November 20, 2005


地獄とは、地下にあるのだと思っていた。

でもエルイール要塞にあった地獄は、頭上はるかに高いところにあった。
ぼくらは真っ暗な階段を、上へ、上へとのぼり続けた。

暗い階段に潜んでいた守備兵はとても強くて、何度も死ぬ思いをした。
(こんな暗いところで死にたくないな)
倒しても倒しても現れる。恐怖に駆られて、足が動かなくなると、イリスがぼくの背中をどやしつけてくれた。
「ぼけっとしてると死ぬぞ」

重い扉の前にたどり着いたとき、ぼくらは一人も欠けていなかった。それはとてもすごいことだった。
ジーンさんは扉を見やり、「向こうにすごい気配を感じるわ」とつぶやいた。
イリスが「休憩」と短く命じた。ヘルムートがどかっと胡坐をかいて座り、「スノウ、水」と言った。ぼくが水を手渡すと、そっけない軍人さんは、礼も言わないでそれを受け取り、干し肉を齧っていたが、やがて、ぺっと一部を吐き出した。硬い腱が混じっていたらしい。

ラズリルに居たころ、彼はラズリルの占領軍のトップだった。いかにも貴族的な風貌のエリート軍人だった。
それが今、暗い踊り場の、冷たい石の床に胡坐をかいて、干し肉を齧っている。顔一面に返り血を浴び、髪も振り乱して……。

ぼくの視線に気づいたヘルムートは、軍人口調で命令してきた。
「お前も食って、休んでおけ。貴重な休憩時間だぞ」
ラズリルでぼくに命令したのと、同じ口調だった。

「あなたに言っておきたいことがあるんですが」
「恨み言なら後にしろ。今は少しでも休んで頭を冷やせ、貴重な休憩時間だ」
「30秒だけ」
ヘルムートは迷惑そうな顔をして、ため息をついた。
「しかたないな、何だ」
ぼくは唇を舐めた。
「ラズリルで、略奪を止めてくれてありがとう。あなたが居なかったら、もっと酷いことになってたと思う。言いたかったのはそれだけです」

ヘルムートが干し肉を噛む動きが、ほんの数秒だけ固まった。

「おかげで、おれは裏切り者だ。もう二度と故国へも帰れぬ」
「ヘルムートさん」
「クレイが言ったように街を焼き、船を沈め、騎士団員を皆殺しにして、住民を奴隷に売っておけば、後ろを取られることもなかっただろう」

ぼくは言葉を次げなかった。

ヘルムートさんはすらりと剣を抜いた。ぼくは思わず身構えたが、彼はそのまま剣を眺めて、刃の具合を確かめている。ぼくのものよりは幾分細身の剣だった。
「おれはこれでジーンを守る。彼女の魔力は凄まじい。必ず敵を仕留めてくれるはずだ。お前はイリス殿を死守しろ、死んでも倒れるな」
「わかりました」
ヘルムートの目が細くなり、白い歯が少しだけ覗いた。多分彼は笑ったのだろう。
「わかったら、何か腹に入れておけ」

イリスはジーンの傷の手当てを終えると、ぼくの側にやってきた。ぼくは息を止めて彼の顔を見た。

イリスの顔に、死相が現れている。
目に見えないものを感じる能力など持っていないのに、はっきりと見えてしまった。
よほど恐怖に凍りついた顔をしていたのだろう、イリスはぼくの肩に手を置いた。ヘルムートやジーンが居るのも目に入らないようだ。

「死にそうな顔をするな。絶対大丈夫だから。おれがスノウを守るから」

ぼくは肩の力が抜けた。お互い、死にそうな顔をしているだけだったんだ。
「イリス、ちょっと待って」
ぼくはイリスの頬を両手で支え、額に自分の額をくっつけて、「ご武運を」と言った。
体を離すと、イリスは目を丸くしていた。
「おまじないだよ」
イリスの頬に赤みが差して、笑っているのか、怒っているのかわからないような、複雑な表情を浮かべた。
もう死相は現れていなかった。

「ありがとう、スノウ」


そうして、イリスは黒い扉を開けた。


おわり

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人目もはばからず(笑) バカッポーな主スノ。