第14回 世界ベテランズ陸上競技選手権大会
遂に出ました。ペンギンズ初の海外遠征です。いきなりオーストラリアです。遠征したのは福家先生です。
すごいなあ。僕もホノルルマラソンなんか出てみたいけど、そんな我が儘が通用するような家庭環境ではないなあ。うらやましいなあ。
てことで、今回は福家先生の報告記を掲載します。
レース名 : 第14回世界ベテランズ陸上競技選手権大会
場 所 : オーストラリア ブリズベン市
遠征日程 : 2001年7月2日(月)〜8日(日)
参加レース : 7月4日 8kmクロスカントリー
7月7日 5000mレース
[7月2日]
マリンライナー、新幹線、特急「はるか」を乗り継いで関西国際空港へ行く。日本からのツアーはJTBが主催しており、集合場所には続々と各地から選手が集まる。渡航手続きが終わるとオリエンテーションを行い、自己紹介をする。飛行機は日本航空とカンタス航空の相互乗り入れで、ブリズベンまで約8時間のフライトだった。
[7月3日]
朝、ブリズベン空港に到着する。南半球のオーストラリアは今、秋なので、顔に当たる空気はひんやりと爽やかだ。バスで競技大会場の下見をし、ANZスタジアム、クィーンズランド大学、クロスカントリー競技が行われるゴルフ場を見てまわる。
ANZスタジアムはでっかくて立派な施設なので、ここで走ってみたいと誰もが言っていた。さっそくエントリーの手続きをして、記念のバッグと選手カードをもらう。クロスカントリー競技の会場となるゴルフ場(セント・ルシア・ゴルフ・リンクス)は起伏のある森の中にあるが、実際に走って地獄の苦しみが待っているとは、その時は全く気が付かなかった。
大会には、世界79ヶ国から6000人もの選手が参加しており、このうち日本選手団は約100人だった。
[7月4日]
早朝に起きて朝食をとった後、クロスカントリー競技のあるゴルフ場に行く。会場では、受付でエントリーをした後、女性がランニングチップを靴に取り付けてくれる。
早朝のため、ゴルフ場の芝は朝露で濡れていて、靴はみるみる汚くなった。日本のようにきちんとした時間にスタートする雰囲気ではなく、遅れてくる選手にも寛大であり、のんびりとしたものである。
先にスタートする人の写真を撮ったりしているうちに、「日本人で誰かランニングチップを落とした人がいる」との話を聞く。とろい人もいるものだ、などと思いながら、何となく自分の足下をみたら、ななな、なんと、チップが無い。ひょっとして僕?いやひょっとしなくとも僕である。慌ててチップを拾ったという人をやっとのことで捜しだして、ひと安心。これが無ければ出場できない。何のためにオーストラリアまで来たのか分からない。この広い会場でチップを落としたら、たいていは見つからないであろうと思う。ほんとにラッキーだった。でも、そもそも受付の女性が付けてくれた付け方が悪かったらしい。
道ではなく野原を駆けめぐるクロスカントリー競技
(見た目は楽しそうだが非常にきつい)
午後3時頃になると、朝のひんやりした雰囲気はなく、芝生も完全に乾いて、日なたではむしろ暑いぐらいである。だんだん自分のスタートの時間が迫ってくる。いよいよ世界大会に出るのだと思うと、恐怖心と不安感が迫ってきた。しかし、ここで止めるわけにはいかない。「まあ、完走めざして頑張るか」くらいに気持ちを切り替えた。しかし、その考えは極めて甘いことになり、死ぬほどの苦しみが待っているとは、まだ全く気がつかなかったのである。
バーンとスタートの音がすると、一斉にみんな飛び出した。早い早い。あっという間に、最後尾集団に。先頭集団は、どんどん前へ前へ突き進んでいく。ふと、後ろをみると誰もいない。ん?てことは、私がビリなんだ、とその瞬間思った。これからどうなるのだろう。
「カモン、ボーイ」とコース外で見ている人が応援してくれる。中年のおじさんも「ボーイ」である。何となく苦笑してしまった。
途中、水飲み場所があり、コップの水を飲んだが、それでも非常に暑く、口が渇く。さらに、急な坂道に出会った。ここの坂は、心臓破りで、正直、歩きたい気分になったが、「走るのを止めると、そのあと走れなくなる」ということを父からも聞いていたので、「絶対に止まらないぞ」と言い聞かせた。「もう駄目」と、止まりそうになりながらも、なんとか無事にゴール。もう死ぬほど疲れたが、完走したという気持ちが湧いてきて爽快感が残った。最後尾でゴールしたが、よく頑張ったという意味の拍手を惜しまなくしてくれた。
走った後、水道のところへ行ったら、みんな泥んこの靴を洗っていた。すごい激戦を生き抜いた戦友のように思えた。汗でびしょびしょだったランニシグパンツやランニングシャツは、見るまにサラサラに乾いてゆく。それだけ気候がカラっとしているのだろう。額の汗がさわやかに引いていく。空は青く透き通っている。木陰へ入るとひんやりする。無事走れてよかった。
しかし、クロスカントリー競技はきつい。過酷だ。すごい種目に出たものだとあとでつくづく思った。それにしても、日本人仲間でも遙かに年輩の方も女性の方も皆さん速い。79歳のスーパー爺ちゃんは、「クロスカントリーは悪路なので転倒が心配で、登るほうはへっちゃらだが下る時は怖いので、スピードを出せない」とぼやいていたが、それでもタイムは私よりはるかに速い。
[7月7日]
いよいよ5000m走の出場日だ。既に下見していた会場に乗り込むと、日本選手団も何人か来ており、既に走ってしまった人もいる。
エントリーをすると、走る順番を告げられ、ユニフォームにゼッケン番号を付けられる。前の組がスタートしたら、サブトラックヘ案内され、一列にならんで番号順に入場する。それにしても、周りにいる選手はやけに背が高い。林の中にいるようでうっとおしく感じる。こちらの背が低いのだから仕方ないが。
巨人に囲まれて子供のような気持ちにさせられた福家先生
いよいよスタートラインにつく。バーンとスタート。
クロスカントリーの時は最初から完全に引き離されたが、今回はトラックであり、かなり周りが見渡せる。と、ほっとしたのも束の間、見る間に引き離され、またまた最後尾になる。
しかし、トラックなので、誰がトップで、誰が最後がよくわからない。て言うのは嘘で、実はみんなわかっている。自分もよくわかっている。だんだんトップに引き離されると、あと何周というお知らせのほか、私のような遅いランナーには別の周回番号が知らされ「あと何周!」と叫んでくれる。どんどん速い選手がゴールし、観客は歓喜の声を上げて賛辞する。どんどんゴールしている姿が目に入る。しかし、こちらは、まだまだだ。
遂に最後の周回になった時、前を見ると、どこの国の選手がわからないが、迫いつける距離に1人走っている。あと100mほどになったとき「これはいける」と思い、その選手を抜いた。しかし、最後の直線コースに入って、今度はその選手がダッシュに入った。最後の最後まで、デッドヒート。結局、最後は私が抜かれてしまった。しかし、観客は、私たちのような選手にも歓喜の声で声援してくださった。
負けはしたが、その選手と握手を交わした。さわやかな汗が残った。
コアラやカンガルーと友達になり、オーストラリア移住を考える福家先生
と言うことで、福家先生によって達成されたペンギンズ初の海外遠征は、ペンギンズらしい楽しいレースだったようです。僕も行きたいなあ。
〜おしまい〜
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