第20回 四国カルスト高原マラソン大会
2006年7月16日(日)、第20回四国カルスト高原マラソン大会が開催された。
このレースは、ペンギンズによる正式エントリーとしては、昨年、初めて参加したものだ。それ以前は、5kmレースには福家先生が何回も出ているんだけど、過酷な20kmレースの方は、かつて元気だった頃に鈴木先生が何度か参加していたが、体が弱ってからは参加していない。
(鈴木)「こらーっ!わしは要介護老人かいっ!」
(幹事長)「でも最近は過酷なレースは避けてるんでしょ?」
(鈴木)「四国カルストマラソンはきついからなあ。去年はきつかったやろ?」
(幹事長)「いや、ほんと、死にかけましたがな」
(鈴木)「で、今年も出るんか?」
(幹事長)「なんか、あの過酷さが恋しくなって」
(鈴木)「お前、あぶないぞ。それは罠やぞ。あれにはまると死ぬぞ。今度こそ死ぬぞっ!絶対に死ぬぞっ!」
確かに、去年初めて参加して分かったけど、想像以上に過酷なレースだった。お気楽に考えると、四国のパミール高原と呼ばれるカルスト台地を走る高原マラソンなので、いかにも涼しそうなイメージ。実際に、曇っていると、夏でも肌寒いくらいだ。ところが、ひとたび太陽が顔を出すと、灼熱地獄と化してしまう。ものすごく日差しがきついのだ。おまけに、そもそもコースのアップダウンが尋常ではない。この点は、高松市と合併して消滅した塩江町の塩江山岳マラソンに匹敵する。
しかし、塩江山岳マラソンが消滅した今、このような過酷なレースは数少ない。鈴木先生からは警告されたが、こういうレースって病みつきになってしまう。苦しさの後の開放感が快楽になるのだ。
(幹事長)「自ら過酷な試練を課すなんて、本当に素晴らしい人間ですこと!」
(ピッグ)「いや、単に、変態ですよ」
なんと、昨年は一緒に参加したピッグ増田選手は、今年は早々に不参加を決めた。
(ピッグ)「て言うか、もう金輪際、出る気は無いですよ」
(幹事長)「まさか、石材店は出るやろな?」
(石材店)「もちろん参加いたしますっ、軍曹っ!」
さすがは次期幹事長の石材店だ。積極性が違う。
それに、このレースの過酷な魅力に加え、この時期にレースに出てないと、余りにもブランクが長すぎるという問題が生じる。去年は、5月末のオリーブマラソン大会が終わった後、9月の屋島一周マラソンまで4ヶ月もあるため、7月に開催される適当なレースということで初めて四国カルスト高原マラソンに出たのだが、なんと今年は9月の屋島一周マラソンも廃止になってしまったので、さらにブランクが長くなるのだ。
(石材店)「どんどんレースが減っていきますよねえ」
どうやら役所の不文律で、各市町村ともマラソンは1レースに限るという掟があるらしい。塩江町の山岳マラソンは高松市と合併したため廃止になった。高松市は庵治町とも合併したため、庵治マラソンも同様に廃止されるのかと思っていたら、今度は逆に10月の庵治マラソンが残って高松市の屋島一周マラソンが廃止となった。どういう優先順位があるのか分からないが、どうせなら塩江マラソンが残って欲しかったなあ。一方、小豆島では、春に内海町でオリーブマラソン大会が、秋には土庄町でタートルマラソン大会が開催されており、もし当初予定通り合併が成立していれば、どちらかが廃止になる恐れがあったが、うまいこと合併が破綻したため、今のところ両レースとも生き残っている。
とにかく、5月のオリーブマラソンから10月の庵治マラソンまで5ヵ月もあいてしまうので、何も出ないと、さすがにマズイのよ。いくら暑いからって。
今年も去年と同様、うちと石材店は家族連れでの小旅行だ。去年は、せっかく気持ちの良い高原に泊まりがけで行くので家族連れで行ったのだが、それが楽しかった子供達は、今年も楽しみにしていたのだ。去年は、なかなか宿が取れずに苦労したが、今年は早い時期に去年と同じ天狗荘を確保した。個人的には、スタート地点に近い姫鶴荘の方が好みなんだけど、家族は小ぎれいな天狗荘でなければ許してくれなかった。実は、去年は、レースの後、愛媛県の面河方面でもう一泊したんだけど、その宿があまりにも古くて汚かったもんだから、家族は古そうな宿に過敏なほど拒否感を示している。僕は個人的には古くて汚い宿が好きなんだけどなあ。
