一の鳥 (8)
2010/3/15

レルの若者ゲンリーの語る 温めるうちにイセレンの呼吸は規則的となり、震えも止まった。ショック状態から立ち直ったのだ。
そして私自身も、ケメルハウスでの屈辱を一時忘れてしまった。
「暗闇と未完の進歩に祝福あれ」
やがて、予言者は古い祈りの言葉を呟いて、寝息を立て始めた。私を信じきったようすだった。信頼に応えて、私も自分の欲望を、封印しておかねばならない。
薬を打たれて発情している体で、タマゴを温める親ペスリみたいに、ただイセレンを温め続けた。
かなり拷問に近かった。ちょっとでも動くとイってしまいそうで、辛かったが、不思議と甘美な苦痛だった。

気を紛らわせようと、部屋の中を眺めた。火の気のない暖炉の上に、若死にした先王アルガーベン17世と、最近即位した、エムラン王の額が並べて掲げられている。どちらも、講堂にかけられているものと同じだった。どちらも若い。
誰が王になろうと、私の生活は変わりない。貧しく生き、貧しく死んでいくのだろう。誰も愛さず誰にも愛されない、そのまま死んでいくのだろう。

そう思っていたのに、イセレンが来てから、何もかも変わり始めていた。
貧しく不具者である私は、せめてイセレンに対して、良い人間でありたいのである。

しかし時間とともに、腕の中の体の感触が変わってきた。説明できないが、柔らかかった体の中に、芯ができてきたというのか。
これは何なんだろう。私の勘が的外れであることを祈りながら、朝を待った。

やがて違和感はどうしようもなくなった。私は灯りをつけ、毛布をめくり、裸のイセレンを見た。赤い髪、細い腕、胸、腹部、太股……。
きれいだと思った。

でも、男だった。

ほんの数時間前は、何もなかったところに、男の性器が「生えて」いた。
(ああ、イセレン!!)
イセレンはすぐに目を覚ました。そして私を見て、「呼びましたか」と微笑んだ。声に出さない私の声を聞いてくれるのだ。何て不思議な力を持っているのだろう。
しかし彼が穏やかだったのはそこまでだった。自分の姿と私の顔を交互に見て、何が起こったかを知ったのだろう。見る間に顔をゆがめ、「ごめんなさい」と叫び、顔を手で覆った。
「あ、謝る理由なんてない。謝るなんてやめてくれ!」
もうどうしようもなくうろたえてしまう。
何でこんなことになるのだろう。ものすごく残念だったけど、それ以上に、イセレンが悲しんでいるのが辛かった。
「謝らないでくれ、頼むから」
「がっかりさせてごめんなさい」
「がっかりなんてしてない。きっと次は……」
「次も同じです。たとえ鎖を外しても、あなたのものにはなれない。あなたと違って私は本物の異常者だ!」
「やめてくれ」
耐えられなくなって、イセレンの手を顔から引き剥がした。見上げるイセレンは、確かに顔つきも変わっていた。多分それを「男の相」というのだろう。普段、絶対に見かけない、一生見ないと思っていた、ケメルに入り発情した男の相だった。同じ顔でも違う性、そしてとても傷ついて無防備だった。
「たとえ鎖を外そうと、あなたのケメルの伴侶になることはできないのです」
そういうと、ゆっくりとベッドから身を起こしたときには、もう落ち着いていた。赤い髪が肩から落ちた。
「いつもは、こんな姿にならずに済んでいるのですが……。ケメル抑制剤を飲み忘れたためかも。それとも、ドセに入ったせいかもしれない。いずれにせよ、不愉快な思いをさせてしまって申し訳ない」

そういうとイセレンは、脱ぎ捨てたコートのポケットを探り、金の鎖をつけた。ゆっくり立ち上がって、ふらつきながら服を身につけ始めた。彼は、どんな慰めも救いも求めなかった。
超人的な自制力だった。
ケメルに入り発情し、性が決定したら最後、どんな人間も欲望に屈する。何より性行動を優先させるのがゲセン人だ。それ以外の日には全く性欲がないことの反動だ。「普通のゲセン人」はそういうふうにできてる。

しかしイセレンは、すさまじい苦痛に耐え、慎みを通そうとした。きちんと身じまいをし、「私のものなので大きさもあわないと思うが」と着替えを差し出してきた。
受け取らなかった。胸の中に渦巻くものがあった。イセレンは何か言いたそうにしていが、やがて背を向けた。
「食事にしましょう。私もサンゲン期で空腹なのです」
私はイセレンの手首を掴んだ。

「おれが嫌いだから、避けようとして男になったのではないんだな」
イセレンは驚いたようすで「まさか」と首を振った。
「人間は意志の力で、自分の性を決めたりはできないんですよ。でも嫌いな相手にこんなことされたら、私は半殺しにしてたでしょう。これでも、わりと容赦ないもので……」
きゅっと心が締め付けられる。なんだろう、この感覚は。あまりにうれしくて、私は自分を止められなかった。

