きみの瞳にカンパイ

November 5, 2005

仕事の合間にルイーズさんの酒場へ行ってみた。人魚のリーリンさんもアクサリー工房に行ってしまって、一人でとても忙しそうだった。
「何か手伝いましょうか?」
ルイーズさんは可愛らしく垂れた目で、少し困ったように微笑んだ。
「申し訳ないわ。デスモンドさんはお忙しいのに」
「忙しいといったって、ルイーズさんほどじゃないですから」
すると、酒場のカウンターの一角をふさいでいるオルナンが、軽く私をにらんだ。
こいつはルイーズさんに夢中だから、近寄る男にこうしてさりげなく威嚇をしている。
用心棒というか、番犬みたいなもんだ。
私は口元だけでにっと微笑んでやった。こんな役立たずの脅しなんか、怖くもなんともない。
ルイーズさんは遠慮がちにこういった。
「……じゃあ、ちょっとだけ洗いものをお願いできるかしら? 少しグラスが溜まってしまって」

やった! お許しが出た。
私は腕まくりをしてカウンター内に入った。30年生きてきて、初めての快挙だ。
初めてカウンターに入れてもらえたんだから、ここで印象を良くしなければ! 私はごく慎重に、溜まったグラスを洗い上げていった。
これは些細なことだけど、私にとっては大きな第一歩だ。横で一息ついていたルイーズさんがふと、私の手元を覗き込んだ。
「デスモンドさんって、ものを大切にするひとなのね」
「え?」
「グラスの洗いかたよ。とても丁寧だから。……あなたはまじめで、優しい人なのね。あなたと一緒になった女性は幸せ者ね」
そういって、あの謎めいた優しい流し目を私にくれた。
心拍数がいきなり跳ね上がった。天にも昇る心地だった。顔がはしたないほど真っ赤になるのを、自分でもどうしようもなかった。

ルイーズさんの酒場に溜まっていた皿を、階下の食堂に戻しに行って、もう一度戻ってくると、ルイーズさんの店はもう閉店の時間だった。
「ああ、来た来た。デスモンドさん、今日はありがとう、本当に助かったわ!」
ルイーズさんは、愛用のシェイクを振っていた。あたりを見回すと、まだ粘っているオルナン以外誰もいない。
「閉店なんでしょ? まだお客が?」
「これはあなたのよ。ささやかなお礼ね」
彼女は微笑んで、背の高いグラスに飲み物を注いでくれた。目が覚めるような、青いカクテルだった。
「あなたにぴったりのカクテルだと思ったの」
また心拍数が早くなった。透き通った青いイメージ。ルイーズの中で私はそういう印象なんだ。
うれしい。
なんかこう……30歳にしてようやく青春がきた、といっていいんだろうか。

「きれいでしょ。まあ、座って、飲んでいってくださいな」
いつも端に座っているオルナンが、どういうわけかルイーズさんのまん前に陣取っている。ルイーズさんはそのすぐ横に、カクテルのグラスを置いた。
そのイスに添わったとたん、尻にひどい痛みを感じた。あわてて尻を浮かすと、何か硬いものが刺さっていた。
手にとってみると、それは少し錆びかけた画鋲だった。危ないじゃないか!
こんなことをするのは、こいつ以外にはない。
オルナンのほうを見ると、やつはすっと視線をはずした。だが、横顔の口角が満足そうに上がっていたのを見逃しはしなかった。
怒りで体が震えそうだ。

「さあ、オルナンさんも。酔い覚ましくらいにはなりますよ」
オルナンは「ルイーズさんの美しい瞳に乾杯」といってグラスを上げると、私のほうに少しかがみこみ、ささやいた。
「どうした30歳童貞勘違い男、痔でも痛いのか?」
「あなたと違って、痔もアル中も脂肪肝も歯槽膿漏もないですよ、私は」
もちろん、ルイーズさんには聞こえないように、互いに微笑みながらだ。
傍目には仲良く話しているように見える。ルイーズも満足そうに私たちを見つめた。
尻の肉は相変わらず、びりびりと痛い。だが、ルイーズの前で騒ぐことなんてできなかった。

オルナンがぼくの尻に画鋲を刺したんです、なんていうと、ルイーズは絶対笑うだろう。
そしたら彼女の中で、私は永遠に3枚目にクラス分けされてしまうからだ。だけどオルナンは許せない。
オルナンめ、覚えていろ。今度はお前のドリンクに、雑巾ジュースをたらしこんでやるからな……。


END


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