てな事で、今年は万全の体制で臨む予定だったのだが、なんと、直前に風邪を引いてしまったのだ。子供が学校で夏風邪をうつされてしまったのだ。毎晩、子供と一緒に寝ているので、うつる可能性は大だったんだけど、やっぱりうつってしまった。レースの1週間前だ。そして3日前にピークとなった。ただでさえアップダウンが激しい炎天下の過酷なレースなのに、風邪を引いて走るのは無謀だ。これが近場のレースなら、迷わず欠場したはずだ。しかし、子供が楽しみにしていることもあり、とりあえず出かけることにする。体調が回復しなければレースを欠場して、観光に徹すればいい。
去年は初めての参加とあって、前日ちょっと早めに現地に行き、コースを下見したが、今年はコースも分かっているので、高知市内にあるわんぱーく高知という遊園地に立ち寄った。初めて行ったのだが、動物園と遊園地が合体したような施設だ。小規模ではあるが、入場料が無料という、ちょっと不思議な施設だ。分かる人には分かると思うが、丸亀城にある小さな動物園&遊園地を、もっと大きくしたような感じだ。
(石材店)「よく分かりますっ!」
(ピッグ)「それって、丸亀出身の幹事長と石材店くらいしか分かりませんよ」
入場無料なので過大な期待は許されないが、入場料無料の割には、ライオンやトラもいる充実ぶりだ。ゆっくり見て回ると10分はかかる。
(石材店)「そんな短時間で終わるんですかっ!?」
(幹事長)「丸亀城の動物園なんて3分で終わるぞ」
遊園地の方は、さらに狭い。何か乗り物に乗らなければ2分で終わる。なので、必然的に何か乗らねばならぬ。ただし、乗り物に乗るにはお金がかかるので、子供には厳選して乗らせる。
遊園地の片隅には、ウサギなんかがいる動物ふれあい広場もあるんだけど、夏は暑くて動物が弱るということで、閉鎖中だった。
(子供)「夏休みに閉鎖したら、あかんやないのっ!」
まさに、その通りだ。
それにしても係員が多い。さすがは公営の施設だ。遊園地コーナーなんて、ほとんど客がいないにもかかわらず、各遊具に1人ずつ係員がいる。タダにして係員を削減した方が、絶対に赤字は減るぞ。
てことで、かなりのんびりしたが、それでもトータルして1時間程度の暇つぶしで終わった。ま、安いからいいか。
結局、今年も明るいうちに四国カルスト高原に着いたので、牛と戯れに出かける。高原も下界と同様、快晴なんだけど、やはり気温は低く、日陰に入ると涼しい。湿度も低く、とても快適。ただし日なたに出て直射日光を浴びると、あっというまに肌が焦げていく感じ。
牛たちは今年も、のんびりと草を食べている。見ていると、いかにも美味しそうでヨダレが出てくる。牛の丸焼きでもしてくれたら楽しいのに。
夕食にも牛は出てきたが、少しだけだった。やたら山菜が多い。山だから仕方ないか。去年は一人で来ていたピッグ増田選手がいたので、家族は放っておいて、3人でしこたま酒盛りをしたのだけど、今年は2家族だけだし、僕は風邪で体調が悪いので、酒はほどほどにした。
(石材店)「て言うか、レース前日に酒を飲む時点で、レースは捨ててますよね」
今年は酒の代わりにトランプにうつつを抜かした。子供を入れて深夜まで延々とトランプをしまくった。
(石材店)「幹事長とこは、よくトランプするんですか?」
(幹事長)「うちはどこへ行くにもトランプを持っていき、ヒマさえあればやってるなあ」
スキーに行って吹雪で外へ出られない時とか、海外旅行に行って飛行機乗り継ぎで何時間も待つ時とか、どんな時でもトランプがあれば楽しく時間を過ごせる。沖縄で台風に直撃されて帰れなくなった時なんて2日間もトランプしまくって時間を潰した。