「イセレン」
私は彼の手を握り締めた。
「おれが好きなんですか」
彼は赤くなり、「先ほどからそう言っているつもりです。こうなったのは残念ですが」と応えた。
「恋人にはなれないけど、あなたの力にはなれます。一緒に宇宙の高みを目指しましょう。この地球の外なら、あなたに相応しい、もっと陽の当たる人生を」
何とうれしい。この奇跡を手放してなるものか。ベッドに再び引っ張り込んだ。
予言者は私を見上げて「ゲンリー、落ち着いてください」と落ち着きなく言った。
「おれも好きだ。あんたと出合ったのは奇跡だ。うれしくて気が狂いそうだ」
「ああ、顔が近いんです! あなた発情してます?」
「発情してるとも。破裂しそうだ」
そんな変な言葉しか出ない。下半身を押し付けると、予言者は本当に仰天して「やめなさい、何を血迷ってるんですか」と、声を上げた。
「あんたとケメルの契りを結びたい!」
予言者は真っ青になった。
「どうか許してください、あなたを殺人者にしたくない」
「しないって!」
「いやです、死ぬのはイヤ!!」

彼は本気で怖がって、頭のてっぺんから悲鳴を上げた。
ペニスの下の、ごく奥のほうに隠れている「休眠状態の」女性器に、無理矢理突っ込まれると思ったらしい。
ゲセン人は強姦がないというが、たまにはある。強姦犯の持ち物がでかい場合は、休眠状態の女性器が裂けたり、小さな子宮が引きずり出されて、最悪、死ぬこともある。
報道されないが、レルにもそういう猟奇的な、惨い事件はある。
「嫌なことはしない。あんたが大事なんだ」

それを聞いてイセレンは、やっと力を抜いてくれた。キスにも優しく応えてくれた。恐る恐るだけど、私のものに触ってもくれた。キスをして、手で触って、体を重ねて動くだけだ。
首の周りで動く金の鎖も気にならない。ソメルのときも、ケメルのときも、たとえ男同士でも、愛は愛だ。

「ああ、ゲンリー」
イセレンが私の背中に手を回して強く抱きしめてくれた。すごく幸せだった。私が生まれてきた意味がわかった、それはこの人と抱き合うためだ。このまま二人で雲の上までも。

「予言者様、いらっしゃいますか! ゲンリーのやつは帰らないし、サルムの店は強盗が入って壊されるし、あいつは逮捕されて、もう何が何だか……」
ものすごい勢いでドアが開いて、オルムネルが飛び込んできた。
「ああ、ゲンリーが予言者様と、めでたく二階建てに」
とんでもなく馬鹿だと思うが悪気はない。オルムネルが私を売ったのではないことがわかれば、十分だった。とにかく彼はこういって逃げていった。
「童貞卒業おめでとう、ゲンリー。引き続きがんばれ」
厳密に言うと私はまだ、童貞のままだったが、そんなことはもうどうでもいい。イセレンが笑っていてくれるのなら、30歳過ぎて童貞でも何の不都合もない。

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次の日、退学手続きをしたその足で、砦に向かって出発した。荷物もさほどなかった。家主はケメルハウスで何があったのか、一言も聞かなかった。ただ、「早く町を出るべきだ」と私たちを急がせた。
家主は寛大だった。借金も完済せずに旅立つ恩知らずの私に向かって、こういった。
「お前は、何も重荷に思うことはない、ただ幸せに生きてくれたらいい。私はオルゴレインで、お前のような子供たちを死なせてしまった。ひとり助けたところで、この罪は消えない」
そしてイセレンに言った。
「メシェの慈悲が、いつもあなたにありますように。あなたに、平穏と幸せがありますように」
イセレンは不思議なものを見るように、家主を見つめている。
「ずっと前、違う場所で、あなたにお会いしたような気がするのですが。ここじゃない、どこかで……」
しかし家主は、「気のせいでしょう。こんな年寄り、どこにでもある顔ですから」と微笑んだだけだった。

最小限の荷物と食糧を背負って、徒歩で、レルの南端へ向かった。運河の水が少なく、小舟が走れなかったためである。一生出ることもないと思っていたレルの古い街を、荷物を背負って出て行く。南の大門からは電動車に乗ることができるが、毎日はないので結局は徒歩の旅である。

見晴らしたレルの平原は、銀色と緑の巨大な綴れ模様だ。昔、父に背負われてみたレルの平原を、私はイセレンと並んで見た。
空はとても広く、澄み切っていて、気持ちまで大きくなりそうだった。そうイセレンに言うと、かれは微笑み、うつくしい言葉で祝福してくれた。
「確かに広い。でもあなたは、この空より高く飛んでいける」
こうして私は荷物を背負い、イセレンと並んで、砦への道を歩き始めた。


おわり。最後まで読んでくれてありがとうね!


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