していた。その牧師と話している人はあることについてかなりの識者であった。その牧師はよくその人の話に耳を傾け、いろいろなことを聞いていた。またその牧師は本もよく読んでいる。勉強家でもある。やはり私はその牧師のようになるのはかなり難しい。見栄を張らずに素直に知らないことを認めるほうが私には良いようである。

   
 
 
汚名返上 
 

 聖書に出てくる人の中にはかなり変わった意味の名前を持つ人物がいる。例えば聖書には何人もこの名前を持つ者がいるが「ヤコブ」という名の由来は「かかとをつかむ者」というのだそうだ。そしてそこから「人を出し抜く者」という意味もあるそうだ。旧約聖書の創世記に出てくるイサクとリベカの間に生まれた双子の子の弟にこの「ヤコブ」という名が付けられた。生まれるとき、兄のエソウのかかとをつかんでいたことから付けられたと記されている。後にヤコブは兄エソウの祝福を策略をもって自分のものにした。エソウは「よくもまあヤコブと名付けたものだ」と激怒したことが記されている。またそのヤコブとラケルの間に生まれた「ベニヤミン」は難産のすえに生まれ、ラケルは出産直後に天に召された。ラケルは死を迎える間際にこの子を「ベンオニ」と呼んだと記されている。これは「私の苦痛の子」という意味である。ヤコブがそれを「ベニヤミン(右の手の子)」と変えたのである。ルツ記に出てくるエリメレクとナオミの二人の子はそれぞれ「マフロン」「キルヨン」だが意味は「病弱な者」「消え失せる者」である。あえて意味的に悪い名を付けることでそれを解決するという考え方もあったそうだけど、「マフロン」「キルヨン」についてはすごい名前を付けたものである。
 今年(2020年)は「新型コロナウィルス」に振り回された年であった。このウィルスの名「コロナ」とはどういう意味であろうか。ご存じの方もおられると思うが「王冠」とか「光冠」という意味で、月や星の周りのガスの層で皆既日食の時に美しいコロナを見ることができるそうだ。この「コロナウィルス」の形が「王冠」のようだということで「コロナウィルス」と名付けられ、今世間を騒がせているのは新しく発見されたものなので「新型コロナウィルス」と呼ばれているのだそうだ。
 私はこの「コロナ」という名前から感じさせられることがある。私が小学生だった頃、父が自動車の普通免許を取得し、車を買った。その車の名前が「コロナ」であった。父は何度か車を変えたが、いつも「コロナ」だった記憶がある。私はよく父の運転する「コロナ」で出かけた。私にとって「コロナ」は楽しく、うれしいというイメージであった。それから何十年も経ち、また「コロナ」という名称を聞くことになった。今度は悪いイメージの名前としてである。しかし「コロナ」という名称は先に記したように悪いものではない。車の名前も「太陽冠」からあたたかいイメージ、また宝のようイメージがファミリーカーにふさわしいと付けられたそうだ。そう「コロナ」は良い名前だったのである。
 今この「コロナ」という車は生産されていない。もし生産されていたら名前を変えただろうか、「コロナ」はすっかり悪役のイメージになってしまった。でもいつかは神によって「新型コロナ」も解決されると信じている。ちなみに「ヤコブ」だが、聖書にこの名を持つ人が多数登場する。イエス様の十二弟子にも二人いるし、イエスの兄弟にもいる。創世記に出てくる「ヤコブ」は欠点の多い人物だったようだ。しかし神を愛し、神に愛された人であった。その「ヤコブ」の名はこんなにも愛されている。いつか「コロナ」だって汚名返上されると信じたい。
 欠点の多い私は悪役びいきである。でもそんな私でもまだ「新型コロナウィルス」をひいきできない。でもいつかは「新型コロナ?ああそんなのあったね。」という時が来ると思っている。

    
 
