家出娘6
「やめてえ、デスモンド、何をしているの!」
突然、女の悲鳴が響いて、おれはわれに返った。フレアが風呂から上がって、洞窟から出ていたのだ。
「フレア様!」
「デスモンド、その顔。二人とも、いったいこれは!」
湯上りのフレア姫は、素肌におれの黒いジャケットを着ていたが、例の特大肉まんを隠すには服の横幅が全然足りなかった。裸よりマシという程度だ。
彼女はその胸元を必死で押さえながら、恐ろしそうにこちらを見ている。
「ああ、フレア様! 大丈夫ですよ、私が付いています。犬に噛まれただけです、すべて忘れてオベルに帰りましょう!」
デスモンドはおれに背を向けると、フレアのほうへ向かって歩いていった。おれは最後の力を振り絞って、デスモンドの腰のあたりにタックルをかけ、地面になぎ倒した。そして自分がやられたお返しに、やつの急所を掴み潰してやった。
「あぎゃああ!」
「こいつ、去勢してくれる!」
「やめて、イリス、デスモンド、やめてえぇぇ!」
フレアの悲鳴にも耳を貸さない。おれたちは野獣のように、ただ殴りあった。
突然氷が上から降ってきて、おれたちを直撃するまでやめなかったのだ。デスモンドも同じように、うつぶせに倒れている。
周りの砂地に、きらきら輝く氷のかけらが突き刺さっている。そうだ、フレアは水の魔法が上手かった。それが、気を失う寸前に思い出したことだった。
冷たい、やわらかいものが額に触れて、目が覚めた。
心配そうなフレアの顔がおれを見下ろしていた。額の上に、彼女の手が置かれている。
「気がついた? イリス」
フレア姫はもう、いつもの赤いブラウスを着て、長い髪を高く結い上げている。彼女の横で、デスモンドがうなだれていた。
鼻の穴からは、鼻血を止めるための紙が飛び出している。
そして、その両頬にはあきらかに、平手打ちのあとがあった。多分、フレアに怒りの往復ビンタをもらったのだろう。
「ごめんね、イリス。デスモンドから話は聞いたわ。スノウと暮らしてたことは知ってたの。それが急に居なくなったから、どうしたのかと思ってたのよ。デスモンドがスノウを追い出したのね?」
「フレア」
「あなたがこんなに怒るくらいだから、よほどのことだと思ったんだけど……。ほんとにひどいと思うけど、私に免じて、デスモンドを許してあげて。お願いよ、イリス」
フレアは感極まったように、白い両手で両手を覆った。おれは仕方なく、「わかったよ」と答えた。
「……ありがとう、イリス」
肩が小さく震えているので、泣いているのかと思った。だが、そうではなかった。
「だけど、イリスってほんとに面白い子!」
彼女はおれの頬を両手で引っ張り、大笑いしたのだった。白い顔は真っ赤になっている。フレアがここに来て、はじめて見る大笑いだった。そしてデスモンドのほうを振り返り、バンバンとヤツの肩を叩いている。
「デスモンドも大人気ないわ。イリスの冗談にすっかりだまされて!」
「申し訳ありません、フレア様」
「私を信じてくれなきゃ、デスモンド。家出したのは悪かったけど、私もいつまでも子供じゃないのよ?」
「もう子供じゃないからこそ、心配してるんですよ、フレア様。本当に死ぬ思いをしましたよ」
聞くほうが恥ずかしくなるような、猫なで声だ。デスモンドは、こいつは誰だというくらいフレアには優しいのだ。
「まあ、そんなに心配だったの?」
「もちろんです、フレア様。縁談を無理にすすめた私がバカでした。姫様の気持ちもわからず……申し訳ありません。一番大事なのは、姫様なんですから!」
フレアは、熱いまなざしでデスモンドを見上げている。突然、悪寒がおれの背中に走った。もしかしておれは、悪いものを見せられるのだろうか。
うわ、嫌だ。
「ルイーズさんよりも、私が大事?」
「当然ですよ!」
「じゃあ、ずっと私のそばに居てくれる?」
「もちろんです。姫様のお嫁入り先まで付いていって、死ぬまでお仕えいたしますよ」
「デスモンド、やっぱりひどい人。世界一、鈍感な人だわ」
フレアは半泣きで、必死の面持ちでデスモンドを見上げていた。
「正直に言って。デスモンドは、本当は私のことをどう思っているの?」
「フレア様」
デスモンドはうつむいて、ぼそぼそとつぶやいた。
「ご立派になられて……おきれいになられて。王妃様に見せたかった」
「デスモンド、最近、私のことをまともに見ないのに、なぜわかるの」
恐ろしい予感が的中で、怖いくらいだ。そしてデスモンドとフレアは、おれが横にいるということを、ほぼ完璧に忘れていた。おれは単なる風景の一部と化していた。
「ちゃんと私を見て、まっすぐ見て、デスモンド。これは命令です」
いくぶん厳しい、だが泣き出しそうなフレアの声だった。デスモンドは弾かれたように背を伸ばした。
「デスモンド、ほんとに私のことどう思っているの? 答えなさい!」
「誰よりも大切です。王様よりオベルより大事です。命をかけて守りたいと思っています。ですが、私ではお守りできません」
「だけど、強いイリスに向かっていったじゃないの!」
「フレア様、それは……」
「ねえ、よく考えて。ほんとに私をラインバッハさんと結婚させたいの? ほんとにそれでいいの?
私が誰のものになっても平気なの?」
フレアの横顔は、見たこともないくらい女らしく見えた。デスモンドは大きく息を吸って答えた。
「嫌です。誰にも渡したくありません!」
「愛してるわ、デスモンド」
オベルのお姫様がデスモンドの腕の中に飛び込むのが見えた。
クソ男のほうも、「私もです、フレア様。だけど自分で認めるのが恐ろしくて……」などとほざきながら、フレアを抱きしめていた。
まさに夕日が沈もうとしている。逆光を浴びて抱き合う二人。拍手のひとつもしてやる感動的なシーンだが、とにかく、お姫様の相手が悪い。
おれはよろよろと立ち上がった。
「好きにやってくれ」
もう堪えられなかった。おれは足早にその場を去ろうとしたが、股間をはじめとして、あちこちがマジ痛くて、まともに歩けない。
何よりも心が痛い。おれの愛しい人は、もう「ずっと一緒にいてくれ」とは言わないんだろう。スノウは自分の力で歩きたいんだから。
それでも、遠くラズリルにいるスノウに、呼びかけないではいられない。
「スノウ、きみもこの夕日を見ているか? おれは、あきらめないでもいいんだよな、スノウ……」
家出娘。おわり
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