「んー……」

耳元で犬の鳴き声が聞こえた。

(そうじ……?)

次いで頬をぺろぺろと舐められる。

「ぅわっ!?」

は驚いて飛び起きると辺りを見回した。

「あれ……?」

(ここは……土手?)

さっきまで自分が寝転んでいた土手の斜面だ。

(どういうこと?)

総司と会ったと思っていたのに。あれは全て夢だったのだろうか?

まだ寝ぼけた頭できょろきょろと総司の姿を探す。

しかし彼の姿はない。

陽は既に落ち始め、花見に訪れる人もまばらになっている。

「沖田さんに会えたと思っていたのに……夢だったなんて……」

呟いた瞬間、喪失感に虚しくなった。

さっきまであんなに仲良く話していたのに。

あんなに面白い話を聞かせてくれたのに。

(一緒に笑ったのも、全部夢だったの?)

信じられない。

「だって、あんなにリアルだったのに……」

すぐ横に総司が腰を下ろしていて、横を向けば総司の髪がさらさらと風に揺れていた。

懐かしそうに、幸せそうに目元をほころばせて近藤達の話としていたのに。

「夢だったなんて……」

淋しい。

「一緒にお花見に行こうって約束したのに」

それが叶えられることはないけど。

喪失感に心がスースーする。切なくて虚しくて、ちょっと泣きそうになっては空を見上げた。

冷静に考えれば、百年以上も前に亡くなった人だ。会えるわけがない。

「――夢だったけど……」

夢の中だからこそ会えたのかもしれない。

彼と出会えたこと、彼自身までもをただの幻にしてしまうにはあまりにリアルで……ただの夢だったとは言い切ることができない。

夢の中の邂逅。

そう。きっと自分達は夢の中で本当に出会ったのだ。

 

は目を細めて桜の香りをスゥと吸い込むと

「うん! やっぱり、沖田さんはここにいたんだと思う!」

力強くそう言って、足元で心配そうに見上げるそうじに言った。

「帰ろっか! そうじ!」

「わん!」

尻尾を振って元気一杯に応えたそうじに少しだけ落ち込んだ気持ちが浮上すると、はそうじの頭を撫でて桜並木の下を歩き始めた。

空はもう茜色に染まっている。

はすれ違った老夫婦をみてふっと目元を和らげると、目のあった彼らに会釈をして走り出した――!

 

しあわせ?

ああ、自分は幸せだ。

これから先の未来、何が起こるのかわからない不安はある。

だけど――

「私は幸せにならなければいけない」

命をかけて戦った人たちがいる。

青春の全てをかけて、日本を救ってくれた人たちがいる。

様々な思想がぶつかり合い、悲劇を生んだりもしたけれど……

彼らのおかげで、今の自分があるのだ。

総司と会わなければ、自分を彼らの歴史が繋がっているということに気が付かなかっただろう。

(今度沖田さんに会った時)

「胸を張って私達は幸せなんだって、言えるように。今の時代は平和で、日本はすばらしい国なんだよって言えるように」

生きていかなければならない!

「近藤さんと土方さんと、山南さんと井上さんと。斎藤さんに原田さんに永倉さん、藤堂さん!」

それから――

「沖田さんに……」

自分のいる時代の話を、たくさんしてあげたい。

そう思うと今までの流されるままに、無感動に生きていた自分の時間がもったいなかった。

「沖田さんみたいに楽しい思い出をたくさん作って!」

今度は自分が彼らに面白い話をたくさんしてあげよう。

「私――」

自分の進路はまだはっきりときまっていないけど。

「きっと幸せになるから!」

将来の夢なんて、まだ見つからないけど。

たとえ何になったとしても、精一杯幸せに精一杯楽しく暮らしていこう。

「次に会うのを――楽しみにしててね! 沖田さん!」

は吹っ切れたような顔でそう言ってにこりと笑うと、家のドアを勢いよく開けた。

心の中にもう迷いはなかった!

「――ただいま!」

「あら、お帰りなさい。

お帰りなさい。

 

自分を迎えてくれる家族の声が、嬉しかった。

 

 

×××××

 

「ったく、こんな所で寝やがって……!」

土方は縁側で転寝をする総司を見つけて、眉間にしわを寄せた。

春になったとはいえ、陽が落ちればまだ肌寒い。

「起きやがれ! この、総司! ――って……ハァ」

よく寝てやがる。

幸せそうな顔をしてまどろむ総司を見て、土方は毒気を抜かれたように苦笑すると「よっ、と!」沖田を抱え挙げて布団に戻した。

「……何の夢を見ているんだか」

暢気に寝ている総司が少し恨めしく、鼻をつまんでやりたい衝動に駆られる。

しかし相手は病人だ、土方はやり場のない手で短くなった髪をかきあげると、部屋の中を見回した。

床の間に生けられた鉄線の花。

端の方に置かれた文机――。

まだ花冷えがして寒いからだろう。火鉢もしまわれずにおかれている。

 

言いたい事はたくさんあった。言わねばならぬ事も。

だけど。

(こんな幸せそうな顔を見ちまったら、言えるわけねぇよなぁ……)

彼の笑みを曇らせたくはない。

一人でこんな所で淋しく療養しているのだ。自分が来た時くらいは楽しませてやりたい。

土方は目元を愛おしい物を見るように和らげると、そっと沖田の頬をなでた。

(色、白くなったなぁ……それに痩せた)

だが夢の中だとは言え、楽しそうな姿を見て安心した。

「ん……」

触れすぎただろうか?

