第19回 瀬戸内海タートルマラソン大会

〜 竹葉 頑張る 〜


1998年11月29日(日)に小豆島で恒例の第19回瀬戸内海タートルマラソン全国大会が開催されました。

この大会は、小豆島の海岸線を走る気持ちの良いコースなんだけど、未熟者を排除するという趣旨から、35歳以上でないと出られないという年齢制限があり、そのためF川選手や増田選手はまだ出場できないのでした。中山選手(元ダイエー)は大人になったので、今年からやっと出場権を得たので、めでたく申し込んでたんだけど、なーんと、大会の当日、朝寝坊して起きられないなんていう失態を演じ、船に乗り遅れてしまい、あえなく欠場となりました。
(幹事長)「やる気あるんかいの?」
(F川)「たるみきっとりますねえ」
(幹事長)「由緒あるペンギンズは除名かなあ・・・」
中山選手(元ダイエー)は、塩江マラソンで派手に憤死してしまったのは記憶に新しいし、そう言えば春の小豆島オリーブマラソンでも憤死していたし、おまけにお寝坊して欠場だなんて、ほんまに今年はぜーんぜんええ事が無かったね。

四電ペンギンズからは私のほか、隅田大先生、竹葉選手、亀山選手が参加しました。(さすが四国電力のタートル亀男、亀山選手は、この大会には欠かせませんね!)
でも、人気キャラのF川選手がいないから、いまいち面白くない。ほんまに、F川がいないとつまんないなあ。それで今回の報告記はとっても短いのよ。


いよいよスタートです。
はい、ゴールです。

(F川)「ちょっと、おっさん。それ、短いと言うより、何も書いてませんがな」
(幹事長)「ま、練習不足の割には満足の記録で帰ってきたとだけ言っておこう」

(余裕の表情でトップを独走する筆者)

それから亀男もなかなかの好記録だったようです。隅田大先生は例年通りフルマラソンに出場し、相変わらずの強靱振りを発揮しました。

それから今年はなんと、春のオリーブマラソンで一躍皇帝ペンギンに躍り出た竹葉選手がフルマラソンに出たのでした。こいつ、口だけかと思ったけど、まさにほんまものの皇帝ペンギンになろうとしています。好かんやっちゃ。ご褒美に直筆の報告記を掲載してあげましょう。
(ただしスペースの関係でむちゃくちゃ小さい字にしてます。どうしても読みたいっていう人は文字を大きくしてから読んで下さい)




(竹葉選手直筆)

爆走小豆島フルマラソン初挑戦!!

5時起床。初めてのフルマラソンへの緊張からか、夜中に何度も起きたので、多少睡眠不足。前日から風邪気味で若干からだがだるいが、心配していた右膝の痛みはない。4時間半後のスタート時にちょうどエネルギーとなるよう、おにぎりを食べカーボローディング、の予定であったが、前日、炭水化物をとりすぎたため、おにぎりはパス。目覚ましに、コーヒーを飲もうとミルとサイフォンを用意していたけど、めんどくさくてこれもパス。リンゴを丸かじりし、風呂に入ってゆっくりとストレッチ。

6時出発。小豆島までは、琴平電鉄で10分ほど揺られて「高松築港」で降り、高速艇に乗り換え約30分。港では、四電ペンギンズの幹事長と会う予定になっていたが、あわてて乗った高速艇が臨時便で早めに出発したため会えなかった。結局この日は、四電ペンギンズのメンバーとは誰にも会わなかった。一人で臨むのも、緊張感があり、ストイックな気分になり悪くはない。高速艇の中でも、じっくりストレッチ。

7時40分、小豆島到着。港では即効性のエネルギー源として、バナナを一本食べる。会場の受付までは徒歩15分。会場は既に人でいっぱい。本日の参加者は、フル、ハーフ合わせて約2500名。受付でおみやげのTシャツとうどんつゆなどをもらう。公民館の会議室を借り切りにした更衣室も人でごった返していたけど、どうにか半畳ほどのスペースを確保し素早く着替えウォーミングアップ。(この更衣室男性用と書いていたけど何故か女性が何人かいた。)30分ほど軽いジョグの後、ウィダー「エネルギーイン(200kcal)」でエネルギー補給。あとはいつものように、スタート30分前に、レース後半の脂肪燃焼用に有森祐子も飲んでいる「ヴァーム」を飲んで、9時30分のスタートを待つばかり。

9時25分役場前のスタート地点へ。前半は、おさえ目で走り、後半にスタミナを温存する作戦(この方が、前半とばして、後半抜かれるより、精神的によい。)のため、前の方には行かず集団の中盤くらいに位置取り。集中力を高めるためサングラスを着用。天気は快晴。しかし、暑いレースは苦手である。

