第19回 四国カルスト高原マラソン大会
それは5月末のオリーブマラソン大会が終わった後だった。
(石材店)「これで9月の屋島一周マラソンまで長期休養ですね」
(幹事長)「ホッと一息、と言いたいところだけど、4ヵ月もレースが無いってのも、なんだか寂しいなあ。
暑い時期とは言え、何かないかなあ。
あっ、そうや!四国カルストマラソンがあるぞっ!」
四国カルストマラソン大会ってのは、四国のパミール高原と呼ばれるカルスト台地を走る高原マラソンだ。場所は高知県と愛媛県の県境の尾根沿いだ。
時期は7月で暑い盛りだが、標高1400mくらいの高原なので、きっと涼しくて気持ち良いに違いない。
さっそく調べてみる。が、なんと既に5月7日に締め切られていた。
(石材店)「もう1ヵ月も過ぎてるじゃないですか」
(幹事長)「あちゃー、遅かったか」
以上の一連のやり取りが、なんとまあ、ここ数年、毎年繰り返されている。
(石材店)「ほんまに学習能力が無いですね」
(幹事長)「3分前のことすら忘れる鳥頭の私に、1年前の事を覚えておけというのが、どだい無理な話よ」
しかし、今年は、ここからが違う。
(幹事長)「取りあえず、事務局に交渉してみよう!」
「参加人数は700人まで」となっているが、どう考えても、あんな不便な場所でのレースに、そんなに多くの人が参加するとは思えない。
マイナーなレースなので、無理がきくのではないか、と考え、主催者である高知県檮原町役場に電話してみる。バイトっぽい感じの女事務員が出る。
(幹事長)「もしもし?四国カルストマラソンなんですが、まだ申し込みできますか?」
(女事務)「いえ、あの、もう締め切ったんですけど」
(幹事長)「当日の飛び入り参加とか、何か方法は無いですか?」
(女事務)「そういうのも無いんですけど・・・。
えっ?ちょっと待って下さい・・・。
あっ、あの、すぐに申し込んでくれたら、特別に受け付けるそうです」
ひゃっほう、ラッキー!たぶん、女事務の後ろで電話を聞いていたおっさんが、「かまへん、かまへん。参加者が少なくて困ってたところじゃ。出てもろたらええで」なんて言ったに違いない。
すぐにファックスで申込用紙を送ってくれた。
(幹事長)「あの、いつまでに返事したらええんですかい?」
(女事務)「だから、すぐに申し込んでくださいってば!」
と言われつつ、そこから2日間引き延ばし、ピッグ増田も強引に勧誘することに成功し、私と石材店と3人で申し込むことに成功した。
ということで、2005年7月17日(日)の第19回四国カルスト高原マラソン大会に参加したのでした。
実は、20数年前、まだ新入社員に毛が生えたような状態の頃、「屋島の周りを走ろう会」という軟弱サークルがあり、若い女子部員も一緒に四国カルストへ合宿に行ったことがあるのだ。
季節がいつ頃だったかすら忘れてしまったのだけど、とても気持ちよかった記憶が残っている。
(石材店)「まさか、気持ちいい事したんじゃないでしょうねえ?」
(幹事長)「惜しいっ!男女別々で大部屋泊まりだったからな」
合宿ったって、あなた、極端な軟弱サークルなので、その辺を数km程度ちょこちょこと走ってお茶を濁して、後はひたすら肉食べて酒を飲んだ記憶しかない。
高原の空気は気持ち良いし、見晴らしも抜群だった。なので、四国カルストに対する僕のイメージは非常に良い。
せっかく気持ち良い高原に行くので、うちと石材店は、家族連れで行こうと考えた。ただ、そうなると宿の確保が問題となる。
四国のピレネー山脈と呼ばれる四国カルストは、下界から行くには時間がかかるので、現地に宿泊するのが現実的だ。しかし、現地に宿泊施設は2つしかない。天狗荘と姫鶴荘だ。
レース参加者も泊まるうえ、3連休の日なので、非常に厳しかったが、ギリギリになってキャンセルが出て、かろうじて天狗荘に2室確保することができた。ちなみに、一人で行くピッグ増田選手は、大部屋での雑魚寝だ。
事前準備として、かつて四国カルストマラソン大会によく出ていた鈴木先生に電話で問い合わせてみる。
(鈴木)「おっ、久しぶりやなあ」
(幹事長)「実は今年、初めて四国カルストマラソン大会に出るんで教えて欲しいんですけど、高原なんで涼しいんでしょ?」
(鈴木)「あれに出るんかっ!?あれは、きついぞっ!もう、めっちゃ、きついぞっ!」
(幹事長)「ななな、何がきついんですかっ?コースですか?」
(鈴木)「コースもきつい。かなりきつい。ただし、塩江マラソンに比べたらマシかな。せやけど、ものすごく暑いで」
(幹事長)「あんな高原なのに暑いんですか?」
(鈴木)「天気が良かったら、ものすごく日差しが強くて暑いっ!死ぬ!死ぬぞっ!お前、絶対に死ぬぞっ!」
コースの状況を詳しく聞くと、5kmコースは、スタート地点からゴール地点まで基本的に下る一方だそうだ。これはらくちん。