小さくうめいて総司がふるりとまつ毛を振るわせた。

「起きたか?」

「……土方さん?」

「ああ」

「……夢を見ていたんです」

「どんな夢だ?」

「楽しい夢を――」

会話しながらもまだ総司は夢の中にいるのだろう。

まどろみの中にいるようなうっとりとした表情で言うと――じっと土方を見てハッと目を見開いた。

「土方さん!?」

「何だ?」

「え――? 土方さん? 土方さんがいる!」

「――おせぇよ。さっきからいンだろうが」

慌てて身を起こそうとする総司の肩に手を添えて布団に戻す土方に、沖田は信じられないというように目を見開いて彼の顔をじっと凝視した。

「あんまり見るんじゃねぇよ」

あまりにまっすぐに見られ居心地が悪い。

土方はわずかに耳元を染めると、ふぃと横を向いてしまった。

(ああ……土方さんだ)

以前と少しも変わらないその仕草に、酷く安堵する。

あまりの懐かしさに、総司は泣きそうに顔をくしゃりと歪め、すっかりと短くなった土方の髪を珍しそうにじろじろと眺めた。

彼は一人でここに来てくれたのだろうか?

部屋の外は静まり返っている。

いや――

小さな軽やかな足音を聞きつけて、沖田はそちらを見た。

誰か、来る!?

期待に胸が膨らむ!

「――総ちゃん」

「ミツ、姉さん……!?」

どうしてここに!?

総司は驚いて今度こそ土方の制止を振り払って飛び起きた。

そこには姉ミツがいるではないか!?

白いほっそりとした手に湯飲みの載った盆を抱え、穏やかな笑みを浮かべている。

泣きたくなった……

ポカンと口を開いて、穴の開くほどじっと自分を見る総司に

「幻じゃないわよ」

ミツは笑いながら言うと、「土方さんに連れてきてもらったの」

とにこりと微笑んだ。

姉は江戸を離れていたはずだ。

その姉をわざわざ連れてきてくれたのか……。沖田は土方を見て物言いたそうに口を動かしたが、言葉にならず二人を交互に見て目を潤ませた。

「お、おい!」

土方の焦った声が聞こえる。

「あらあら。総ちゃんは相変わらず、泣き虫なのねぇ」

ミツは焦って腰を浮かせる土方と、無言で涙を浮かべる総司を交互に見てのんびりと言うと、

「いやぁね」

ミツもウルリと涙を浮かべて、誤魔化すように笑って総司を力いっぱい抱きしめた。

「あんまり来れなくてごめんなさいね」

「いえ――いえ……!」

声は情けなく震えてはいないだろうか?鼻の奥がツンとして、総司は俯いて布団を握り締めた。

(淋しかったんだな……)

土方がその様子に心を痛める。

(……寂しかったんです)

総司が心の中で呟き、潤んだ瞳で二人を見上げる。

土方はその表情にやるせない物を感じて、きゅっと拳を握ると――ニヤリと昔のように悪戯っ子のような笑みを浮かべて総司の頭を乱暴に撫でた。

「よし! 総司! 明日花見に行くぞ!」

「はなみ、ですか……?」

何故か驚いたように総司が目を見開く。

「ああ。染井吉野はもう散っちまったが、丁度近くの遅咲きの桜が満開になっている」

短い時間なら外に出ても大丈夫だろう。

「あら、それじゃあ私はお弁当を作るわね! 総ちゃんの好きなものも、たくさん。沢庵もたくさん入れて!」

楽しそうにぽんと手を打ったミツに、土方は複雑そうな目を向けた。

信じられない、総司の顔が驚きに染まり、ゆっくりと噛み砕くように心の中で二人の言葉を反芻する。

(ああ――ああ!)

それは本当なのだろうか!

じわじわとわきあがる実感に、総司の心は歓喜に震えた。

二人に何と言えばいいのだろう!?

総司はくしゃりと泣き笑いの顔を見せると、何度も何度も頷いた。言いたい事はたくさんあるのに、声にならなかった。

(近藤さんも山南さんも――平助達もいないけど……)

また花見にいけるなんて、思いもしなかった!

「ありがとうございます。ミツ姉さん……」

それから

「ありがとうございます土方――母さん」

「あ!?」

ボソリと付け加えた声に土方は素っ頓狂な声を上げ、ミツは声を上げて笑った。

総司もおかしくなって、泣き笑いの顔で笑う。

土方は怒るに怒れず、「コノヤロウ」と言うと、気まずそうにそっぽを向いた。

 

黒猫は縁側で欠伸をして、グゥと伸びをするとふらりとまたどこかに消えていった。

いつのまにか陽はすっかりと落ち、ゆったりと落ちていく夜の帳に、朧月夜が優しく輝いていた。

ああ

(明日が――)

(未来が)

楽しみだ。

総司とはにこりと笑って、楽しそうに話に相槌を打っては笑った。

その日はいつまでも、いつまでも――

二人の部屋から笑いが途絶える事はなかった。

 

 

この月が落ちるまでは