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ワイワイ、ガヤガヤ・・ワイワイ、ガヤガヤ。 都会の夕方には、奇妙な虫が鳴く。 キャイ、キャイ、何やら脳天を突き刺す、高い波長の音色も聞こえるではないか。しかし、それでいて何やら惹きつけられる様な可愛い、楽しそうな音色だったりして・。 うろうろ、きょろ、きょろ。変な虫・・いやいや、何か変なおじさんがこちらへ歩いて来るではないか?。 「何だ?田舎者か・・」 さっそく、登場するのはご存じ都会のごみ虫、地回りのやっちゃん。鴨が来たなってんで、近づく。このやっちゃん少し近眼だ。眼鏡はこのいかつい顔には似合わない。サングラスは余りにそれ過ぎて駄目だから・・、色々この稼業は大変なんだって・・でも、そんな事どうでもいい。その近眼の目付きの悪さを更に、醜く白目加減にして、やっちゃんは肩を揺すりながら、変なおじさんにドスを効かせた。 「おう、こら」 その声は、162センチのやっちゃんの頭上から聞こえた。 「こっ、こら。て、てめえ」 やっちゃんは慌てた。近眼故の失敗。変なおじさんの身長は185センチはある。眼つけようの無い高さだ。幾ら夜眼と言えども、相手の首の辺りにドスを効かせて、どうしようってんですかい? 「何ですか?」 ・・手前え、この辺りで、うろうろするんじゃあねえ。ここの辺りはなあ、手前えら田舎者が遊べる所じゃあねえんだよ・・・言おうと思ったのに、ね。 金をせびるか、旦那いい所へ案内しましょうかって言うのは、相手、TPOで変わるってんだから、困る。得意の因縁こきが、大ぼけをかましてしまったと言う次第であった。さて、前振りはもういい。 「どうかしたのかね?」 変なおじさんが重ねて聞いた。ぶつぶつ言っているやっちゃんに、大丈夫なのか?と、思っている。 「へっ、へっへっへ。旦那あ、何ね、あっしはこの通り視力が0・2でやしてねえ、どうも人違いでした。」 やっちゃんの切り換えは素早かった。良く近くで顔を見ると、堂々たる体格の彫りの深い、どこかの重役らしい貫録がある。 「もういいかね?私は見て歩きたいのだ。」 流石にこの道のプロ。その一言で、ピーンときたやっちゃんは・・ 「へっへっへ。旦那、どうも済みませんね、お詫びと言っちゃあ何ですが、いい娘が居るんですがねえ」 変なおじさんはすけべだったのだ。ところが、この時新たに眼付きの悪い男がそこに加わった。 「こら、ちび六。お前、又売してやがんな」 ちび六と言うのか。似合いの名だ。おじさんはくすくすと笑った。 「めっ、滅相もない。道を聞かれて教えて差し上げていただけですよ。旦那」 「ふん、どうだか、な。そうかね?あんた」 背格好は殆どおじさんと変わらなかった。鬼瓦のような顔をした男だった。さすがのおじさんも少しどぎまぎした。 「は・いえ、その・・」 やっちゃんに促されて、おじさんは、未練そうにしながらそこを離れた。 「ちっ・」 やっちゃんは舌を鳴らした。せっかくの鴨が。 「ちび六よ。不満そうだな」 大男の鬼瓦が、睨んだ。 「いっ、いえいえ、有明の旦那。さっき食った、もやしいための、もやしが歯にひっかかってやしてねえ。へへへ」 卑屈な笑いで、言い訳をするちび六。 「ふん、いいかちび六、この前のような商売女の紹介なんかしおったら、今度こそ署に連行するぞ、いいな」 ちび六は駆け足で去って行った。 「ちっ、逃げ足だけは早い奴だ。」 さて、話はここまでの事とは全く関係なく始まる。 好奇心の旺盛な変なおじさん事I氏。この人、やはり、ちび六の眼力どうり地方出身者である。つい、一ヶ月前に都会に移り住んだばかり。田舎は、隣りの家まで数里も離れた辺鄙な、辺鄙な所だったので、3年に一度と言う、村祭り以外に人が集まる機会は無かった。氏の人格を阻害するつもりは全くない。氏は人徳を備えた優しく、純朴な人物だ。ただ、そう言う環境に育った彼は、人との会話が少し苦手だ。ひどい訛があるからだ。