砦の予言者 16
ホルデン島の港に着いた。
イセレンはぐったりして顔は本当に白く、呼びかけても答えない。ただわずかながら呼吸はあった。
「ゲンリー、イセレンの『伴侶』なんでしょ。しっかりしなさい」
ソブの低い声が私の耳に届いたけれど、返事をする気力もなかった。するとソブは使節に話しかけた。
「瀕死状態でも、冷凍睡眠で運んだら助かるんじゃないですか、使節様。エクーメンの医学のレベルは、ここよりはるかに高いのでしょう?」
すると使節は、黙って首を振った。
「冷凍睡眠の処置をしたとしても、状態が悪すぎる。オルールについて目覚めない可能性のほうが高い」
ソブは私の頭から手を放した。
「蘇生するという可能性は?」
「死んだ人間を蘇らせることはエクーメンでもできない。まあ、死体から複製を作ると言うのなら別だけど」
「イセレンの能力は、複製しても継承されると思いますか?」
使節とソブが冷静に話している声が、頭を素通りしていく。ふたりとも、エクーメンの共通言語ではなく、カルハイド標準語で聞えよがしにしゃべっている。居合わせた他の船客も、少し離れた所から、こちらを見ている。さぞかし面白い見ものだろう。しばらくして乗務員が様子を見に来たが、追い払った。
草原が広がる無人島だったホルデン島には、「巨人の寝床」という広々とした草原が広がっている。
初代使節ゲンリー・アイが降り立ったここに、代々の王は星船が着陸できる宙港、使節が本拠とする宿舎を整え、それを支える小さな村落もできた。
けれどそれは、後になって知ったことだ。
世界の終わりが来たようなもので、私はどこを歩いているのか自分でもわかっていなかった。
宿舎だという頑丈そうな建物に入ると、使節とソブは、イセレンそっちのけでラジオを聞き始めた。
ラジオでは、『オセルホルドの予言者イセレン氏、刺殺される。犯人は逮捕されたが、急性心不全で死亡』と告げていた。使節はほっと溜息をついた。
「やれやれ、ゲンリー。イセレンを放しなさい。レベイド氏は亡くなった、もう、十分だ」
「すぐに星船を出してくれ!」
「わかっているよ。準備はできてる。でもイセレンは、そのままでは無理だ。体を洗って着替える必要がある。棺に入れてから、星船に乗せるのだ」
「やめてくれ、まだ生きてるんだ!!」
「聞き分けなさい、少年。全く、こんなメンタルの弱い愚か者をなぜ選んだんだ?」
すると、イセレンが「そんなこと言わないでください。彼があれほど泣いてくれたから、私の下手な芝居でも、通行人が騙されたんです」と言うではないか。
「イセレン」
顔にいたずらっぽい笑みまで浮かべている。
「体がベタベタして気持ち悪いから、洗いたいのだけど。放してくれる?」
「イセレン!」
抱き寄せようとすると、イセレンはするりと私の手から逃げ出した。ペスリのようにすばしっこい。確かに怪我人ではない。
「血はほとんど顔料ですが、動物の血も入っていますから、できたら体の消毒をしたい。星船は密封状態だから、不衛生になると大変です。というかもう気持ち悪くて限界なんで、ちょっと失礼」
そう小さな声で言いながら、イセレンはコートの前を開き、セーターを持ち上げた。
セーターの下に、血まみれの、毛の生えた肉塊がくくり付けられている。剣が刺さったままだ。白いフワフワした毛が赤い血に汚れている。
「凍ったペスリと生のペスリの重ね着です、さすがに冷たい」
使節は、ペスリの死体を裏返して、ほっと溜息をついた。
「しかし襲撃を予知してこんなことをするなんて、さすが予言者だな」
イセレンは「ただの勘です」と笑っている。
「でもまあ、レベイドに心を読まれないようにするのは大変でしたよ」
「まあこれで、君はしばらくゲセンには帰れないな」
話しについて行けない私は、泣きながらイセレンの胸に飛び込むことしかできなかった。
それから二時間後、私たちは星船の中に居た。すでにゲセンは見えなくなっていた。私たちの星は二つの太陽の周りを回るが、それももう見えない。エクーメンの船は恐ろしく早い。
しかしまだ光速に近い状態ではない。
本格的に光速飛行に入る前に、私たち全員、冷凍睡眠状態になる必要があった。
私のポッドの横で、イセレンが見守っている。私は先に眠らされることになった。イセレンが先に眠らされるのを見ると、パニックになるかもしれないと使節が心配したからだ。
「冷凍睡眠は、怖いですか?」
私は頷いて、イセレンの手を取った。イセレンの前ではうそはつけないのだ。
夢も見ずに何十年も眠るのは恐ろしい。それより、万一何かが起きて、知らぬうちにイセレンと永遠に別れることもあるかもしれない。
「いいものを見せてあげましょう」
イセレンが私の頭に額をつけた。明るい太陽の光、熱い風、熱帯の花々のイメージが流れ込んでくる。その中に私と、イセレンと、そしてソブが立っている。
さらには、見覚えがあるが会ったことのない、精悍なゲセン人が、私を見つめている。私たちはその人の前で膝まづく。するとゲセン人は、威厳のある様子で私たちを見る。
にこりともしない。そして向こうをむき、「私はもう、王ではない」と言い放った。
それは、亡くなったはずのアルガーベン先王陛下だった。
「アルガーベンはアシオムセ、オルールに居ます。多分」
「わかりました! でも、まさかそんなことが!」
「私の予知は最近、外れてばかりです。現に私はレベイドに、彼に殺される夢ばかり見てた。外れたのは、あなたのおかげです。あなたのために何としても生きたかった」
イセレンは私に優しく言った。すでに薬が効いて、おぼろげにしか彼の顔が見えない。眠りに入りかけていたが、私は幸せだった。彼が耳元で囁いているからだ。
「ねえ、ゲンリー。私ひとつだけお願いがあるのです。でもお願いすると、嫌われるでしょうね」
「なんだか分からないけど、イセレンの言うことなら何だって聞くよ」
ふふ、とイセレンが耳元で笑った。
「なんでもやってみたいのが、ゲセン人の性ですからね……あなたがあまりにも可愛いから……」
その後、アシオムセで、私は甘酸っぱい後悔を味わうことになるのだが、それはまだずっと、先のことだなのだった。
砦の予言者、終わり。
2011年10月4日
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