砦の予言者 4

2010/6/9

レルを出た若者ゲンリーの語る。


通常、砦では、何人かが同じ部屋で眠る。私はひとりだけの寝室を与えられた。今、男である半死人は、この砦に私一人なのだろう。暗黙のうちに与えられる配慮を、私は黙って受けいれた。

部屋の窓は森に面している。木の枝が、天に向かって差し伸べる人の手のようだ。空が小さかったレルとは違って、月もとても美しい。
イセレンはどこにいるのだろう。
この銀色の月も見ずに、明日のことを思い煩っているのだろうか。
(明日、おれは儀式に出る。でも何をすればいいんだ)
それは大問題だ。予言の儀式で、異常性欲者はどんなことをすればいいのか。どうすれば役に立てるのか。イセレンに教わっておくべきだ。

私はそっと部屋を抜け出し、イセレンの姿を求めて、広場へ向かった。昼間、予言者がそこで修行をしていたのを見た。イセレンも、そこにいるかもしれない。
木立の間を月の光を頼りに歩くと、まもなく、広場に人影が見えた。立ち話をするでもなく、ただじっと立っている。
ひとりはイセレン、もう一人は私の知らない誰かだ。イセレン同様、ほっそりした人物で、イセレンよりかなり背が高い。たぶん予言者の一人でもあったのだろう。二人とも、そのまま石になったかのように動かなかった。月の光が彼らの顔をとても青白く見せていた。
イセレンは、光の中で無表情だった。話をしたいなどという考えは、甘すぎた。私はそっとその場を離れ、与えられた部屋に戻った。

翌朝はやく身支度をしていると、背の高い独身者がやってきた。
こざっぱりした青い服に、金色の鎖を垂らして、人の良さそうな風貌をしている。どこか、オルムネルを思い出させた。
「眠れましたか?」
ケメルに入っているようだったので、私は少し緊張して、顔を見ないようにして頭を下げた。
イセレンにしろ、この予言者にしろ、砦の独身者はケメルでも構わず歩き回るらしい。
「私はホルド、予言者です。今日の予言に私も参加します。あなたを案内するようにとイセレンから頼まれました」
ケメルに入っていてもそういうものを感じさせない、とても丁寧で、折り目正しい態度だ。私は肩の力を抜いた。
「はじめまして」
するとホルドは「昨夜、広場でお会いしましたね。声も掛けなかったけれど」と言い出した。それではこのホルドが、昨夜、イセレンと行を行っていた人だろう。
「イセレンが心配ですか?」
何の含みもない、優しい口調だった。
「勿論です。あの使者はイセレンに武器を向けたんですよ!」
「確かに、ストクベンはイセレンを陥れたいだけのようです。何の力もない砦の住人を、奇妙なことだとは思います。ただ、砦には砦の戦い方がある。暴力には抗わず従わずという伝統です」
「おれも役に立ちたい。儀式では何をすればいいのか、教えてください。昨日、イセレンに聞きそびれたので」
「何もしなくてもいい。あなたは、ただ座っていてくだされば。何があっても動かないでいてください」
ホルドの言葉はよくわからなかったが、優しい口調だったので、さほど心配もしなかった。


予言者に連れられていったのは、ひときわ大きな建物だった。
「これは、予言のためだけの建物です。石の床部分は、レルの旧都より古いそうですよ」
小さい声でホルドが説明してくれた。
古い石の床はざらざらしていて、磨り減っており、冷たかった。広間の一角に炉があったが火の気はない。

私の後からはさらに二人、医者に手を引かれて入ってきた。顔つきを見ると、二人が精神的に正常ではないことが、すぐに見て取れた。そのあと王宮の使者が入ってきて、扉が閉じられた。

イセレンは既にそこに居て、他の予言者と並んで座っていた。鋭い緊張感が、彼の全身を覆っていた。話しかけられる雰囲気ではなかった。
予言者が六人、病人が二人、そして半死人の私の全部で9人が、輪になって座った。広間は暗かった。細長い窓から差す、うす曇りの外光だけが頼りだ。