氏は田舎の田畑が全く予期せぬ事に、大金脈の眠る地と判り、その採掘権と引き換えに、莫大な大金を手に入れた、シンデレラボーイ、いや、もといおじさんなのだ。現在45歳。勿論独身だ。髪の毛が少し薄いのは仕方ないが、きりっとしまった口、彫りの深い顔。黙っていれば素敵なおじさんであった。 さて・・と。さすがに都会は違うな・・。I氏は綺麗な服を着た、きれーな姉ちゃんに見惚れる事しきり。うろきょろは長年の田舎育ち、女日照りはどうしようも無い。 店の看板にはこう書いてあった。「ヤング居酒屋一気」・・知らない者の悲しさ。この界隈の者なら誰でも知っている、若い女性の集まる酒場、別名「女酒場」であった。まあ、勇気のある男性諸君と言えど、99%が若い娘で占められているここへは、入って行ける者は、まず居るまい。間違って入っても5分と持たないだろう。当然ながら、メニューは若い娘が喜びそうな物を取り揃え、値段もその回転率の良さから安い物ばかり。何時の頃からそうなってしまったのか、判らないのだが・・。とにかくI氏はそこへ入った。 「いらっしゃいませ。・・あの、どなたかお呼びですか?」 「いや・」 I氏は答える。 「それじゃあ、ご予約でしょうか?ただ今、忘年会の予約格安期間中でーす。何名様でしょうか?」 撫然としてI氏は答えた。 頭の切り換えの早い店員。女の娘ばかりを相手の商売だ。この位の機転と頭の、回転の良さが要求される。 「そっ、それじゃあ・察の旦那ですか?や、やだなあ、うちは明朗会計。疚しい事なんてこれっぽっちも」 いらいらしながらI氏は言った。能弁でない彼と、機関銃の連射のように言葉がでる店員。 「待ってくださいよ。そりゃあうちは、居酒屋ですよ、若い娘が来ますよ。でもねえ、今の女の娘は発育がいいんだ。ちょっと化粧すりゃ判りゃしませんって。幾ら何でもそこまでチェックしろとは後無体な」 言いかけたが、I氏より店員が早い。 「あい済みませーん。どうもです。で?お宅の他に何名ですか?」 店員は吹き出した。 「なっ、何がおかしい。このぶ、無礼者」 I氏は怒った。実は、飲みに出かけるのは今夜が初めてであったのだ。ちなみにI氏は底なしの酒豪とだけつけ加えておこう。 「いっ、いえいえ。ですが、生憎満席でして。それに・・若い女の娘ばかりなので」 ここを知らないで入って来たI氏に、それとなく気ずかせようとした店員だったが、根っからのすけべ・・いや、女日照りのI氏、それを聞いて余計にここで飲もうと思ったのだから、いや、はや、なんとも。 「構わん。」 言い切るI氏。 「しっ、しかし、席が」 予想外の展開に慌てる店員。断るのが賢明と言うものだろうが、I氏はすでにきょろ、きょろ。 「あそこが開いているではないか」 I氏が指さす。そこは6人掛けのテーブルに、5人の女の娘が座っている席だった。 「そんなあ、無理ですよう」 言い出したら聞かないI氏。どうにでも帰ってもらった方がいいと思っている店員。まあ、当然である。 「だって」 そう言って、I氏は置物の狸のとっくりを指さした。 「ああ、あの酒をご存じですか。あれは店長が、旅行した時に手に入れた珍しい酒なんだそうですね。売り物ではありません。」 I氏はがっかりとして言った。 「だから、お客さん。残念ですが、他所へどうぞ。この辺には幾らでも飲む所はあるんですから」 「もう・・頭痛くなってきちゃった。じゃあ、聞くだけ、聞いてきますよ。でも駄目だったら他の店で飲んでくださいよ。ここは女酒場って呼ばれている居酒屋なんすから・・」 ぶつぶつ言いながら店員はその席へ向かった。その間もきょろきょろとI氏は見回していたが、本当に若い女の娘ばかりの酒場であった。 ぼしょぼしょと、百面相をしながら話す店員。汗をかきかき・・。そして、しばらく後、 「あ、あのう」 不思議そうな顔をしながら店員は答えた。絶対断られる、そう言う確信があった。それが逆転された不可解だ。全く今夜は変な日だ。店員は首を傾げている。 「OKなら座るぞ。いいな」 「はっ、はあ。でも他に席が開いたらそちらへ案内しますから、とりあえずと言う事で」 店員の気持ちは、同情的なものに変わっていた。 