なごみ系

この荒涼たる人の世を、誰が一人で生きていける?(トマス・モア、夏の最後の薔薇)


湖からくる夜風が心地よい。
ヒックスがテンガアールに魚を焼いてやっている。
焚き火のそばで、少女は無心に魚を食べる。
「おいしい?」
「うん」
そうしているのを見ると、何の屈託もない、ほほえましい恋人たちだ。

フリックが通りすぎようとすると、ヒックスは実に挑戦的な視線を投げてくる。
(例のことは、成りましたか?)
フリックはかすかに笑って見せた。

その夜、テンガアールが眠るのを見計らって、若者はやってきた。
「ヒックスさん、どうでした?変なこと焚き付けて、気に病んでたんです」
「お前が気に病むようなタマか?」
「ちゃんと答えてくださいよ。楽しみにしてたんだから……ビクトールさんは?」
「ああ。落とした。一発だ」
「証拠は?」
「そんなものは、ない」
「じゃ、信じられないな」

フリックは思わずかっとなって、乱暴に相手の腕をつかみ、引き寄せた。
ヒックスは少しだけ眉をひそめる。
「おれ自身が証拠だ。ヤツのケツを掘ったのと同じように、お前もやってやる」
「ふ……こわいですね……フリックさん」
少しも怯える様子もなく、かえって誘うようにまっすぐ見上げてくる。
ほっそりした首に口を付けると、ヒックスはのどの奥で笑い声を立てた。
「フリックさん……乱暴にしちゃ、いやですよ……」

ズボンからシャツを引きずり出しながら、女を愛撫するようにわき腹から胸へ、鎖骨へと、無骨な手のひらで愛撫し、ヒックスが抵抗をなくすまでキスをしてやる。
湖の波の音を聞き、そのリズムに会わせるように、ゆっくりと脚でヒックスの体を締め付けて脱がせにかかるころには、かれはすっかり息を乱していた。
いつもなら、フリックもすっかり興奮しているころだが。
(今日は、少し疲れているんだ……)

ヒックスの、なめらかで肉の薄い胸を撫でながら、もっと厚みがあればいいのにと思う。
思ってからぎょっとする。
誰みたいに、厚みがあればいいというのか?

(むさくるしいのは、嫌いだ。むかむかする)
気をとりなおして、骨の浮き出た細い腰をつかんだ。それから口で慰めてやるとヒックスはひどく喜ぶ。

恥ずかしがったりはしない、なぜならば独身の男どうしが慰めあうのは、戦士の村ではごくふつうにあることだからだ。
そういう経験のないものの方が、むしろ少ない。

戦いには女は連れてはいけないし、未婚の娘は母親に守られて、手を出すことなどは不可能だ。
唯一手が出せるのは後家さんだが、たいていすぐに後添いに入ってしまう。

寂しさを紛らわすために、また戦士としての絆を深めるために、独身の男たちが睦み合うことは許されている。
男女のセックスの代用品というより、昔からの習慣ないし通過儀礼のようなもので、年長者から求められると拒めないことになっている。

フリックも昔、年上の若者に関係を強要されて断れなかった。
それがいやで、成人の儀式のためと称して、戦士の村を逃げ出した。
オデッサと出会い、一途に恋した。
彼女もフリックの思いを受け入れてくれた。

オデッサが死んでからこっち、女を抱けない。
だから仕方なく、同郷の若者をたぶらかしているのだ。
いや、たぶらかされているのかもしれないが。まあ、同じことだ。

今日という今日は、もうわがままを言わさないつもりで抑えつけると、若者は思いのほか無抵抗だった。
さすがは戦士の村の子というべきか。
後ろに手を廻して、指で尻のあいだをふれると、わずかに体を固くしたが素直に脚を開く。
今なら簡単だ。

それなのに、フリックの一物はまったくいうことを聞かない。
とうとう若者が気づいて、すっかり萎えたものに触れた。それから親切にも、立ちあがらせようと熱心に努力してくれた。
無駄だった。
「ヒックス、悪かった。もういい」
「疲れてるのかな」
「そうだ。……すまなかった」
そうつぶやいて、この状況をおさめるべく、男は若者の股間に顔を埋めた。


