不言実行

初めての勝利から、何日か後だった。
その日は、ミューズから逃げ出した難民が一団、まとまって本拠地にたどり着いた。
知らせを受けて行ってみると、難民たちはかなり惨憺たる状態だったが、深刻な病人はいなかった。
力のないものは途中で脱落したのだろう。たどり着いたものは比較的元気な市民たちばかりだった。残酷だが現実は厳しい。
じきにホウアン医師がやってきたが、難民の状態をざっと見て、「軽い食事をさせて休ませれば充分でしょう」と言った。

その夜、気晴らしに酒場に行ってみると、ホウアンが冷酒のビンとグラスを前に、ぽつんと座っていた。
何か寂しそうで、その体が小さく見えたので、つい声をかけた。

「先生、酒が進まないようだが」
「ああ、シュウどのでしたか。考え事をしていて」
「疲れただろうに。疲れすぎて眠れないのか」
「シュウどの、先日はややこしいことをしました。申し訳ありません」
「ん?」
「その、ハイランドの投降した兵士のことです」
「気にするな。第一見殺しにしたとあれば、カイルどのの名前に傷がつくからな……誰かになにか言われても、気にするな」

図太そうに見えたが、案外気が弱いのか。わかりにくい男だ。
ホウアンはほっとしたように微笑んだ。

「そう、言っていただければ……軍師どの」
「シュウでいい」
「シュウさん。私が兵士なら、こんな医者は許さなかったでしょうね。捕まえて軍法会議にかけられても、本当は仕方ないかもしれません」

ホウアンはうつむいた。
うつむくと、少しだけ鎖骨が覗いた。小麦色に焼けた顔とは違う、白い肌、あの夜、風呂で見た肌の色だった。

「先生は、ミューズの出身だそうだな」
「そう、いい町でした。私はあそこで生まれ、ずっと育ったんです」
「……家族は?逃げ出せたのか?」
ホウアンは首を振った。肩で切下げた黒い髪が、さらさらと鳴った。

「私に家族はいません、養い子のトウタだけです。でも、知り合いや、友人は……。もしかしたら、あの難民の中にいるのではないかと期待したのですが」
「……」
「すみません。あなたは大変なお仕事を抱えているのに、こんな辛気臭い話を聞かせては」
「いや、かまわん」
「飲みましょ、軍師どの」

医師はにっこりして、おれのグラスに酒を注いでくれた。

「先生は、ミューズで育ったといったが……土地勘はあるな」
「もちろんです。路地裏までよく知っていますよ」
「では、先生にお願いしたいことがあるのだが、おれの部屋に来てもらえるだろうか」
「私にできることでしたら」

医師は、案外素直についてきた。
そして、私にいわれるままにミューズの市街図を書き始めた。
もはやハイランドに完全に制圧された、かつての都市同盟の盟主国だ。

何に使うのかとか、いったいこんなものが必要なほど我々は優勢なのか、などとは言わないのはさすがだった。
医師は丁寧に地図を引き、さらに市庁舎内部の見取り図まで書き始めた。
「診療所を開業するときに通いましたからね」
一時間足らずで、かなり詳細に地図を書いてくれた。

「もっと大勢ミューズの人間に確認してもらえれば、正確なんですが」
「これで十分だ……こういう作業は信頼できる人間にしか頼めない」

それを聞いて、医師は顔を赤らめた。
おれがワインをすすめると、喜んで口にした。酒も、嫌いではないようだ。

「忙しいのに悪かったな」
「こんなことでよろしかったら、いつでも」
「それからもうひとつ」
「何でしょう」
「診療所に来る人間で、様子のおかしいものがいたら、おれに知らせてほしい」
「……それは、患者さんのことをあなたにしゃべれと?そうおっしゃっているんですか?」
「必要ならば」
「できません」

居住まいを正しての、強い拒否だった。
「いくら軍師様でも、そんなことは求めないで下さい。患者さんの情報を第三者に漏らすなどということはできません」
「逐一言えとは言っていない。あんたの勘でいい、挙動不審なものがいたら」
「スパイをご心配なら。そういう人間が、私なんかにわかるようなぼろを出すわけないです」
「どんな人間でも、緊張を強いられているとどこかぼろを出すものだ」
「こまります……そんな……」