「たかられるな、この人」 その場所には、常連のT大学の「酒飲み同好会」と言う、何とも偶然とは思えない大酒飲みの5人組が座っていたのだ。店員が躊躇したのには、そう言う理由もある。若い娘に連れられて、管理職の中年が連れて来られる事は多いが、今夜の様なケースは皆無だった。 「俺、知ーらない」 あくまでも軽い店員。まあ、自業自得では無いか。望むべくして相席するんだから。 「きゃあー、すってっきなおじさまあ」 黄色い声が飛ぶ。 確かに黙っていれば、素敵なおじさまだよI氏。思惑も絡んで、御馳になりたい5人組。さっそく目尻が下がっているすけべなI氏。この、このーとは店員。 「何に致しましょうか?」 すかさず、都会の女の子。 「勿論、私達と同じものよね、おじさん」 そーら、見ろと店員。たくましいのは女の子。 「それで、宜しいですか?」 聞いたのは、同性としての同情である。今なら逃げられるのだ。 I氏、全く聞こえない。 「うむ。うむ」 ・・勝手にしてね。ばーたれ、すけべ。・・・ 英国風のスーツを着て、ごり押しして相席したのだ。下心どころじゃあねえ、そのものズバリのすけべ親父じゃねえか。ここは、デート倶楽部や、いかがわしい所じゃねえんだ。店員は腹の中で毒づいた。財力では到底叶わぬ、中年に対する嫉妬を感じたのだ。しかし、反面若い世代同志、女の娘のしたたかさも、たくましさも十分に判っていた。そういう事は御首にも出さず、商売、商売。安いメニューの中でも高いものから、オーダーをとりもしないのに運ぶわ、運ぶ。女の子の前で、渋朕の顔が出来ないのを見す越した上で。 一気、一気のコール。ここの酎ハイは、ビールの大ジョッキだ。しかし、さすがの酒豪I氏。 「す、すごおい。おじさん」 呆気に取られて、早めに酔わそうと目論んだ、この5人組の中でも中心的な、鶏鶏冠の様な頭のA子。現代的美人である。いささか予定が狂った。 「強いのねー、おじさん」 舌足らずの、丸ぽちゃ童顔の可愛いB子。ええい、みんな紹介しちゃえ。 「やるじゃん、おじさん」 いささか、芸大風のとんでいるが、色白のC子。 「すげえ、かっちょいい」 日焼けで、活発・健康的なD子。 「いけるやんか、おっちゃん」 関西弁だが、長身のモデルの様なE子。 まあ、揃いも揃ったものだ。全員及第点は充分な女の娘揃いだった。I氏は舞い上がっている。でも、例え武巣でも、美人に見えるんじゃないですかな?万年女日照りであったI氏は、なんて。 だが、さすがに大学の、酒飲み同好会だなんて、看板を掲げている彼女達。こんなもので許さない。再び一気、一気のコール。氏はまた一杯、又々一杯と、5杯も飲み干してしまったのだから・・。 I氏、さすがに頬に赤み射した。まあ・・その程度の彼にとっては量であった。唖然、茫然、彼女たち。人間じゃあねえぞ、と、ぼしょ、ぼしょ。少し酔ったI氏。 「ブハー、ゴライカー!」 思わずお国言葉。 中でも、好奇心の旺盛ならしいE子。 「えっ、何?何?おっちゃん、それ」 可愛い女の子におっちゃんなんて、いいねえその響き。何か好きだなー・そ・の・言葉。 続けてB子。 「おじさん、それどこの国の言葉なの?」 眼をくりくりさせて聞く、その中年の心をくすぐる童顔、好きだなー。 「すごおい、お酒も強いけど、おじさんて外国語もぺらなんだー」 以下、同文。省略。 尊敬の眼差しを受けて、I氏のボルテージはあがる一方だった。でも、余り真に受けちゃあなー。店員は苦笑した。なんのかんのと、頼みもしないオーダーを持って来たりして、興味津々なのだ。悪趣味ではないかい?。 「ふっ、ふふ。バイ、トコラシ、カイヤ、トメラルカノ、キトンメリガ」 訳の判らぬ言葉を続けるI氏。通訳のいる程のお国訛りなのだ。 女の子、ここぞとばかり、 「きゃあー、おじさん、何て言ったの?教えて、教えてー」 破顔、満顔、悦に入るI氏。誰だい?人との会話が苦手だなんて言ったのは?えっ?酒が入ったら喋れるんだって?しぇー、勝手な人ね。 氏はちびり、ちびりとやりながら一考。