弘山晴美選手と一緒に走ろう!

〜 阿南支部ここにあり 〜


着実な増殖発展を続ける四電ペンギンズだが、幹事長と並んで創生期3人メンバーであったピッグ増田ターミネーター竹葉の両選手が、いつの間にか徳島県A南市(ローマ字読みだと、そのままやんか)の発電所に転勤になって上司と部下の間柄になってしまい、さらにペンギンズ中興の祖であるタイガー杉原も、その近くの職場に転勤になったもんだから、主要メンバーが3人もA南地区に移ってしまっている。その割には、支部活動の声が聞こえてこず、支部と言えば圧倒的な存在感を示す高知支部しか頭に浮かばないのが現状だ。

しかし、そのような状況を打破すべく、このたび長い潜伏期間を経て、遂に阿南支部が活動に目覚めたのだ。
そのレースとは、平成14年12月15日(日)に徳島県A南市新野町で開催された新野町内班別駅伝大会30周年記念行事 「弘山晴美選手と一緒に走ろう!」だっ!

(幹事長)「なんですかな?このレース名は?」
(ピッグ)「どれが正式名称で、どれがキャッチフレーズか、ってことですね」
(幹事長)「正式名称は「新野町内班別駅伝」なのか「弘山晴美選手と一緒に走ろう!」なのか、訳が分からん。
       て言うか、そもそも、新野町のなかに内班別っていう名前の地区があって、そこで開催された駅伝なのか、
       それとも、新野町内の班別対抗の駅伝なんかいの?」
(ピッグ)「たぶん、新野町内の班別対抗駅伝じゃないですか?」
(幹事長)「すると、新野町っていうとこは、町民が班に分かれて暮らしているのか?コルホーズかキブツみたいなもんか?」
(ピッグ)「今から30年も前に始まったレースですから、言葉遣いが古いのかも」
(幹事長)「で、その班別駅伝が30年も続いていて、それを記念した行事として、駅伝とは別に、このイベントが開催されたのか、
       それとも、今回は記念だから、班別駅伝に弘山晴美選手が一緒に走ったってことか?」
(ピッグ)「たぶん、後者ですかねえ」

なんとも意味不明なイベントだが、阿南支部の初レースには相応しいような気もします。

て訳で、今回は阿南支部のピッグ増田から送られてきた報告記を掲載するよ。



新野町班別対抗駅伝30周年記念
「弘山晴美選手と一緒に走ろう!」参戦報告


日時 : 12月15日(日) 8:20受付 9:00 トーク 10:00 スタート
場所 : 阿南市新野町公民館 
幹事長が、師匠も走ると言うこの忙しい時期にヌケヌケと北海道スキーツアーに出かけている最中、精強を誇る我々ペンギンズ阿南支部では、弘山晴美選手に胸(?)を貸してもらいに本レースに参加しました。
なんか班別駅伝大会という訳のわからないローカルイベントが30年も続いているのも眉唾ものですが、そんな田舎の村おこしイベントに地元徳島の有名陸上選手「弘山晴美」を呼ぶ方も大胆。さらに呼ばれて来る方もすごい!というかホンマにエエんか!と思わずにはいられません。
阿南支部では、弘山晴美選手に対抗すべくタイガー杉原、ターミネーターT葉というペンギンズ内でも最強の名をほしいままにする野獣系ペアを擁し、豚の身の上の私、増田などとてもとても影が薄いのですが、記録員として参加してきました。

早朝、T葉選手を誘って会場へ出発すると、いきなり酒臭い!やっぱりというか当然、昨晩も飲んだらしい(この人は、24時間のうちシラフの時間の方が短いのでは・・・)
会場では、出場制限300名を遥かに超える小学生、中学生、高校生が埋め尽くされていました。弘山晴美ってこんなに人気あるの?(まさかどっかの選挙みたいに動員されてないだろうな。)と感じつつ、まずは講演会を聞きました。

ご主人の弘山勉さんと仲良く同席し、講演してくれましたが、高橋尚子&小出監督のように講演慣れした様子が無く、好感がもてました。しかし夫婦でコーチと選手って同じ職場で働く共稼ぎの夫婦と同じってことなので何をするにも“丸見え”になってしまい、全く「ウソも方便」が効かないのでは・・・とご主人の勉さんを他人ごとながら気遣ってしまいました。
見かけによらず弘山晴美さんは、気が強いらしく結局いつも大事な場面では勉さんが折れているそうです。勉さん曰く「徳島の女性って気が強いですよね・・・。」と会場のお父ちゃん連中に嘆かわしく同意を求めていました。(ご苦労が偲ばれます。)

講演する弘山晴美選手とコーチの夫

さてレースですが、サービス精神旺盛でなんと小学校低学年の部、高学年の部、中学生の部、高校・一般の部と4回も走ってくれました。
我々は、疲れきった弘山選手を打ち砕くべく、マンを持して第4レースです。
スタートラインでは大胆にも弘山選手の真横に並びました。(かつて丸亀ハーフでは高橋尚子選手のそばにはY電陸上部他の護衛部隊多数により邪魔され決して真横に並べなかったのですが・・・)
スタート直前になり、突然、半分ぼけたような長靴の爺ちゃんが現れ「わしゃ、徳島の陸上界では昔、ならしたものヨ!」なんて自慢噺を始めました。
さすがの弘山選手も困惑気味で、なんとか噺を聞き流すのに精一杯という感じでかなり集中力が落ちている様子でした。(集中力が落ちようが関係ないけど)

