久しぶりに会った土方歳三は、鹿之助の記憶の中の彼よりも、随分と背が伸びていた。
小島鹿之助
歳三よりも5歳年上の鹿之助は、親戚である佐藤彦五郎の家に行く途中で、歳三を見つけて、 「あ」 と声を上げた。 「ん?」 淺川の川原に不貞腐れたように寝転がって、眉間に皺を寄せた歳三が、怪訝そうな声を上げて振り返る。 そこにさっぱりとした着物を着た、真面目そうな男を見つけて 「鹿之助さん!?」 歳三はぱぁっと満面の笑みを浮かべると、嬉しそうに声を上げて身を起こした。 「歳坊だよ、な?」 やはり見間違いじゃなかったようだ。 あまりに大きくなった彼に、途惑いながら近寄ると、歳三はニコニコとして 「何言ってンでぃ」 声変わりをした低い声で、こそばゆそうに笑った。 (へぇッ! しばらく見ないうちに、いっぱしの男になってやがる! ) 子供の成長は早いものだというが……瞠目して、歳三を上から下に眺めると、彼は居心地悪そうに僅かに頬を染めて、身じろぎをした。 鹿之助はどこか神経質そうな男だった。 知らない人が彼を見れば、とっつき辛い頑固者だと思うだろう。 三白眼の慧眼にじろじろと眺められて、歳三は照れ隠しに拗ねたようにぷい、と顔をそらした。 歳三がしばらく奉公に出ていたため、こうして二人が顔をあわせるのは久しぶりだった。 (へぇ……大きくなったもんだなぁ) 筋張った手。白い喉にはっきりと浮ぶ様になった喉仏。 長い真っ黒の髪を後ろで一つに束ね、どこか拗ねたような顔で草を引きちぎって川に投げ込む。 歳三のその横顔に、幼い頃の面影を見つけて鹿之助は安堵したように小さく笑った。 「まァた、奉公先から戻って来たンだってなァ」 「っせーな」 「どーするつもりだ? オマエ」 ぶちぶちと音を立てて引き抜かれる草が、歳三の心の内を表しているようでおかしい。 内心ニヤニヤと面白がりながら鹿之助が言うと 「……だってよぅ。仕方ねぇだろ?」 手の中一杯になった草を、歳三が川に投げ込んだ。 「あン?」 歳三が腕を振りかぶったとき、濃い草の匂いが鹿之助の鼻を掠めた。 草はヒラヒラと舞いながら、音もなく川に吸い込まれていく。 ぷかぷかと浮きながら団子になって流れていく草を睨みつけながら、歳三は立てた片膝に、顎を乗せてぎゅと膝を抱えた。 相変わらず右手は、草を探して土の上をさまよっている。 その子供っぽい仕草に目元をほころばせながら、鹿之助は足を伸ばして寛ぐように大きく息を吐くと、歳三はじとりと不機嫌そうに彼を見て 「……からよ」 小さな声でぼそり、とこぼした。
「あ? 悪い。聞こえなかった」 空は高く、ゆったりと雲が流れていく。 サラサラと音を立てて流れていく川が、目にも耳にも心地よい。 のんびりと寛ぐ鹿之助をもう一度見ると、歳三は苛々とした口調で吐き捨てるように言った。 「仕方ねぇだろ! あンの番頭! 気持ち悪ぃんだからよ!」 「は?」 ……番頭? 歳三が仕事を辞めさせられた、とは知っていたが。 それは、女関係が原因だと聞いていた。 鹿之助はキョトンとした顔で、歳三を見た。 「気持ち悪ぃんだよ! あいつ……。ニタニタ笑って人の体触りまくってくるしよぅ……」 (は?) 思わぬ歳三の言葉に、鹿之助はフリーズした。 ぽつりぽつりとこぼす話の断片をかき集めれば、どうやら歳三は、番頭に衆道関係を迫られていたらしい。 はじめは我慢していたものの、段々とエスカレートする行為に、うんざりとして、何度も逃げ出そうと思ったが。 奉公に上がるときに、兄姉から 「今度こそは戻ってくるな」 「戻ってきても、家には入れないと思え」 と口をすっぱくして言われていた歳三は、彼にしては珍しく我慢し続けた、と言うのだ。 番頭は何かにつけては、歳三にちょっかいを出してくる。 仕事を教えるから、と薄暗い部屋に呼ばれては、歳三に後ろから覆いかぶさるようにして抱きつき、猥褻な行為に及ぼうとしたこともあった。
ストレスは極限まで堪り、毎日毎日『今日こそは辞めてやる!』そう思うものの、兄たちの顔を思い出して、喉まででかかった言葉を飲み込む。 一奉公人である歳三が番頭に文句を言える訳もなく――鬱々とした毎日を送っていた。そんな彼の心のよりどころになったのが、件の女中の存在だったのだ。 迫られるなら、男より女の方がいい! 誘われるまま女に溺れ、番頭に見せ付けるように関係を持ち。 怒り狂った番頭についに追い出された、というのがどうやら奉公先をクビになった真相らしい。 思いもしなかった話を聞かされて、鹿之助は絶句した。 心底嫌そうに顔をしかめながら、ぽつりぽつりと話す歳三を見て、 (なるほど) 鹿之助は納得した。 確かに此れなら、番頭に迫られても仕方がない。 涼しげな目元。 末っ子のせいか、どこか構ってやりたくなるような雰囲気を歳三はもっている。 