さよなら、スノウ。
05/8/21
宿したとたんわかってしまった。
こいつは呪われた生き物だ。
男も。
女も。
年よりも。
小さな子供も。
誰も助からない。
これに取り付かれたら、みんな、倒れて死ぬ。
イヤというほど見せ付けておいて、次はお前だと思い知らせるのだ、この紋章は。
………嫌だ。まだ死にたくない。
ブランドみたいになりたくない。グレンみたいになりたくない……。
体が熱い。左手が、手を切って飛ばしたいほど重い。
……気分が悪い。おれは病気だ。
勝手におれの体を乗っ取った、こいつのせい。
「うなされている。こいつ、病気か?」
「起きろ、イリス」
誰かに頬を張られた。おれは薄く目を開けた。
男たちがおれを見下ろしていた。騎士ふたりと、偉そうなヒゲを生やした中年の男、もう一人は少し若い男で、ヒゲの男の後ろに控え、気味悪そうにおれを見ている。
ヒゲの男が口を開いた。
「訓練生イリス。いや、もう訓練生ではなかったな。お前がグレン団長を殺したという訴えが出ている。何か申し開きすることはあるか?」
「おれは……て……いない」
「お前がグレン団長を、妙な魔法で消し炭にしてしまったという、目撃者が居るのだ」
「だれ?」
「さるお方」
おれは鈍った頭で必死に考えた。グレンが倒れた、あの場所にいたのはおれと、スノウの二人だけだった。
「スノウか?」
「名前はあかせないが」
「スノウなんだろ。それ以外いないじゃねえか、タコ」
笑いが止まらなくなった。あんまり笑いすぎて、涙が止まらなくなった。
おれは馬鹿だ。相手がどう思っているか、蹴飛ばされなければわからないなんて。この馬鹿さ加減は、死ななければ治らないだろう。だけどもう、どうでもいいや。
「スノウが言うんなら、おれが殺ったんだろう」
「下郎めが!」
叫び声とともに、騎士が殴りかかってきた。
「何で団長を。貴様何の恨みがあった、グレン団長は高潔な騎士だったのに!」
「やめないか!」
確かにご立派な人だった。おれに目をかけてくれて、「悪いようにはしない」と、おれの耳元でささやいた。鍵をつけてもいつのまにかはずされていた。
「特別に講義してやろう。お前は見所があるから。お前は特別だから」
いっそ、ほっといてくれたらよかったのに。
恨みを晴らせ、グレンに罰を与えよ、と誰かが耳元でささやいた。
「だけどグレン団長はもう死んでる」
― 犯した罪は死しても消えない。
― お前に与えた恥辱の償いをさせてやるのだ。
― グレンに罰を!
「罰が下ったんだ。死んで当然だ…………しつこくて、スケベで、嫌いだった。ずっとイヤだったんだ! あんなやつ大嫌いだった! 汚い、汚い、きたない!!」
グレンは汚い。おれも、とても汚い。
スノウに嫌われてもしかたない……。
殴られて気を失うまで、口汚くグレン団長をののしり、泣き喚いていた。
夜。
スノウ・フィンガーフートは酷くいたたまれない思いを抱え、法務担当の書記から得た、イリスの取調べ記録を読んでいた。
そこには、形ばかりとはいえ、取調べの間に書きとめられた会話が、そのまま転記されているはずだった。
スノウはあるくだりまで来て、思わず怒号を上げた。
「なんだこれは」
そういうと唐突に吐き気が襲ってきた。
スノウにはかすかに心あたりがあったからだ。イリスが騎士団に入り、館に住み始めてまもなく、ひどく元気をなくしていた時期があった。
イリスは頬が落ちて、あきらかに様子が変だった。
『ここに帰って来たらだめですか? おれ、スノウ坊ちゃんのお世話だけしていたらだめですか』
『だめだよ、イリス。ぼくと一緒に海に出るんだろう? 誰だって辛いんだから。だけど週末は帰れるだろう?』
『わかりました。弱音吐いてごめんなさい。……がんばります、スノウ坊ちゃん』
「イリス……」
訓練の厳しさに根をあげたのだと思い込んでいた。
スノウは酷く心を乱し、ファイルを抱えて部屋中をうろうろ歩いた。
行くべき場所は、父親の執務室しか思いつかなかった。
「父上」
父はあいかわらず決済書類に埋もれていた。
「お話があります。……イ、イリスのことですけど。死刑を免れる方法はないのでしょうか? 国外追放くらいでいいのでは」
父は驚いたようにスノウを見た。
「スノウや。お前があの下男が犯人だと言ったのだよ。なのにどうしたんだね。今になってあれは間違いだったとかいうのではないだろうね」
「そ、それは、もちろん違います。ただ、ずっと我が家の使用人だったものが死刑になるのは、あまりに哀れです」
「不名誉な罪を犯したのだから、いたしかたないだろう? いくら奉公人でも、罪人をかばい立ては出来ないぞ」
