第4回 屋島一周クォーターマラソン大会

〜 中山の復活 〜


全国13億人のマラソン愛好家の皆様こんちは。(ここは中国か?)
がおーっ!夏の暑さで活動を一時中断していたペンギンズの復活の雄叫びです。(ペンギンの鳴き声って、どんなんやろ?)

去る
1999年9月26日(日)第4回屋島一周クォーターマラソン大会が高松市の屋島の周りで開催されました。毎年、ペンギンズの秋のシーズン開幕レースは10月の塩江マラソンと決まっていましたが、今年は部長であらせられる隅田大先生の強いご指導のもと、9月から開幕戦に参加することとなりました。何の役割も責任も名誉も無い名誉職の部長が、珍しく指揮権を発動したのでした。
このマラソン大会は、単独のものではなく、高松市民スポーツフェスティバルの一環として開催されるもので、参加資格は高松市と周辺地域を含む高松広域都市圏に在住している人です。距離も12kmと短いし、休養あけのペンギンどもにはちょうど良いですね。

屋島の周りと言えば私の練習のホームコースです。たいてい、毎週末には屋島の周りを走っています。あまりに慣れ親しんだコースのため緊張感は無い。そのためか、いまいち気合いが入らず、朝からダレてました。スタートは11時過ぎだったけど、10時頃まで庭仕事なんかをしてから出かけました。
スタートは屋島の陸上競技場なんだけど、臨時駐車場は屋島西町の東部下水処理場にあり、そこから臨時バスで運んでくれる。ところが、近づくにつれ妙に道が混んでいる。当社の体育館の南のオートバックスの信号なんて、ほとんど動かない状況。めちゃんこ混んでる。さすがに誰でも参加しやすい市民レースなので、参加者が多くて駐車場が満杯になっているらしい。だいぶ時間も遅くなり、受付の時間が終わりかけようとしているけど、陸上競技場へピストン輸送してくれているバスも待っていてくれるだろうから、それは安心あんしん。
と、思ったら、なーんと、混雑はダイエーのセールが原因でした。よりによって前日、福岡ダイエーホークスがパリーグで優勝したもんだから、優勝特別セールをやっているのでした。そななことで、ここまで人が集まるのかなあ、とあきれて感心しつつも、これはまずい。なんとかダイエーの前を通り過ぎて臨時駐車場へ行くと、既に人影は無く、係員に聞くと、バスはもう終わったとのこと。大慌てで急遽、競技場へ車で向かう。もちろん競技場周辺は厳重な管理で、不法駐車ができるような状況ではないため、近所のお店の駐車場に無断駐車して慌てて駆け込む。

既に受付時間は過ぎているけど、オリンピックなんかと違って、こういう大会はスタートギリギリまで受け付けてくれるもの(オリンピックに受付はないか)。
なんとか受付を済ませると係の人が「幹事長を探している人が何度も来たよ」なんて言う。誰かと思ったら、我らがアイドルF川選手や中山選手(元ダイエー)らが探していてくれていたのでした。
(F川)「参加費が安い(1000円)大会やから、てっきりサボったのかと思ってましたよ」
(幹事長)「何を言うか。ダイエーが悪いんじゃ」
(F川)「参加賞だけは取りに来ると思てましたけどね。今年の丸亀マラソンみたいに」
(増田)「私らの応援もせずにさっさと帰りましたもんね」

今回、ペンギンズから参加したのは隅田大先生のほか、
F川、宮岡選手、中山選手(元ダイエー)、増田選手、竹葉選手らです。実質唯一の女性ランナーであるフラメンコ明子は欠場でした。いやん。
それからマラソン復活10数年振りという佐伯先輩も参加しました。佐伯先輩は、昔々、新入社員の私をマラソンの道に導いて下さったありがたいお方です。
(幹事長)「あの頃は若い女性もいて楽しかったですね」
(佐伯)「そやな。この人がF川くん?」
(幹事長)「イエイエ違います。これは中山選手です。
     ところで、なんでまた復活したんですか?」
(佐伯)「そやな。F川くんはどの人?」
どうも佐伯さんはF川選手が気になるらしい。
(幹事長)「見るほどのもんではありませんよ。
     ところで、調子はどうですか?」
(佐伯)「いかんわ。久しぶりやから、目標1時間っちゅうとこかなあ」