誰もが知っている国の名前を言えば、ばれてしまうではないか、そんな事言う馬鹿じゃないって。 「・南アメリカの」 と、言って酒を口にしながら、女の娘の反応を伺う。女の娘、そう言う事には敏感だ。外国はいつの時代も憧れの的なのだ。I氏、一歩謀らずもリードしていた。 A子が聞く。中でも一番敏感らしい。 「ねえ、おじさん。南アメリカの?」 ふーっ、と言う溜息。羨ましいのだ。ヨーロッパや、アメリカなんて言うんじゃ無い所がいいのだ。何がいいのか、何が受けるか、さっぱり判らない世代なんだから。 丸ぽっちゃり、B子。 「ねえ、それで何て言ったの?」 I氏、この中の一番のお気に入りだ。目尻が下がっている。 「そうよう。教えてよ、おじさん」 C子。アーパーギャルも、うん。なかなか。 じらすI氏。絶妙の間。プレイボーイ、見たい。 「ねっ、おじさん。かっこいいじゃん、教えてよ」 活発そうな、健康小麦色D子。こう言う子娘は好きだぞ。 「なあ、早よう教えてやー」 抜群のプロポーションのE子。関西弁は少しアンバランス。でもそれが余計に親しみを感じたりしちゃって。何だ、何だ。皆気にいっちゃったんじゃないか。この人、すでに妄想してるんじゃ無いの?けっ・・・。 「君達が、素晴らしい・・と、そう言った」 一斉に女の娘達、そう思った。こうなりゃ、遠慮する事あ、ねえぞ。飲めよ、食えよ。酒は底なし、流石に「酒飲み同好会」だなー。店員急がし、急がし。でもこのままバイバイはねえかもなあ・・。店員君、話を進めてくれて有り難う。 そうこう言っている内に、リーダーA子。甘えた声を出す。そーら、見ろ。 「ねえん、おじさん。私酔っぱらっちゃった。酔い覚ましにどこかへ行きたいな」 ここが、正念場、ここぞとばかりに一斉にねだるわ、甘えるわ・・、あーあ。 I氏の鼻の下は伸びきったまま。ご機嫌この上無い。 「うんうん、いいともー」 さっそく感化されやすいI氏。覚え立ての言葉を使う。 I氏、うきうき、そわそわ。いよいよ、一・・おっとっと。でも5人だよー? 金持ちのI氏、こんな勘定なんてちょろいもんだ。さっそく銀行から作って貰ったばかりの丸金カード。店員に出す。 「げげーっ!これは、VIPだけが持つと言うプッ、プラチナカードじゃねえか」 5人の女の娘、さすがに一変。酔いもすっと覚めた。円陣を組んでヒソ、ヒソ・・ぼしょ、ぼしょ。 こうなりゃ、もう眼ん玉金色夜叉。一攫千金。I氏に取り入り、愛人になってマンションを、かっこいい外車を。頭は高速回転、ターボフル稼働。アーパーギャルは伊達に演じてないのよ。I氏と5人の思惑は、一致を見たのである。めでたし、めでたし。だが、1対4、誰から蹴落とすか。戦略が渦巻いている。チームワーク?何それ?女の友情はうわべだけだもの。恐い、恐いよう。 「へへーっ」 最敬礼をしながらカードを返す青年店員。ここの勘定なんて、恐らく一日の利息の何十分の一にもなるまい。それ程の金持ちでなければ、持てないカードである、恐らく一生持つ事も無いだろう。うん?誰が?殆ど全員だよっ!腹立つのう。 大股で店を出るI氏。きゃい、きゃいと今度は芝居で無く、喜んで付いて行く彼女達。すでに彼女達の頭には、コースがインプットされている。 「B子、あなた、門限が近いんじゃないの?」 4対1。これはB子堪らない。しかし、負けては人生の敗北だ。 「あら・それを言うなら、C子だって」 以下略。微笑みながら繰り広げられる女共の、すさまじい本性見えたり! そんなあ、お気に入りの女の娘達の、一人だって欠けてなるものか。I氏、両手を拡げた。 「大丈夫、大丈夫。電話掛けるから、待っててくれ」
