ぼくらのお風呂イベント
2005年7月28日
スノウを海で拾ってから1週間も経っていなかったと思う。
様子を見にコウ先生のところへ行くと、少し前にふらりと部屋を出て行ったという。彼の大切にしていた剣、「パパブレード」もなかった。
懺悔室、図書室などひとつひとつ覗いていったが、スノウはいなかった。正直焦った。広い艦内で迷子になって倒れでもしたらどうするんだ。おれは心の中で悪態をついた。まったく世話の焼けるお坊ちゃんだ。
コックのフンギに聞くと、奥のほうを指差して言った。
「スノウ坊ちゃんなら、風呂に行くとか言ってたよ。ついさっきだったかな?」
「ふ、風呂。……一人で?」
入りたいんならおれが連れて行ってやったのに! おれはR1ダッシュで風呂場にかけつけ、期待で胸を膨らませて、番台のタイスケの前に立った。
「イリスさん、今日はどうする?」
「スノウ来たかい?」
「スノウ? 誰ですかそりゃあ」
タイスケは怪訝な顔をした。
「今入ってるのは、新顔の若いやつですよ。脱いだものを乱れ籠に入れもせずに、床に捨てていくんだから、恐れ入ったもんです。怒りつけるとあわててかごに入れてましたがね、それもぐちゃぐちゃにだけど。親の顔が見たいよ、ったく」
「ごめん」
「なんでイリスさんが謝るんです、あなた今の野郎の親ですかい」
そっとドアを開けて見ると、湯煙のむこうにスノウの顔と、雪みたいに白い肩が見えた。
お湯のなか、気持ちよさそうに目を閉じていたが、こちらの気配に気づいてうっとりと目を開けた。頬がほんのり赤くて色っぽい。
「イリス? 船にプールみたいなお風呂があるなんてすごいね……ちょっと肌にしみるけど。これ海水だよね」
スノウは湯を手ですくい、ぺろっと舐めて顔をしかめた。
「ああ、気持ちいい。生き返った……」
「風呂なんて入って大丈夫なんですか」
「もちろん。訓練場に行きたいんだけど、体を清めてからでないとね。少しでも早く役に立ちたいんだ。イリスも、そんなとこで怖い顔してないで入っておいでよ。お風呂、つきあってくれるよね?」
服を脱いで戻ってくると、スノウはなんとなくこちらを見ている。おれのやることをじっと見ているのだ。
こっちはどぎまぎして、スノウの体のどのパーツも正視できないって言うのに、テキはこっちを平気でじろじろ見ているなんて。
こんなの、フェアじゃない。
「ふうん。へええ」
「ちょっ……じっと見るなよ、マナー違反だよ」
次の瞬間、わが御曹司は、恐るべき大ボケぶりを露呈した。
「だって珍しいんだもの。イリス、君、前をタオルで隠して入ってきただろう。面白いなと思って。それから、さっき君がやったのって、何かのおまじない?」
おれは片足を湯に突っ込んだまま固まった。
「さっきおれがやったの、とは? なんすか、それ」
「お湯でばしゃばしゃって大事なところを洗っただろ。イリス。あれ、なに?」
「ああ、あれは掛け湯といって」
おれは声を低くした。
「ひょっとして、スノウは脱いでそのまま飛び込んだ?」
「そうだけど。え、いけなかった?」
「だめ、掛け湯はしなきゃ。こういう風呂のマナーなんだ、後の人が気の毒だろ?」
スノウは心配そうに外の番台を見た。
「なんだか悪いね。お湯を汚しちゃったんだね。お風呂屋のおじさんに謝ったほうがいいのかな」
「もう黙ってるしかないよ。今度から気をつければいいことだから……あ、それから、湯船に石鹸を溶かして泡風呂にするの、禁止。洗濯もだめ、泳いでもだめ。スノウはこれから一般市民として生きていくんだから、いろいろ学ばないといけない」
いきなりいっぱい言い過ぎたので飲み込めなかったみたいだ、スノウは迷子の子供みたいな、途方にくれたような顔をした。
「難しいね。いったい、どうやって体を洗えばいいんだい?」
おれはできるだけ何気ない風を装って、おれの持つ一番さわやかな声で、こう言った。
「しかたないな……おれが洗ってやるよ」
そういったとたん、鼻の奥で何かが切れた。思わず押さえた指の間から、鮮血が流れ落ちていった。
「ああっ、イリス。鼻血が、鼻血がああっ」
「お、大きな声出すな、ちょっとのぼせただけだからっ」
おれはタイルに血を点々と落としながら、ものすごく恥ずかしい気持ちでいっぱいになり、脱衣場に転がり出た。
「おや、イリスさん、鼻血ですかい。さすが若いねえ。はい、ティッシュ鼻に詰めて。お兄ちゃんは冷たいタオルを持ってきて」
スノウはおろおろとタオルを絞ってきたが、それがまたべちょべちょで、水が滴る程度にしか絞れていない。ああもう、どこからどこまで不器用でダメな男……。
やっぱりおれがいないとぜんぜんダメなんだから。
そのあいだにも、スノウのピンク色のチクビが視界の隅に入ってくる。見ようとしなくても入ってくる。
もう、だめかも、おれ。
たのむから、風呂から上がったらタオルで前をかくすとかしてほしい。
お願いだ、スノウ。これでは拷問だ。
ティッシュを鼻に詰めて耐えていたが、裸のままのスノウがおれに密着してタオルを当ててくれているものだから、止まるものも止まりはしない。
「どう、どうしたんだろう。何で止まらないのかな。横になったほうが良くない? ぼくの膝に頭載せてみる?」
「ううっ、だめだっ。おれにかまわないでくれ、頼むからっ」
スノウの太ももに膝枕なんて、想像するだけでよけいに鼻血を吹いてしまう。おれは追いすがるスノウの腕を振り払った。
早くそばを離れなければ、真に助平な紋章が発動してしまう!
そのとき唐突に戸が開いた。目の前にはケネスとタルがいた。鼻血にまみれたおれと、スノウを見比べて、ああやっぱり、やっぱりそうだったのね、というような顔をした。
そのときの彼らの哀れむような目を、おれは一生、一生、忘れないだろう……。
END
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