いかんわ、と言いつつ、えらい強気な見通し。

F川選手は、なにやら元気そう。復活したのだろうか。
(F川)「毎年、10月末の塩江に照準を合わせて練習をしていたのに、今年はきついですねえ」
(幹事長)「ふっふっふ。私はこの夏、君らがダレてサボっている間に、
     秘密の特訓を2つ行ったのであーる」
(F川)「なんなんですか。どうせ大したことはないでしょうが」
(幹事長)「ひとーつ。それはよさこい踊りじゃ」
(F川)「何の関係ですか?おっさんみたいな歳で踊る人なんておらんでしょう?」
(幹事長)「高知に転勤になった機会に参加したのじゃ。わしより年上は1人しかおらんかったけど、
     せっかく高知へ行ったのによさこい踊りに参加せんかったら、
     伊方に転勤になったのに、てやてやウェーブに参加せんのと同じくらい悔しいことぞ」
(F川)「てやてやウェーブなんて、聞いたこと無いですね」
(幹事長)「その練習というのがすごい。夏の蒸し暑い夜、仕事が終わってから毎晩毎晩夜遅くまで練習が続く。
     出張なんかで欠席した場合、落ちこぼれしまうから、ビデオを借りて帰って週末は家で練習するのだ」
(F川)「家族は何か言いませんか」
(幹事長)「白い目で見よった。しかし、この特訓の成果で足首を捻挫しながらも、
     見事な踊りを披露できた訳じゃ」
(F川)「それとマラソンとどういう関係ですか?足首を痛めたらいかんやないですか」
(幹事長)「持久力じゃ。この夏の間に持久力を維持できたのは大きな収穫だった。
     あの暑い高知の夏の炎天下で2日間踊り通した実績は大きいぞ。
     普通みんな高地トレーニングなんかをやるが、この場合、高知トレーニングやな」

私が力説しても、誰も聞く耳を持たない。
(増田)「はあ。も1つは何ですか」
(幹事長)「ふふふっふ。自主トレキャンプじゃ」
(増田)「引田のキャンプ場でも行ったんですか?」
(幹事長)「南の島じゃ。奄美諸島にある喜界島という小さな島で自主トレをしてきた」
(増田)「わお。ほんまですか?休暇が取りやすい職場なんですね」
(幹事長)「Aコープが1軒あるだけの島で禁欲的な生活を送りながら
     サトウキビ畑の中を走ってトレーニングしてきたのじゃ」
(F川)「家族連れて夏休みに遊びに行って、ついでにちょこっと走っただけじゃないでしょうね」
(幹事長)「そういう見方をする了見の狭い奴の存在は認めよう」
(F川)「要するに、今年の夏も、ロクに練習はしてないってことですね」

茶飲み話をしていると、すぐに開会式が始まってしまい、慌ててゼッケンを付けたりトイレに行ったりしてから駆けつけるが、すでに開会式も終わり、選手はスタート地点へ移動してました。ここまでドタバタするのも珍しいですが、それでも緊張感は無いまま。なんちゅうても、お気軽市民マラソン。
(中山)「でも、なにやらみんな、かなり本格的な格好をしてますよ」
(幹事長)「ん?そう言えば、周りを見ると、あれ?おかしいな」
距離も短いし、おまけに制限時間が12kmで2時間だなんて、てっきり誰でも参加する町内マラソンみたいなもんだと思ってたら、妙にみんな早そう。もしかして、いい加減な気持ちなのは僕らだけかも。
(F川)「そんなパジャマみたいな格好してるの幹事長だけですよ」
確かに、普段はパジャマにしている短パンとTシャツではあるが。
(中山)「これ、ちょっと、やばいっすよ」
(F川)「いやいや、こんなんでムキになったら、あかんですよ。
     これはあくまでも塩江マラソンに向けた調整レースですよ」
(幹事長)「目標タイムは?」
(増田)「1時間ですかね」

ふむ。増田選手は早いからな。
(中山)「僕らは1時間は無理ですよね」

そうこうしていると、いきなりスタートになる。前回のオリーブマラソンでは大会の模様をNHKが衛星放送で全国中継したけど、今回は地元ケーブルテレビCMSがカメラを持って駆けつけました。視聴者の数はぐぐっと少なそうだけど、贅沢は言えない。
(幹事長)「皆の衆!今回もカメラに写ることを最優先する!」
(中山)「分かりました。隊長!」

分かったのは中山選手(元ダイエー)だけで、他の選手は前の方に陣取る。本末転倒な奴らめ。カメラは右手前方に構えている。スタートの場所取りも完璧。派手なポーズでアピールしよう。スタートと共にカメラめがけて一直線。と、ところが、なーんと、カメラは先頭集団を追いかけてどんどん先の方へ行ってしまい、私らを完璧に無視する。受信料返せ。

(圧倒的な力強さで独走の優勝を飾る筆者)