びっくり仰天の5人の娘達。腰をへこへこさせながら、初老の運転手がI氏に最敬礼。どうやらお抱え運転手らしい。ここまでくると、ひとまず休戦。再び同盟締結の、危なっかしい友情復活。 「どこへ行こうか?」 もとより、飲みに出た事のないI氏。どこかへなんて、とんと判りゃあしない。願ったりは彼女達。こうなりゃ、超豪華な所しかないわってんで、 「ゴールデンホテルのクラブ・スーパー」 まあ・・と、言う表情で彼女達は互いに見合った。ずうずうしいわね、顔と相談したら?貧乏人の子のくせに良く言うわ。・ああ、恐あ・そんな表情だった。 平然と答えるI氏。 や、やったわ!彼女達。言って見るもんだなー、ナンテ。ここが男共とは違う所。女性差別云々、ただヒステリックに主張しているだけの、要求不満のおばはん達よ。ただ若い女の娘と言うだけで、何でも許される、そんな事もあるって事、知っとけ。でも、俺も許さんからな。だって、俺は貧乏だからだ。う・ごほん。何の話だったっけ?ああ・・そうそう・・ 「おっ!・ありゃあ、さっきのお、おっさんじゃねえか」 ちび六がまた、通りかかった。 「げっ、あれは、8人乗りのリンカーン・リムジン。た、只者じゃねえな、あの、おっさん」 後ろから、付いてきた若い衆が言った。 「兄貴、ありゃあ、VIPですぜ」 さすがに、ちび六もびびった。 「お、おう。ぴっ、ぴっぷだな」 ちび六、やかましいわいと、若い衆の頭をごつん。ふんとに気が短けえんだから・。 「旦那様」 そう呼ばれるのは、嬉しいI氏。 「うむ?」 「ゴールデンホテルのクラブ・スーパーと、なりますと・・旦那様はお宜しいろしいですが、女性の方達が、その」 彼女達、ここまでは思わなかった。顔色が青ざめた。女は直感的に言動すると、どっかの馬鹿学者が言っていたが、正にその通りではないか。まあ、彼女達、そコまでスレていないと言った方が、日本語としては美しい。 しかし、さすがの老練運転手。 「旦那様、私におまかせ下さい。私がいい店を存知あげてございます」 救われたI氏。ちっともそんな店等、知らないのだ。第一、身なりこそは整っているが、何も知らない田舎者なのだ。仮面の中は。ただ、言っておきたいが、氏の人格を害するつもりは無い、氏はすごく頭のいい人物だ。 この運転手とプラチナカードがある限り、I氏に恐い物は何一つ無い。運転手はあるブティックへ車を止めると、 「さあ、お嬢さん方、旦那様のご厚意です。お好きなものをお選びなさい。貴女たちは、幸運でございますよ。旦那様は非常にご機嫌がお宜しい。今の内ですよ」 きゃい、きゃいと、彼女達。思い、思いの服を選ぶ。運転手、ブティックのオーナーに耳元で、ぼしょ、ぼしょ。眼を細めながら見つめるI氏。手を擦り々近づいた店長。肩はもむわ、コーヒーは出すわ、大変な歓迎様。店の中でも、とびきりの豪華衣装を準備する。おまけに、ヘアデザイナーを呼び寄せるわ、ご近所の靴屋に高価な靴を持って来させるるわ。大変、大変。このー、守銭奴、商売人。しかし・・女は化け物とはこの事。女は恐い。元も確かに良かったのだろうが、ブティックのオーナーと、スタイリストの腕も一流であったのだろう。すっかり5人共、良家の子女、有名モデルに仕上がってしまったのだから。 I氏、思わず生唾。しかし、ここはぐっと我慢。もうここまでされりゃ、大抵の娘はころりと来るだろうから。I氏きらりと抜くは、天下のプラチナカードでござい。 「へ、へー・・」 最敬礼、最敬礼のオーナー。 そこへ、何処へ行っていたのか運転手。 「ほお・・皆さん、お綺麗になられた。さすがに旦那様のお目は、お高い」 現在の無個性、平均化の時代でも、服と、化粧さえあればどんな魔法も使える。 さあ、すっかり、リッチな気分になった娘達。話す言葉だって当然変わる。生まれて初めて身につける、超豪華な衣装の自分にうっとり。そして、I氏が自分達の足長おじさんに見えてくる。 I氏、彼女達の体にタッチしたい衝動にかられながらも、じっと我慢、我慢。ここで中年の本心を見せては台無しなのだ。 そして、ゴールデンホテルにまもなく到着。8人乗りのリムジンを得意げに横付けする運転手。当然時間と、予約は入れてある。そこらの執事並み、いや、それ以上の頼りになる男なのだ。ま、月収百万円も、もらっていれば、ね。羨ましいなあ。 そして、この一行を待ちかまえていたのは、クラブ・スーパーの従業員全員の出迎えと言う、彼女達の度肝を抜く歓待ぶりだった。このおじさんは一体?外国の国賓並の待遇ではないか。うむう・・要するに、世の中は金の力が絶大と言う図式の資本国日本では、有効且つ・・いててて、噛んじゃった。 堂々と、I氏は車を降りた。続いて彼女達。既にこの一行は、超高級のこのクラブ・スーパーを呑んでいた。
