大竹敏生(おおたけとしお) |
1960年2月 | 東京生まれ |
1964年4月 | 日本基督教団南三鷹教会付属フィッシャー幼稚園入園 この時初めてキリスト教と接したと言っていい。教会学校(当時の呼び名で日曜学校)に出席していたが、まったくの劣等生で牧師や先生のお話などはまじめに聞かず、「主の祈り」すらまともに覚えなかった。ただ不思議と教会に行くのが嫌だと思ったことは無かった。結局、家の引越しのため卒園の3ヶ月前に退園した。 |
1966年4月 | 東京都西多摩郡秋多町立西秋留小学校入学 キリスト教とは無縁の生活を過ごす。ただ、当時同じクラスに有名な田原米子さんの娘さんがおられた。でも当時はそんなことはまるで知らなかった。(知ったのはクリスチャンになってから) |
1968年4月 | 東京都立川市立南富士見小学校転入学 |
1972年4月 | 東京都立川市立立川第一中学校入学 |
1975年4月 | 東京都立東村山高等学校入学 |
1979年4月 | 日本バプテスト連盟昭島めぐみ教会に通い始める 浪人生活中に教会に通い始めた。「深く人生を見つめて」とか「考えるところがあって」というわけではなく、クリスチャンの伯母から教会に行けば小遣いがもらえたのと、先にクリスチャンになっていた母親のご機嫌取りで通うようになった。 |
1979年10月 | 日本バプテスト連盟昭島めぐみ教会でバプテスマを受ける(城倉良介牧師より) 不真面目な動機で通っていた教会だが、神の忍耐と愛、それと不思議な導きでバプテスマへと導かれた。 |
1980年4月 | 東京基督教短期大学(TCC)神学科入学(1983年4月より専攻科へ進み翌年3月卒業) 他の神学生に比べて際立つ劣等生ぶりであった。知らないこと、分からないことばかりなのにそれをごまかそうと歩んだ4年間であった。不真面目で怠惰な生活ぶりに、先輩の神学生や教授たちからはしばしば注意を受けた。とうとう卒業前には教授会から呼び出しを受けた。ただ自己弁護するが、これでもそれまでと比べると勉強はしたほうだし、生活もかなり健全だったと思う。つまりそれまでがひど過ぎたのだということ。(弁護になってないか…)この4年間、毎年母教会の昭島めぐみ教会で奉仕した。 |
1984年4月 | 日本バプテスト連盟昭島めぐみ教会協力牧師就任 当時かなり遠距離に住んでいたので定期で通勤していた。 |
1985年8月 | 日本バプテスト連盟新小岩バプテスト教会副牧師就任 自分の弱さ、至らなさをごまかすことができずに思い知ることとなった。教会にはご迷惑をかけた。3年任期であったが、教派神学校へ進学のため1987年3月辞任した。 |
1986年9月 | 結婚する。 よりによって信仰と召命がぐらついている真っ只中、結婚する。 |
1987年4月 | 西南学院大学部神学部神学科入学(1990年4月より専攻科に進み翌年3月に卒業) 相変わらずの不真面目ぶり、在学中あまりに勉強しないために妻は、ある人から「大竹さん(私のこと)はいったい何のために神学部に来たの?」と問われたことがあった。「他人から見ると勉強していないようだけど、実はかげでは努力している」などとごまかしの返答はせず、「さあ、きっと卒業できればいいくらいに考えているんじゃない。」と答えたそうである。(正直者なんでね)この4年間、1年目と2年目と4年目は日本バプテスト連盟伊都キリスト教会で奉仕。3年目だけ日本バプテスト連盟平尾バプテスト教会にて奉仕した。 |
1988年10月 | 長女が誕生した。 |
1991年4月 | 日本バプテスト連盟鮫バプテスト教会牧師就任 青森県八戸市の鮫バプテスト教会の牧師に就任した。相変わらず弱く力の無い者が牧師として歩ませていただいた。お祈りくださった教会の方々に感謝である。また神の忍耐と愛の導きに感謝する。鮫教会では16年奉仕させていただいた。 |
2007年4月 | 日本バプテスト連盟高松太田キリスト教会牧師就任 鮫教会で16年間奉仕させていただいた後、高松太田キリスト教会の牧師に就任して現在に至る。 |
趣味というか好きなことは、スポーツ。年齢も年齢だし、体型的にもするほうは多くを望めないが、スポーツを観戦したりするのは相変わらず大好きである。球技や格闘技など分野は問わない。しいて言えば採点競技は納得いかないこともあるので、勝ち負けが分かりやすいほうが好き。でもたいていのスポーツは観る。オリンピックやワールドカップなど大きな大会のときはたいへん。 テレビを見るのも好き。先にあげたスポーツの番組はもちろん、他にもお笑いやバラエティー番組、映画、ドラマなどをよく見る。だいたい難しいものは好まず、他愛の無いものが好き。 その他、読書、音楽、歴史、鉄道などを好む。ただこれらはどれも道を究めるというほどではない。初心者レベルである。マニアの領域にはどれもいたらない。 嫌いなこと苦手なことは、たくさんある。多すぎて困るくらい。子供の頃「将来何になりたいか」という問いに「なりたいものは別にない。ただなりたくないのはセールスマン」と答えたくらい対人が苦手だった。(外見が良くないのもある)そんな自分が牧師をしているなんて、神のなさることはすごい。 手先は不器用。美術や技術で良い点をもらった記憶はない。当然メカには弱いほう。子供の頃、友達が喜んでプラモデルを作っているのを見て「何が楽しいのだろう」と不思議だった。今このようにパソコンをやっているが、私に言わせると大健闘である。 またずぼらでかなりの面倒くさがり、妻には寒かったら服を着て、暑かったら脱げと言われるのだが、着たり脱いだりが面倒で朝着替えた(さすがに寝巻きのままはずぼらで面倒くさがりでもだめだと思って)ときと同じでいることが多い。そんななのでこのホームページもなかなか更新しない。 |