砦の予言者 5


砦の予言者イセレンの語る。

私は、灰色の部屋を見下ろしていた。牢獄のような病室のような部屋で、薬の匂い、血の匂い、よくわからない不愉快な匂いに満ちていた。赤い髪の子供が冷たい寝台の上で、丸くなって寝ている。
迫り来る死の影に怯えて、声を上げずに泣いている……。

突然、背の高い、白い服の人が入ってきた。
『ここを出る。カルハイドに帰してやる』
子供は、白い服の人を見上げて言った。
『かあさまは?』
『あとで来る。別々に出国したほうが安全だからな。歩けるな?』
『私はもう、ニンゲンなの? もう半死人じゃないの?』
『お前はもともとニンゲンだ。ともかく、治療は終わった……もう痛いことはなにもない、お前は半死人ではない』
白い服の人は、子供の頭を撫でた。瞬間、頭を撫でられたのは私だった。岩のように厳しい顔を見上げている。何の不安もない。
これからこの人と、カルハイドへ逃げていくのだ。
『お前は、われわれの実験の、唯一の成功例だ。お前を、解剖させるわけにはいかない』
生きるのだ、と先生は言った。
『ただ前を向いて歩いてくれ。ここでのことは全部、忘れてしまうんだ、イセレン』


「イセレン!」
ふいに名前を呼ばれて、異様な夢が途切れた。
「うなされていた。どこか、痛むのか?」
目の前にゲンリーがいた。私は項垂れた。どうしてあんな夢を見たのだろうか。ゲンリーの顔がまともに見られない。
「変な夢を見たのです」
「そうか。嫌なことか?」
「いえ、あの……予言はどうなりましたか?」
ゲンリーは疲れ切った顔で答えた。
「無事終わったよ。エムランの長き御世は、アルガーベンが終わらせるであろう、って」
私はその言葉を反芻した。王の死が自然のなりゆきであれば、「エムランの御世を、アルガーベンが継ぐ」だろう。王は死ぬまで王でありつづけるのがカルハイドの慣わしなのだから。

「それでストクベンは、もう帰ったのですか?」
「まだいるよ。ありがたい予言を読み解いて欲しい」
ゲンリーの頭の上から、ストクベンの浅黒い顔が見下ろしている。

ゲンリーが「出て行け!」と咆哮した。
「なんとも気が荒い。半死人は野蛮だ」
ストクベンは皮肉に笑った。吐き気がするほど気に触って、我慢できなかった。
「野蛮なのはあなたです。あまり侮辱しないでくれませんか」
ストクベンは「イセレンを侮辱したわけではないよ」と、動じなかった。
「エムランは長生きして、その次の王がアルガーベンという意味なのか、それとも、無理矢理に退位させる、ということか、説明してもらおう」
「予言の解釈は私の仕事ではない」
ストクベンはため息をついた。
「王がどんな痴れ者か、レベイドがどんなに好色な奸臣か……玩具にされかけたお前こそ、身を持って知っているはずだが」

一瞬、悪寒が走った。私はストクベンからも恨みをかっていたのだと思った。
しかしゲンリーの前で、取り乱すわけにはいかない。
「言うまでもないことですが、」
落ち着き払って答えた。
「予言は、予言者の持っている知識とは別の次元で行います。私がどんなことを知っていようと、またどんな経験をしていようと、ハンダラの予言とは関係ありません。ただ、私個人の考えをお聞きになりたいのなら、直接、王をどう思うかね、と問えばいいことでしょう。まともに答えるかどうかは別として」
ストクベンはしばらく黙っていたが、「食えぬやつだ」と言った。
しばらくして顔を上げたとき、彼の厭味な笑いは消えていた。
「イセレン。エムランの御世がどうなるかは、みなわかっている。阿呆であるばかりか、売国奴として歴史に名を残すだろうよ。勿論、国を潰すだろうし、オルゴレインに喜んで国を明け渡すだろう。レベイドがそう育て上げたからだ。血の気の多いケルムランドの衆は黙ってはいない。とはいえ、実際に悲惨なことが起きないかぎり、立ち上がれない。予言があれば、別だ」
「私の予言を、反乱の道具にするつもりですか。困ります、砦を巻き込まないで下さい、われわれは権力も、身を守る術を持たないんですから」
「だが、お前達も生きるために戦うことになるんだぞ。今までは、ハンダラ砦を攻める王などいなかった。恥だからだよ。これからは違うぞ。お前にとっても他人事ではない……いや、お前はこの星を出ていくのだから、もう関係なくなるかな。そこのかわいい坊やと二人でな……」

ストクベンは憂鬱な顔を、フードで隠した。
「レベイドはオルゴレインの間諜だ。既にヨメシュ教に肩入れして、都の一等地にヨメシュ教の神殿を作っている。いずれ、ハンダラ教を非合法化し、ヨメシュ教を国教となすだろう……お前も知ってのとおり、ストク、エストレはじめケルムランドは、ハンダラ教徒が多い。非合法化されたといっても、おいそれとは従わぬだろう。血を見ることになろう」

そしてやっと立ち上がった。
「そこの半死人。お前はわかりやすい男だ。イセレンを慕っているようだが」
ゲンリーの顔が真っ赤になった。ストクベンは低く笑った。
「イセレンは優しそうに見えるが、怒らせると怖い。気をつけろ、半殺しにされる」
「お、覚えておきます」
「レベイドという阿呆はな、この人に不用意に戯れかかったせいで前歯を折られて、鼻も折られた。自慢の顔が台無しだ。しかも思いは遂げさせてもらえなかったと来ては、恨みたくもなろう。それでいて自分で殺すこともできず、刺客を頼む勇気すらなく、私に頼んだのだよ。愚かな」
そういってストクベンは高らかに笑った。
「ともかく、もう会うこともないだろう。達者で過ごせ、イセレン」
ストクベンの言ったとおり、その後、彼の消息は不明となり、二度と会うことはなかった。


2010/7/26

砦の予言者5 終わり。
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