10kmコースは、そのゴール地点から2.5km上って折り返し2.5kmを下ってゴール地点に戻ってくる。なので、トータルで下り7.5km、上り2.5kmなので、そんなにきつくない。
しかし僕らが出る20kmコースは、スタート地点から5km下ったあと、7.5km上って折り返して7.5km下って戻ってくるというコースなので、トータルで下り12.5km、上り7.5kmなのだ。
これだけを見れば上り12km、下り9kmの塩江マラソンより楽そうなんだけど、問題は日差しが強くて暑いことらしい。
まあ、しかし、四国カルストは気持ちの良い高原なので、やはり楽しみだ。
レース前日の7月16日(土)の朝、石材店一家と車2台を連ねて出発する。ピッグ増田は別行動で、夜に現地で合流する予定。
距離は高知周りより愛媛周りの方が近いようにも見えるけど、道は高知周りが圧倒的に良いので、高速道路をひたすら走り、須崎で降りる。須崎の道の駅「かわうその里」で昼食を取る。
そこからは国道197号線を上る。レース主催者の檮原町から国道440号線を上るルートと、その手前の津野町から国道439号線を上るルートがあるが、いずれも最後が狭く曲がりくねった山道になるので、その間にある林道を使う。
林道ったって、あなた、これは大変立派な道路だ。以前の緑資源公団、現在は独立行政法人緑資源機構というところが潤沢な予算を使って作った立派な道路だ。
国道よりも立派な林道の存在自体が、この国の予算はどういう配分をされているのか大いに疑問なのだが、まともな道が1本あることは大変喜ばしい。
道が良いおかげで、予想以上に早く天狗荘に着いた。高松からでも4時間はかからない。天狗荘は四国カルストの東の端に位置する。ちょうど高知県と愛媛県の県境に建っている。
下界は暑い晴天だったが、高原は非常に涼しい。鈴木先生は「暑い暑い」と脅していたが、極めて快適な気候だ。天狗荘にチェックインして、さっそくコースの下見に出かける。
道路は狭く、基本的に車1台しか通れないような道路だ。しかし、交通量はほとんど無いので、それは問題ない。
むしろ問題は、道からはみ出してくるような勢いの牛たちだ。四国カルスト高原は、基本的には牛の放牧場となっており、至る所に牛の群がいる。
一応、道路には有刺鉄線が張ってあり、牛も出られないようにはなっているんだけど、牛は有刺鉄線なんてものともせずに乗り出してきたりする。
まあ、危害はないだろうけど。危害があるかもしれないのはヘビだ。ヘビが結構、道を横切ったりしている。なんとなく不安。
さて、コースは、車で走っても坂が急なのが分かる。上りはかなり急で、歩かざるを得ないような角度のところもある。下りにしたって、かなり急なので、楽と言うより足に悪影響が出そうだ。
トータル的には塩江マラソンに匹敵する急坂コースと言えよう。ただ、気温は低く、ぜーんぜん暑くない。暑くないどころが、雲の中に入ると、肌寒いくらいだ。これなら快適なレースが展開できるかも。
レースの下見を終えると、後は宴会だ。普段ならレースの前日ともなれば、なるべく酒は控え、食事にも気を遣うところだが、今回は遊びに来ているようなものなので、酒は遠慮しない。
最近では高知市内でも手に入りにくくなってきた地元四万十の栗焼酎無手無冠をひたすら飲む。
酒がまわった頃、突然、ピッグ増田が怪しげな物を持ち出してきた。
(ピッグ)「これがエチオピア饅頭です」
(幹事長)「なんとかーっ!これが幻のエチオピア饅頭かあっ!初めて見るぞっ!」
(石材店)「ななな、何ですか、エチオピア饅頭って?」
エチオピア饅頭というのは、高知ではかなり知名度が高い饅頭なんだけど、直売しかしてないので、なかなか手に入りにくいのだ。その名前の奇抜さから、聞く人の心を引きつける怪しい魅力がある。
(石材店)「ていうか、エチオピアの饅頭なんて、あんまり食べたくないですねえ」
(幹事長)「何を言うか。エチオピア饅頭はエチオピアの饅頭ではないぞ」
そもそも、エチオピアに饅頭など、あるものか。エチオピア饅頭というのは、本来はエチオピアとは何の関係も無い。
勝手に付けただけのものだ。しかし、その斬新なネーミングにより、地元ではかなり有名だ。僕も高知に赴任していた時に知ったが、実際にお目に掛かったことは無かった。
今回、ピッグ増田選手が寄り道してわざわざ買ってきてくれて、初めて目にするのだ。
(石材店)「どう見ても、ただの饅頭ですねえ」
(幹事長)「ふむ。色はエチオピア人のように褐色だが、味は普通の黒糖饅頭じゃな」
中にこしあんが入った、普通の饅頭でした。
酒が回った男達にはいまいち受けなかったエチオピア饅頭だが、子ども達には大人気で、あっという間に消化された。