ホウアンは助けを求めるように、ドアのほうをちらと見やった。
あきらかに恐がっている。あの図太い医師が。

「前の、トラン解放戦争のことをしっているか。そのときの軍師は、中枢に食いこんでいたスパイに暗殺された。解放戦争当初からの仲間で、信用されていた男だった……仲間といっても、無条件に信頼するのは危険ということだ」
「だ、だから……私に、仲間を見張れとおっしゃるんですか?」

ホウアンはおれを見つめ、しばらくしてこういった。
「私自身が敵のスパイだったらどうしますか?」
「お前はそんなことをできる人間ではない」
「会ったばかりで、何がわかるっていうんです?」

面白い。必死になっている……。
スパイなどもちろん、とうに放ってある。ハイランド国内にも、本拠地の中にも。
この男におれが求めるのは、別の仕事だ。
おれを楽しませる、という。

「お前が仕事度胸のある男で、よい軍医になれそうだということはわかった」
「…………だったら……」
「どうしても、間諜になるのはイヤか?」
「いやです。本当に。他を、当ってください」
「困ったな。こんなことを頼んで、ただ返すわけにはいかない。どうしたらいいものかな」

がたん、とホウアンは立ち上がった。そしてドアのほうに後退っていく。

「誰にも言いません。あなたのじゃまになるようなことは。だから」
「だから?」
「もう、帰らせてください……トウタも心配……」

不思議そうにホウアンはおれを見ている。
そのまま、ドアに持たれて、ずるずると座りこんでいく。
その目が、驚きに見開いている。

「どうした?先生」
「目が、まわって……」
「どうした?あれくらいで酔ったのか?案外弱いな、先生」
「そんな……はずが……」
「酔いがさめるまで休んでいけばいい、先生」
「…………まさか……お酒に何か……」
さすが医師だ、一服盛られたと気づいたか。
催淫剤をたっぷり盛ってやったのだ。めまいがするという副作用はあるが。

「どう……して?」
「お前と、もっとよく知り合いになりたいと思ってな」

ホウアンは、唖然とおれを見ている。
白い歯のちらと覗いた口を、指でなぞった。びく、と医師が震えた。

「シュウどの……」
おれはかまわず、ホウアンを押し倒し、その腹の上に乗り、乱暴に口を塞いだ。
その目は、驚愕に大きく見開かれている。
声にならない叫びを、ホウアンはおれの口の中に放った。

それにもかまわず、唇を吸いつづけ、口の中を舌で犯し、裾を割った。
体の下で暴れまわる、滑らかな脚の白さ、そして、おれの口から逃れようと懸命に首を振るさまが、おれの欲情にますます拍車をかけた。

張りのある太腿をつかみ、その間のホウアンの秘密に手を伸ばす。
もう十分成長し、愛撫の手を待ち望んでいる、ホウアンの滑らかな秘密に。それは息づいてもう涙を流し、おれの手の中でびくんと震えた。

「……んっ!」
医師は悩ましい悲鳴を上げた。

薬のせいか、おれの舌を噛む、というとっさの知恵は回らなかったらしい。ホウアンは観念したのか、目を閉じて、ついにおとなしくなった。
相当感じているにちがいない、息が荒くなり、力は抜け、落城寸前の状態だった。

うつむいているホウアンの帯をすっと解いたときだった。
突然世界が反転して、おれは床にたたきつけられた。


瞬間、何が起こったのかわからなかった。こちらはしたたか背中を打ち、息もできない。

ようやく息をつけるようになると、髪を振り乱したまま、懸命に身づくろいをするホウアンと目が合った。
おれがはだけた白い胸元を正し、裾を直し、手早く帯を巻き直し、そのあいだにも油断なくおれの様子を見張っている。おれが動けるようなら、すぐに逃げようというのだろう。
頬はまだ紅潮し、薬の成果か目が潤んでいる。肩が上下するほど欲情して、息も乱れているのに。
なんという精神力だ。この強い薬に抵抗できるとは。

「手加減して投げましたので……」
ホウアンの声はまだ震えている。そのまま、後ろ手にドアを開けた。
「お怪我はないはずです……では、休ませて、いただきます」

ああ、出ていってしまう。
ホウアン、戻ってきてくれ!!!
そんなにいやだったら無理強いはしない!

「一度まぐれで勝ったくらいで、気を許すようでは、生き残ることもおぼつかないですよ、シュウ軍師」
ホウアンは身構えたまま、こう言い放ち、ドアの向こうに消えた。


そして、おれの長く孤独な戦いが始まった……。

END

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