第20回 小豆島オリーブマラソン大会

〜 F川 国際デビュー 〜


全国400万人の四電マラソン愛好家の皆様、ほんとにほんとにほんとうっに、お待たせしました。去る1997年5月25日(日)小豆島において、第20回オリーブマラソン全国大会が開催されました。どうでもいいけど、この類のレースは、たいてい末尾に「全国大会」というのが付いてますが、別に四国大会や香川県大会や小豆郡大会や内海町大会があるわけでもないのにね。このオリーブマラソンは、私の斜め後ろに座っている小豆島出身の多田君が小豆島高校のヤンキー生徒だった時から続いている、由緒正しい大会で、中でも今回は記念すべき20周年大会なのでありました。

心配されてた雨も前日までに降り終わり、当日は朝から快晴で、しかも寒気団の影響で気温も下がり、絶好のコンディションとなりました。(いつもいつも、どうしてマラソン大会の日は天気が良いんやろうなあ。これやから、やめられんで)
朝、6時20分に高松港から専用船が出るということで、めちゃめちゃ早起きしてバイク飛ばして港へ行ったけど、岸壁には船も人も居ない。決して早く来すぎた訳ではない。むしろ遅いくらい。なのに、あまりの静けさ。完璧におかしい。岸壁におかしい。勝手な思い込みで場所を勘違いしていたのでした。大慌てでなんとか正しい場所へたどり着いたけど、他にもいっぱい聞違ってた人が居たようで、結局、出航は7時頃になりました。なーんだ。焦ることなかった。

船の中では、隅田大先生を始めとして、中山選手(元ダイエー)、光高選手、F川選手、竹葉選手、増田選手ら、本店各部の精鋭選手と会い、急邊、隅田大先生を団長として
四電陸上部本店マイナーリーグ2部特別選抜チームを結成したのでありました。さらに、宇和島支店へ異動となった鈴木綾子選手を代表取締役名誉会長相談役とする四電陸上部愛媛ウェスタンリーグ友好親善訪日団チーム御一行様にもお会いしました。結構、好きな人、多いのよ。

レースは5q、10q、ハーフマラソンの3コースがある。わが精鋭部隊は当然のようにハーフマラソンに出る。
と思ったら、
(光高)「僕、10kmコースに出るんやけど」
(幹事長)「な、なに?なんでや?調子悪いん?」
(光高)「早くゴールせんとタダで食えるそうめんが無いようなるんで」
(幹事長)「にゃにおう!?そなな事でか?信じられん奴。なあ、F川」
(F川)「僕は5kmコースにしましたけど・・・」
(幹事長)「バカタレーっ!何を考えとんのや!」
(F川)「でも去年は遅かったもんで、そうめんが無かったんすよ」
(幹事長)「たかが、そうめんのためにわしらは参加するのではな一い。参加賞の丸金醤油のために・・・、
     もとい、走ることによって自己実現を図ることを目的に参加するのであるぞ」

5kmだなんて、お子さまランチやないか。ほんまに情けないF川。もちろん私と、隅田大先生、良い子の中山選手(元ダイエー)、増田選手はハーフマラソンに出場した。4人でゴールデンハーフです。(分からん若いやつは分からんでええ)
なお、隅田大先生に至ってはレース後、
(隅田)「ハーフでも、ものたらんのう。ついでに島一周してくるわ」
と言いながら、スタスタと消えていきました。

いよいよスタートです。1月の丸亀マラソンで前の方からスタートして、ついついオーバーぺ一ス気味になり、後半潰れてしまった反省から、今回は中山選手(元ダイエー)と共に、後ろの方からゆっくりとスタートし、後半、ばんばん抜いていくという作戦をとりました。中山選手(元ダイエー)は、実は元ダイエーの中山選手とは別人28号の、ただのサックス吹きなんです。
ところが、それでも、やはり私よりは早かった。最初は結構、自分でも「調子悪くないな」と思い、軽快に走っていたつもりだったのだけど、それは単にぺ一スが遅すぎただけ。隅田大先生に圧倒的に引き離されたのは予想通りだけど、途中から中山選手にも置いていかれてしまったのは計算外でした。
それ以後、おばちゃんやコギャルどもにも抜かれつつ、孤独な戦いが始まりました。レースは、30数年前に私が小学校1年生の時に住んでいた家の近くを通って、「二十四の瞳」の舞台となった岬を目指す懐かしいコースだったけど、もちろん、そんな感慨に浸る余裕はなし。

ところが、独り悲壮感を漂わせながら走っていると、大会関係者のおっさんがふらふらと近づいてきて、タスキをかけてくれる。「なんじゃらほい」と思って見ると、なんと
ふれあい賞という札がついてるではないの。これがあの、選考基準が「ラッキーな人に当たります」という選考不透明な怪しい「ふれあい賞」だったのです。厳選抽選の「ホノルルマラソンご招待」は当たらなかったけど、とにかくラッキー。

(抜群のパワーで圧倒的にレースを引っ張る筆者)

結局、タイムはとっても悪かった。
(幹事長)「どうして調子良いのにタイムは悪くなっていくんやろ」
(中山)「幹事長、そりゃ歳ですよ」
(幹事長)「しかし、それなら隅田大先生はあのお歳でなぜ私らより圧倒的に早いのだ」
(中山)「そりゃ、船の中で大きなおにぎり6個も食べてたからですよ」

ああ、偉大なおにぎりパワー。
だけど「ふれあい賞」ももらったし、天気も良かったし、遅くゴールしたけどちゃんとそうめんはいっぱい残ってて満腹になったし、満足な一日でした。
しかし、悟りを開いていない中山選手(元ダイエー)は美しいオリーブ女王を見て、
(中山)「ふれあい賞より、オリーブ女王と触れ合いたい・・・」
と言いながらふらふらと近づいていったのでした。まだまだ修行が足りんのう。


ところで、翌日、我が四国電力陸上部本店マイナーリーグ第二部特別選抜1階7階8階12階混合編成特殊上陸部隊の隠し玉と言われるF川選手が、はずかしながら堂々の新聞デビューをしてしまったのです。しかも読売新聞香川版なんかじゃなく、堂々のニューヨークタイムズ香川版に、しかも写真のど真ん中に写ってしまったのです。
(幹事長)「ニューヨークタイムズに香川版なんか、あるんか?」
(F川)「私は何も言うてませんがな」

ニューヨークタイムズ香川版5月31日付け記事
(○で囲んでいるのがF川選手)

F川選手と言えば、そうめんを早く食いたいがために子供みたいに僅か5qしか走らず、思惑通り腹一杯そうめんを食いまくったのに、この栄誉を独り占めしてしまったのです。しかし、心の寛大な私はくやしさのあまり…、もとい、みんなで喜びを分かち合いたいがために、ここに彼の活躍振りを発表するのでありました。いいなあ・・・。

中山選手(元ダイエー)がのぼせてしまったオリーブの女王様


ところで、労務部様にお願いでございますが、私どものような微力なしもじもの民の、このような地道でマニアックな活躍を評価いただき、四国電力陸上部様の第二部でもマイナーリーグでも何でもよろしゆうございますから、ご公認は預けないでしょうか。いやいや、めっそうもない、何も金銭的な援助をお願いしている訳ではございませんで、私どものような日陰者にもほんの名誉と、あと、もしかしたら、ほんのついでに遠征費とか参加費とかシューズ代とかウェア代とか飲み代とか食い代とか・・・、いやいやほんのささやかな活動費のご補助をおめぐみ頂ければありがたき幸せだなあと・・・。


〜おしまい〜




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