宴会も終わり、後はたっぷり眠るだけだ。しかし、家族単位で個室を確保している僕と石材店はいいとして、ピッグ増田は大部屋の雑魚寝だ。ちょっと不安なので、とりあえず励ましに行く。
(幹事長)「なんじゃーっ、この広さは!50畳もあるぞっ!」
(石材店)「おまけに、たった2人しかいませんぜ」
(ピッグ)「一人分25畳もあります」
(幹事長)「それって、良いことなのかなあ・・・」
ピッグは見ず知らずの人と2人きりで泊まることとなった。これが小部屋なら、見ず知らずの人とも仲良くなったりするんだけど、50畳の部屋の端っこ同士にテリトリーを作ってしまったので、ほとんど口もきかなかったそうだ。
深酒のせいで、レース当日は、朝から気だるい。しかし、早起きしないと朝ご飯を食べる時間がない。
なんとか起き出して外を見ると、なんとまあ、快晴だわさ。雲が無い。と言うか、よく見ると、雲がはるか下の方にある。完全に雲の上だ。
地元檮原町には「雲の上ホテル」とか「雲の上温泉」とかあるが、今日は本当に雲の上の世界だ。これは暑くなるかも。
姫鶴荘に泊まっていれば、受付もすぐそばだし、スタート地点までの送迎もあるのだけど、天狗荘からは距離が多い。急いで朝食をとり、家族を残して、我々3人でスタート地点へ出発する。
受付に行くと、パッと見た感じ、予想外に参加者は多そうだ。ものすごく少ないのかと思ってた。
参加者名簿を見ると、20kmコースには老若男女あわせて300人の参加者がいる。台風で中止直前になった時の塩江マラソンよりかろうじて多い。
こんなに大勢の人が泊まれるほどの施設はないので、かなりの人が当日に下から上ってきているようだ。テントに泊まっている人もちらほらいる。何にせよ、予想外に活気があってよろしい。
実は今回のレースには、我々3人のほかに福家先生も5kmコースに参加する。福家先生は、少し下の檮原町の中心部に泊まっている。
参加者も少なく、すぐに見つかると思っていたが、予想外に人が多くて、見つかるまでに時間がかかった。
(幹事長)「今日は暑くなりそうですねえ」
(福家)「このレースは数回目だけど、暑い時はものすごく暑いし、雨が降ったらものすごく寒いし、かなり厳しいレースなんだよ。
山の上だから天気は激しく変わるし。5kmなら暑くても平気だけど20kmは死ぬなあ」
なんと、福家先生は何回も走っていたのか。知らなかった。もう少しよく聞いておけば、せめて10kmコースにしたのになあ。
まずは5kmコースのスタートだ。ピストルが鳴ると、周辺にたむろしていた牛たちが一緒に爆走し始めた。ピストルの音に驚いたのだろうか。
ただ、牛くんたちは、有刺鉄線のところでストップ。しばらくするとダラダラと戻ってきた。
次は10kmと20kmが同時にスタートだ。牛たちの様子を見ていると、ピストルの音に驚いたというより、大勢の人たちが一斉に走り始めたので、何か一大事が発生したと思って一緒に走り出したようだ。
ついつい牛に注目してしまって、自分のスタートがいい加減になったが、最初の5kmは基本的には下りなので、適当にスタスタ大股で走っていく。
あまりに急すぎて足の故障が不安になるが、最初にタイムを稼いでおかなければ、後々のレース展開が苦しくなる。石材店はいきなりものすごいスピードで駆け下りていった。まるで短距離走のようなスピードだ。
僕とピッグはそこまではせずに、適当に一緒に走っていく。
5kmが終わり、ゴール地点をそのまま通り過ぎて、今度は長い長い上りになる。下りの時は気にならなかったけど、上りになると、坂の急さよりも、日差しの強さが強烈だ。
ものすごく暑い。高原だけど風なんて無い。雲も無ければ風も無く、ひたすら炎天下でジリジリ焦がされている。まさにサバイバルゲームだ。
さすがに給水所はたくさんある。2kmおきくらいにある。でも、それでも足りないくらい。あっという間に足にきて、ペースがガクンと落ちる。
ピッグ増田はまだ大丈夫と見えて、少しずつ離されていく。しかし、ここで無理して着いていくと絶対に潰れそうなので自重する。
10kmコースの折り返し点を過ぎるが、あとまだ上りが5kmも続く。気が遠くなる。
ふと次の給水所を見ると、ピッグ増田がのんびりと水を飲んでいる。ここで素早く水を飲んだ僕は、一気にピッグを抜き去る。坂はますますきつくなる。
早々と歩いている選手も多いが、僕はまだ歩かずになんとか行ける。無理して走っても、歩くのとほとんどスピードは同じなんだけど、リズムが悪くなるので、敢えて歩くのは我慢する。
さらに進んだ辺りで、トップ選手が折り返してくるが、その辺から少し下りになる。ちょっと一息付けるが、折り返してくる復路にとっては上り坂になる。
後半の7.5kmは下りの連続かと言えば、決してそうではないのだ。しばらくすると石材店が現れる。なんと、あのスピードランナーが歩いているではないか!