最後に、王宮の使者が、輪の中に入ってきた。黒ずんだコート、黒ずんだ顔色、目だけが白くぎらついていた。
「お前は、何を問いたいか」
イセレンが、凛とした声を放った。
「エムラン王の治世とはいかなるものか」
ストクベンは口を開いて、昨夜言った言葉を繰り返した。問いは、変えられていなかった。
「答えよう」
そして私たちは、予言の行に入った。
といっても、リラックスした状態である。何をするでもなく、祈るでもなく、ただそこに座っているだけだ。病人二人のうち、ひとりは、ゆらゆらと体を揺すりながら、自分だけにわかる言葉で、何かと会話を続けている。もうひとりは虚空を見つめ、ただ口を開けているだけだ。
私はイセレンを見まいとした。私が心配をしても、何の役にも立たない。
妙な視線を送っては、イセレンに迷惑がかかる。

どれくらい座っていたのだろうか、見当もつかない。
古い大広間の、冷たい石の床の上では、時間が止まったようだった。緊張が過ぎて、私は眠気を感じた。何とか起きていようとして、自分の膝をつねったり、手の甲をつねったりしたのに、眠気に抵抗できなかった。

突如、誰かが、私の肘に触った。私ははっと目を開けた。右に居たのは予言者ホルドだ。居眠りをしていた私を起こしてくれたのだ。
(ありがとうございます)
横を向いて頭を下げた。ケメルに入った人の匂いが、ふいに鼻をついた。
ホルドの手は、離れていかなかった。肘から二の腕へ、それから手の甲へと、降りてくる。
(何?)
さらに手を取られて、手に重ねさせられた。動けなかった。ホルドの手は私の膝の上に滑り込み、太股を撫で始めた。正気の沙汰ではない。
(何をするんです)
ホルドと目が合った。ホルドは私の耳に口を寄せ、こういった。
(ちょっとしたケメルの真似事です。気に入りませんか)
(は、離してくれ!)
(そうはいきませんね。これが私たちのお役目なんですから)
お役目。
こうして戯れあうのが、お役目なのか。異常性欲者と、ケメルの入った人は、そういう役回りなのか。何のために?

予言者の手は、一瞬だけ私の股間に触れ、すぐに逃げた。しかしその感覚は、電気を通したように脊髄を通り抜けていったのである。ホルドは私の股間を見て、ゆったりとしたケープでも隠しきれない、私の興奮した状態を見て囁いた。
(おや、大変なことになってしまいましたね)
ホルドは、いつのまにか、顔つきが変わっていた。
柔らかい表情の、初めて見る、女性の顔だ。でも嬉しくない。それが愛する人の顔でなければ、何の意味がある。


イセレンが不意に立ち上がった。
「エムランの長き御世は……アルガーベンが終わらせるであろう」
そこまで言ったイセレンは突如、内側から光を発した。光の矢が、頭と胸と背中を食い破って、体の外に突き抜けていった。頭から吊り下げられたまま、倒れることもできないまま、立ったまま気を失っていた。
私はホルドを突き飛ばして、イセレンを抱き止めた。両手へ激しい衝撃が走った。

光が消えた後には、イセレンは傷一つなく、私の腕の中にいた。フードは外れて、髪が零れていた。血を流してなどいない。
(おれは、幻を見たのか? 幻なのか?)
医師が近寄ってくる。それをストクベンが掴んで、放り投げた。怒りに震えてこちらへやってくる。
「エムランの次はアルガーベンだと。そんなことは誰でも知っている!  代々、順番に名前をつけるのだからな! エムランの次はアルガーベン、アルガーベンの次はエムラン! そんなもので、お茶を濁すつもりか!」

ホルドが立ち上がり、こちらへ近寄ろうとするストクベンの前に、立ちはだかった。
「予言は終わりました」
倒れたイセレンと、私を庇っている。少しも怯んでいない。女の姿のままであったが、先ほどまでの淫猥な雰囲気はどこかへ消えていた。
「あなた様は対価を支払い、予言は与えられました。予言の儀式はこれで、おしまい。帰るなりお部屋で休むなり、ご自由にどうぞ」
「そこをどけ、色きちがいの予言者が」
「ははは。光栄ですね」
ストクベンがいらだって、ついに攻撃銃を構えたが、ホルドは動じなかった。
「丸腰の予言者を撃ちますか? それを日誌に書き記して、子々孫々まで伝えられますか?」
ストクベンはしばらくホルドを睨みつけていたが、やがて、荒々しい靴音を立てて、広間を出て行った。

イセレンは全く意識がないまま、額に汗を浮かべ、苦しげに息をしていた。これが予言の儀式というのなら、もう、二度とさせたくはない。


砦の予言者4 終わり。
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