さてさて、いつも走っているハーフマラソンだと、だいたいのペース配分が分かっている。と言うか、途中で力尽きてしまって、最後は気力だけでなんとかゴールというパターンが多いから、あんまり考えなくてもよい。でも12kmなんていう短い距離になるとペース配分が分からない。いつものように適当に走っていると余力を残したまま悪いタイムで終わってしまう。かなり無理して走ってちょうどいいはずなんだけど、あんまり無理すると腰砕けになるし。
とにかく、テレビに映らなかった怒りもあり、最初はちょっと無理して早めのペースでスタートする。なのに、みるみるうちに増田、宮岡両選手に離される。F川選手も無謀に先を行く。もしかして、あっさり復活してしまったか。しかし、最近3連勝している中山選手(元ダイエー)にはちょっと差をつける。ふふふ。そのまま2〜3km走ると、早くもペースが落ちたF川を抜いていく。愚か者め。
しかし、しばらくすると、なんと大胆にも中山選手(元ダイエー)が抜いていく。てっきり圧倒的に引き離していたつもりだったのに、すぐ後ろにいたなんて。僕でさえかなり無理したペースだったから、中山選手(元ダイエー)は相当無理したペースのはず。これは絶対にそのうちバテて追いつけるはずだから、深追いはしない。
さらに2〜3km行くと、今度はなんと増田選手に追いついてしまう。これはおかしい。彼には過去、勝ったことがないから、彼を抜くということは、かなりのオーバーペースということになり、後半バテてしまう。しかし、妙に増田選手が遅い。いくらなんでも遅すぎるので、知らん顔して追い抜いてしまう。
やがて、案の定、中山選手(元ダイエー)にだんだん追いついていく。愚か者ね。ところが、もう少しで追い抜けるってところで下り坂。下り坂になると中山選手(元ダイエー)はむちゃくちゃ飛ばす。僕だって下り坂はかなり飛ばしてバンバン追い抜いていく方だけど、彼の飛ばし方は異常なほど。去年の塩江マラソンでも、平坦な道になると僕が抜いて、下り坂になると中山選手(元ダイエー)が抜き返すというデッドヒートを繰り返したのでした。今回も、あと少しというところで再び引き離されてしまう。

今回のレースは、基本的に主催者も力が入ってないようなマイナーレースなので、距離の表示が無く、どれくらい走っているのか分からないため、自分の時計で判断するしかない。自分のペースから考えて、あと2km程度残っているかなと思った辺りで、最後のペース配分を考える。
ところが、その時、その辺に立っている係員が「あと800mですよ」なんて言う。そんなばかな。本当なら異常に早いペースになる。とにかく慌てて一気にラストスパートに入る。余力十分なので、短距離レースのようなペースで走る。目の前の中山選手(元ダイエー)も全力疾走。ところがどう考えても1km程度は走ったのに、ゴールが見えない。騙されたか。やっぱり、おかしいと思った。もしかして1800mの間違いだったか。そうなら、もう最後の力が残っていない。困った。
と思ったときにゴールが見える。あと2〜300mくらいか。このまま全力で走ればなんとか1時間を切れる。そう思って最後の力を振り絞って全力で走ると、結局、ギリギリで1時間を切れました。対中山選手(元ダイエー)4連覇の夢は惜しくもついえたが、1時間は無理だと思っていたから嬉しい。
(中山)「お互いに1時間を切れて良かったですね」
(幹事長)「お前、去年の絶不調から遂に復活したな。かなり強気なペース配分やったもんな」
(中山)「僕、時計も持ってなかったから、訳が分からんかったんですよ」

なんとかー。ただやみくもに走っただけか。それが良かったのか。
いつ抜き返されるかと不安だった増田君は、1時間をオーバーしてしまった。
(幹事長)「どしたん?最近、調子悪いん?」
(増田)「いやあ、こんなもんっすよ」

増田選手は去年結婚してからというもの、身体の一部がスクスクと育ち、かなり重くなったのでした。全然、反省していない。
最初から勝負を捨てていたF川は、さらに遅れてゴール。
(幹事長)「予想通り、だいぶ遅かったな」
(F川)「くどいようですけど、これはあくまで塩江マラソンの調整ですからね」

マラソン10数年ぶり復活の佐伯先輩は、惜しくもギリギリで1時間をちょびっと超えました。
(幹事長)「それでも大したものですよ。久しぶりやのに」
(佐伯)「幹事長の背中はずっと見えてたんやけど、あと一歩というとこやった。
     ところでF川くんはどの人?」

相変わらず快調な竹葉選手は、すっかりレベルが違ってしまい、新城プロなんかと親しそうに話し、ペンギンズの連中は眼中に無い。もう除名やな。

というわけで、ほんの片手間仕事でやる気も乏しいまま出たレースでしたが、なかなかハッピーなレースでした。

数日後、増田選手から吉報が。
(増田)「四国新聞に写真が出てましたよ」
(幹事長)「なんとかー!テレビは駄目だったけど、新聞があったか」
(増田)「みんな出てますよ」

さっそく送ってもらう。しかーし。小さい!あまりに小さい!よう見つけたなあ。F川選手は間違いない。とすると、その横の増田選手、宮岡選手も間違いない。ちょっと後ろの中山選手(元ダイエー)も、たぶん、そうかな。しかし私に至っては、自分でも疑わしい。やはり、最初は先頭付近でスタートを切るべきだったか。
(幹事長)「ま、しかし、わしらは前回、スポーツ紙に載ったきんね。
     なんと言っても全国デビューやからね。
     F川はこれで2回目やけど、どっちも地方版やからね・・・」

と言いつつも、虚しくなるのでありました。

ワシントンポスト紙の一面を飾るペンギンズの勇姿


〜おしまい〜




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