一の鳥 ― いちの とり ―
(1) 2010/1/13
今朝のレルの街は曇り空、どこからかオルシュを沸かす匂いが漂ってくる。
朝6時、荷車を引いて新市街の裏通りを回り、集合住宅のエントリーに出されている箱を抱え上げて、直接ゴミを荷台にぶちまける。
夜の間にゴミは凍っているので、臭いはあまりない。荷台が一杯になると、大通りに待つ電動車の後ろに放り込む。電動車はゆっくりと発進し、次の辻まで移動するが、人間が走るのとさして変わらない。
力仕事ではある。
異常者と呼ばれ、それゆえに力のある私にとっては、さほどきつい仕事ではない。
一日仕事ではあるが、私の勤務時間は11時までだから途中で上がらせてもらう。
嶋、つまり集合住宅に戻ると、家主が風呂を沸かしてくれていた。寒い浴室で頭からつま先まで洗い、汗とゴミの臭いを洗い落とす。
年中発情しているオスの異常者として、世の中で嫌われている身の上である。ケモノ臭い上に、ゴミ臭いというと半径3メートルは人が寄って来ないであろう。
ホルモン異常で起こる病気としての倒錯者ではなく、私は生まれついてのオスで、体も丈夫であり、実証したわけではないが恐らく不妊ではない。
哀れをそそる要素がない。しかもペルンテル多毛族なみに毛深いので、よけいに臭うらしい。悪循環だ。毎日のように、匂いをごまかすためミョウバン粉を使わないと、人の前に出られない。
ああ、臭くて毛深い人ばかりの惑星へ行きたい。
私に言わせるとケメルにはいった人間の嫌らしい臭いのほうが、よほど不愉快なのだが。
「ゲンリー、早く飯を食いな。学校に遅れるよ」
家主さんが飯を持ってきて、念入りに髪を乾かす私をせかしてくる。まるで母親のようだ。家主さんはレルでは珍しいヨメシュ教徒で、オルゴレインからの亡命者だ。亡命したカルハイドで異常性欲者ばかりを集めた集合住宅を経営している。
あの国では、異常性欲者は無理やり治療されたあげく、廃人になってしまうそうだ。
オルゴレインに居たころのことは話したがらないが、「昔の罪滅ぼしに」私たちのような最下層の人間を援助している。詳しいことは今もわからない。
エ クーメンが惑星「冬」と呼ぶ、わが星ゲセンでは、人類は普段、全く性欲を持たない。月一度訪れるケメルのときだけ発情し、オスになるかメスになるか、そのときに決まる。だがメス、オスどちらにもなれる体に生まれていながら、オスかメスどちらかの状態で、常時ケメルが続く人間がいる。それらは異常性欲者と呼ばれる不完全な人間だ。
殆どはホルモンの異常によるもので、「半死人」とも蔑まれている。体質は一般に弱く、繁殖する能力はない。知的能力の劣るものも多い。それがどれくらいの人数存在するのか、誰もちゃんと調査をしたことがない。全人口の4%というが、いい加減な数字だ。
私は「異常性欲者」といっても、オスの機能だけを持って産まれてきた。メスとしての機能は一切備わっていない、異常性欲者の中の異常者、究極の欠陥品の人間だ。幸か不幸か頭の出来は普通だ。
年中、中途半端に発情しながらも、平気で外を出歩き、学校も行き、仕事もする。寒さにもさほど弱くない。だが、誰も私と手をつなごうとはしない。
「臭いやつ」とよく言われ、薄着になると気味悪がられ、囲まれて殴りかかられることもあった。逆襲して相手の歯を全部折ってしまって以来、誰も手出しはしてこなくなったが、悪口を言われるのは続いた。
両親は、オスに生まれた私を恥じず、あえてゲンリーと名づけた。
ゲンリー・アイ。はるか宇宙の彼方から飛来し、閉ざされたこの惑星に宇宙の知恵をもたらした「使節」。彼もわたしのように、生まれついてのオスだった。
あのゲンリーのように賢く、勇気あるものであってほしいと望み、両親は私にゲンリーと名づけたのだ。
その両親は既にない、私は貧しく平凡な17の男、ゲセンの地上を這いずりまわって、ゴミを集める若いオスに過ぎなかった。 望みを託していたエルヘンラング科学技術大学への受験も、失敗した。
残り半年の高校時代を半日はゴミを集め、半日は授業を聞きにいく毎日、まさに私は半分死んでいた。
「お前、卒業したらどうする? 上の学校にはいかないのか」
数少ない友人に心配されても、答えようがない。
「金がない。軍隊に入るかなぁ」
どうせ無理なのはわかっていた。軍隊はだめだ、こんな体だから身体検査ではねられる。あらゆる可能性は閉ざされていた。運がよければ、どこかの工場に入り込み、一生日銭を稼ぐ肉体労働をして暮らす。人生なんてそんなもんだ。
足掻いても結局決まっている道。もって生まれた体と人生は変えられない。
授業が終わると、校長室に呼ばれて、出向いていった。校長は私を呼びつけておきながら、私の前でハンカチで顔を覆った。私のオス臭さが迷惑なのだろう。ぶくぶく太り、もう初老だが、ケメルはまだあるのだろうか。
(いや、もうアガっただろう。そんなに気にしなくてもいいじゃないか、年寄りのクセに)
露骨な態度には慣れっこになっている。腹の中でせせら笑い、そして忘れるに限る。私が気にしたのは、校長の横に座っている、色の白い人物だった。
ゆったりした地味な色のコートに、金色の鎖を下げている。これは独身者のしるしだ、と私は思った。まだ若く、とてもきれいな顔をしていて、そしてケメルに入りかけていた。
回れ右をして逃げたかった。
「こ ちらはオセルホルド砦の予言者でいらっしゃる、イセレン殿だ。砦の学問所の先生でもいらっしゃる。あのエルヘンラング科学技術大学を卒業され、オセルホル
ドの砦で教えていらっしゃる。ゲンリー、失礼のないようにご挨拶なさい。お前に砦で学ばないかと言ってくださっているのだ」
私はぎこちなく頭を下げた。イセレンもまた頭を下げる。胸に下げた金の鎖が、さやさやと鳴った。
「あなたとお話がしたいと思い、出向いてきました。私はシャスのイセレンと申します。はじめまして、以後お見知りおき下さい」
そういって立ち上がり、微笑みながら、手袋をはめない手を差し出した。これは、なんなのだろう。私に何をしろというのだろう。頭の中は真っ白だった。
「どうしたゲンリー、握手を無視するのか。無礼だぞ」
ああ、握手をするのだ。握手を。ケメルに入りかけている人間の手を、常時発情しているこの私がか。
予言者を発情させてしまったらどうするのだ!
