砦の予言者
2010/5/4
レルを出でし若者ゲンリーの語る
イセレンが砦からレルに来るとき、3時間足らずで歩いたという。遠い道のりではなかったものを、半日もかけて歩いた。私たちは、二人で歩く旅を終えるのが名残惜しかったのだ。暗い森、細い川の上を通る橋、荒れた小道、二人きりで歩く初めての旅。
途中、イセレンは、エルヘンラングでの学生生活のこと、辺境にある生まれ故郷シャスのことなどを取りとめもなく話し、気がつけば私たちは手をつないでいた。
多分、砦に行けばこんなことはできない。
日が頭の上に来たころ、人の手のはいった明るい林に差し掛かった。林はゆるやかな上り坂の丘となっている。ヘメンの木が柔らかい胞子を落として、甘い香りを放っていた。
「休憩を取りましょうか」
荷物を置いた上に、二人並んで座った。
「砦の予言者は禁欲を保たなければならない。たとえケメルに入ってもです。予言をする力を得るためなのです。耐え切れなくて禁を破り、砦を出て行く予言者も多い。今まで、私はそういう人たちを蔑んできました。修行が足りないのだと」
イセレンはふと笑った。
「傲慢でした。私とて、修行が足りていたわけではない。来月から私は、傲慢の罪を償うことになるでしょう」
私はというと、イセレンの口元に見入っていた。きれいな歯が唇から覗いている。このまま吸い付いてしまいたくなる。
「と、砦の住人は、みんなケメルの交わりを断っているんですか?」
「予言者だけです。近くに村がある。あなたは、そこで相手を求めても、誰にも咎められません」
「嫌です。なんでそんな酷い事を言うんです。おれは、イセレン以外は欲しくない」
イセレンは私の手を取った。燃え上がるケメルの熱を感じる。でも私の身の内の熱のほうが、もっと熱いはずだ。この森を焦がすほどに。
「かわいいゲンリー」
そのかすれた声を聞いただけで、最後の理性がぶっ飛んでしまった。彼はオスの状態、禁欲が必要な予言者、わかっていても、歯止めが利かなかった。
私たちふたりは、誰も居ない森の中で抱き合った。どうしたらもっと深く結ばれるのかと、もどかしいくらいで、いくらむさぼっても足りないというのに、節制なんてできそうにない。
そして、日の傾くころに、やっと砦に入った。
オセルホルドの砦というのは、ゆるい上り坂にある森にある。いたるところにヘメンの木が茂る、のどかな、美しい村だった。一つ一つの家は小さく、どれも木造だった。
「こんなかわいらしい家で、冬の嵐がしのげるんですか」
「ヘメンの森が強い嵐から守ってくれるのです」
そのとき、向こうから歩いてくる若者が居た。ごく普通の野良着を着た若者で、鎖などは下げていなかった。若者はイセレンを見ると、大声を上げた。
「おお、イセレン! ソケメルで歩いてるなんて珍しい! しかもオス!」
イセレンは顔を赤らめて、フードを目深に被った。
「大声を出さないで下さい。何か変わったことはありませんか」
ソケメルというのはケメルの絶頂期のことだ。その状態に導いた張本人は私である。村人はちらりと私を見たが、何も言わず本題に入った。
「予言の儀式の申し込みがありました。エルヘンラングの貴族です。悪いけど応対をお願いしますよ」
「他の予言者は何をしているのです」
「エルヘンラングの貴人と渡り合えるのは、あなただけですよ」
若者はそういうと、イセレンをさらっていってしまった。イセレンは申し訳なさそうに私に言った。
「すみませんが、ひとりで織り人のところに挨拶に行ってください、三軒先の赤い屋根の家です。大丈夫、優しい方ですから」
私は教えられたとおり「織り人」の家を訪れた。それは他の家屋とおなじ、ヘメンの木陰にある小奇麗な家だった。訪問して名乗ると、織り人は何か書き物をしているところだった。
「君は、ゲンリー? イセレンは一緒じゃないのかい?」
年のころは50くらいか。血色のいい、滑らかな顔をしているが髪は真っ白だった。確かに、温厚そうな人物に見えた。
