いきなり告白イベント

2006-05-03


セレニスが死んで数日経ったある日、フェインが連泊するホテルの部屋に客があった。
控えめにノックが聞こえたが、放っておいた。客はどうせ、どこからでも入ってこられる身だ。

果たして天使はフェインが思ったとおり、天井から舞い降りてきた。それも、飛び降りるような敏捷な動きで、翼を全開にして飛び降りてくる。

「フェイン、少しだけいいですか?」
「今は君と話す気にはなれない。君の立場もわかるが……喪中なんだ。わかるだろう」
ラビエルは部屋の様子をちらりと見て、かすかに眉をひそめた。
部屋の床には新聞紙が散乱し、ベッドサイドのテーブルには缶ビールの空き缶がつぶれた状態で転がっている。
何日も身づくろいすらしていない。身辺を整える気力が湧かないまま、このホテルで少しずつ死に掛けている。
天使の目に自分がどう映るのかはあきらかだったが、取り繕う気力もなかった。

「ちゃんと、食べてますか?」
「なんとかな」
それは嘘だった。この数日間、フェインはビールか水しか口にしていない。
「ロクスが心配して、フェインにと。サンドイッチと、果物です」
ラビエルの手には、薄い茶色の紙包みがあった。
だが、フェインは受け取らなかった。セレニスを手にかけた男がよこした食べ物など、どうして受け取ることができよう?
「悪いが今は食欲がない。持って帰ってくれ」
「フェイン、食欲なくても食べなきゃだめです」
天使がその包みを押し付けようとしたので、フェインは反射的にそれを払いのけた。

天使は翼を垂れて、床に落ちた包みを拾い上げた。
「お酒ばかりじゃ、体が参ってしまいますよ」
「おれにかまわないでくれ」
ラビエルはフェインに近寄り、手を取った。
「勇者フェイン。どんなにあなたが奥様を愛していたか、よくわかります。だからこそ、生きてセレニスを弔ってください。奥様の魂が少しでも浮かばれるように、一緒に祈りましょう。そして、ロクスも言ってました。天竜と戦うのが一番の弔いだと。ぼくもそう思います」

勇者はただ床を見つめていたが、次第に怒りが募ってきた。この天使はこんなに無神経だったのか。
フェインはラビエルが来るのを、いつも心待ちにしていた。
半分鳥のような、この不思議な天使のおかげで気持ちが明るくなった。声を聞くと心が弾んだ。
姿が何日も見えないと、寂しさのあまり天使の夢も見た。

だが今、その天使が言う慰めの言葉は、まったくといっていいほど、心に入ってこない。いったいに本気で言っているとも思えない。
妻を手にかけた勇者の名を挙げながら、フェインに説教をするとは、いったいどういう神経なのか。
「ここの窓からも見えてるでしょう。天竜が空に上って、街を飲み込んで行ってるんです。どうかもう一度、戦ってください」

ラビエルはまだ何か必死で訴えている。形のいい唇がぱくぱくして、懸命に何かを言っているのだが、途中から耳に入らなくなった。
気がついたら天使の肩を掴み、壁に押し付け、細いアゴを掴んで上向かせていた。
天使は驚愕の表情を浮かべていた。
「おれはきみに頼んだはずだ。妻の居場所がわかったら教えてくれってな。お前は、そうすると言わなかったか?」
ラビエルは怯えた顔をして何度も頷いた。
「お前は何食わぬ顔をしておれを余所へやり、かわりに別のやつに頼んで、彼女を殺しに行かせた」
「フェイン、ごめんなさ……」
「セレニスは、一人で死んで行ったんだ。おれのしたことを、もう彼女に謝ることもできない。償うこともできやしないんだ。お前が邪魔をしなければ、せめて彼女と死ねた。ラビエル、お前がいたばっかりに!」

そう叫びながら、ラビエルの体を掴んで壁に叩き付けた。何かが折れるような嫌な音がして、天使が叫び声を上げた。
フェインはわれに返り、ようやく手を放した。

ラビエルはうつむいて座り込んでいた。幾分、放心状態のていだった。
灰色の羽毛が周りに落ちていた。勇者はおろおろと天使に手を差し伸べた。
「ラビエル。悪かった……翼を見せてくれ。どこか痛めたんじゃないか?」
するとラビエルは頭を振った。
「こんなもの、あなたの痛みに比べたら。でもフェイン、お願いだから目を開けて、窓の外を見てください。あの天竜を倒さないと世界が飲み込まれて、あなたもぼくもアイリーンも、みんな死んでしまうんです」