そう言って運転手は車を発進させた。一運転手をこのマスターは深々と礼をし、見送った。ふーん・何でかなあ? さて、入店して来たI氏達。興味津々で見守る客達を、横目に堂々と歩いて来る。 「美しいお嬢さんばかりだ」 クラブ内は騒然となった。さもありなん。キャデラック特別仕様リムジンを横付けし、全員に出迎えさせると言う事等、国賓か、宮家の者しかあり得ない。総理大臣にだって、こんな出迎え等しないだろう、格式のある超高級クラブなのだから。 どうせだから、この訳を先に述べておきたいが、このホテルはさる財閥系の資本である。つまり、I氏所有の山林、田畑の下に眠る大金脈の採掘権を握る同列会社社長より、先程電話が掛かってきた。運転手は、代議士の秘書を務めた事もある人脈で、さすがに黒い。そちらから、粗相の無きよう圧力をかけていたのだ。意外と、運転手、過去大物であったようだ。ここのマスターもよく知っていた。I氏達がここへ現れたのは、幸運な事であったのだ。 衆目の視線を浴びながら彼等、真ん中の特等席に座る。ボーイがメニューを持ってくる。だが、とんと酒の名前も知らぬI氏。料理も知らない。まさか、鶴亀錦をもって来いとは言えない。大好物の芋の煮っころがしや、豆・大根のごったら煮は注文出来そうにない。ここは思案。女の娘、澄ましている。 困ったI氏、マスターを呼ぶ。 難しい顔をしたI氏に、何か失礼があったのでは・と、マスター、早足でおろおろと。 「何かうちの従業員に失礼が、ございましたでしょうか?」 機嫌を損ねたのでは?と、手を擦り擦り尋ねるマスター。 「いや。そうではないのだ。君の・・思う所の料理、酒を運んで来なさい」 さすがに、大物。一挙手一投足を注目の衆目は、声をあげた。一食だけでうん万円の料理を、眺めもせず、勝手に持ってこいとは・・。相当なVIPだ。ちびり、ちびり、、ひやひやしながら接待している、彼等客の、大半にとっては、豪快に感じた事であった。この際、お知り合いになりたいと、興味津々、見守っていた。彼女達、衆目の視線を浴びてさすがに硬くなっていた。 マスターは急いで支度を命じた。 「いいか、我々は試されているのだ。ここでの接待如何によっては、我々の首どころの話ではない。20世紀最大の発掘と言われる、金鉱脈の発掘権を失うかも知れないのだ。外国のVIP並み、いや、それ以上のおもてなしをするのだ」 マスター以外に、その深い理由を知らないスタッフ達は緊張した。この格式あるホテルのクラブ・スーパーで、VIP以上の扱いとは? 「おい、宮どこかの財閥の人らしいな」 「おい、馴染みのボーイの話では宮家の人らしいな」 ここに来ていた、さる右翼の大物Z氏。隣りには何とか会の副会長も同席していた。 「まさか。全く存じあげない方だよ」 その副会長。マスターをつかまえ、 「ありゃあ、どちらの方なのだ?」 少し、むっとした副会長。 「何故だ?」 苦しい答えのマスター。 「企業秘密だあ?おいおい、マスター」 笑いながら彼は言った。 「たっ、例え貴方のようなお方でも、きっ、企業のコンフィデンス・トップシークレットをお話する訳にはまいらぬのです」 それ以上は、彼も聞けなかった。側には、大物総会屋もいたのだが、口をあんぐりしたままだった。 「まあ、はっきりしているのは、財閥のゆかりの人物か、関係ある取引先の人だろうと、言う事だ」 「わっ、判らん。一体何者なんだ。俺達の知らないVIPが、まだ存在しているなんて」 所詮彼等は、成り上がり者。家柄がどうのと言う話になると、沈黙してしまう。まして、トップシークレットとなると、挌がなんとなく違うんじゃないかな、なんて。もう、きりがないので、やんぴ。 何やら、長ったらしい名前のワインをボーイが運んでくる。 ステージには、名の通った外国のジャズシンガーが、ピアノと、ベースの演奏で歌っている。