ビクトールは自分の小さな部屋で、しまいこんでいた斧を取り出して、油紙をほどき始めた。
たちまち星辰剣に見咎められる。
「それをどうするのだ、ビクトール」
「これか?」
「そうだ、その斧をどうするのだ?もう使うものもいないのだろう?」
「そうだ。これは、故人の縁者に渡す。明日という日は、さすがにおれもどうなるかわからないからな。死んでからでは渡せないだろう?」
「お前は殺しても死なない男だ」
ビクトールはふと表情を和らげた。
「ふふ、そうだな。星辰剣どの、頼りにしてるぜ」


リアムの部屋の前でビクトールは立ち止まり、ドアをノックした。リアムはすぐに起きてきた。
そしてビクトールの持つ斧を見て、しゃがれた声で、「それは」とだけ言った。
「これはグレミオの斧だ。おれがソニエールから持って来た。今まで渡さなくてすまん」
「……ああ……」
「もうこれを見せても大丈夫だろうとおれは思った。だから渡す」
「…………」
「どうだ?さび一つ、刃こぼれ一つないだろう?」

若者は大切そうに斧を受け取った。
斧に彫り込まれた自分の名前を見て、さすがにこみ上げるものがあるようだ。
しかし気丈なリアムは、もう涙一つ見せない。

「わかってるだろうが、お前にはおれたちがついてる」
「…………」
「明日は勝とうぜ、リアム」
「ああ」
「おやすみ、早く寝ろよ」
「ありがとう、ビクトール」
風来坊はリアムの肩を軽くたたき、その場を離れた。


淡い木漏れ日の中、美しい赤い髪がなびくのが見える。
オデッサが、軽い足取りでやってくる。
亡き恋人はお気に入りの、淡い緑のドレス姿で、フリックに話しかける。

答えようとするが、フリックは声も出せない。

「どうしたの?フリック。まじめな顔して」
ばら色の頬に、気さくな微笑みを浮かべている。
……オデッサ。どうして夢にも出てきてくれなかったんだ。愛しているのに。
「私もあなたが好きよ。でも、婚約してるの。ごめんなさいね?」
……親の決めた婚約者じゃないか!おれのほうが何倍も愛してるのに!
「あなたは優しくて、純粋な人ね。きっとすぐにステキな人が現れるわ」

……連れてってくれ。お前のいないこの世にいたくない。
……荒み果てたこの世を、どうしてひとりで生きていける?

幻のオデッサがフリックの頬を、指で撫でた。

「フリック……泣いているの?」
……お前がおれをおいて行くからだ……お前がひとりで死ぬからだよ!……
……オデッサ。連れていってくれ。

フリックがオデッサを抱きしめようとすると、令嬢はすうっと身を引いた。
「私はもう行かなくちゃ……ハープの先生が来るの。またね、フリック」
そのままきびすを返して、軽やかに駆けて行ってしまう。
ドレスの裾がひるがえり、可憐に小さな足が見えた。

「行かないでくれっ!!!オデッサ!!」

大声で叫んで、それでフリックは目を覚ました。
枕は涙でびしょぬれだった。
胸が痛い。空っぽのはずなのに、どうしてこんなに痛いんだろう。

「やっと夢に出てきてくれたら、婚約してるの、だと?大笑いだぜ!」
声を上げて笑い、それから髪をかきむしって泣いた。
しばらくして彼は立ちあがり、部屋を出た。

魂が抜けたみたいに、体が軽い。
ぼんやりと歩いて、やがてあの男の部屋に来てしまった。
風来坊の部屋から、いびきが漏れてくる。

一歩入ると、あのむさくるしい男のかすかな体臭がする。
なつかしい、匂いだ。なぜだ?

男は大の字になって眠っている。気苦労などなさそうな、浅黒い寝顔だ。
じっと見ていると、腹が立ってくる。

どうして起きないんだ、こいつ。寝こみを襲われてるんだぞ?
そっと顔を触っても、びくりともしない。

どこが、修羅場をくぐり抜けてきたサバイバル系だって?