だが、フェインは力なく首を振った。セレニスと一緒に心が死んでしまったようで、またあのような化け物と退治する気概は残っていない。どこからあんな力が湧いたのかとすら思う。
「すまない、ラビエル」
「お願いです、フェインがいなかったら、どうやってこの世界を守ったらいいのかわからない」
フェインは胸が痛んだが、すでに引っ込みがつかなくなっていた。
ベッドのそばにより、隠してある剣を引っ張り出して、ラビエルに渡そうとした。しかし天使は首を振って後ずさりをした。
「おれを責めたらいい。セレニスに移植をさせたかった。悪魔の誘惑に乗って、本気で誰かの死を願った……この世の混乱の責任はおれに。おれの罪だ。君の上司にそういえばいい」
「フェイン、そんな昔のことで、誰もあなたを責めたりしません。大事なのはこれからなんですよ」
「無理だ。この剣はもう取らない」
そういいながら、使い慣れた剣を無理やり天使に押しつけた。
ラビエルはそれを両手で抱きしめた。
「未来を信じるといった、あなたを信じています。戦うのが辛いんなら、それでもいい。ただ、生きてください」

ラビエルはしばらくフェインの言葉を待っていたが、しばらくしてあきらめたか、帰りかけた。その瞬間、異様な光景がフェインの目に入った。
天使の翼は、もはや灰色ですらない。翼の付け根付近から先まで、鉄を焦がしたように黒みが勝っていた。
「翼をどうした、ラビエル」
「翼?」
天使は振り返って自分の翼を見たとたん、大声をあげた。
それから狂ったように胸に下げているネックレスを掴み、それに結び付けられた羽根を見つめた。しかしそれはラビエルの手に触れたとたん、粉々になって消えてしまった。
ラビエルは自分の手をしばらく見つめていたが、やがて空ろにつぶやいた。
「ミカエル様の羽根でも、抑えられなくなった」
「ラビエル?」
「あなたにだけは見られたくなかったけど、これが本来のぼくです」

天使は妙に冷静な口調でそういうと、フェインに向き直った。
「ごめんなさい、フェイン。あなたに勇者を辞めてもらうわけにはいかなくなりました」
「ラビエル?」
「あなたに、預けたいものがあります」
天使は少し体をかがめ、襟元から剣を取り出し、フェインに押し付けた。それは、フェインの手に収まるほど小さなもので、まるでペーパーナイフのように軽かった。
「抜いてみてください」
フェインは言われるままに剣を抜いた。抜き身が氷のように透き通っており、何かを斬るためというよりは、儀礼用の剣に見えた。

「これは、ぼくという中途半端な天使のために、ミカエル様が特別に鍛えてくださった剣です」
「君も戦うのか? それじゃ君が持つべきだろう」
「天使は地上では戦いません。それは天使を殺す武器です」

フェインは驚いて剣を落としそうになった。
「ぼくがサタンの誘惑に屈し、堕天使になりそうだったら、これでぼくを刺してください」
「何を言ってるんだ、ラビエル!」
「今、ぼくは嫉妬の罪を犯しました。心で思っただけで翼は真っ黒、ミカエル様の術も効かない」
「まさか君が堕天使なんて、ありえないだろう」
「可能性があるから、ミカエル様はその剣を下されたんです。あなたを信じて、それを預けます」

フェインは唇を舌で湿した。突如の重圧に、体がつぶれそうになる。
一瞬だけ天使を憎んだが、それが逆恨みなのは自分でもわかっていた。殺したいほどの感情など持っているはずがない。
「なぜそんなことをおれに頼むんだ!」
「あなたは、人間には持てない剣を抜いて見せた。それは特別な剣です」

ラビエルは、大柄な勇者をまっすぐに見上げた。
「天使がもっとも愛し、大切だと思っているものだけが、それを使うことができます」
「ラビ……?」
「フェインだけが使える、特別な武器です。あなただけが便りです」
「君が、おれを?」

ラビエルは顔を引き締めた。
「あなたの耳が汚れるから、繰り返しては言いません。今言ったことが全てです」
「わかった。ラビエル、おれの剣を返してくれ。もう一度戦おう」

天使はようやく微笑み、胸に抱えた大剣を勇者の手に戻した。
「それじゃフェイン、また来ます。ゆっくり休んでください」
「待て、ラビエル」

反射的に肩を捕まえて、ラビエルを止めた。天使の肩は見た目より強張っていた。
「すまない、おれは、気づかなかったんだ」
するとラビエルはようやく顔を上げた。
血の気がなかったが、ラビエルはまだ微笑んでいた。
「気づかなくて当然です。気づかれないようにしてましたから」
「ラビエル」
「ぼくが勝手にあなたを好きなだけ。勝手にセレニスに嫉妬してるだけ。あなたは何も悪くない」
フェインは翼ごと、ラビエルを抱きしめた。天使は一瞬体を強張らせたが、静かにこう言った。
「フェインは優しいから、気を遣うんですね」
「違うんだ」
「放してくれますか。ぼくなら大丈夫」
「もう何も言うな、ラビエル」
フェインは動かなかった。やがてラビエルはあきらめたように力を抜いた。



FIN


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