オベル白い花の祭

October 23, 2005


イリスがオベルに戻ると、港では奇妙な催しが始まろうとしていた。
白い鉢巻を巻いた白衣の女たちが、海に向かって一列に並んでいる。鳥が鳴くような声で、「歌」を歌っているのだった。
イリスの耳にそれは、鳥の歌のようにしか聞こえなかった。不思議な呪文のような歌。高く低く、うねるように海面を滑っていく。ずっと聞いていると呪われそうだ。

いつも騒がしい水夫たちも、船の前に一列に並び、頭を下げて神妙に聞き入っていた。
女たちの白い手の甲には、模様が青く描かれていた。
「刺青? 珍しいな」
イリスがつぶやくと、傍らで見ていた女が教えてくれた。

「大昔は刺青をしていたのですが、今はああして、染めるのです。これからあの巫女たちが、死者の魂を連れて山の上まで歩くのですよ」
イリスの横で行列を見ていた女が、そう説明してくれた。
やがて女たちはさえずりながら歩き始めた。

年配の女は、イリスに促した。
「あなたもご一緒にいかが? イリスさま」
「……ぼくはあの歌は歌えませんが……」
「かまいません。一緒に歩いてくださるだけでいいんですよ」
死者の魂をつれて、山の上まで歩く。イリスはそういうものは信じていないし、苦手でもある。
(様子を見て、列から抜ければいいか)

しとやかに歩む女たちの列は、歩みが遅い。
ゆっくり歩いているので、昼の日差しにさらされ、皆、ひどく汗ばんできたが、誰一人文句を言うわけではない。
イリスは上着を脱ぎ、腰に巻きつけて歩いた。皆の歌を聴くだけで、頭がくらくらした。
(これが、オベルなのか?)
得体が知れない、とすら思った。

行列は町を抜け、王宮の横を通り過ぎた。オベル遺跡の横手にある小道を進み、やがて山の上に出た。
山の上には、精巧な透かし彫りを施した、木造りの祠がたっていた。祠に行き着くと、白衣の女たちはまた歌い始めた。
(まだ続くのか)
イリスが額の汗をぬぐったころ、女たちは唐突に唱和をやめた。
黒いリボンを頭に巻いた人々が、祠の前に進む。そして手に持った花を、祠の前に次々と置いていった。

その中にデスモンドもいた。いつものように地味にくすんで見えたが、その彼もまた他の人に習い、祠の前に花を置いている。
「デスモンドさん」
話しかけても、デスモンドは答えなかった。
「デスモンドさん、お話があります」
再度、幾分きつい声で呼びかけると、男はようやく顔を上げた。
「少しお待ちを。もう少しで祭りが終わるので」

祈る人々は、三々五々、山の上へと歩いていく。イリスはデスモンドに続いて山を登った。
開けたところに、多くの木の棒が並んでいた。古いものも、また新しいものもあった。
デスモンドはその中の一角にまっすぐ近づいていき、花を捧げた。何箇所かの墓に同じように花を捧げると静かに立ち上がり、「お待たせしました」と頭を下げた。少し下がり気味の眉、黒い少し気弱そうな目。船ではいつも親切で、頼りになる補給係だった。

イリスが珍しそうに木の棒を眺めるのを見て、フレアの補佐官は「これは墓ですよ。さっきの祠はここの墓の守り神で」と説明してくれた。
「今デスモンドさんが花を置いたのも、お墓ですか」
「わたしの父と母、妹と弟です。私は、家の最後の生き残り、というわけです」
そうですか、とイリスは答えたが、この男の家系には何の興味もわかなかった。

だが、デスモンドは聞かれもしないのに話し始めたのだった。
「昔、海賊が攻めてきたときに……王妃様が亡くなったときですが。海賊たちは、船から町に砲弾を撃ち込んできました。私の家は直撃を受けて、父と弟が死にました。母と妹は海賊に連れて行かれて」
デスモンドは身をかがめ、小指の先ほどの小さな草を抜いて、靴で踏みつけた。
母と妹がどんな目にあったのかは、語るに忍びなかったのだろう。
男は結果だけを淡々と続けた。
「数日後に浜辺に打ち上げられました」
「お気の毒に」
だがイリスの声は、まったく心のこもらないものだった。気の毒な話だが、この男の家族の不幸には同情が沸かない。

デスモンドは、イリスの慇懃な答えには動じなかった。
「イリスさま、あれをご覧ください」
指し閉められた方角には新しい墓が並び、女たち、子供たちが花を手向けている。墓に手を当てているものもいる。泣き伏しているものはいないが、静かな悲しみが伝わってきた。

「さきの戦で亡くなったオベルの戦士たちの墓です。イリスさまと歩けて、戦死者の魂も安らいでいることでしょうが、未亡人たちの魂が安らぐのはずっと先ですね。彼女らの生活が立ち行くように、王も気を配っておられます」
「……そうですか」
「私としては、飢えて死んだり、悪い食べ物で死んだりしたものが非常に少なかったこと、唯一の救いだと思っております」

イリスは唇を噛んだ。
確かに、飢えや食中毒で死ぬ兵士はほとんどいなかった。
兵站はデスモンドが統括していたので、この男の功績は確かに大きい。
(先制攻撃か)
「これで私の話は終わり。さあ、イリスさまのお話をお聞きしましょう」
とってつけたような明るい笑顔、明るい声。

(ずるい男だ)
イリスは拳を握り締めた。
スノウには、デスモンドやリノに乱暴してはいけない、と言われている。
『ぼくを許してくれたように、許してあげてくれ。ぼくを追い出したのは、イリス、きみのためだったんだから』
スノウはそういったが、もちろんただで済ませるつもりはなかった。スノウを棺おけに放り込み、勝手にラズリルに送り返したのだ。償いはさせなければならない。

