東の拝殿 11
宴会は夜も更けるまで続いた。
途中からは、早弾きの鳴り物に合わせての乱舞が始まった。有名な「オベルの阿呆踊り」であるが、地元民はけしてそんな呼び方はしない。「カズラー踊り」という。このカズラー踊りを大いに踊らないと、宴会は終わらない。
篝火が通りに沿って炊かれているのは、帰る客の足元を照らすためだ。時刻はかなり遅いのに、町は昼間のように明るかった。
デスモンドは王女と二人で、窓の外を眺めた。その窓からは町も港も一望することができる。どこからか、まだ鳴り物が聞こえてくる。
「フレア様、哨戒船が見えます。まだ灯りがついてますよ」
姫は船を見つめて、「船の上で宴会をしてるのかしらね」と答えた。結い上げた髪に飾った飾りが、涼しい音を立てた。宝玉は灯りを受けて、深い真紅に輝いている。その光を顔に受ける王女は、薄い上瞼に金色の化粧を施していて、別の女性のように大人びて見えた。
デスモンドはしばらく言葉を失い、ようやくかすれた声で言った。
「重くて大変だったでしょう。髪飾りも、お召し物もほんとに重そうで」
「重そうに見えるだけ?」
デスモンドは素直に言い直した。
「お美しいです。ときどきそのお姿を拝見したいくらいです」
王女は笑いながら「ときどきは無理よ。もう首が肩にめり込みそう」と髪に手を伸ばしたが、重く大きな髪飾りは、自分では取れなかった。
「取りましょう」
デスモンドがそっと手を伸ばすと、王女は少し体をすくめた。髪飾りは髪に編みこまれていて、そのままでは取れない状態であった。香油で固められた髪を水で柔らかくしながら、少しずつ櫛で解いた。
やがて王女は、「小さい頃、あなたに毎日、髪を編んでもらった。あなたの背中も覚えてるわ」とつぶやいた。
昔、姫の髪は腰の辺りまであった。王が、長い髪を好んだからだった。だが子供は元気に走り回るので、直ぐにくしゃくしゃに乱れる。幼い頃、その髪を編みなおすのは、デスモンドの役目だった。
王女は髪をといてもらいながら、小さな声で言った。
「ずっと一緒に居てね」
「姫様?」
「これからも、無理も言うかもしれないけど……でも私の横に居てね」
「ずっとおそばに。ずっと姫をお守りします」
王女は「よかった」と息をついた。
「いろんなことがあるかもしれないけど、二人なら切り抜けられるわ」
デスモンドの胸の奥が、ぎゅっと痛んだ。反射的に王女を抱きしめてしまいそうになるのを、ひどい努力で押さえ込んだ。
(今、この方に触れたら、王のところへは行けない。行きたくない)
デスモンドは、フレア王女の髪に風を通しながら、できるだけさりげない口調で切り出した。
「これから王の所に行かねばなりません。さっき王にお会いしまして、執務室へ来るようにと、仰せつかりました」
「え?」
姫は大きく目を見張った。
「今後の執務の進め方について、お話があるとのことです」
姫は、水色の澄んだ目でデスモンドをじっと見つめている。この目を見ながら嘘をつくのは、非常に難しい。
「それは、今夜じゃなければだめなの?」
「王がどうしても」
王女はついに顔を曇らせた。
「お父様はここまで来て、こんなたちの悪い嫌がらせをするのね」
否定は出来なかった。しかし、王女と一緒になって、王を非難することは出来ない。姫のたった一人の親であるからだ。
「お父様のことを、そんな風に言ってはいけませんよ。姫のことが一番大事だから、心構えを教えてくださるんです。はじめが肝心だと思ってらっしゃるんでしょう」
「でも、時と場合を考えて……」
「姫、王は偉大な方です。この機会を逃したら、聞けないお話もあるかもしれない。ご助言はちゃんと聞いておかねばなりません」
ひとつ嘘をつくと、驚くほどすらすらと舌が回った。
だがデスモンド自身、これっぽっちも信じていない嘘だ。どんなに謹厳実直を演じても、姫は夫の言葉を信じてはいないようだった。
「デスモンド、私も行きます。何だか、とても心配なの」
「ご心配には及びません。それに王のご友人もいらっしゃいます。男性ばかりで、姫に聞かせたくない下世話な話も飛び出すかも……だから、ここでお休みになっていてください」
王女はしばらくうつむいていたが、やがて顔を上げ、「わかりました。早く帰ってきてください」と答えた。
水色の目が、深い青に沈んで見えた。その涙ぐんだ王女を残して、作り笑顔で外に出た。
廊下に出たとたん、男は深くうなだれた。
結婚した早々、つかずともよい嘘をついてしまった。だが王女が涙ぐんでいたのは、異変を感じ取ったということなのだろう。下手な嘘をついたものだ。
(帰ったときに、もう一度、見え透いた嘘をつけるだろうか。有意義なお話でしたと、笑顔で言えるだろうか?)
