砦の予言者 6


砦の若者 ゲンリーの語る。

予言の三日後、頼まれて枝の剪定を行っていると、イセレンが呼びに来た。
「まずはエクーメンの共通言語を習得しなければなりません。アシオムセに行ってからでも良いのですが、早いほうがいいでしょう」
そういって連れてこられたのが、予言の館だった。植え込みに隠された裏口を入ると、勝手に明かりがついた。
足元が見える程度の、暗い照明だった。照明を頼りに階段を降り、やがて行き止まりの壁に行き当たった。壁は、金属板を磨きぬいた古代の鏡のように、ぼんやりとこちらの姿を映していた。
「行き止まりですか?」
「いいえ。実はこれは扉です」
それから彼は、私に背を向けたまま、囁いた。
「あなたを愛しています、ゲンリー」
それは全くの不意打ちだった。砦に入ってから必死に押し殺していた衝動が、身体を突き抜けた。
「イセレン、おれは」
その体を抱きしめたとき、突如壁が、金属音をたて、左右に開き始めた。どこに継ぎ目があったというのか。魔法のようだった。
「今のが、壁を開く呪文、です。『あなたを愛しています、ゲンリー』っていうのが、ファクスの設定した『ぱすわーど』です」
イセレンは顔を赤らめていた。
「すみません、説明不足で。ゲンリーというのは初代使節のゲンリー・アイのことです。いつもの調子でつい」

なんだか不思議な気持だった。教科書にも載っている偉大な宰相が、同じく教科書に載っている初代エクーメン使節と、恋仲だったとは。
イセレンは私の手をとり、壁一面に並んだ機器ひとつひとつ、説明してくれた。おもにエクーメンの英知を学習するための、かの文明の粋を集めた装置だという。言語学習のための機械があった。また、小型の星船の操縦室の模擬装置もあった。
「星船は、言語で指令を出して操縦することさえできます。そのためにハイン語の正確な発話が必要なのです。ファクスが何を思って、このような設備を整え、それを隠してしまったのかは、わかりません。ゲセン人を多く宇宙に送り、新しい世界を見せたかったのは確かですが。もしかしたら、ご自分が宇宙へ行きたかったのかも」
イセレンが「言語習得用の装置」に手を触れると、小窓が明るくなり、明らかにゲセン人とは異なる顔が画面に現れた。炭のように黒く輝く肌、いかつい顎。鼻がとても低く広がっている。唇も厚く、歯がとても白い。明らかに男性だった。
にこやかに笑い、私に何かを告げている。

イセレンは私の肩を軽く叩いた。
「彼はエレィ・ジーです。何か答えてみてください」
私は、たどたどしく、学校で習っただけの「エクーメン公用語」ハイン語で答えた。
----ハジメマシテ。ワタシハ、ゲンリーデス----
すると人物は、ごくゆっくりとしたハイン語で答えてくれた。
----ワタシハ、エレィ・ジー。ハジメマシテ----
私の声よりずっと低い。
「エレィ・ジーは、教育用の人工知能です。自動的にあなたのレベルを読み取り、最適のプログラムで教えてくれます」
固まった私の肩を、イセレンがやさしく叩いた。そして、画面上の人物に向かって話しかけた。
「まずは、『える』、と、『あーる』の発音を治してあげてくださいね、エレィ・ジー」


忙しくも平和な日々が始まった。
午前中は、砦の住人としての労働があった。おもに農作業や、家屋の修理などの力仕事だ。午後には、予言の館の地下へ行き、人工知能のエレィ・ジーからハイン語の手ほどきを受ける。
その次に、同じエレィ・ジーが、エクーメンの歴史を教えてくれる。こちらは、カルハイド語だ。しかしハイン語の字幕が付く。

それから、地上に移動し、イセレンが得意としている機械工学の講義を受ける。たった一人の生徒、たった一人の先生だから、緊張感は並大抵のものではない。教えられたことを忘れぬよう必死だった。
問題は、ハイン語だ。「える」と「あーる」の発音が、どうしてもうまくいかなかった。
「こんぴゅーたは音声で動きます。流暢でなくていいから正確に発音しなければなりません。言葉の意味が違ってしまうのです」
イセレンは必死になって、私に「える」の発音を覚えさせようとした。しまいには、自分の口の中に、私の指を突っ込ませて、確認させた。
柔らかい唇と舌の感触、つるつるした歯の感触を指の腹に覚えると、妙な気もちになった。
彼がソメルの状態であることも忘れて、押し倒したいと思った……。しかしそれは、無理だ。ケメル状態ではないイセレンは、私を受け付けない。それ以前に砦では、みな禁欲を守っている。うめき声を上げそうな欲望を殺し、牙をひっこめていなければ、イセレンに迷惑がかかるのだ。

やがて、二人で奮闘したかいもあり、「える」の発音はなんとかできるようになったが、聞きとるのは無理だった。
「どうしてかな」
エレィ・ジーは即座に答えてくれた。
----カルハイド語にない発音ですからね。ですが上手になりましたよ。----
この人工知能は、私が落ち込んでいると、それを察するらしく、カルハイド語で励ましてくれるのだ。
「エレィ・ジーは、イセレンも教えたんですよね。彼も初めは苦労したんですか」
----イセレンは最初からできました、何の苦もなく。----
「やっぱりおれは出来が悪いな」
すると人工知能はにっこり笑った。
----ゲセン人でもオルゴレイン人のように、「える」の発音ができる人たちがいます。カルハイド北方のシャスの方言は、オルゴレイン語の影響を受けています。イセレンはシャスの人ですから、方言の影響を受けているのかもしれません----
しかし、イセレンのカルハイド語は、シャスの訛りなどみじんもない。
----そう思いつめないで。先は長いのです。ところで、エレィ・ジーの姿は、昔ファクスが設定したときのままです。初代使節、ゲンリー・アイの顔そのままなのです。あなたの好みに合わせて変えていただけますよ。----
そういってエレィは片目をつぶって見せた。
「好みも何も、エクーメンの人がどんな顔をしてるのか知らないんだ」
----エクーメンに加盟している星はたくさんありますし、民族も多様です。私のような黒い顔、白い顔。エクーメンのもとを作ったハイン人はもっと青白いですしね。お見せしましょう。----

エレィ・ジーの、ごつごつした男の面構えが、次第に柔らかくなり、優しいものになった。そしてまた、少しずつ色素を失い、ゲセン人くらいの浅黒さに変化し、さらには白さを通り越した青白い顔になった。
ゲセン人がケメルで変化する、どころの騒ぎではなかった。
----これが、一般的なハイン人の、女性の顔です。----
畏怖を覚えるほどの技術力だった。
「すごいな……」
----ところで、ゲセン人もエクーメンの立派な一員なのですよ。私が初めて覚えた、ゲセンの人の顔です。----
そういう前に、エレィはまた顔を変えていた。教科書でおなじみの、偉大な宰相ファクスが、ま正面から私を見つめる。厳しい、きわめて美しい顔が、長い時を超えて私を見つめていた。



砦の予言者6 終わり。
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