 
 恐いよう
 

 聖書によく「恐れるな」という命令が出てくる。確かに「恐れ」は良いものではない。いやむしろ私たちにとって害になるものである。恐怖は私たちの行動に強く影響を与える。恐怖で「足がすくむ」「腰が抜ける」なんてことがある。しかしこういう命令が出るということは、私たちが恐怖してしまう者だということを表している。恐れないで歩むことはかなり困難なのである。
 だいたい「恐れ」というものは、ある意味興味深い。人は時にわざわざ恐怖を味わおうとする。ホラー映画を見たり、お化け屋敷に行ったりする人がいるのである。またこういうこともある。以前娘とディズニーランドに行って、スプラッシュマウンテンを体験したが、乗った舟がスタートしてすぐ、娘は叫び声をあげていた。私は「これでは最後の大きなダイブの時はどうなるだろう。である。かなり急な流れを味わううちに慣れたようである。また「慣れ」と似ているが「知る」ことも大きかった。スプラッシュマウンテンは最後のダイブが有名で娘も「最後にダイブがある」と知っていたことも大きかったと思う。そしてもう一つの理由は「恐れさせるものは一つだった」ことだろうか。娘にとって急流やダイブも恐かったのだが、暗闇も恐怖だったようで、最後のダイブは暗闇は無かったことも、それほど恐がらなくてすんだ理由のようであった。娘は暗闇と急流の二つを恐がっていたようだが、「恐れ」はいろいろある。私たちはいろいろなものを恐れるのである。以前テレビで見たが、ある男性タレントはお化けなどが恐かったようで、肝試しをしている途中でうずくまり、「ワーワー」と恐怖で叫んでいた。ある人は高いところを恐がるし、狭いところを恐がる人もいる。私の弟は「恐いものは何もない」という感じなのだが、実は虫が恐いようである。また私もそうなのだが、「切った」「刺した」が嫌いという人もいる。ボクシングの元世界ヘビー級チャンピオンで、後の牧師になったジョージフォアマンという人は注射が大嫌いで、予防接種をとても嫌がっていたそうだ。アフリカで試合を行うために、予防接種を受けに行った時も、ずっと不機嫌で、看護師さんになだめられても不愛想で緊張していたそうだ。ただ少し前に日本で試合をしたのだが、その時に予防接種を受けていたのでしなくてよいと看護師さんに告げられたら、満面の笑顔になったそうである。人はいろいろなものが恐いのである。
 ではどうしたら「恐怖」を消せるのだろう。先に記したが「慣れる」ことや「知る」ことで恐れなくなる面がある。ただ慣れてしまうと恐い目に遭うこともある。私は実はかなりの恐がりである。先に記したように「切った」「刺した」はもちろん。「高所」も「暗闇」も恐い。ただスプラッシュマウンテンの時も醜態をさらすことは無かった。なぜなら娘がいたからである。娘の前では見栄を張ったのである。また以前副牧師をしていた時、主任牧師から言われて「高所作業」や「チェーンソーでの作業」をした。また「暗い教会の戸締り」が副牧師の時の日課であった。葬儀の前日、主任牧師に言われ遺体の番をしていた時、ある青年から「恐くないですか?」と言われたjこともある。それらを恐がらずにできたのは、私にとって主任牧師の命令に背く方が恐かったのである。「案外そこに人がいることが恐れを克服するのだな」と感じさせられる。
 ただこれらは決して完全ではない。私たちが完全に恐怖を克服するにはどうしたらよいのだろうか。それは恐怖させるものよりもっと強い方を信じることにつきる。その方は神である。神にすがって歩む時、恐怖を克服できるのである。「いっそのこと私たちから恐怖を無くしてくれれば問題ない」と思う。でも恐怖があるから人は成長する。負けるのが恐い人は努力して強くなるのである。そして神によって恐怖を克服した時、いろいろな面で成長させられて、信仰も増し加えられるのではないだろうか。

     
 
