砦の予言者 15

目が覚めると、イセレンはいなかった。
ベッドは冷たく、抜け出してしばらくになるのがわかった。

安い宿には暖炉などないが、なんとなく温かい。階下の食堂の熱気がここまでくるのだろう。

まもなくイセレンが、コートを着こみ、白い息を吐いて戻ってきた。寒さで頬が真っ赤だ。
「イセレン、どこかに行ってたのかい?」
「ちょっと近所の朝市へね。色々と買いたいものがあったので」
そういって、焼きたてのアップルブレッドを持ち上げた。
「アクスト殿もホルデン島への船に乗る予定です。ソブも直接港に来るそうですよ、御家族が見送ってくれるそうです。仲直りできてよかったですね……」

宿から港までは、けっこうな距離だ。
イセレンは病み上がりにも関わらず、早足で歩いている。しかも次第に足取りを速め、最後には小走りになった。何をそんなに急いでいるのかわからない。
「イセレン、時間はたっぷりあります。走っては体に障る」

彼は、おびえたペスリのように神経質に、周りを見回した。
「そうですね、ではゆっくり急ぎましょうか」

思えば少し様子が変だった。私は彼が、根っからの予言者ということを忘れていたのだ。
突然、イセレンが立ち止った。ふいにわき道から、黒い服の人物が現れたからだ。それは枯れ木のように黒々と不吉に立っていた。あまりに憔悴していて、それが王の側近であったレベイドと気づくまでには、かなり時間が要った。
「そなたに話がある、予言者イセレン」
イセレンは、「ゲンリー。あなたは先に港へ行ってください。私はレベイド様と話があるから」と囁いた。
「相手にしないほうがいい」
私はイセレンの手をつかみ、先へ進もうとしたが、思いがけない力でその手を振り払われた。
「さあ、行ってゲンリー!」

すると枯れ木のようなレベイドが呻った。
「このペテン師め、お前の予言のせいで私は終わりだ」
「予言を下したのは、織り人です。私は、ただの異常性欲者として座っていただけですよ」
「予言者どもに妙な思念を送り、言わせたのだ」
「そんな力はありません」
「では王はどこにいる?」
「エムラン国王陛下ならば、王宮にいらっしゃるはずです」

レベイドは歯をむき出して吼えた。
「あの王の指輪をした阿呆ではない。アルガーベンはどこだ」
「亡くなった方に会うことはできません、レベイド様。お帰りになって弱い酒でも飲んで、少し眠られたらいかが。ここは人目もありますので」
イセレンは穏やかに言った。私たちの周りには次第に人だかりができていた。
ひそひそとささやく声がする。みな、この人物が誰か知っているのだ。けれどレベイドは周りの視線も気にせず、イセレンの諫める言葉も聞いては居ない。
「行こう、イセレン。こんな奴ほっといたらいい」
イセレンは首を振った。魅入られたように、レベイドから離れないのだ。

「長いことアルガーベンを探していたが見つけられなかった。おかしいとは思わないか。王が隠れる場所などこの世にはない。ならば死んだか? あの悪目立ちする王だ、死んだら誰かが見つけただろう。なぜ死体が出ない? 港も浚った、山狩りもした。なぜ私は彼を見つけられないのだ」

「そんなに言ってもらいたいなら、言ってあげましょうか」
ふとイセレンは、レベイドを見つめ、オルゴレイン語で何か言ったが、まだ言い終えないうちに、レベイドが長い袖をひらめかせて、イセレンにぶつかってきた。

イセレンはよろめながら、レベイドを突き飛ばしたが、すぐにうずくまった。群衆がわっと叫び、一斉に逃げ出した。
私は、側にいたのに何もできなかった。
「レベイドが予言者を刺した! 医者を呼べ!」
騒いでいる声が耳にはいった。イセレンは手を腹に当て、うずくまっている。その手の間から、長いコートに黒いしみが広がり、手袋にも黒いしみが広がっている。小さな肩が上下していた。そしてじっと動かず、手の中のナイフを見つめていた。

「抜いちゃだめだ、イセレン」
イセレンは頷いて、泣きそうな顔で笑った。
「港へ行かなければいけないのに、立てない。あなたが運んでくれますか……」
抱きあげようと、イセレンの肩に手をかけたとき、またレベイドがゆらりと近寄ってきた。
「私のナイフを返せ」
私の理性はそこで途切れた。私は大声で泣き叫びながらレベイドを捕まえ、投げ飛ばしていた。

野次馬が出てきて、口を手に当てて私たちを見ている。誰かが「医者を呼ぼう、動かしてはいけない」と申し出たが、イセレンは「無駄です。早く港へ」とつぶやいた。
それから手を口に当てた。手の間から血が流れ出した。
私は叫んだ。声を抑えることができなかった。まるで赤子のように泣き叫んでいた、私は、役立たずだ!
何が一の鳥だ。
何が、ゲンリーだ、何がイセレンの伴侶だ。私は、屑以下だ!
けれどイセレンは優しく首を振った。

「泣かないで、いとしい人」
イセレンは、血だらけの顔で微笑み、優しく私の顔に触れた。
「私をホルデン島へ運んでください。どうかお願いです……死んだら投げ捨ててもらっていい。だからどうか星船に乗せて。途中まででいいから、あなたと一緒に、居させてください」

そうして、私はイセレンを抱きあげ、港へ向かったのだと思う。彼は軽かった。どうやって船に乗ったのかよく覚えていない。

半時間ほどの航海の間、ずっとイセレンの手を握っていた。多分何も見ていなかった。イセレンの顔すら、よく見えては居なかった。私は、ずっと声を上げて泣いていたからだ。誰かが近寄ろうとすると「イセレンに触るな、殺すぞ」と叫んだ。
それが使節、アクストであったと、後で知った。
私は本当に、世界一の役立たずだった。


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