「おれの用は、わかってるよね」
デスモンドはイリスを見つめた。2秒ほど沈黙して、静かにこう答えた。
「わかっております」
「なぜスノウを追い出した?」
「いろいろと、害がある人だからです」
「あなたに何の関係があるんだ?」
デスモンドは静かにうなだれた。
「イリスさま、その紋章で、私を成敗して下さってもけっこうですよ」
「そんなことを言うと、本当にそうするよ」
「仕方ありません。それであなたの気がすむなら」
イリスは男をにらみつけた。視線はほぼ同じくらいの高さだ。
「死ぬ覚悟もないくせに、気軽にそういうことを言うな!」

イリスの左手の周りに、赤い光が散った。
黒い髪の男は震え上がったが、意外なほど気丈に言い返してきた。
「私だってオベルのため、姫のためなら命なんて差し出しますよ。リノ王だっていつまでも若くはないのに、頼りになる男子の跡継ぎがいないんです! お優しいフレア様にオベルの女王なんて苦労はさせたくないでしょう? どなたか婿養子を迎えて、王になって頂くとしてもなかなか難しい。となると、あなたしかいないんですイリス様!」

少年は思わず身を引いた。熱を持ちかけた左の紋章が、すっと冷えていった。
「お、おれ? ……何で!!」
「あなたは罰の紋章すら、見事に飼いならしてしまうような人だ。そんな人、群島中探してもおりませんよ。今はまだお若くていらっしゃるが、10年後には立派な跡継ぎに!」

「ひょっとしておれに、フレアさんと結婚しろっていうのか!」
デスモンドの顔がひきつった。
「いえ、あの、申し訳ない、私の言い方が悪かった、つい興奮して」
否定する声は弱々しい。
(図星かな)
イリスはあきれ果てた。
(リノさんははじめっからから言ってたな。おれの後継者になれって。あれって、フレアさんと結婚して養子になれ、ってことだったんだ! 関係のないおれに後継者っていうと、それしかないじゃねえか)

あきれすぎて、力が抜けた。
胸にとぐろを巻いていた怒りが、やり場を失って消えていく。
フレア王女の小さな顔、きれいな青い目を思い出す。
飢え死に寸前の自分たちを、怪しみもせずに救ってくれた。紋章を使って倒れたら、本気で「もう使わないで」と懇願された。
「イリスって、なんだか弟みたいな感じがするわ……」
そんな優しい姫を、孤児で、しかも「呪われた紋章」を宿した自分に差し出すという。

リノに「こいつと結婚しろ」と言われたら、フレアはどんな顔をするだろうか。泣きながら自分と結婚するだろうか? 
それとも気丈な王女のことだ、嫌がって逃げ出すだろうか。どっちにしても、いやな思いをすることには違いない。
イリスの胸は、ひどく締め付けられた。
(王女にも好きな相手がいるだろうに)
(リノ王には一人娘だって手駒なんだ。スノウとおれを引き裂くくらい、平気だったはずだ)
(だけど……そうはいかないよ。リノさん)

「イリス様、あの」
デスモンドは以前にもましておどおどと、恐ろしそうにイリスを見ている。フレアにいやな思いをさせてはならない。
イリスはデスモンドに向き直った。
「おれはフレア姫を嫌いなわけじゃない。むしろすごく好きなほうだ」
「ぎええっ」
男はへたへたとくず折れた。奇妙な反応だといぶかしげに思ったが、イリスはいいたいことを言うことにした。
「だけど身分が違いすぎるし。それにこんな罰の紋章持ってて、結婚なんて絶対、無理だ。悪いけど、おれは忘れてくれ。彼女みたいな人なら、どんないい相手だっているだろう」
「あぁ……そういうのではないんですぅ……」
「世話になった。世話になりついでだ、あの家処分してくれ。みんなによろしく!」
「イリス様ぁ! どこへ!」
後ろにデスモンドの叫びを聞きながら、イリスは駆け足で山道で降りていった。

もとより、再びオベルに住むつもりはなかった。スノウとの束の間の幸せ、そして去られたときの苦しさを思い出しながら、あの岬の家に住むのはできない。
また、厳かな祭りを見ても、何の感慨も沸かなかった。
(おれはオベルの人間じゃないんだ)
かといってオベルを出て、行く当てがあるわけではない。

(帰りたい)
足元に白い花が落ちている。そんな花を見てもスノウを思い出す。
ラズリルに帰りたかった。
だが、スノウが自分と一緒に住んでくれない以上、同じ島に住むのは辛い。
また、これから辛い思いをするかもしれない「もと裏切り者」スノウのそばに、「もと英雄」だった自分がいれば、比べられてスノウが苦しい思いをするだけなのだ。
一緒に住んで守ってやれないのだから。



港へ着くと、乗ってきた連絡船が出港の準備をしていた。
「イリス!」
上から可愛らしい声で叫ぶものがいた。
「チープーじゃねえか!」
「久しぶり。おれ、これから無人島に行くんだ。店を持つの」
「へえ……すごいな」

イリスの胸に、タルやケネス、チープーとすごした、楽しい日々がよみがえった。
あの島なら、しばらくいられるかもしれない。
これからのことを考えるのだ。どうしたらスノウと幸せになれるか!
「ねえ、もしかしてイリスもどっか行くの?」
イリスはチープーを見上げて、にっこり笑った。
「おれも、無人島に行くつもりだったんだ! 偶然だな!」


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