瀬戸大橋開通20周年記念マラソン
2008年4月13日(日)、瀬戸大橋の開通20周年を記念して、瀬戸大橋の上を走るマラソン大会が開催された。
瀬戸大橋開通20周年記念イベントとしては、この15kmのマラソンのほか、8kmのジョギングと5kmのウォーキングもあったが、ジョギングとウォーキングは岡山県のイベントなので、集合場所が岡山県側の児島市だし、歩いたり走ったりするのも岡山県に近い下津井瀬戸大橋なんかだ。一方、マラソンは香川県でのイベントで、集合場所は香川県内だし、走るのもメインである北備讃瀬戸大橋、南備讃瀬戸大橋や与島橋、岩黒島橋だ。ということで、我々は迷うことなくマラソン大会に出る。ただし、福家先生は高齢のお父上と一緒にジョギング大会に参加した。
聞くからにワクワクする楽しそうなイベントだが、この時期、個人的にはイベントが続くことが懸念材料だ。
(幹事長)「この翌週は広島県でゴルフだし、翌々週は徳島でフルマラソンなのよ。
なんとなく疲れがたまってフルマラソンの完走が不安だなあ」
(石材店)「私は徳島マラソン最優先なんで、これには出ませんからね」
(幹事長)「なんと、瀬戸大橋を走れるという3000年に一度の絶好の機会をみすみす逃すと言うのかっ!」
瀬戸大橋の上を走れるのは、15年前の開通5周年記念イベント以来だ。そのときは、僕は、まだ小さかった子供や両親を含め、家族全員でウォーキングに参加した。
(石材店)「あれ?幹事長はウォーキングは嫌いだったのでは?」
(幹事長)「だけど、年老いた両親や小さな子供連れだから仕方なかったのよ」
しかし、このウォーキングは甘いものではなかった。坂出インターチェンジから長い坂をひぃひぃ言いながら上り、さらに番の州地区の上を延々と歩き、海の上に達した時にはぐったりと疲れきってしまい、すぐに引き返した記憶がある。僕のウォーキング嫌いに拍車がかかったのは勿論だ。
石材店は早々に欠場を決めたが、マラソンも欠かさず出場する上に、ウォーキングをはじめあらゆるイベントに参加する支部長は、当然ながら早々に参加を決めた。また、イベント好きのテニス君も参加だ。他にはトラベル恵子さんとPR真理子さんのコンビも久しぶりに復活した。
とは言え、このイベントは参加者の人数制限があり、申込者多数の場合は抽選になるという。マラソンの定員は5000人だ。
(幹事長)「どう思う?」
(支部長)「全く読めませんなあ」
(幹事長)「こんな田舎のマラソンで定員オーバーなんて考えられないところだけど、
4月末の徳島マラソンは定員の2倍近くに達して抽選になったからなあ。
それに、瀬戸大橋の上を走れるマラソンなんて3000年に一度の貴重な機会だから殺到するかもしれんなあ」
ところが、ふたを開けてみると、マラソンの応募はさっぱりだった。定員2000人のジョギングや5000人のウォーキングの方は、早々に定員の数倍の応募者を集め、抽選が決まったが、マラソンだけはいつまで経っても定員に達せず、なんと、募集期間が延期された。抽選にならなくて良かったと言うべきか、寂しいと言うべきか。
この不人気の理由は簡単だ。マラソンとは言え、とても中途半端なのだ。距離が15kmというのが、まず中途半端だ。橋の上に適当にコースを作っているだけなので、好きなように距離設定はできるはずだ。なぜ15kmなんて中途半端な距離にしたのか不明だ。制限時間は2時間50分に設定されており、それなら楽に21kmのハーフマラソンにできるのに。
て言うか、それよりそもそも、このマラソンはタイムを計測しないのだ。スタートの合図だけはあるけど、後は各自が自分の時計で測るしかない。名前からして「健康マラソン」となっているので、あくまでも楽しんで勝手に走ってね、というスタンスだ。まさにジョギング大会だ。
(支部長)「そうなるとジョギング大会との区別がつきませんねえ」
(幹事長)「う〜ん。単に距離の差かなあ」
(支部長)「あんまり真剣に走る気はないですけどね」
(幹事長)「健康マラソンというより観光マラソンだよなあ」
最終的には、締め切りを延々と延長したかいがあって、なんとか定員の5000人程度の参会者が集まったようだ。