(幹事長)「どしたん?歩いてるやんか!」
(石材店)「もう無理ですわ」
あの石材店ですら歩くなんて、これは、まさにペンギンズ史上、最悪にして最過酷なサバイバルレースと言えよう。
後ろから追ってきているはずの見えないピッグの影におびえながら、なんとか歩かずに折り返し点までたどり着く。「やったーっ!これで上りが終わりだーっ!」と大声を出して喜ぶと、係員も拍手で祝福してくれた。
でも、本当は、帰りも少しは上り坂があるのよね。
折り返してしばらく行くとピッグがヨタヨタと走ってくる。僕とはだいぶ差が付いている。もう逆転される心配は無いかも。
時々、上り坂があるとはいえ、最後の7.5kmは基本的に下り坂だ。ここぞとばかりに猛スピードで走り抜けよう、と思っていたのだが、甘かった。前半の上り坂で足が限界に近づいており、下り坂だというのにスピードが出ない。
重力のおかげでなんとか走っている程度。全然スピードが上がらない。時折、上り坂があると、ほとんど足が止まったような状態になる。石材店が歩いていた気持ちが分かる。
とはいえ、今日はなんとか歩くのは我慢して、最後まで歩かずに完走した。
(中山)「ほんまですかあ?またまた、心の中でだけ走ったというんじゃあないでしょうねえ?」
(幹事長)「違うぞ、太助。今日は本当に最後まで一歩も歩かなかった。もちろん、スピードは歩くのに等しかったがのう」
なんとか完走したとは言え、20kmで2時間10分もかかってしまった。
半分以上が急坂の塩江山岳マラソンですら、ハーフマラソン21kmでもっと早かったりするから、今回のレースがいかに過酷だったかが分かる。坂もきつかったが、やはり暑さが半端じゃなかった。
牛をごぼう抜きして快走する幹事長
石材店も1時間45分かかったそうだ。彼とはハーフマラソンでも25分くらいの差があるから、そんなものか。
ピッグ増田選手は、もうバテバテの瀕死状態で倒れているのかと思ったら、意外にそうでもなく、折り返し点での差をキープしたまま僕に続いてゴールした。
(ピッグ)「上り坂では徹底的に歩きましたよ」
やっぱり歩いても走ってもタイムは変わらないってことか。
塩江山岳マラソンを始め、どんなレースでも、走っている途中は「なんで、好きこのんで、こんなに苦しい思いをしているんだろう」って疑問に思っても、ゴールした瞬間に「ゴールしたぞっ!やった!なんという達成感と充実感。来年も絶対に走ろう!」と力強く思うのだけど、さすがにこのレースだけは、「もしかして、もう二度と走らないかも」なんて思ったほど苦しいものでした。
ま、これを書いている今となっては、また行ってもいいかな、なんて思っているけど。
レース後は、お腹を空かせた子供達と一緒に昼食を取る。僕らは空腹感より疲労感が強く、食欲不振となりました。
レースが終わり、解散となる。石材店一家は来た道を帰り、ピッグは松山の友人に会いにいく。うちの家族は、せっかくの3連休がまだあと1日残っているので、面河渓に行ってもう1泊遊んで帰る。
過酷なレースで足は限界にきており、車を運転していると足がピクピクとつりそうになる。松山経由で今日中に高松まで帰るというピッグjは、かなりきついだろうなあ。
おまけ
面河渓でのんびりした僕は、翌日は石鎚スカイラインを通って四国の水瓶早明浦ダムに寄って帰ってきた。記録的な渇水で、早明浦ダムは水がどんどん減っている。
その時点で既に半分以下になっていたが、これを書いている今は、もう1/4くらいに減っており、あと1〜2週間もすれば、完全断水になる恐れがある。まじ、やぱいっすよ。
〜おしまい〜
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