私は深く頭を下げた。この人には、気に入られないといけない。イセレンに恥をかかせてはならない。
「イセレンは来年、エクーメン使節と一緒にオルールへ行く。その同行者として、われわれは、一般人から2人選ぶことを許されている。選出に際して、彼の予言の能力を活用しているというわけだ。名前と経歴だけで選び出すなど、途方もないこととは思うが」
「い、いえ。それは。その、選んでもらったのは名誉なことです」
「ふむ。君は、既に決心して砦に来たようだが、よく考えてのことかい?」
「もちろんです。おれは外の世界を自分の眼で見たい。そして、ゲセンの進歩に役立つ人間になりたいのです」
私は少し奇麗事を言い過ぎた。本当は勿論、イセレンから離れたくないからだ。
「オルール、つまりアリオムセへは、行って帰ってくるだけで、40年近くかかる。星旅の間、君は年を取らないからね。次にゲセンに戻ったときには、身内も知り合いも、亡くなっているかもしれないよ。恐ろしくはないのか?」
織り人は悲観的な言葉を次々と口にする。もしかしてこれは、テストのようなものかもしれない。
「身内などいません。おれを見つけてくれたイセレンが、今は一番の友人です。その彼と一緒に行くのだから、何も怖いことはないです」
「彼を頼りにしているようだが、万一、彼と別行動を取ることになったら、どうする。生まれながら倒錯者ばかりの世界に残されたとして、君はちゃんと生きていけるか?」
私は織り人を見つめた。私も生まれながらの倒錯者だということを、うっかり忘れているのかもしれない。見ればわかるだろうに。だが、私は今更傷つきはしない。少なくともイセレンは、偏見はない。それで十分だ。
「それがおれの運命なら従います。生き抜いて、課された義務を果たすだけです」
そうだとも。イセレンを愛した。イセレンに抱きしめられた。その甘い記憶だけで生きていかねばならない日が来ても、私は歩いていける。
だけどこの命がある限り、何があっても、イセレンの手を離す気はない。
愛しているからだ! この愛を貫くためには、私は何だってしてみせる!
織り人は私を睨んだ。穏やかだった顔が、すごく厳しくなっていた。
「イセレンは、私の養い子だ。風にも当てず、大切に育て上げた。特別な子だ。人一倍、清らかなのだ」
「そ、それは勿論。純粋な方で。本当に清らかで、おキレイで。おれにもわかります」
「君は、イセレンとどこまで行った」
顔から嫌な汗が出てくるのがわかった。何でわかるのだ。いったいどういう展開なのだ。予言者が心を読むなんて誰も教えてくれなかった。
「あの子と寝たのか。正直に言え」
私はその場にひれ伏して、床に頭をこすり付けた。
「す、すみません! 寝ました! でも、おれは本気です!」
「この若造が!」
織り人は、くわっと口を開けて私を一括した。
「お、お、お義父さん、いや、お義母さん! おれはイセレンと添い遂げます! 一生イセレンを愛します、必死で働きます、どんな宇宙人が来ても化け物が出ても、イセレンを守ります、寂しい思いもさせません!」
「その口を閉じろ、汚らわしい!」
織り人はすごい勢いで立ち上がった、ゴキ、とすごい音がしたのはそのときだ。無論、私は何もしていない。
「ぐあっ!」
織り人が、イスの下にうずくまっていた。
「腰が、腰が……腰が! おおおぉ!」
「大丈夫ですか、今、イセレンを呼んで来ますから」
「黙れ、うちの子は渡さんぞ! ええい、触るなっ」
そのとき、ドアが開いて、イセレンが飛び込んできた。
「織り人よ、大変です! 王宮からの使いがきて、今すぐに予言をと!」
だが彼が見たのは、ぎっくり腰で喘いでいる義父と、途方に暮れた私であった。
砦の予言者1 終わり。
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