当日は、事前に申し込んでおいた集合場所に集まり、臨時バスで運んでもらう。集合場所はJR高松駅、坂出駅、宇多津駅、それに番の州の臨時駐車場だ。番の州の臨時駐車場は、工業地帯の中に取り残されただだっぴろい空き地で、車はいくらでも停められる。なので最初は番の州駐車場を申し込んでいた。しかし、地元情勢に詳しい坂出支部長から、朝の集合時はいいけど、帰りは集中するから大渋滞になり、なかなか帰れないかもしれないというアドバイスを受けた。
(幹事長)「そんなん、当日の気分しだいで適当に行けばええんやろ?」
(テニス)「何を言うとんですか。入金時までに確定させとかないとバスに乗せてくれませんよ」
(幹事長)「そんなに厳しくチェックするのか!?」
入金は1ヶ月以上も前だから、それまでに集合場所を確定させろだなんて、とてもお役所的な運営だなあ。しょうがないので、渋滞が怖いからJR高松駅に変更した。テニス君もJR高松駅だ。支部長だけはJR坂出駅を指定していたのだけど、レース直前になってJR高松駅に変更しようと事務局に電話したらしい。
(支部長)「そしたら、えらく恩着せがましく『今回だけ特別に許可しますよ』なんて言いながら変更してくれましたよ」
(幹事長)「今回限りだなんて、おそらく次回は3000年後だぞ」
JR高松駅からバスが出るのは6時〜7時の間だ。なんだか、むやみに早いような気がするが、ここにもお役所的な発想がないか?支部長は歩いて来れるからいいけど、テニス君なんて、早起きして琴電の始発に乗ってやってきた。
バス乗り場は朝から大混雑してるかと思ったら、意外に閑散としていた。5000人も参加する割には、妙に少ない。やはり現地に近い宇多津駅とか番の州駐車場に集中したのだろうか。
バスは順調に走り、開催地の与島に早々に到着した。ほぼ同時に坂出駅発のバスで到着したPR真理子選手と集合する。さらに、果敢にも番の州駐車場発のバスで来たトラベル恵子軍団とも無事、集合した。トラベル恵子軍団には、昨年の小豆島タートルマラソンでデビューした小松原選手とまゆみちゃんが一緒だ。さらに、昨年の庵治マラソンでも一緒になったつっちー君とも集合できた。
なんとか全員集合できた、と思ったら小松原選手がいないぞ?
知ってる人は知ってるけど、与島には、狭い島の中に2つも旅行者用施設がある。フィッシャーマンズワーフと与島プラザだ。この違いは、よく分からない。たぶんフィッシャーマンズワーフが民間資本の娯楽施設で、与島プラザが公営の施設じゃないかなあ。そして、この2つの施設は場所が離れているし、なんの連携もない。瀬戸大橋の開通直後は観光客が押し寄せてきたから、どちらの施設も観光客が溢れて儲かっていただろうけど、今は閑散としてて、共倒れ状態だ。こななことになるのは誰の目から見ても明らかなように思えるけどなあ。
今回も、最初にバスを降りたのは与島のフィッシャーマンズワーフで、そこで着替えて荷物も預けた後、スタート地点の与島プラザまで歩いて移動する。歩くと結構距離があるうえ、なんと、途中にフェンスが出現して、それを乗り越えるはめになる。他にちゃんとしたルートがあったんだろうけど、案内も無かったし、スタート前から不満が湧き出てくる。
でも、狭い道を歩き坂を登ってようやくスタート地点の与島プラザに出ると、見晴らしが一気によくなり、とても気持ちいい。事前の天気予報では、今日は雨模様の恐れが強かったのだけど、なんとか良い天気。少し風があって気温も低めだけど、海からそびえ立つ巨大なつり橋の壮大な姿を見ていると、すがすがしい気持ちになる。
(テニス)「でもやっぱり寒いですねえ」
(支部長)「僕は平気だけどなあ」
と平気な顔をする支部長の腕を見ると、鳥肌が立っている。寒さに弱い僕はウィンドブレーカーを着込む。もちろん、カメラと携帯電話も必携だ。
すがすがしい気持ちでスタートを待つ最強軍団
(幹事長、テニス君、PR真理子、支部長、つっちー君)