で、結局、寝るのが遅くなってしまい、風邪の回復もままならず。しかし、そんなに深刻な症状でもないし、ここまで来て欠場するのも残念なので、多少、無理してレースに参加することにした。去年は受付からスタートまで長時間待たされてイライラしたので、今年は、早めに受付だけ済ませ、再び宿でゆっくりしてから、スタートぎりぎりに出発した。
スタートは5kmレースが先だ。福家先生を捜すと、参加者が少ないので、あっさり見つかった。
(幹事長)「調子はいかがですか?」
(福家)「まずまずやね。天気も去年よりはマシかな」
福家先生は例年同様、カルスト高原の麓にある檮原町の中心部で泊まり、朝、バスでやってきた。カルスト高原にある宿泊施設は天狗荘と姫鶴荘だけなうえ、観光シーズンで予約が非常に取りにくい季節なので、泊まりがけでレースに参加する人の多くは、同じ様なパターンだろう。
(福家)「天気も去年よりはマシかな」
確かに、炎天下で死にそうになった去年に比べれば、今年は雲の量が多く、晴れたり曇ったりの繰り返しだ。
緊張感の無いスタート直前の石材店親子(左)と、筆者親子(右)
5kmレースのスタートの合図と共に、福家先生は軽やかに駆けていく。福家先生が軽やかに駆けていくのには理由がある。体調が良いからだけではない。5kmレースは軽やかなコースなのだ。アップダウンの激しい四国カルストにあって、5kmレースは、ダウンだけなのだ。ひたすら5kmも下り坂が続くのだ。
(石材店)「一度、この5kmレースに出て、5000mの自己ベスト記録を作りましょうよ!」
20kmレースも、最初の5kmは同じコースを走るのだが、その後、今度は延々と7.5kmもひたすら急な上り坂を上り、折り返して7.5km下って戻ってくるという、かなり過激なコースなのだ。距離だけを考えれば、トータルで上り7.5km、下り12.5kmなので、上り12km、下り9kmだった塩江マラソンより楽なんだけど、日差しが強いのと、空気が薄いので、なんとなく塩江マラソン以上に厳しい。ただし、初レースで精神的にもきつかった去年と違い、今年はコースが分かっているので、精神的には楽だ。
いよいよ、スタートだ。最初の5kmは下り坂なので、ひたすら全力で転がり落ちてタイムを稼がねばならんのだが、風邪でフラフラ感があり、なんとなく力が入らず、いまいちスピードが出ない。今年は好タイムは期待できないので、まあ、仕方ないか。本来なら、あまりに急すぎて足の故障が不安になるところだが、そんな心配は無用の無難なペースで走っていく。
5kmの下り坂が終わると、いよいよ過酷な上り坂だ。下っている時はスピードが速いので風を受けて暑さは気にならない。しかし上りになると、ペースが一気に遅くなり、とたんに暑さが堪えるようになる。曇っている時は涼しいけど、晴れると日差しが強烈で、体力がどんどん消耗していく。ただし、去年に比べると晴れたり曇ったりの繰り返しで、だいぶマシだ。
風邪の方は、たぶんフラフラしているはずだけど、元気な時でも苦しい過酷なレースなので、風邪でしんどいのか坂がきつくてしんどいのか日差しがきつくてしんどいのか、よく分かんない状況であり、なんとなく、平気な感じ。でも、上り坂は長い。とんでもなく長い。最初の下り坂5kmはあっという間に終わったのに、上り坂7.5kmは気が遠くなるほど長い。かなり頑張ったつもりなのに、なかなか半分も行かない。
そのうち、トップの選手が折り返してくる。1位、2位とも高知のくろしお通信の陸上部の選手だ。彼らはプロ選手であり、単に同じレースに出ているというだけで、僕らとは、まったく別の世界で走っている。そのうち、だんだんと一般選手も折り返してくる。さらに行くと、少しだけ下りになる部分がある。ちょっと一息付けるところだが、折り返してくる復路にとっては上り坂になる部分だ。去年は、ここで折り返してくる石材店とすれ違った。彼は、なんと、去年は、この上り坂を歩いていたのだ。今年はどうかなあ、と思っていたら、去年より早く折り返してきた。今年は歩かずに走っている。コースが分かってペース配分がうまくいったようだ。