マスターの指示で、I氏のテーブルにやって来る。もう、竹下さんばりの配慮ではないか。だが、腹の中に私欲はないが、ね。 I氏に、うっとりと視線を向ける彼女達。まさか、安い居酒屋で出会った親父が、こんな超高級なクラブでさえも、特別扱いのVIPだなんて、夢のようだ。 他の席の客が静観している。じろじろ眺めて機嫌を損ねられては、お近づきどころでは無くなってしまうから、何気なく酒を飲んで、ちら、ほら、とI氏を見る。 そのI氏、どう食べてよいか判らない。生唾もんだが、どう手を出したら良いものか。女の娘、氏が手を出さぬ以上食べられない。 「ふーむ。見事な料理を並べ、まず眼で楽しむ。我々とは次元の違うグルメですなあ」 設定がVIPである以上、こう評価されるのは、当然の成りゆき。痴呆が天才と言われれば、当然衆目はその評価で見る。世の中の摂理だ。 名シンガーと名高い、この黒人シンガーも、I氏の側を離れようとしない。 A子が言う。 「おじさま・・素敵な所ね」 が、I氏の表情はまだ硬い。どうやって食おうか、悩んでいるのだ。 B子も言う。 「私、このジャズシンガーのファンなの。おじさま、そう伝えて下さらないかしら?」 困りながらも、微笑むI氏。なんとか言わなきゃ、メッキが禿げる。えーい、腹を括ったI氏。お国訛りで喋っている。 「ウイ、ママヨ、ヘラコンデス」 I氏の田舎言葉で、 「おばさん、この娘がファンだそうだ」 だが、意外や、意外。この黒人シンガー、眼を輝かせて、感激の様子。 「vf5dxhgvf?ppjhgrfdds」 「ふうむ。さすがに英才。南部アメリカの、黒人訛まで知っているとは」 どよめきの声があがる。このシンガー、通訳の通訳が要る程の訛なのだ。何かI氏との共通点も感じるなあ。 ところで、彼女に聞こえたのは、 「素敵なお嬢さん、今夜供にしませんか?」 そうなのだ。冗談だけど、冗談ではないのだ。相手がVIPと聞いている上、先程から素敵な方だと、熱い視線を送っていた彼女にとっては、ストレートなハートに一発でくる、最高の誘いであった。だから、 「勿論、喜んでお供しますわ」 そう答えたのだ。何と・・絶句。 尊敬の上、尊敬を重ねる彼女達。喜ぶシンガーの熱いキスを頬に受け、I氏、ご満悦。この豊満な肉体にも、そそられる思いだったが、そこまで彼も考えていなかった。 これで、気分良くしたI氏。マナー等、何処吹く風とばかり、グラスを眼の前に差し出す。 「ヘルコ!」 娘達も、同じく、 「ヘルコ!」 と、グラスを合わせる。 余計だが、この言葉、実はジャズシンガーのお国訛りで『◎んこ』であったから、いやはや、何とも。 ジャズシンガーの、益々熱い視線を浴びながら、I氏達は全く自由に料理を食べ始めた。大体が、洋食なんて小難しく考える必要なんて無い。おいしく食べるこれが一番。最低のマナーくらい、知っていさえすればいいのだ。どうにか、恥をかかずに済んだようだ。 「ほお、なかなか個性のあるお召し上がり方」 又々、騒然とする店内を余所に、「う、うめえー」と、飲むわ、食うわ。そこには青ざめたマスターが立ち竦むのみ。まさか、この何百万、何千万の請求を額面通りにしてもよいものか、どうか。否、否。これは、接待なのだ。ここで、良しと言う心証を与えられれば。採掘権は磐石となるのだ。そうなりゃ、もっと、もっと上のランクへ出世出来るやも知れぬ。こら、こら。妄想してんじゃねえ。 「どうかしたのか?マスター」 一人、にやにや、ぶつぶつ言っているマスターにI氏は尋ねた。 「はっ、いっ、いえ。何でもございません」 マスターは現実に戻されて、はっとした。 「やな、マスターやなあ、変な顔して、気持ち悪ー」 関西出身のE子、思った事はズバリと、言う。無論酒の勢いもある。 「もっ、申し訳ありません」 マスターは、平謝りした。 「おい、おい。何か、あの関西出身のモデルに怒られたようだぞ」 I氏達の一挙手一投足が、すでに店内の注目の的になっている。 D子が、E子に耳打ちする。 「ああ、なるほど。ごめんね、マスター」 泣いた烏がもう、笑った。