開会式が終わると大勢のランナーがスタート地点に移動する。スタート時の混雑を避けるために1000人ずつ5組に分かれて集合し、5分おきに1000人ずつスタートするのだ。スタート方式からして、タイムなんか無視した観光マラソンなのだ。僕らは第2組に指定され、9時5分にスタートした。
最初はループ状の坂を登って橋の上に出る。決して緩やかな坂ではないので走るのは大変だが、真剣に走る人たちは早々に走って行ってしまい、後に残された人たちは、最初から坂を走る気はなく、だらだらと歩いて登っていく。歩くだけでなく途中で写真撮ったりしながらだから、あっという間に第2組の最後方近くに落ちぶれる。ようやく橋の上に登ったと思ったら、後からスタートした第3組の先頭ランナーが抜いていってしまった。
(幹事長)「こんなレースで真剣に走るなんて彼らは何か勘違いをしているのだろうか?」
(支部長)「みんな色んな考えがありますからねえ」
もちろん、この時点では支部長も勘違いしているとは思ってもみなかった。
橋の上に出ると、ますます爽快な気分になる。海は遥か下で、本当に気持ち良い。そう言えば、瀬戸大橋が開通した直後は、車を路肩に停めて観光する人が続出して警察が走り回っていたが、やっぱり車で走るだけでは、この気持ちよさは味わえないわな。
瀬戸大橋は上り車線と下り車線を完全分離した高速道路で、今回は上り車線を利用してマラソンコースを設定している。ただ、なぜか下り車線も同じように全面通行止めにしているので、時おりパトカーが通るくらいでガラガラだ。
スタート時は寒かったけど、走り始めるとちょうど良くなってきて、ウィンドブレーカーを脱ぐ。とても爽快な気分。
最初はあちこちで止まりながらみんなで写真を撮りっこしてたんだけど、そのうち、ペースを緩めすぎて、気がつくとみんなからはぐれてしまった。ちょっとペースを上げてみたけど、なかなか見つからない。諦めて、またダラダラ走る。
5kmほど走って番の州の工業地帯にさしかかった所に第1折り返し点がある。折り返し点の遥か手前で、支部長にすれ違う。あり得ない速さだ。なんであんなに真剣に走っているのだ?もしかして支部長にとっては観光マラソンじゃなかったの?支部長が勘違いしているぞ!
折り返し点ではトイレ休憩する人も多く混雑してたが、支部長以外のメンバーは期待通り休んでいて、合流することができた。
ちょうど横には四国電力の坂出発電所があり、その大きな煙突から煙が出ている。それを背景に口から煙を吐いているようなアホな写真を撮っていてたら、いきなり空を見上げた正面をブルーインパルスが轟音を立てて横切っていった。
(幹事長)「しもたっ!ちょうどブルーインパルスが通る時間だった!」
ブルーインパルスも瀬戸大橋開通20周年記念行事のために飛び回っているのだ。そして瀬戸大橋の上を飛ぶ時間も事前に予定されていたのだけど、アホな事してて忘れていた。
その後も懲りずに、あちこちで写真を撮りまくりながら、のんびりと走り続ける。
(幹事長)「のんびり走っている割には、なんだか足が疲れ気味だなあ」
(テニス)「そうですねえ。結構、疲れますねえ」
(PR)「ちゃんと走らないで、止まったり歩いたりしながらダラダラ走るのって、かえって疲れるんじゃない?」
与島の上まで戻ってくると、フィニッシュのゲートが見える。
(幹事長)「意外に疲れたけど、もうちょっと走りたかった気分よね。少し物足りない感じ」
(テニス)「そうですねえ。後半は妙に早かったですねえ」
なーんて思ったのは、早合点だった。フィニッシュのゲートは、よく見ると、逆向きだった。つまり、もう少し走ってから第2折り返し点まで行ってから戻ってくるのだ。
(幹事長)「あ、そうか。妙に早いと思った。で、第2折り返し点って、どこ?」
(テニス)「なんとなく、すぐそこに見えるように思えるけど」
逆向きのフィニッシュゲートを見ると、なんと支部長がつっちー君と一緒に既にゴールしているではないの。しかも支部長がなにやら電話をかけている風。嫌な予感がしていると、すぐに電話がかかってきた。
(支部長)「私ら、もうゴールしたんだけど、今どこ?」
(幹事長)「もうすぐだよ。支部長の姿が見えるもん」
