風が竹の間を通り、高いところで葉が乾いた音を立てた。 土方為次郎は、きつく唇をかみ締めて竹に力一杯拳を打ちつけた! わなわなと震える蒼白の唇の端は切れ、血が筋になって流れている。 まだ朝靄のうっすらと掛かる竹林は、深い竹の匂いが充満している。 誰もおらず静まり返ったそこに。 為次郎の打ちつけた拳の音は響き、竹の筒に共鳴してうつろな音を立てた。 鳥達は囀るのをやめ、一斉に音を立てて飛び立って行った。 竹の鮮やかな緑色の中。 黒い着物を着た長身の為次郎は、一人何かに耐えるように俯き加減に立っていた。 回りはどこを見ても、緑、緑、緑一色だ。 竹の隙間から覗く向こうも――どこまで行ってもすらりと伸びた緑しか見えない。 空は高い所に茂った葉に遮られ、僅かにしか覗いていない。 風に鋭く尖った葉が乾いた音を立ててこすれ、枯葉の敷き詰められた大地にゆらゆらと木漏れ日を揺らす。
しかしそれらの美しい景色も、為次郎の目には映らない。 彼は――盲目であった。
咆哮
土方家には、父はもうすでにいない。 家督は弟喜六が継いだ。 この頃は。 家督を継ぐ男子以外の者は、いつまでも家にいることはできない。 奉公に出るか養子に行くか。 それの出来ないものは、一生厄介者として実家で下男のように扱われる時代である。 三男の良循は、糟屋家に養子に行った。 生まれたばかりの弟歳三も、やがてはどこかへ奉公に出るか養子に行くことになるだろう。 盲目の自分は、家督を継ぐこともできない……。 自分ひとりが取り残されたような気がした。 「この……目さえ! 見え、れば……っ!」 自分も剣を取り、男として――何か、小さなものでも良いから、何かをなすことができたかもしれないのに! 剣ダコのないすべらかな掌。 荒れたことのない手。 白い長い指をそっと手に這わせると。 わずかに撥の当たる小指に、タコが膨らんでいる。 震える両の掌を広げ、顔の前にかざしてみても。 何も見る事は出来ない。 何も――! 絶望したように掌で顔を覆って、奥歯をかみ締めた。 見開いた目を、うっすらと熱い膜が覆っていく。 鼻の奥が痺れたように痛い。 米神を。 自分の鼓動が、力強く打っているのが分かる。 震える喉を宥めようと、つばを飲もうとしたが。 口の中は渇いており、喉は引きつった音を立てた。 若い為次郎の体の中は、熱い血潮が猛り狂っているというのに! それを開放する術はない。 剣を振るうことが出来れば、発散することも出来るだろうが。 「……くっ……!」 身体が疼く。 心が慟哭する。 為次郎は食いしばった歯の隙間から、唸るような声を出すと大地をギリと踏みしめた! 鳥が。 為次郎の様子を伺うように、小さく囀り始めた。 朝靄を乱すように。 静かに。寺の鐘の音が、村中に染み込んでいく。 為次郎は、熱い息を細く吐き出した。 行き場のない思いを、どこにぶつければいい? 普段は、三味線や俳句を捻り、哀しみを紛らわすことが出来たが。
一度心に嵐が渦巻けば。 眠っていた狂気にも似た渇望は、開放する出口を求めて身体の中を荒れ狂う。 為次郎は声の無い声で咆哮すると、膝をついてその場に崩れ落ちた。 林の奥には、何か動物がいるのだろう。 小さな気配が、落ち葉を踏みつけるのが聞こえる。 指に力を入れ、顔を掻き毟る。
どうして!? どうして自分なのだ!?
生まれたばかりの弟が羨ましい……。 溢れるばかりの希望を身にまとって、幸せそうに母の胸に抱かれている弟が! 自分の目には、もう終わりが見えている。このまま……何もなすことが出来ないまま。厄介者として一生を過ごすのだろう。 「……っは!」 笑いがこみ上げてくる。 「は、はは、は……ッツ!」 苦しい。 哀しい。 暗い。 暗い。 暗い。 ……希望はどこにある? 私に一体何が出来る? ――何も見えない……。 口の中に、じわりと血の味が広がった。
2006.8.28
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