しかし恐れたことは起こらなかった。握手をしても、彼はケメルに入らなかった。完全に自分を律している、これが、ハンダラ教徒の予言者か。
校長は、挨拶もせず黙っている私に肩をすくめた。
「教育の甲斐もなく、口の利き方も知らん、救いようのない愚か者で」
シャスのイセレンは、「いいえ、年頃の若者はこうしたものです。愚かとは言いません、ただ若いだけです」と穏やかに答え、私に向き直った。そのとき、イセレンの髪からふわりと何か良いにおいがした。
独身者である予言者が、香りモノなどつけるはずもないのに。
「失礼して、シフグレソルを解かせていただきます。どうかこちらへ来て、お座り下さいませんか」と言った。
私はイセレンの正面のイスに座った。とても落ち着かない気持ちだった。私を蔑み、恐れる人間は居ても、「シフグレソルを解く」といった人間は初めてだからだ。
だいたい、私に対してシフグレソルを云々するものなどいた事がない。どこの馬鹿が虫けらに礼儀を尽くすだろうか。だがイセレンという予言者にとって私は虫けらではないようだった。
「オセルホルドの砦のことを、何かご存知ですか?」
私は、「ハンダラ教の修行とか、断食とか、予言とか……それから」と言葉を濁した。
予言には異常性欲者が必要だ。
「それから?」
「俺のような異常性欲者も、予言の儀式に必要だと聞いています。つまりこれは、異常性欲者のリクルートですか?」
イセレンはにっこりと笑った。
「ええ、察しがいいですね。今、砦では、予言の精度を上げようとこれまでになく努力しています。強い力を持った歌人が、絶対に必要なのです」
おとなしそうに見える予言者は、まったく動じるということがない。
「も うひとつ、砦では多くの若者が働きつつ、学問をしております。エクーメンの支援と指導を得ているのは、『冬』ではオセルホルドだけとご理解下さい。あなたが少しでも歌人として参加してくれるのなら、無料で学問を続けられるようにいたします。あなたの良き名、ゲンリーという名誉ある名に相応しい学問を、身につけられるように」
よどみない口調だ。
話が上手すぎる。この世間離れした予言者、二十歳をいくつも超えてなさそうな、世の穢れを知らなさそうな予言者は、話し始めたらまるで商売人のようだ。どういうことなのだろう。
「ところで、ゲンリーの成績を調べさせてもらいました。優をずらりと並べた成績で、科学技術大学に落ちるとは奇妙ですが、どうしたのでしょうか?」
校長は顔を少し赤らめた。私より成績の悪いものを合格させる為に、私の点を削ったのはバレバレであったので。だが異常者だから、そんなことは罪にはならないのだ。異常者は人間ではないからだ。
「科技大が見落とした才能でしたら、砦が頂いてもいいはずです」
「無論です。こんなものでよければ、せいぜいお役に立ててください。明日からでも」
校長の声を聞いて、私は冷静さを失った。
「役に立ててくれ、か。予言でこき使って潰す異常者の、補充じゃないのか?」
イセレンは驚いて目を丸くした。
「それは、違いますよ。それに補充なんて、モノではないのですから」
「違わない。おれは、モノなんだよ。人間じゃない。おれは虫けらであなたは、あなたは……」
おれはほとんど歯軋りをせんばかりになっていた。なぜこんなに腹が立つのかわからなかった。人の優しさに触れてしまうと、これからの人生が耐え難いものになるだろう。
だからどこかへいってくれ。二度とおれの前に姿を現すな。
「違いますよ。あなたは、人間です。私と同じ人間です。だからこうしてお願いに……」
「同じ人間ですか。 は! では、もしおれが、ケメルの契りを結んでくれと頼んだら、あんたはどうします。考えてくれますかね、先生!」
私は逆上していた。叫びながら真っ赤にもなっていただろう。生まれて初めて人前で「ケメル」などということばを叫んだのだから。
イセレンは困惑しきった顔で、「本当に、申し訳ないが」と言った。
「私は、独身者の誓いを立てた身です。申し訳ないが、誰とも……それだけは、無理です」
「ここここ、この阿呆! 予言者さまになんという無礼を!」
校長が我に返ってイスを蹴飛ばして立ち上がり、私に殴りかかろうとした。
「ヌスス、いいのですよ」
予言者は校長を制して、何度も首を振った。
「私はどうにも、修行が足りないようだ。ゲンリー、あなたを怒らせたこと謝ります」
予言者は、謝る必要もないのに謝ると、フードをかぶり、静かに立ち上がった。
「今日は、帰りましょう。でもまた必ず来ますね、ゲンリー」
フードの下で白い顔が微笑んでいた。
一の鳥 2