9時30分いよいよスタート。2車線の道に1200名もの人が並んで一斉にスタートするので、ピストルが鳴ってから、スタート地点まで1分近くかかる。目標は井開君に約束した3時間30分。1km5分弱ペースで行けば達成可能。しかし、集団のこのあたりは、どう見ても1km6〜7分ペース。前に出ようとするが、大集団のため前に出られず、そのまま2〜3kmほど進む。やっとばらけてきたところで、いきなり第一の峠。このコースは片道7つの峠があり(往復するので全部で14。)平坦な部分があまりない非常にタフなコース。峠が不得意なおれにとり初のフルマラソンにはちょっときついコースである。抜いたり、抜かれたりしながら走っていると5km付近で、いいペースで走っている2人に遭遇、ペースメイカーになってもらうことにして後ろについて行く。以後3人で併走。前の2人は、汗をだらだらかいているのに、俺は全然かかない。左手には瀬戸内海のきれいな海が見え、気分を楽にしてくれる。(今思い出してもとても印象に残る景色でした。)まだまだ余裕がある。サングラスをかけたりはずしたりしながら、給水所ではきっちり水分を補給し、快適なペースで走行。沿道の声援もほんとにうれしい。体がだるい割に、非常にいい調子で走れる。後で気がついたがこの時、1km4分40〜50秒程度で走っていた。計画よりオーバーペース。(汗をかかないのも体調が悪かった証拠であった。)第一の敗
因。
18km付近で真ん中を走っていたゼッケン1659番の方がペースダウン、もう一人の1436番はペース維持。一瞬どっちについて行こうか迷うが、この時点ではまだ調子もよく、1436番「ならばな走友会」さんについていく。第二の敗因。折り返し22〜23km付近(復路の方が若干短いコース設定)で1時間45分。後半のがんばりしだいでは3時間20分をきれる、予想を上回る快調な走りで気分がよく、オーバーペースを気にしない。折り返し地点では、地元の子供たちがお守りを作って渡してくれているが、走りにじゃまになりそうなのでので受け取らない。(第三の敗因か?)体がすこし冷たく感じ、なるべく日なたを走る。いつもとは逆である。あまり汗が出ないし、少し不安になる。
25km付近、左太股痙攣。あんなに入念にストレッチをしたのに。「ならばな走友会」さんに、しだいにおいていかれる。ペースダウンはしたけどまだまだ走れそうだ。
28km付近、何個目かの峠で、左膝に激痛。(痛めていた右膝は不思議と平気である。)極端にスピードダウン。「ならばな走友会」さんはもう遙か彼方を走っている。
30km、2時間32分。残りの12.195kmをキロ5分で行けば、3時間30分は達成できる、が、左足が痛い上、スタミナ切れで、既に歩くようなスピード。スピードアップを図るが、体がついていかない。沿道のボランティアのおばさんや子供たちからおにぎりやバナナ、ミカンを受け取り食べながら走る。食べながら走る程度のスピードしかでない。前半に抜いていった人に簡単にパスされてしまう。(ここが、一番苦しかった。)何度も歩こうと思うけど、一度歩くと、次に走れそうな気がしないので、歩くようなスピ−ドで走り続ける。ここらあたりでは、歩いたり、立ち止まってストレッチをしている人が散見されるようになるが、こういった人たちをパスしていくことだけが、心の支え、歩いてはいかん。急遽目標を「完走」に切り替えるが、自信はない。
痛みを我慢して、やっとの思いで残り5kmの地点に到達。最後のエイドステーションで、痛み止めのスプレーを左足にたっぷりつけ、アクエリアスを飲んで再出発。左足は今にも崩れそうだが、何とか完走はできそうだ。脱落したはずの1659番に追いつかれる。この人とはペースがあいそうなので、必死の思いで1659番の背中についていく。ボランティアの方にいただいたおにぎりやバナナがエネルギーに代わったのか、あるいは、歩くようなスピードが疲労を和らげたのか、何とかついていく。最後の峠を越えて残り3km、1659番再び脱落。残り2kmをきってからは、足は痛いが、軽快に走れる。一歩一歩ゴールに近づく実感。ゴール前はたくさんの人が声援してくれてうれしい。感激のゴール。

やっと終わった。3時間37分57秒。スポーツクラブでよく話をするギョロ目のおじさんが、「おめでとう、早かったですね。」とねぎらってくれる。「フルがこんなに大変とは思いませんでした。疲れました。」沿道で応援してくれた方、大会を支えてくださったボランティアの方々に感謝。完走させていただきました。

というわけで、フルマラソン初挑戦は、本当に疲れたし、3時間30分はきれなかったけど、30km以降、あきらめずによく完走できたと思う。痛かった分、久しぶりにがんばった、という達成感を味わうことができたもんね。完走後は、にゅうめん、てなものがあり、うまかったのでどどどっと3杯も食べた。マラソン後のうどん、そうめん、にゅうめんは本当にうまい。香川県の大会ならではだろう。


〜おしまい〜




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