剣士オルナンのつぶやき 14 2006/08/01
数日して、デスモンドがサロンにやってきた。
「あなたの息子さんの、将来のことで」
そういうと彼は、ひとつ席を置いたところに座った。
「彼、見所がありますよ。何より素直なのがいい。酒場の用心棒のあなたとは大違いですね。顔が似てなきゃ親子とは思えませんよ」
デスモンドは一口酒を飲み、上機嫌で話しつづける。
「戦が終わった後も、ずっとオベルで働きたいそうですよ。兵士でも何でもやると言ってますが、それなら王宮で勤めたらと思うんですよ。父親であるあなたはどう思います?」
「おれはあれを捨てていった父親だ、いまさら口を出すことなど」
「でも、父親であることに変わりはないでしょ?」
デスモンドはからかうようにおれを見つめた。なんてやつだ。今までの意趣返しもあるのに違いない。
「………どうか……あれをよろしく頼む」
ただそう言って頭を下げるしかなかった。
もう何があろうと、絶対にデスモンドに手は出せない。でないと息子の将来をつぶすことになる。
まずは、己が精力を弱める食生活を試みた。肉や魚を絶ち、薬草系の食べ物も避け、肉体労働も買って出て、己が体を責めさいなんだ。
それで昼間は余計なことを考えずにすんだ。だが正体もなく寝ている夜中となれば、内なる獣が目覚め、勝手に暴れだしてしまう。
おれは夜毎に夢の中のデスモンドに向かって手を差し伸べる。眠る体が歓喜に震え、断りもなく勝手に精を吹き上げ、夢から覚めれば、乾きかけた下着が体にへばりついている。
寝るまでに処理をしてもだめだった。
たまりかねて、ついにユウ医師のもとへ出向き、「強すぎる性欲をなくしたい」と訴えた。
若い医師はしばらくペンを握ったまま、カルテを見つめて固まっていた。
「性欲減退の治療ならともかく、その逆はあまり聞いたことがない」
もう少し詳細に事情を話すと、「それはなんとも深刻な」と言いつつ、まだ疑っているようだった。
ただ、おれに付きまとわれている相手が男だと知ると、先生も人の子、本当に逃げ出したそうなそぶりを見せた。
この先生に見捨てられたらもうお手上げだ、おれは必死に釈明を試みた。もともと女性が好きだったのに、今ではどんな女にもそそるものを感じられない。ただその男だけに魅力を感じると、そういって安心させようとしたのだ。
「たとえば先生は彼より男前だが、何も感じない」
医師は肩をすくめて見せた。
「私が男前かどうかはともかく、あなたがその人だけに惹かれるというのなら」
医師はペンを立てて、「恋、ですね」と断定した。
この若造が!! おれは逆上しそうになった。
「恋でもなんでもいい、とにかく性欲をなくしたいのだ。頼む、何とかならないだろうか?」
ユウ医師は「あなたには薬というより催眠療法のほうが効きそうだが……」と言ったが、催眠療法などを受けるとデスモンドの名を口走るだろう。それはなんとしても困る。
「性欲を抑えるための薬ではないですが、とりあえずそれで様子を見てみましょう。あまり思い詰めないことですよ」
医師はそういって薬を処方してくれた。かなり苦いその散薬を、「必ず治る」と祈りながら飲んだ。
結果から言うと、薬の効果は劇的で、夜は淫夢も見ずに眠れるようになった。ついでに欲情するということ自体なくなった。
つまりおれは、不能になった。朝立ちも見事になくなった。一抹の淋しさを覚えるが、だがそれが何であろう? 息子の将来を台無しにするくらいなら、デスモンドをまた傷つけるくらいなら、自ら去勢したいくらいだ。
(あくまでもたとえ話である。もちろん実行に移すのは恐ろしい。)
一週間後、再びユウ医師の診察を受けたとき、「乳房が張って痛いようなことは、ありませんか? またヒゲの生えるのが遅くなったりは」と聞かれた。奇妙なことを聞くものだ。
全くないと答えると、医師は薬を処方してくれたが、同時に奇妙な注意をくれた。
「さっき言ったような症状が出てきたら、すぐに服用を止めて診察を受けてください」
帰り道、自分の胸を触ってみたが、ごつごつと可愛げのない胸板があるばかりだった。
医務室に行った帰りに、デスモンドに会った。体はもう何の煩悩も示さなかった。ありがたい、薬は十分に効いている。
彼の隣には息子がいて、帳簿の記入方法か何かを習っている。真剣な表情だ。
どうしてこの子を邪魔することができよう? 不能になろうと、乳房が膨らもうと、ヒゲなしになろうと、ここにいる限り薬を止めるわけにはいかない。
デスモンドのほうはおれに向かって、「大丈夫ですよ」というふうに、軽く微笑んでくれた。白いきれいな歯並びがまぶしい。胸の奥が疼いてたまらない。全く、いつのまにこんな病にかかっていたのだろう。
後は是といって特筆すべきこともなく、船の上の日々が過ぎていくばかりだった。
戦況は日々こちらに優勢となりつつあり、また、おれたちがミドルポートで仕込んだ仕掛けが、功を奏しつつあるようだった。
一度など、乗員がすべて死亡したクールークの船を拾ったことがある。接舷して中を調べたところ、水兵同士殺しあったかのような惨状であった。
それを見たとたんデスモンドは、「食糧は運び込んではなりません。この船は使えません、爆破しましょう。入ったものは着替えさせ、靴を水洗いさせてから帰還させてください」と軍主に言上し、そのとおりになった。
ときおり捕虜にした兵士を尋問していて、特に下級の兵士に「奇病」が広がっているということがあきらかになった。イルヤは非常に士気が下がっている。エルイールまで毒が回るのも時間の問題だろう。僅かな戦果だろうが、じわじわとボディブローのように効いてきている、そう信じたい。
ある夜、デスモンドは隣で酒を飲みながらつぶやいた。
「ここまでうまくいくとは……。あなたたちのおかげです」
おれたちがミドルポートで穀物にばら撒いた菌が、ゆっくりと広まり、クールークの穀物を毒している。毒化した穀物は、それを食べた人間を狂わせる。
……大きな声ではいえないが、アカギと組んで、群島各所の「クールークシンパ」を葬り続けている。暗殺である。
悪魔の仕業だったが、先方も民間の船を襲い続けているのだから、お互い様だ。
「戦世はどちらにも地獄だ。早く終わらせねばならない」
するとデスモンドは「あなたは何だか変わりましたね」と笑った。
「どう変わった?」
「人間が柔らかくなった。普通に話もできるようになったし……恐ろしい感じがしなくなった」
おれのことがそれほど恐ろしかったのだ。とうとうすぐ隣に座るようになったデスモンドに、体は反応しないのに、抱きしめたくなるのはどういうわけか。丸い頭を抱きしめたくなるのはどういうわけか。
「戦が終わったら、オベルで祭りがあります。いいお祭りですよ」
「きみもあの三弦を弾くのか?」
「お呼びがあれば」
「……ぜひ聞きたいものだな。きみのあの音色は心が洗われる」
「三弦くらいならいつでも」
デスモンドはそういって照れたような微笑を浮かべた。
捜し求めていた女はついに見つからなかった。だがおれはもう、探す気はない。欲しいものはごく近くにあるが、それを手に入れようとは思わない。
大切と思うものを壊さずに見守り、そのもののために泥を被り、手を汚す。それもなかなかいいものではないか。
いつかそれで野垂れ死にすることがあろうと、おれは笑って死んでいけるだろう。
終わり。
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