マスターは微笑んだ。 「ほお、あのスポーツマンタイプのお嬢さんに、たしなめられたようですな」 アーパー短大の、酒飲み同好会のアーパーギャルが? 「きゃはは。皆が見てるう」 すでに、高級ワイン数本を飲み干したC子の、悪酔いした声が響いた。 慌てて視線を戻した客達が、小声で・・ 「どこかのお嬢様らしいが、生まれが良くても、勝手気ままのお育ちらしい」 「な、何とも恐ろしい痛飲、痛食」 早よ、帰れよ。全く、見る方も見る方だよ。 「おおっ」 どよめきが上がる。 「や、やっぱりVIPだ。か、帰りましょう」 I氏の素性が判り、いつもにない勘定を払い、彼等は退店していった。 さて・・・と。 「こっ、これから、どっ、どうされますか?」 震えた声でマスターが問う。 「酔ったぞ」 I氏は答えた。聞かなくても一目瞭然だ。品位ある、こ、このクラブが・・。マスターは悲しい。しかし、しゅ、出世が。 「やあだ、まだ、ぶつぶつゆってるうー」 E子が焦点の定まらない顔で言う。 「だからあ、E子。マスターは管理職にありがちな、中年病なんだってばさあー、可哀想なのよ。躁鬱病なんだって」 おやおや、さっきE子の耳元で囁いていたのはこの事だったのか。良く言うよね、マスター。 「は・・はは」 泣きそうな顔で、マスターは、笑った。 「キャア、キャハハハ。マスターったら、泣きながら笑ってるう」 もっとも早くから、酔っぱらっていたC子が、つんざくような声で笑った。この娘は笑い上戸のようだ。でも、んな事どうでもいい。一体この人達は、どれだけ世間騒がせなのだろうか。 とうとう、マスターは泣き出した。 「ぐすん、お、お客様。こっ、これからどう致しましょうか?」 A子も、B子も、C子も、D子も、E子も。ええい、判っておるわ。 「は、はい。おおい、おおい・・」 声を上げてマスターは泣き出した。ボーイがマスターを気遣い、側に寄る。中の主任クラスの一人が、とうとうI氏に。 「おっ、お客様。わっ、私共に過ちがあれば、いかようにもお詫び致します。マスターをどうか、せ、責めないで下さい」 震える声でボーイは言った。国賓並のVIPに対して、応対の気に入らないのを戒めとしているように見えたのだろう。まあ・・常識的で、忠実な部下ではないかい? 「何も、謝る必要等、無いのだ。気持ち良く酔った。そう、言っただけだ」 マスターがボーイ達を制すると、 「これから、どうされますか?私達には、もう・・」 何を言わんとしたかは、聞く必要は無い。I氏は言った。 「私の運転手は、もう家に帰した。今日は、ここのホテルに泊まりたい」 さすがに、総責任者のマスター、行動は素早かった。これで、一安心。この守備はそう、悪くなかったようだ。泣いた烏がもう、笑った。やれやれ、マスターは肩の荷を降ろしていたが、6人はその場にうっ伏して、既に寝込んでしまった。 ボーイは驚いた。 「馬鹿者!すっとんきょうな声を出すな。このまま運べと言っているのだ」 マスターのひきつった声が響く。だって、しょうがねえじゃねえか。皆寝てるんだから。どないせえっちゅうんじゃ、ねえ?マスター。 哀れ、諸外国の偉いさんが泊まるこの、超高級ホテルが、大騒ぎ。 「きゃあ」「何だ?何だ?」「クレイジー」「OH!マッドマン」 ホテルの総支配人が飛び出して来た。 「馬鹿者!何やっとる」 総支配人は、怒った。 そこへ、マスター。 「一体、何の騒ぎだ!事と次第によっては、首では済まんぞ」 必死の形相で、説明を始めるマスター。事情は薄々判ったものの、総支配人。 それを言って二人は絶句した。 I氏の楽しい一夜は終わった。 その後彼女達がどうなったかって?そんなに世の中、甘くは無いんだよ。元秘書の運転手が、それは見事な、後始末をつけましたってさ。そして、今は田舎の料理屋の大将になっている、マスターにこう言ったとさ。 「君は大変良く接待してくれた。旦那様に代わって礼を言う。感謝している。だが、君は類稀な大馬鹿者だったな」 ・・・・。 I氏は程無く、黒人のジャズシンガーと結婚したと言う。 平成八年十二月三日 完 |