普段は斜に構えているせいで、大人びて見えるが、ふとした瞬間に子供っぽさを覗かせる。 それは、ハッとするような彼の魅力だった。 鹿之助は顎を撫でながら、歳三を上から下に眺めた。 拗ねた様に尖らせた唇。 白い整った顔に影を落とす長い睫。 ゴクリ。 鹿之助の喉が引きつった音を立てた。 (小さな頃から綺麗な顔立ちのガキだと思っていたが……) こんなにまじまじと見つめたことはなかったから気付かなかった。 (こいつぁ、綺麗どころじゃねぇ) こいつに惚れたら最後だ。 骨の髄までしゃぶられて、破滅しそうな…… 子供のくせに、どこかゾッとする色香をもっている。 歳三は挙動不審な鹿之助に気付かないのか、長く細い指に草を絡みつかせて、じっと川を睨みつけている。 こんな時でも、石田散薬の原料となる牛革草だけはきちんと避けて抜いているのはさすがというか。 茶色の地肌の見える土手に、ひょろひょろと牛革草だけまばらに生えているのは、どこかこっけいだった。 鹿之助はじっとりと掌に汗が浮ぶのを感じた。 (ど、どうしたってんだ?! 俺はッ!?) 鼓動が速くなり、口の中がからからになる。 鹿之助は硬直して、引き寄せられるように歳三の横顔を凝視した。 拗ねたように歪められる、薄い桃色の唇に―― (触れてみたい……) ふとそう思った瞬間、一気に顔に血が上って、ハッと我に返り、今度は一気に青ざめた。 (い、今何を考えたんだ! 俺はッ!!?) 突然頭を激しく振り出す鹿之助に、歳三は驚いたように手の中の草を取りこぼした。 生まれたときから知っている、親戚と言うよりも弟に近い存在だったはずなのに! (ぐああァッ!?) やべぇ! 何この感情!? 打ち消そうと焦ればば焦るほど、ドツボにはまっていく。 (俺! ま、まままさか歳坊のことがっ!?) い、いやそんな馬鹿な! 一人葛藤し百面相する鹿之助に、 「し、しかのすけ……兄さん?」 歳三が上体をのけ反らせながら、恐る恐る声を掛けると (はッ!) 鹿之助は我に帰ったように身体を揺らして、呆然とする歳三と目を合わせた。 (ぐっ!) びっくりしたように目を見開いて、ひいている歳三を見つけて、鹿之助は誤魔化すように咳払いをすると 「か、帰るべ?」 立ち上がって、尻に付いた土を払い落としながらそう言った。 「あ、ああ……?」 二人の間に、微妙な空気が流れる。 無言で物言いたそうな視線をよこしてくる歳三を、あえて気付かないふりをすると、鹿之助はさりげなく歳三から視線を外しながら、 「い、いやぁ今日はいい天気だなぁ」 上機嫌を装って、意味もなく笑いながら大声で言った。 「あ、ああ……牛フンくさいけど」 畑の多いこの場所は、堆肥の匂いがする。 「そ、そうか!? こ、今年も豊作だと良いなぁ! はっはっはっ!」 「……いや、俺武士になるし」 「そうか、そうか! 歳坊は武士になるか!」 内心動揺しまくりな鹿之助は、自分が何を話しているのかもよくわかっていない。 (一体どうしたんだ!? 俺はっ!?) 足早に歩く鹿之助の一歩後ろを、歳三が無言で付いてくる。 嫌な汗がだらだらと背中を流れる。 久しぶりに見た歳三は、美しく成長していた。 男を見てこんなに心を乱された事は、今までなかったのに! (い、いや! み、乱されてなんかないぞ! 俺はッ!) ぴたりと足を止めて鹿之助が頭を抱えると、後ろで歳三もぴたりと足を止めた。 (はッ!?) 後ろから歳三がじっとりと鹿之助を見てくる。 「な、なんでもないぞ」 それに気付いた鹿之助が、無理やり笑顔を浮かべて見せると 「そうか?」 歳三は、鹿之助の引きつる笑窪をじっと睨んだ。 また歩き始めたものの、後ろから突き刺さる歳三の視線が痛い。 鹿之助は混乱して、泣きたくなった。 どうして自分が歳三に対して、こんなに動揺するのか分からない。 (……疲れてるんだ、俺……) きっとそうだ。 否そうに違いない。 というか、そうでなければ困る! ぐるぐるぐるぐる。 心の中で呪文のように唱えながら、鹿之助は悩ましげなため息をついた。 畑を耕しながら、牛が暢気に鳴いている。 農夫が歳三に声をかけ、それに答えて愛想よく笑う歳三の声を聞きながら、 (とにかくこの葛藤を、彼にだけは知られてはならない!) (どうせ一時の迷いなんだから!) 鹿之助は震える拳を握り締めて、そう心に言い聞かせた。 そんな彼の葛藤を知ってか知らずか、歳三は頭の後ろで腕を組んで暢気に欠伸をした。 佐藤彦五郎の家まで、まだ遠い。 一刻も早くこの気まずい雰囲気から逃れたくて、鹿之助はほとんど小走りになりながら道を急いだ。 「競争か? 鹿之助兄ぃ?」後ろから聞こえてきた歳三の声が、少し腹立たしかった。
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