宿毛篠山マラソン大会
さて、サル・・・、もとい、(そら間寛平やがな)、去る1999年5月9日(日)に宿毛篠山マラソン大会なるものが高知県宿毛市で開催されました。
主催が「坂本ダムを活かす会」で、別名「坂本ダム湖命名記念マラソン大会」というだけあって、場所は宿毛の町からぐぐっと山奥へ入り込んだ坂本ダムの周辺です。大会の趣旨は「松田川河畔をダム湖に沈む旧道の景色を惜しみつつ、二度と走れないコースを、この地で育った間寛平と一緒に走る」という欲張りなものです。早明浦ダムですら、渇水になって昔の役場がゾンビのごとく現れたりしたから、ほんまに二度と走れないかどうかは疑問ですが、ダムに沈む道を走るのも一興だし、間寛平ちゃんと一緒に走るっていうのも魅力的な大会です。(それにしても間寛平が宿毛の出身だとは知らなんだ)
最初にこのマラソン大会を知ったのは、2月に宿毛営業所お客さまセンターの野町所長が社内掲示板に掲載したのを見たときでした。「締め切りは2月末だけど、参加者が少ないので(とは書いてませんでしたが)追加募集してます」とのことでした。その時は「えらい辺鄙なとこでやるんやなあ。そら参加者も少ないわなあ」くらいで知らん顔をしてたのですが、なんと私自身が3月1日付けの異動で高知へ転勤となったため、「こらやっぱり参加せんといかん」って気になりました。
坂本ダムには当社の発電所も出来て、2年後には発電を開始することだし、主催者の「坂本ダムを活かす会(坂本ダム湖命名記念事業実行委員会)」っていう長い名前の組織には当社の宿毛営業所も構成団体になっていることだし。
ただ、高知市の人に聞いても「まっこと宿毛は遠いぜよ(土佐弁は難しいわい)。行くだけで1日潰れるぞなもし(おっと、これは松山弁か)」なんて言う。これでかなり迷いました。
しかし、野町所長が掲示板で
(野町)「ペンギンズの軟弱者どもめ。口ばっかりやのうて、出てこんかいっ!」
(えーと、表現はもっと穏やかでしたが)
なんて喧嘩を売っていたので、ここで僕が出んとペンギンズの名誉(そななもんあったかいな)に関わると思いなおし、3月中旬に野町所長に電話したのでした。
(幹事長)「遅くなりましたが、まだいけますか?」
(野町)「もう締め切り過ぎとるで」
(幹事長)「えーっ!それは困る。こまるこまる困る。コマネチ」
(野町)「うるさいやっちゃな。取りあえず申込書は送っちゃるから、あとは事務局と直接交渉して」
それで事務局に電話したら、やはり
(事務)「締め切りは2月いっぱいでしたよ」
(幹事長)「締め切りは延長したという話でっせ」
(事務)「もしかしたら四電さんですか?」
(幹事長)「そうです」
(事務)「それやったらしゃあないんで、すぐに送って」
ふむ。野町所長さまが連絡してくれてたんかな?
という訳で、連休ぼけのダラけた体にムチ打って宿毛へ向かいました。しかし、あなた、これが、やっぱり遠い。職場の同僚が「あの辺は東京からの時間距離が日本で一番遠いんよ」なんて自慢してましたが、東京どころか、高知からでも遠い。高知へ単身赴任している私は毎週末、高松の自宅へ帰っていますが、地図を見ると宿毛はもっと遠い。おまけに高速道路も無いし、どう見ても高松の2倍はかかりそう。全県くまなく通勤圏の香川で生まれ育った私としては、「高知に赴任したから宿毛のマラソンに出る」なんていう安易な選択をしたことを後悔したけど、既に遅かった。
当日の早朝に出発したのでは体が持たないので、しかたなく前日に中村市内まで入りました。ホテルは中村プリンスホテル。プリンスと名の付くホテルは品川プリンスしか泊まったことがないけど・・・、やはり全然関係無いホテルでした。でも新しくてきれい。四万十の川エビや鮎や青ノリやゴリ(類人猿ではなく小魚)も食べたし。
当日は中村から宿毛へ向かい、さらに山の中へ入って行きます。途中に完成間近の坂本ダムが現れ、しばし見学を。会場に着くと、間もなく開会式が始まり、寛平ちゃんが笑いを取ってました。しかし寛平が「このコースは相当きついで」なんて言う。てっきりダム湖の周囲の平坦な道を走る楽勝コースだとばかり思っていた僕は耳を疑いコースを確認する。そしたらなんと、ダム湖周辺の新道から、ダム湖に沈む旧道まで降りたり登ったりする恐怖の急坂マラソンだったのです。「話がちゃうぞ〜っ!」