「ビクトール、客人のようだぞ。起きたほうがよいのではないか?」
ベッドの横に立てかけられた星辰剣が、おごそかな口調でしゃべった。
フリックは心臓が止まりそうになり、ますます腹を立てて、男の鼻をねじ上げた。

「おきろ!」
「んが、んが……な、なんだあ?」
「ふん、無用心だな、ビクトール」

フリックを見て、さすがの風来坊も恐慌をきたしたようだ。
「お、お前はフリック!なんだ、何のようだ……」
「用がなきゃ、来ちゃいけないのかよ!」
フリックは、ビクトールのベッドに近づいた。ビクトールは飛び起きた。
「……お、おい!」
「廊下を歩いてきて寒いんだ。ちょっと暖まらせろ」
「なに寝ぼけてるんだあ?」
「いいじゃないか!減るもんじゃなし!やらせろよ!」

ビクトールは呆れ顔で、フリックをじっと見て、諭すようにゆっくり言う。
「坊や。つまんねえ遊びはやめだ。グレミオの斧は、リアムに渡した。あいつならもう大丈夫だ。たとえ、おれとグレミオについてなにを聞いてもな」
「……」
「だから脅しはもう効かない。帰って寝な、坊や」
「……」

ビクトールの目は丸くて、黒っぽくて、人懐こい。
きらきらして、黒すぐりの実みたいだ。
あんなことをされたのに、フリックを見返すその目には憎しみの影もない。

「ところでフリック、お前。どうして泣いてるんだ。酔ってるのか?」
「違う。ただの、夜泣きだ」
「がきじゃあるまいし。いっぱしの剣士なんだろ?立派な剣が泣くぜ?ん?」

どうしてこんなに、あったかいんだ。こいつは。
ますます泣きたくなるじゃないか。
自分をさらけ出さずにはいられない。

「ひとりで寝たくない、ひとりで寝たくないんだ」
「…………」
「寒くて寒くて、死にそうなんだ。どうしたらいいんだ?」
「…………お前」

ためらいがちに、ビクトールは言った。
「もしかして。戦いが怖いのか?」
「もしかしなくても、そうさ。怖いんだよ。寂しくて死にそうだ。お前だって、そうだろ。どうすれば紛れるんだ?一発ヤルしかないじゃないか!え!?」
「フリック……お前、切れてるな……」
「あんた、おれより少しはよけい生きてるんだったら、教えてくれよ!それ以上のことがあるか?」

ビクトールはしばらく天井を見上げて考えていたが、
「ないな」と言った。
「そうだろ?おれのいうとおりだろ!?」
「わかったから、夜中だから、大声上げるな」
「じゃ、一発抜かせろよ!」
「まったく、おれにだけ、どうしてそうなんだよ。似合わんことをいうなって」
「ふん、お前みたいなむさい男には、これで充分だよ!」

ふいにフリックはビクトールに引っ張られて、暖かいベッドの中に引き込まれた。
「やらせてやるわけにはいかんが、お前が眠るまでこうしていてやるから。眠れ」
「…………」
「泣けるうちは大丈夫だ。これから何もかも、よくなる。おれたちが負けるはずがない。そう思えばいい、フリック」

ビクトールはそういいながら、太い腕枕をフリックに貸してくれた。
フリックは身じろぎして、ビクトールの胸に額をつけ、しがみついた。
安らげる。規則正しい鼓動だ。フリックは深い息をついた。

それでやめておけばよかったのだが。
フリックはしがみつきすぎた。体を密着させすぎて、足を絡ませすぎた。
風来坊の鍛え上げたカラダの、なんという抱き心地のよさ。
ヒックスのときはいうことをきかなった一物が、恐ろしくそそり立ってしまう。

風来坊は当然気づいているはずだ。身じろぎして、軽く押し返してくる。

「フリック……おい……そう、しがみつくな。苦しいじゃないか」
「……むらむらしてきた。やっぱ、やらせろ」
「あのな、おれはいやだぞ。あのあと、クソしたときにすげえ痛かったんだぞ?死ぬほど往生したんだ。ったく、えらい目にあったよ」
まだ眠いらしく、その口調はゆっくりと、のんびりしている。
「あの金髪ヤサ男とはやりまくったんだろが」
くすっと笑って、ビクトールは言い返してきた。
「グレミオはお前みたいにヘタじゃなかった……」
「尻の掘りかたなんてわからない。わかるように教えてくれよ」

ビクトールはため息をついている。
「……お前ってやつは、顔に似合わんことを……」
「してくれよ」
虚をつかれたらしく、さすがにビクトールも答えない。
しばらくしてフリックは、いいなおした。
「抱いてくれ、ビクトール」
はっきりそう言うと、フリックはビクトールの胸に顔を埋めた。
END


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