※ これは、本編 「幕末 似非妖怪退治」 の 「no.15 さよなら」 の別バージョンです。
夏になった。
蛙がそこここでやかましく鳴き、寝苦しい夜が続く。
「暑い……」
窓を全開にしているというのに、口をついて出る言葉は、それしかない。
椿はぐったりと畳に突っ伏してばてていた。
日が沈めば暑さはましになったか、というとそうではなく。
風がなく湿気が多いせいで、じっとりと汗が流れる。
窓のすぐ下を流れる川のせせらぎが唯一、耳に涼を与えてくれたが。
焼け石に水でしかない。
せめて風が吹いてくれたら――
椿はじっとりとした目で月をにらんだ。
こんな暑さでは、修行しようにもする気が起こらない。
牡丹も涼しい顔をしてはいるものの、暑さは得意ではないらしい。
修行という言葉を耳にしなくなって久しい。
(……こんなのでいいのかな……)
暑い中走り回らなくてすむ分、こちらとしては楽だったが。
(仕事だけは最低限してるし……こんなに暑い中、あまり動きたくない……)
そう。仕事だけは最低限こなしている。
――安部や彼の鬼がどうかは知らないが。
(アイツ、負けず嫌いっぽかったし。きっとご主人に負けないようにって、働きまくってるはず!)
何せ、今は協力しろって言われていても、天皇に召抱えられるのは、ご主人か阿部かのどちらかなのだから!
椿は楠の生意気な笑みを思い浮かべて、むっと唇を真一文字に結んだ。
先の御前試合で天皇より
「二人で力を合わせ、京の治安を守るように」
と命じられていた安部と芦屋だったが。
もちろんそんなことをしようはずもなく、顔すらも合わせない日々が続いていた。
「――いいのかなぁ……」
二人が因縁のライバルだというのは聞いていたが。
京の治安を守る、という大命があるにも関わらず、お互い無視していては色々とまずいのではないだろうか。
あまりの暑さに寝転びながら椿が言うと、袖と袴の裾をだらしなく捲り上げた雪丸は、うちわで扇ぎつつからからと笑った。
「だぁいじょうぶやって! ああ見えてな、ちゃぁんと牡丹らぁは文のやり取りしちょるけん!」
「……文?」
驚くべき単語が聞こえて、椿がのそりと起き上がった。
なんというか、文という単語がここまで似合わない人も珍しい。
怖いもの見たさで(聞きたさで?)雪丸を伺うと、雪丸はぽんと膝をたたいて満面の笑みで頷いた。
「ほなってな! ワシ、さっき安部に文届けてきたもん!」
「ちょ、本当に!?」
「うん。本当、本当。返事もちゃぁんと貰うて来たぜよ!」
自慢げに言う雪丸に、椿は脱力した。
「知らなかった……実はあの二人って……仲いいの?」
文通をするくらいには。
「数少ない退魔士どうしやけんねー」
雪丸は言ったが――
残念ながら彼は文の内容を知らなかった。
牡丹は安部からの文をくしゃりと手の中で握りつぶすと、額に青筋を浮かべて憎憎しげに火をつけた。
「――安部め……!」
忌々しいものでも見るように煙草盆に投げ捨て、灰になっていくのをにらみつける。
その文にはこう書かれていた。
暑中お見舞い申し上げ候。
毎日暑い日が続きますが、お元気ですか?
冷たいものばかり食べて、おなかを壊してはいませんか?
牡丹はああ見えて、胃腸が弱いし体力がないので心配です。
そうそう。
言い忘れていたけど、先日の御前試合ではお世話になりました。
あれから結構たつけど、椿ちゃんはどうですか?
少しは戦えるようになったのかな?
今度の試合も楽しみにしているね。(機会があれば、だけど!)
陛下も二人で力を合わせて京を守るように、っておっしゃってたし。
お互い力を合わせてがんばろうね!
そうそう。オレ、明日からしばらく避暑に行くから、京にいないし!
だからその間京のこと、ヨロシクね!
お土産くらいは買ってきてあげるからさ!
じゃあ、京はまだまだすごく暑い日が続くと思うけど、熱中所には気をつけてね!
PS.
夜遊びばかりしてちゃ駄目だよ。
仕事も忘れずにね!
オレの分もヨロシク!
何だ馴れ馴れしいこの文は!
その上はしばしに感じられる皮肉と悪意が腹立たしい。
今からでも遅くはない。
ここから呪い殺してくれようか。
ゆらりと立ち上がり、禍々しい気をまといながら呪を唱え始める牡丹に気づかないまま。
椿と雪丸は牡丹と安部の意外な友情について盛り上がっていた。
一方その頃――
「……牡丹の野郎……!」
舐めていた棒つきキャンディを噛み砕き落としながら、安部は牡丹からの文を握りつぶした。
「ご、ご主人……?」
旅行の準備もそこそこに、いきなり呪いを発動しだす安部に、満が恐る恐る手を伸ばす。
さよなら
近い将来、どちらかが勝ち、どちらかが負けるのに――
つかの間の飯事じみた友情など、いらない。
熱帯夜に、火花が散った。
モドル
2009.8.5
拍手ありがとうございました。
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