高校・一般の部は、和気あいあい(?)と極端に人数が少なく、かといって皆そんなに速そうでなく、オバちゃんランナーに至っては3人寄って世間話しながら走る独自のオバちゃんワールドを所構わず展開し、全然緊張感のないままスタートしました。
スタートから300mくらいは、遊んでくれたのか弘山選手の真後ろに竹葉選手とともについて行けました。もしかしてこのまま最後まで行けるか・・・・なんてアホな事を考えたのも束の間、息が続かず、アッという間に背中が遠くなり見えなくなりました。やっぱり11月の塩の江マラソンから1回も練習してないから無理もないか。
ターミネーターT葉選手もセーブの効かないアルコール癖のせいか、二日酔いからくる肝機能の低下からか徐々に引き離されていきました。
一方、タイガー杉原選手は、持ち前のタイガーチャージを狙ってか、はじめから追わない姿勢に徹しておりました。
どんなコースか知らないまま走ったので弘山選手が見えなくなった時点ですっかりやる気を無くし、マイペースに切り替えましたが、始めに余りに飛ばし過ぎたせいで、残りの距離は、最低状態でトボトボ浮遊しながら走りました。
途中、四国霊場22番札所「平等寺」前では、お遍路さんから応援をいただき、こんなに短い距離でくたばりそうになったところを作り笑顔で応えました。
しばらく走っているとオバちゃん3人組が現れました。どこで抜かれたか全然、記憶にないのに何故か自分の前を走っているのです。「エエッ!なんでこんなとこにおるんや!地元の脇道を知り尽くしているので警備の手薄さにかこつけ、まさかオバちゃん、どっかでショートカットしたのでは?」といぶかしく思いつつ、おしゃべりしながら楽しそうに走るオバちゃん達をやっとの思いで、青白い顔をしながら抜き去りました。
そのうち当然の如くタイガー杉原にあっさり抜かれ、僅か2.8キロをヘトヘトの酸欠状態でゴールいたしました。スポーツ中の突然死が話題になっているだけに杉原選手と竹葉選手には本気で心配させてしました。

しばらく座り込んでいましたが、ここは頑張って記念撮影にのぞまねば、とまたしても引きつった作り笑いで写真に収まりました。しっかりと握手もしてもらい、ちょっと嬉しい気分。

羨ましい限りの記念写真

弘山晴美さんは、「オリンピックで勝って冨と名声を手に入れるぞ!」というガツガツした松野明美、浅利純子と同類かと勝手にイメージをしていましたが、実物は、どうもそのようなギラギラしたキャラではなく、えらく控え目で拍子抜けしました。(「だからシドニー女子マラソン代表になれなかったのかもなぁ。」とT葉選手が、ぼそっと鋭くツッこんできました。)

また講演会では、シドニー代表選考に落ちた後でリディア・シモンが励ましてくれた話をしてくれました。彼女たちはテレビの画面上では世界最高レベルでしのぎを削りながらも、競技を離れれば、お互い苦しい練習を乗り越えてきたせいか、独特の連帯感で仲良くなれるんだなぁ。と感心しました。(決して「シモン、こけろ!」なんて思っちゃダメなんですねぇ。幹事長殿!)

レース後のアトラクションではサイン色紙の当たる抽選会が開催されました。サイン色紙は30枚ほど配られました。率にしてなんと1/10(?)、地元の小学生に混じってタイガー杉原選手もしっかり当てました。
手渡しの際に、握手してもらい、後日談では、手の感触が冷っとして細く、か弱い感じだったそうです。
タイガー談
誘われた身ながら幸運にも色紙を頂きました。300人に対して30人分とのことで、1/10の確率です。当たったくじの番号は「160」。弘山選手の身長とのことで、資生堂のHPで確認したらその通りでした。
「四電ペンギンズ江」と書いてもらおうかとか言っていましたが、時間がなくあまり頼める雰囲気でありませんでした。
色紙を受取りにいったときに、僕も弘山選手と握手をしてもらいました。冷やっとして細い、か弱い感じがしました。走った後だからかも知れないけど、心が温かい人でしょうか?
実はこの日は宝くじを買うのに運の強い日と占いに出ていたので、前々から買いにゆく予定でした。実際にその後買いに行ったのですが、この色紙で運を使ってしまったのかなぁ。
色紙には「弘山はるみ」と書いてあり、やっぱりコーチの旦那さんのサインはなかったです。(脇役という確固たる自信があるのでしょうか。)

しかし、弘山選手の年齢は今34歳のハズなので次の2004年のアテネってすごく厳しいよねぇって思わずにはいられません。本人は、日頃から節制しており、つい最近のアジア大会でも好成績をあげたようですが、本当に大変だなって思います。でもなんか応援したくなりました。

まあ何はともあれ、せっかく来年2月に初のフルマラソン参加申込みをしたにも関わらず、今年は、これで冬眠に入りそうです。



(幹事長)「おいおい、結局、このレースは何なんや?
       町内の班別駅伝っちゅうことやったけど、駅伝やなくて、みんな一緒に走っとるやないか?」
(ピッグ)「あれ?ほんまですね。今、初めて気づきました。駅伝やないですね。おかしいなあ」

やはり阿南支部の初レースにふさわしい怪しいイベントでした。


〜おしまい〜




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