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作 じゅん
一歳違いの兄と行くのは、川之江城下の西之浜で、エビを採り、小魚を掬い、竹の延べ竿でハゼを釣る。退屈すれば、どぶん。当時の海は白砂で、水は澄み、チヌ・ベラ・シマダイが群泳し、地堀りのゴカイで面白いように釣れた。しかし、私達にはどうしても釣れない魚があった。海の底一面に、腹を返しながら大集団を形成しているチヌだ。粗末な仕掛け、太い糸、赤虫針。見えている魚をひたすら狙う私達。 『釣れんのう…』 そんな、夏が幾度か過ぎた。この頃、近所のガキ大将が毎日のように大きいチヌを釣ってきては私達に見せびらかすのだ。 彼は『土居の池』と言う大きな溜め池を過ぎ、どんどん山道を登って行く。 子供が近寄ってはいかん、と言われている、昼間でも薄暗い木が生い茂った山道だ。細いその道に不安になった私は、兄に聞く。 『どこ行くんやろか、トシちゃん…』 怒ったように兄が答える。兄とて不安が頂点に達していたようだ。トシ坊は『鴻鶴池』と呼ばれる、最山際の深い池の前に立った。そのトシ坊の姿が突然消えた。慌てて池の土手を駆け上がる私達。その時、 『こら!人の後付けて、なんしよんぞ』 『いや…あ、あの』 予想外の展開に、どうしてもチヌを釣りたくて仕方が無かった私達は舞い上がった。 『これで掬え』 一掬いで採れたエビが、無数に折り重なり合いピチピチ飛び跳ねる様は、後にも先にも恐らくないであろう、まさに恍惚そのもの。モエビの宝庫とも言える場所だった。 それからまもなく、急速に親しくなったトシ坊と私達。兄はその日の内にとうとう念願の20センチ程のチヌを釣り上げた。 しかし、私は仕掛けをからませては直すばかり。背の低い私には竹の延べ竿は長過ぎて、思うように操れない。その内に学年下の私を連れていくのがうっとうしくなったか、置いてきぼりを食うようになった。それが悔しくて、悔しくて、チヌを釣りたい私は祖父に懇願。山で切ってきた青竹を干し、その中で私の背丈に合う竿を選んでくれた。その上すぐ仕掛けを取り替え出きるよう交換スプール3組を用意してくれた。 今度は近所の兄と同じ年のまあちゃんを誘い、丸秘のモエビ場所へ。そして、とうとう、釣り上げたチヌ。これが、私とチヌとの最初の出会いなのだ。今も少年の時のそのままに心の残って焼き付いて離れぬチヌ。その気品ある姿を今日まで変わらず追い求めている私にとって、チヌとは釣魚としての対象だけでなく、憧憬でもあるのだ。 『通えども 幾度か巡れど 逢えぬ秋のチヌ』 私はこの初めてのチヌに再び出会える感動を求めている。ノスタルジックと人は言う。だが、止まぬ釣り。この出会いと感動。心揺るがすものが他に見当たらぬのだ。 やがて時は流れて行く。兄と飯盒炊飯で一日釣ったり、食べたり、泳いだりの夏は、池のフナ釣り、ハエ釣り、モロコ釣りへと、変化しつつ、時にはチヌ釣り、又一時熱狂的に弟とのめり込んだレース鳩競争へと。ゆったりとしながら、或いはエスカレートしながら、超えて行く月日と言う山。決して忘れた訳では無いが、チヌ釣りの感動は置き去りの日が続くのだった。 私に転機が訪れたのは、地元に就職していたアルミサッシ会社を退職し、大阪の写植学校へ就職してからの事だった。 『来たよ!』 『釣りと出会い』ありふれたこんなフレーズの言葉が、原点でもある私のチヌ釣りモットーである。 これが、私にとって切っても切り離せないチヌ釣りであり、出会いなのです。 |