王の寝所へ向かう足は、鉛のように重かった。
宴席で伽を命じた男は、王が待ちくたびれた頃、ひっそりと姿を現した。
深い藍色の婚礼衣装のまま、籠を被って顔を隠し、深くうなだれている。王の酔眼にも、それは人身御供のようにしおらしく見えた。
なんという四角四面に言うことを聞く男か。だが、それが嗜虐芯をそそるのだ。
いい加減、気づいても良さそうなものだが、ふてぶてしく振舞うのはこの男には無理だろう。
「遅かったな。入れ、デスモンド」
男は深く一礼をし、おぼつかない足取りで中に入ってきた。動きにつれて、ジャスミンの香りが淡く漂った。
直接下半身を刺激する類の、悩ましい香りだった。
「籠を取らないのかい? 取りたくないのか?」
デスモンドは恥らうように、身をよじった。
(お前が悪いんだぞ。あんなときに、フラフラとおれの前に出てくるから)
王は妙な言い訳をしながら、男の前に立った。男は、かすかにジャスミンの香りをさせていた。朝、女官につけられでもしたのだろう。
「これを取れよ。顔を見せろ」
男は震えながら、かすかに顔を横に振った。この恥じらいがたまらないのだ。めちゃくちゃに犯して、泣かせたくなるのだ。
「いいから、顔を見せろ、デスモンド」
ムリヤリに籠を毟り取った王は、驚きのあまり大声を上げた。
「ご機嫌よろしゅう、王!」
籠の中には、ハゲあがった中年男が、ぎょろりとした目をむいている。
「セ、セツ?」
セツは高下駄を脱ぎ、「暑い上に、重い衣装でしたわい。まったくろくでもないことで」と文句を言いながら、婚礼衣装を脱ぎ捨てた。
中身は普段着を着込んだ、腹の出た親父だった。
「何故、お前が」
セツは目を最大限に剥いた。さすがの王でもひるむような形相だった。
「ワシのほうが聞きたい。あやつに何を吹き込んだんです? ヤツは心底バカだから本気にしますよ。初夜の掟ですと? そんな掟、聞いたことがない」
「お、お前も知らないことがあるんだ」
王が口の中で言うのを、セツは「王家のことなら、あなた様より詳しいですぞ」と一喝する。
「リノ王が御成婚の折、先王は既にお亡くなりだった」
「セツ」
「そのまた先代が結婚なさるときは、先王は女王であらせられた」
「もういい」
だがセツは容赦ない大声で続けた。
「そのまた先代のときは、戦好きの先王は外地におられて、婚礼に戻られなかった」
「………くそ」
「昔はあったかもしれませんが、ここ100年は実行されなかった掟です。今更、蒸し返すこともないでしょう」
リノは不機嫌に黙り込んだ。次のセツの言葉が、追い討ちをかけた。
「父娘で男の趣味が悪い! あんなネズミみたいな男、どこがいいんだか。しかしネズミもネコを噛むといいますから、大概になさらんと、お手を噛まれますぞ」
「わかってるさ」
「何度でも言いますぞ。王、後添いをおもらいなさい」
「要らん!」
王はそう吐き捨て、酒をあおった。それは失望と安堵の味がした。
「デスモンドは……どうしている?」
セツは爆笑した。
「いやまったく。王も野暮なことをおっしゃる。ヤツが何をしているか、ですって? 知れたことじゃないですか!」
セツはそういうと、「これ、お姉さん方、入って来な!」と楽しげに喚いた。