しかし、それでも実は甘く見ていたのでした。ライバルのF川や中山選手(元ダイエー)や四国電力のタートル男、亀山選手も居ないし、誰と競争する訳でもない。単に参加するだけのレースなので、とっても気楽。
スタート直前になっても、ウロウロして寛平と一緒に写真を撮ろうと悪あがきする。ボヤボヤしてたらいきなりスタートのピストルが鳴ってびっくりしたけど、焦らず慌てずゆっくり走り始める。
必死で筆者に追いすがろうと苦戦する間寛平
(こいつだけゼッケンが名前)
マイペースで走り始めるけど、意外に快調。1週間前からひいていた風邪もなんとか治り、長旅の疲れもものともせず、妙に順調なペース。「おお、やっぱり宿毛マラソンごとき、軽いものじゃ。どうせ他の連中は、参加者が少ないからと借り出された地元のシロウト共に違いない」と勝手に思いこんで蹴散らしながら走る。スタートはダムより上流の小学校で、そこから緩やかに下っていき、ダムを過ぎた辺りで、いきなり川底へ急坂を降りて、川に沿った旧道を走るのでした。それから再び登っていって新道に出るけど、この辺りまでは、まだなんとか余裕が残っている。
しかし、折り返し点で上り坂に転じた辺りからだんだんしんどくなる。今度はダムを上流側に超えたところで、再びいきなり川底へ下る。ここは水が溜まったら沈んでしまう道。大会趣旨である「松田川河畔をダム湖に沈む旧道の景色を惜しみつつ、二度と走れないコースを走る」という辺りなんだけど、とても景色を惜しむ余裕はありません。ここ数日の夏のような好天のため、お日様がぢりぢり照りつける。川底は風も無く、日射病になりそうな暑さ。
こういう時の天の恵みは給水所なんだけど、この地区で最初で最後のマラソン大会だけあって、主催者も慣れてなくて不手際が多い。そもそも給水所の数が極端に少なく、このような炎天下のマラソンにはきついのだけど、やっとこさたどり着いた給水所なのに、僕らのような遅い連中がたどりついた頃には既に水が無くなっていたりする。
しかし、最後の給水所は四国電力の担当になっていて、そこにはあふれるように水がありました。さすがに仕事がきっちりしてるなあ。有り難うございました。
最後の給水所を通り過ぎ、川底から再びはるか天上の新道まではいずり上がる地点で、目の前を走っていた人がフラフラと倒れ込んでしまう。しばらくして救急車が来て回収してましたが、ほんまにきついコース。もう走る力は残ってなくて、最後の坂はあっさり歩き始めるけど、誰も抜いていかない。僕の前も後ろもみんな歩いている。
(中山)「幹事長、歩いたら完走とは言いませんよ」
(幹事長)「そういう硬直的発想では、これからの電力自由化の荒波を乗り切れんぞ」
坂をとぼとぼと歩き続けると、ゴール前1km辺りでやっと平坦な道になる。ここでみんな再び走り始めるんだけど、筋肉はつりそうになるし、足首は痛み出すし、珍しく心臓までしんどくなり、体ボロボロになってやっとこさゴール。
ゴールするとお弁当があるんだけど、このゲロゲロ状態で弁当を食べる余力は無い。こういう時にうどんやそうめんがあると嬉しいのだけど、宿毛ではうどんもそうめんも無かったのでした。ゲロゲロ。
(余力を残して圧勝した筆者)
結局、今まで走った中でも一番苦しかったレースで、タイムは昨年の塩江マラソンを上回る惨憺たる記録でした。5kmコースに出ていた小学生は別として、参加者は、無理矢理参加させられた地元民だと思っていたのは大間違いで、かなりベテラン揃いでした。寛平に負けたのはいいとしても、子供をリヤカーで押しているおっさんや、お侍の格好したおっさんにも軽く負けたのは虚しいな。
(幹事長)「これでコースは完璧に把握したから、次回は優勝ねらいやな」
(F川)「おっさん、これが最初で最後のレースと知ってて言うてますな」
なお、主催者が「坂本ダムを活かす会(坂本ダム湖命名記念事業実行委員会)」というだけあって、マラソン大会の後には坂本ダム湖命名式なんてものがあり、ダム湖は「どんぐり湖」という可愛い名前になりました。あの苦しいマラソンを思うと「どくだみ湖」でもええような気がするが。
〜おしまい〜
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