 
路面電車 
 

 私がまだ子どもだった頃、街中の道路をトロリーバスが走っていた。トロリーバスとは、道路上の架線からトロリーポールという集電装置で得る電力で走るバスである。だからトロリーバスは屋根にトロリーポールというものが付いていた。ただトロリーバスは当然架線が無いと走れず、また変電施設がいくつか必要とされ、また車が増えてくると渋滞を引き起こすことになり、日本の街中では東京や横浜など大都市7つで走っていたのだが、1972年に横浜のトロリーバスが廃止され、街中のトロリーバスは姿を消している。現在日本では「黒部立山ルート」でのみトロリーバスが使用されているそうである。
 トロリーバスと同じように、道路上の架線から電力を得て走る乗り物として「路面電車」がある。こちらは以前は多くの都市で見られた、ただ現在は数が減っていて全国で18の都市で路面電車が活躍している。「路面電車」の別名称は「チンチン電車」である。これは路面電車がかつて鐘の音で警笛の役割をしていたとか、車掌から運転手への連絡が鐘の音だったとかの説がある。つまりどちらにしても「チンチン」という鐘の音から来たようだ。ただ私はこの子どもっぽい言い方が好きになれず、「路面電車」と言っていた。私の弟も気に入らなかったようで「路面電車」と言いたかったようだがうまく言えず「デデデン電車」と言っていた。
 この路面電車は先に記したようにかつては日本中で走っていたが、効率などの問題から現在は大きく数を減らしている。鉄道好きな私は路面電車も好きで乗る機会があると嬉しくなる。2007年に高松に来たが、高松の近くの県では今も路面電車が4か所で活躍している。それは同じ四国の松山市、高知市、また岡山市と広島市にも路面電車がある。全国に18しか残っていない中、嬉しくなる。私はこの内、松山市と岡山市、そし広島市の路面電車に乗ったことがある。いつか高知市の路面電車にも乗ってみたいと思っている。ただ確かに路面電車に乗るのは楽しいのだが、高松に来て路面電車で困ったことがある。それは自動車との関係である。私は30年以上前、自動車の免許を取った。免許取得のため学んだが、確かに信号機の黄色い矢印や赤いバツ印の意味を習った。その他の路面電車と自動車の関係についても勉強したことを覚えている。ただ免許取得後、私はずっと路面電車が走っていない地域ばかりで生活していたので、そんな路面電車に関するルールも忘れていて、高松に来て車で松山市や高知市、岡山市などに行くと路面電車に戸惑って、。私は「路面電車が来ないように」とか「路面電車が走っていない道を走ろう」とか「前の車にくっついて走ろう」とか考えながら走っているのである。そう、私にとって路面電車は乗るに楽しく、車で出会うには少々厄介なのだ。そういえば父も、昔車で運転中に路面見て、「邪魔だなあ」と言っていた。私は心で「電車の運転手はこっちが邪魔だと思っているだろう」と感じたが、今、私は父と同じように感じたりしているので、まあ何て自分は勝手な者かと思う。さてこれからはどうだろうか。少しは路面電車に慣れるだろうか。もう年も年だし、かなり難しいかもしれない。車では無理せず、路面電車には乗って楽しんでいくのが良いのかもしれない。さてこれからも懲りずに、路面電車のある街に車で出かけてみようと思っている。ただし安全運転で。

      
 
 
「先生」という言葉 
 
 
 私は今から40年前に東京の東京基督教短期大学という神学校に在学していた。その在学中に学校でかなり大きな規模の記念の集会を行なうことになり、案内の文とチラシを作成し、郵送することになった。当時はまだパソコンは普及しておらず、ワープロ専用機も出始めたころで一般的ではなく、案内の文はタイプライターで打ったのを印刷し、チラシは業者に頼んだりしていたと記憶している。ただ手紙のあて名は手書き作業で行なっていた。その作業の手伝いを神学生が頼まれた。私はあて名書きを頼まれたが、「字が下手なので」と断った。すると「下手でも構わない」と言うので、さらに「私の下手とは何と書いてあるのか分からないレベル」というと別の封筒に案内やチラシを入れる作業をすることになった。そして役割りも決まり作業を開始ししたが、あて名書きの人たちに注意として「人名の下には『様』ではなく『先生』と入れるように」と指示が出された。何でも以前、「様」と記して手紙を出したところ、「失礼だ」と指摘があったとのことであった。神学生たちは「『先生と呼ばれてはならない』と聖書に書いてあるのに」と言っていた。神学校を卒業して私が副牧師をしていた時、主任牧師は「先生と呼ばれてはならない」という聖書の言葉を意識して、教会で「先生」と呼ばれるのは「役職として」と割り切っておられたようだが、教会付属の幼稚園では園児たちに「『牧師先生』と言わないで『牧師さん』と言ってください。」と言っていた。さて私は「先生」という言葉をどのように感じているか。私はそれほど高いイメージを持っていない。なぜなら私の父は高校教師で、父に来る手紙は、ほとんど父の名前の下に「先生」と書いてあった。中には父の名の下に「大先生」と書いてくる人もいて、さすがに父はそれには苦笑いをしていた。私の身近に「先生」がいたというわけである。そして学校に行けば何人も「先生」がいるわけで、私は「先生」よりも「様」の方が上というイメージをもっていた。「『先生』はいっぱいいて知っている人も多いけど『王様』や『殿様』は誰も知らない」ということだったのである。「先生と呼ばれるほどのバカじゃなし」ということばがある。この言葉は「先生」とおだてたりすることを戒める意味の言葉だそうだが、そのままとるならば「先生はバカ」ということになる。ならば「先生」も良いかなと思っている。父に「大先生」と書いてくる人のことを記したが、「大」はやはり困ってしまう。牧師である私は「大」をつければ「大牧師」になる。これでは「大牧者」のようでキリストになってしまうのである。でも「大先生」なら「大バカ」である。これは悪くないように思う。それを妻に言うと「普通の牧師がそれを言うと微笑ましく感じるかもしれないけど、あなたが言うと冗談とは思えず、真面目に深刻にとられそう」と言われてしまった。やっぱり「大」はいいことにする。