そのとたん、嬌声を上げて女たちがなだれ込んでくる。10人ほどもいただろうか。なだれ込んだ女たちは、黄色い声を上げながら王にしなだれかかった。
お姉さんといっても、皆、非常に年季の入った酌婦で、化粧は濃い。元気一杯なおばはんたちである。キレイどころというより、面妖な人々といったほうがよい面々であった。
王女はふいに、大きなくしゃみをして、ぶるっと震えた。
「寒いですか?」
「何かしら。急に寒気が」
「甲板の上は冷えますから」
デスモンドは少し思い切って、王女の肩に手を回した。
「あったかいわ」
フレアはそういうと、デスモンドの肩に頭を寄せた。哨戒船で新婚旅行というのも、この夫婦には似合いだった。
だが正確には夜逃げに近かった。
セツに見つかって、婚礼衣装を奪われてから、二人で王宮を逃げ出したのだ。勝手知ったる哨戒船が、道行を助けてくれた。
もう数時間で夜明けだが、二人とも眠気は感じていなかった。彼らの進路はリゾートで有名な「モルド島」である。まずそこで新婚気分を満喫し、次にイリスの住む、美しい島へ行く。そしてできれば、子供という既成事実ができてから、島に帰る。というのが二人の大胆な計画である。
「デスモンド、ごめんね」
「え?」
「あなたが戦を嫌いなこと知ってて、私のワガママで、哨戒船に乗せて連れまわしてたの。どうしても一緒に居たかったから。なのに結婚した早々、やっぱり哨戒船に……嫌でしょ?」
デスモンドはかすかに笑みを浮かべた。
「フレア様となら、哨戒船も嫌だなんて思ったことはないんです」
正確には二人きりでは全くない。そこらに乗組員がいるわけだが、二人には見えてないわけだ。
「あなたとなら、どこまでも。フレア様のなら、どんなワガママも楽しいです」
そして、王女の耳元にささやいた。
「そろそろお部屋に入りましょうか? あんまり幸せを見せ付けても、独身の船員の皆さんに気の毒です」
独身の船員の皆さんどころか、誰もが石を投げつけたくなる不遜なセリフだったが、王女は「そうね」と真顔だった。顔は珊瑚のように真っ赤で、その純情さもデスモンドを舞い上がらせるのだった。
船員たちは「とっとと船に行きやがれ、甲板でいちゃこらすんな」と思っているらしいが、そんな怨嗟の声は、彼らには届かない。というよりお互い以外、何も見えていない状態だった。とにかく、新婚だから仕方がないのだった。
フレアは船室のほうに行きかけてから、ふと立ち止まった。
「じゃあ、あの……最初のワガママ聞いてくれる?」
「いくつでも」
「私を『お姫様抱っこ』して行って」
一瞬、噴出しそうになったが、デスモンドは大真面目に「承知しました、お姫様」と答えた。彼は非力な文官だが、何せ舞い上がっていたので、どんな力でも出せそうだった。
ちゃんと抱っこして船室まで歩けたかどうかは、オベルの国家機密であるという。
終わり。
いつもステキな萌え妄想を(私が勝手に)いただいております、
abi様に リノ・エン・クルデス・ゴーヤー王とデスモンドの恋物語を捧げます。。。
ぽっ//////
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