そこから、さらに、かなり走って、ようやく上り坂が終わる。折り返し点で係員が「よう走ったねえ。あとは下りだけや」と祝福してくれる。まるでゴールしたかのような嬉しい気分になる。て言うか、このレースでは、折り返し点に達した時が、ゴールした時よりも嬉しい。後は、時々上り坂はあるけど、基本的には下り坂が延々と続く。下りながら僕より遅い人を数える。僕より早かった人に比べると、かなり少ない。小豆島タートルマラソンのような普通のレースだと、誰かにそそのかされて軽い気持で出たような素人がたくさんいて、僕はちょうど真ん中くらいだ。でも、この過酷なレースに、わざわざ泊まりがけで来ている人は、基本的に、早くて丈夫だ。勘違いして軽い気持で来ているような人はほとんどいない。
下り坂になったとは言え、上りで足が弱り切って限界に達しているため、ここぞとばかりにどんどん大股で疾走する訳にはいかない。重力にまかせて惰性で走っているようなものだ。それでも風邪の悪影響もほとんど感じないまま走っていける。時々、上り坂はあるが、歩かずに走っていける。
このレースは給水所は2kmおきくらいに整備されている。そうでなければ、倒れる人が続出だろう。もっとあってもいいくらいだ。折り返した後は、どこに給水所があったか覚えているので、それだけを楽しみに走っている状態だ。ところがっ!最後の給水所にたどり着いたら、なんとっ、水切れになっているではないかっ!確かに、僕は順位的には遅い方だったが、それでも参加者分は水を用意しろよっ!
これはどのレースでも言える事だが、そもそも、給水所でもらうコップには、水が多すぎる。あんなにたっぷり入れてくれても、走りながらだと飲みにくいだけだし、そんなに一気に飲めないし、ほとんど捨ててしまう。もっと少しだけ入れてくれた方が飲みやすいし、無くなってしまうこともない。
なんて怒り狂いながら、最後のスパートに入る。風邪で体調も悪いため、完走するだけが目標で、タイムは気にしていなかったため、あんまり意味のないスパートだが、やはり最後はスパーとして余力を使い切らなければ、ゴールした後に残尿感が残ってしまう。
ゴールすると、石材店はもう汗も引いて涼しい顔をしている。
(幹事長)「タイムはどうやった?」
(石材店)「去年より、かなり早かったですよ」
(幹事長)「今年は歩かなかったもんなあ」
(石材店)「2回目になるとコースが分かっていてペース配分がうまくいきますからね」
僕の方はと言えば、風邪でフラフラだった割には、そんなに悪くないタイム。風邪にも負けず太陽にも負けず。風邪なんて関係ないくらい過酷なレースであるという事かもしれませんが。
去年は、レース直後は「こんな過酷なレースは二度と出ないぞ」と思ったくせに、1年経つと出たくなったのだが、今回は、レース直後から早くも来年のレースが楽しみになってしまった。やはり癖になるなあ。
(鈴木)「お前な、それ、ほんまに危ないぞ。覚醒剤みたいなものやぞ。人間やめないかんようになるぞっ!」
おまけ
当初の天気予報では「大雨がくるかもしれない」っていう事だったくせに、実際には好天続きで、高知県では記録的な猛暑が続いた。当日はレースの後、下界に降りて、窪川町の奥地にある松葉川温泉に泊まる。
翌日は、炎天の中、四国八十八カ所巡りをする。ものすごく前に、1番札所から少しずつまわっていたのだけど、ちょうどこの辺りまで来たところで、長らく放っておいたのだ。本当に久しぶりの再開だ。でも、あまりに暑くて、すぐに挫折。再び長い休眠期間に突入かしら。
〜おしまい〜
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