スノウは覚悟を決めて、取り調べ記録を父の前に置いた。
父はそれを読み、汚らわしい、と言いたげに顔をしかめた。
「いったいなんだね、この茶番は」
「錯乱していたのかもしれませんが、もし過去に何かあって、イリスが団長を恨んでいたのなら……それは、やはり考慮すべきだと思うんです、それに」
少しためらったが、知っていることは告げなければならなかった。
「そういわれてみれば、少し様子がおかしいときもありました。グレン団長に、その、何かされて、それで悩んでいたのかもしれないんです」
「スノウや。それがもし真実なら、なおさらイリスを生かしておくわけには行かないだろう? どうせあの孤児が誘ったのだろうが。騎士団長が下男と出来ていて、痴話喧嘩の末に殺されたなど、スキャンダルもいいところだ」
スノウは今度こそ血の気が引くのを覚えた。スノウが何か言えば言うほど、事態はどんどん悪くなっていく。
「…………お父様、お願いです……イリスは……彼は、ぼくと兄弟のように育っ………」
スノウは言葉を飲み込んだ。兄弟などではない。
だから罪を犯しているのを見つけたとき、告発をためらわなかった。
しかしその先に死があるとは思わなかった。
「お願いです、お父様。飛ばした首は元には戻らないではありませんか。せめて斬首だけは免じてやってください」
長い、長い夢を見ていた。
眠っては目覚め、目覚めてはまた眠ってうなされていたので、実は何日経ったのかおれにもわからない。
目が覚める。夢だったに違いないと思い、左手を見る。
やはりそれはあった。おれは手を落とした。
体はまだ重かったけれど、頭はかなりすっきりしていた。少なくともおれは狂ってはいないようだった。
とにかくその日、副団長のカタリナが入ってきた。彼女は、しばらく見ないうちに思い切り人相が悪くなっていた。
「すっかり悪人顔になったわね、イリス。それがあなたの本性だったのね」
カタリナのほうが先に言い出した。
悪人顔はお互い様だろう。
「あなたの処遇だけど。本当は死刑になるところを、さるお方が口を利いてくださって、流刑になったわ。お前のなんと悪運の強いこと。神に感謝しなさい」
「流刑……」
「ただし、次にラズリルに入ってきたときは容赦しない、即刻首を落とすからそのつもりで」
カタリナは冷たい目でおれを見下ろした。
「本当なら、今私がお前の首を落としたいところよ。イリス、私は一生、お前を許さない。お前はグレン団長を殺めただけではない。でたらめを言って団長の名誉まで汚したのよ。……わかる? お前は受けた恩も忘れ、グレンを二回も殺したのよ」
カタリナの目に涙が浮かんでいた。
こいつもどうせ、グレンと出来ていたんだろうと思うと、もう何も言う気力もなかった。
その後、ポーラやジュエルが泣きながら会いに来てくれた。信じているといってくれた。
でもなんだか、今生の別れという感じもした。
それからおれは騎士団の装備を脱ぎ、たったひとつ持っている、いい服に着替えた。
それは黒いパンツスーツで、かなり上等の木綿で出来ている。スノウが仕立て屋を呼んで礼服をしたてるときに、一緒に作ってくれたものだ。
スノウは、「まだ体が大きくなるだろうから、心持ち大きめにして」と言っていた。だから作ったときは確かに少し大きめだった。
なんだかもったいなくて、あまり袖を通したこともなかったが、このときになって着てみると体にぴったりだった。
船に乗せられ、外洋に出たところで小舟に乗せられた。
海図は与えられなかった。わずかな食料と水だけ。
どうやら、オールもないようだった……。
流刑というからには、どこかに島に連れて行かれて、その後に捨てられるのだと思い込んでいたが、そんな甘いものではなかった。
流刑とは名ばかりで、実はこれはゆっくりと死に至らしめる、死刑より残酷な極刑なのだと、そのときようやくおれは気づいた。
小舟はおれの棺で、これから海に葬られるのだ。
だけど自分でも驚くほど、静かな気持ちだった。
さよならラズリル、仲間たち。
おれは口の中でつぶやいた。ラズリルははるか遠く、その灯りも見えなかった。上は満天の星空が広がるばかり。この世でおれはただ一人だった。
「さよなら、スノウ。」
声に出して言ってみた。
おれを捨てて、誰に守ってもらうんだい。
いつかおれのことを思い出して泣いてくれるだろうか。
おれは闖入者に声をかけられるまで、しばらくじっと星空を見つめていた。
END
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