三つの鍛錬
「私は武道を通じて肉体の鍛錬を修行し、その極意を極めると同時に、より大いなる真理をもかちえたのである。すなわち武道を通じはじめて宇宙の真髄をつかんだ時、人間は<心>と<肉体>と、それをむすぶ<気>の三つが完全に一致し、しかも宇宙万有の活動と調和しなければいけないと悟ったのである」
つまり『気の妙用』によって、個人の心と肉体とを調和し、また個人と全宇宙との関係を調和せしめるのである。
合気道は、真理の道である。合気道の鍛錬とは真理の鍛錬にほかならず、よく努め、よく実践し、よく究めつくすところすなわち『神技』を生ずるのである。
合気道は、次のごとき三つの鍛錬を実行してこそ真理不動の金剛力が己の全身心に喰い入るのである。
一、 己れの心を宇宙万有の活動と調和させる鍛錬。
一、 己れの肉体そのものを宇宙万有の活動と調和させる鍛錬。
一、 心と肉体とを一つにむすぶ気を、宇宙万有の活動と調和させる鍛錬。
この三つを同時に、理屈でなく、道場において、また平常の時々刻々の場において実行しえた者のみが合気道の士なのである。
『気の妙用』
・ 五体は宇宙の創造した凝体身魂で、宇宙の妙精を吸収し、宇宙と一体になって人生行路を修している。修行には、まず己れの心魂を練りにねり、かつ<念>の活力を研ぎすまし、心と肉体の統一をはかることこそ先決である。これこそ、すすんで業の発兆の土台となり、その業は<念>によって無限に発兆する。業はあくまで、宇宙の真理に合うしていることが不可欠である。そのためには正しい<念>が不可欠である。
・ <念>は、目前の勝負にとらわれず、宇宙に正しく気結びすることにより生成する。その場合<念>は、いわゆる神通力となるのであり、森羅万象、一挙手一投足のことごとくが洞察されて明らかとなる。すなわち明鏡止水、己れは宇宙の中心に立つゆえに、中心をはずれたもの一切の挙動は看破される。これ、戦わずしてすでに勝つの真理である。
・ <念>にもとづき『気の妙用』をはかるには、まず五体の左は武の基礎、右は宇宙の受ける気結びの現われる土台であると心得よ。この左・右の気結びがおのずから成就すれば、あとの動きは自由自在となる。
・ 左は総て、無量無限の(気を生み出だす)ことができる。右は受ける気結びの作用であるから、総て(気を握る)ことができる。
・ 魂の比礼振り(邪心をはらい清めた精神状態)が起れば、左手ですべての活殺をにぎり、右手で止めをさすことができるのである。これを称して『神技』という。
・ 「『気の妙用』は、呼吸を微妙に変化せしむる生親である。これすなわち武なる愛の、本源である。『気の妙用』によって心身を統一し、合気の道を行ずるとき、呼吸の微妙なる変化はここよりおのずから流れいで、業は自由自在にあらわれる。」
・ ここの呼吸の変化なるものは、宇宙遍在の根元の気と気結びし、さらに生結びし、そして緒結びすることによって宇宙化する。
・ と同時に、呼吸の微妙なる変化は五体に喰い込み、深く喰い入ることによって、五体のはたらきを活性化し、活発に神変万化の動きをおのずからうながすこととなる。
・ かくしてこそ、五体の五臓六腑ははじめて熱と光と力が生じ結ばれることとなり、己れの五体は己れの心意のままになる。心身一如、しかも宇宙と一体化して作動する。
・ すなわち全き凝結が心身にみなぎるとき、呼吸はおのずから宇宙に同化しつつ円やかに大きく拡がってゆくのであり、また呼吸につれておのずから、己れがうちに収束されてくるのである。そのように呼吸が宇宙化しつつおこなわれうるならば、不可視の精神の実在が己れの身辺に集結し、あたかも己れを守護し列座するかの感をもってつつむのである。これ合気妙応の、初歩の導きである。
・ 合気妙応の導きに順応しうるの境に達すれば、造化の主の御徳をえて、呼吸は右に螺旋しつつ舞い昇り、左に螺旋しつつ舞い降り、宇宙万有生成の根元をもなす(水火の結び)を生じつつ、摩擦運動の理を現ず。すなわち無量無辺の『神業』の永久持統となる。
・ 「武における業はすべて宇宙の真理に合せねばならぬ。宇宙と結ばれぬは孤独なる武にすぎず、愛を生む(武産)の武とは異質である。合気はもとより(武産)の武にほかならぬ。
・ その(武産)の武のそもそもは(雄叫び)であり、五体の(響き)の槍の穂を阿吽の力をもって宇宙に発兆したるものである。
・ 五体の(響き)は心身の統一をまず発兆の土台とし、発兆したるのちには宇宙の(響き)と同調し、相互に照応・交流しあうところから合気の(気)を生じる。すなわち、五体の(響き)が宇宙の(響き)をこだまする(山彦)の道こそ合気道の妙諦にはかならぬ。
・ そこに高次の身魂の熱と光と力とが生じ、かつ結ばれることとなる。微妙にこだまする五体と宇宙の(響き)の活性が『気の妙用』を熟せしめ、武なる愛、愛なる武としての(武産合気)を生ましめるのである。
合気道開祖 植芝盛平伝 (出版芸術社刊)より