(テニス)「どんどん遠ざかってますけどね」
支部長を横目に見ながら走り続けるが、すぐそこに見えた第2折り返し点は、意外に遠く、走っても走っても逃げ水のように遠ざかっていく。途中でトイレ休憩しながら、なんとか第2折り返し点に達した頃には、すっかりくたびれて、気力が失せてきた。でも、支部長が待っていてくれているので、惰性で走り続ける。
なんとかゴールすると、延々と怠け走りした我々を支部長とつっちー君が暖かくも辛抱強く待っていてくれた。嬉しいな。ゴールしたとたん、予想外の疲労に、それ以上走れなくなる。時おり、反対側の無人の車線を救急車が猛スピードで走っていく。後で聞いた話だけど、心配停止状態に陥った人もいたらしい。こんな観光マラソンで体調を崩す人がいるなんて、と思うかもしれないけど、走ってみると意外に疲れました。
一息つきながら、再びループ橋を下っていくと、途中で亀ちゃんに会う。彼も相変わらず色んなレースに出ている。与島プラザまで戻ってくると、完走証と共にバナナをくれる。疲れた体に嬉しいご褒美だ。
帰りは再びバスで高松まで戻る。PR真理子選手も帰りは高松に変更したので、帰りは4人組だ。行きも帰りもバスはさほど混雑することなく、順調に楽しいイベントを終えた。
最後に記念写真
(幹事長、PR真理子、テニス君、支部長)
さて、岡山県側のジョギング大会に参加した福家先生のレポートです。
瀬戸大橋開通20周年記念イベント
〜8kmジョギングコースに親子で出場〜
去る4月13日(日)瀬戸大橋開通20周年を記念して、さまざまなイベントが開催されました。当日は、15Kmマラソンコース、8Kmジョギングコース、5Kmウォーキングコースが、瀬戸大橋の上で開催されました。私たち親子は、8Kmジョギングコースの抽選で幸いにも選ばれ参加することができましたが、友人には抽選漏れで悔しがっていた人もたくさんいました。その中で幸いにも参加することができて大変よかったと思います。
ジョギングコースは、JR児島駅集合で、そこから受付会場までシャトルバスが運行していました。ジョギングコースは2000名参加ということで、大勢の人が集まっていました。朝7:00から8:00まで受付を済ませて、スタート地点まで、行列です。
9:00過ぎスタートの合図で、参加者はゆっくりとスタートし、いつもは車でしか渡れない橋の上を、ゆっくり走りながら、時には歩きながら、仲間とともに楽しんでいました。
私たち親子も、ゆっくりペースで橋の上でのジョギングを味わいました。天気も上々で、橋の上の風もそれほどなく、暑くもなく、大変気持ちのいいジョギングでした。
大会の前日に山陽新聞から電話があり、父が8Kmジョギングコースでは最高齢の参加者なので、取材してほしいとの連絡がありました。取材は慣れているのでいいですよと言ったのですが、当日、2000人もいて橋の上はごったがえしており、記者の方と接触するのは大変でした。幸い父が、いつもの独特のユニフォームで走りましたので、携帯で記者の方と連絡をとりながらなんとか、記者の方の目にもとまり、私たち親子の写真をとってくれました。
父は、開通のとき、その次の記念大会のとき、そして今回と瀬戸大橋は3回目を渡るということで、感慨深いものがあったようです。記者の方にも、「瀬戸大橋の上は、路面がきれいに塗装していて、一般の道路よりも走りよかったなあ・・・」と感想を述べていました。
次の30周年記念大会も走りますか?と記者の方に聞かれて、「さー、どうかなあ。それまで生きていられるかなあ・・・元気だったら走りたいなあ・・」と言っていました。
そう、元気でいてくれたら・・・と子供としてもそう願っています。そのとき、父95歳、私65歳・・・さあ親子で走れるかな?
(石材店)「相変わらず福家先生のお父上はすごいですねえ」
(幹事長)「ほんと。自分なんか85歳で走れるとは思えないなあ」
(石材店)「85歳どころか、今回だって、かなりダラけてますねえ」
(幹事長)「ちょっと姿勢が甘かったかな。迫り来る徳島マラソンがとても不安」
〜おしまい〜
![]() 戦績のメニューへ |