岬の墓 H.12.05.26
「坊っちゃん、今日はテオ様のお墓参りに行きませんか?」
朝食のパンケーキを配りながら、グレミオが言い出した。
そういえば帰国してすぐ、あわただしく一度行ったきりだ。 デュナンの戦いに助力を請われたためもあって、もう何ヶ月も足を運んでいなかった。
「そうだな。……クレオも一緒に行かないか?」
リアムは、ミルクティを飲んでいるクレオに顔を向けた。
「あたしは遠慮しとくよ。 この前行ったばかりだし……今日は屋根の修理屋が来るはずだからね」
「そうか……悪いな」
クレオはそぶりにも出さないが、もしかしたら「二人に当てられるのはちょっと勘弁」と思っているのかもしれない。
リアムは、勘のいい彼女のことだから、自分とグレミオの関係に気づかないはずはない、と思っている。
だとしたら、わざわざクレオに声をかけるのは、かえって失礼だったかもしれない。
墓参りだといいながら、例によってグレミオはせっせと弁当を作りはじめた。
待っているあいだに、リアムは花バサミを持って庭に出た。
咲きかけのバラとラベンダーを切り、台所に戻ると、クレオが手早く紙で包んで、束にしてくれた。
その花束を持って玄関でグレミオを待っていると、
「坊っちゃんが花束なんか持ってるのを見ると、なんだか……」
クレオが吹き出しそうにしている。
「昔は照れ屋さんで、男が花なんて持てるか! なんて」
「そうだったっけ?」
「そうでしたよ。 二言目には、恥ずかしい、恥ずかしいってね」
そういえば、むやみにいろいろなことに恥ずかしがらなくなった。 大人になるということは、恥ずかしい、という感覚を少しずつ削いでいくらしい。
教会の庭は、一面に花が咲き、蜜蜂が忙しく飛びまわっていた。
「坊っちゃん、まずお父様にご挨拶を」
グレミオに促されて、マクドール家の墓所に向かう。
黒い大理石の、立派な墓だ。 若死にしたリアムの母の名と生没年の下に、父テオの名が刻み込まれている。
リアムは、マクドール家の跡取りとしてなすべきこともなさず、逃げるように国を去った。 クレオがテオの遺骨を、かつて埋葬されていたトラン湖畔の墓から移してくれたのだ。
枯れた花を片付け、掃除をして、持ってきた花束を供える。
それからリアムは、ひざまづいて祈り始めた。
(父上。 今、帰りました……デュナンの戦役も終わりました)
これしか祈ることばを紡ぎ出せない愚かな跡取り息子を持ち、父も情けない思いだろう。
こんな自分がいやになる。 だが、どうしても気力が湧かない。
よその国の戦争に身を投じて、そのあいだは気が紛れていたのだが。
その戦争も終わった今、生きる目的も見出せない。
擦り切れるというのは、こういうことなのだろうか。 春も終わろうとしているのに、心が晴れない。
目を上げたとき、グレミオはまだ祈っていた。 白い横顔を見て、ふと胸がちりちりと痛む。
かつての恋人相手に、リアムも割り込めないような会話をしているのではないかと、つい勘ぐってしまう。
やっと顔を上げたグレミオは、リアムがじっと見つめているのに気づいて、少しだけ赤くなった。 彼はこの歳になっても恥ずかしがりの照れ性なのだ。
「顔……なんかついてます?」
「いいや。 べつに」
グレミオは立ちあがった。
「なんて祈ってた?」
「そんなこと聞くもんじゃありませんよ」
「どうして? いいじゃないか」
グレミオはリアムを見つめ返した。 その顔は、微笑んでいた。
「長いあいだ、不義理をしたことを許してくださいと」
「それだけ?」
「坊っちゃんはこんなに立派になりました……これからも坊っちゃんを見守ってください、お願いします」
「それから?」
グレミオは困ったように笑った。
「それ以上は言えません」
「言わないと、こうだぞ!」
いきなりくすぐり倒すと、付き人は飛びあがった。
「あ! くすぐった……あははは……言いますっ、言いますって」
「それから? なんて祈ったの?」
「どうか私たち二人のことを、見守ってください……これからもずっと、私が坊っちゃんのおそばにいることを、許してくださいと」
「…………」
「そうお願いしたんです、坊っちゃん」
間接的にプロポーズでもされているようで、気恥ずかしい。
へんに勘ぐって悪かったと思う。 グレミオが、どんなに自分のことを思ってくれているか、わかっていたはずなのに。
「ちょっと遠出して、岬のほうに回ってみませんか? お天気もいいし」
「岬?」
「ほら、昔ハイキングしたでしょう。 フィンレイ岬ですよ。 みんなでお弁当食べたでしょう」
「ああ」
よく覚えていない。 ずいぶん前のことかもしれない。
「行きましょう、ね? そう思ってお弁当も持ってきてあるし。 せっかくのデートなんだから」
「おい、墓参りだろ?」
「もうお参りはちゃんとしましたよ?」
しれっとしてグレミオは言った。
フィンレイ岬は、教会からさらに一時間も歩いたところから、海へ向かって細長く伸びている。 景勝地といってもいい、美しい場所だった。
低い草が柔らかく生い茂り、タンポポや野いばらが咲き、放牧しているのか、野生なのかわからないような山羊が、熱心に草を食べている。
そしてはるか向こうには、うす紫の島が霞んで見える。
今日は風もなく暖かい。
「モグラ穴に、気をつけてください」
たしかに、ところどころ穴が開いている。 知らずに足を踏み入れると、転んで足をくじきかねない。 こんなふうにモグラが土を耕して、柔らかくしてくれるので、草はよく生えるが、歩きにくい。
岬の中ほどまで行くと、こんもりと盛りあがった、円錐形の小山がある。
表面には白い石が敷き詰められている。 そしてその石は、青空の下できらきら輝いていた。
グレミオが小山のふもとで足を止め、草の上に腰を下ろした。
「これは、昔の王様か領主だかのお墓らしいですよ。 きれいでしょう?」
「古墳か……」
「赤月帝国よりもずっと昔のものらしいですよ。 宝物は全部盗られてしまって、王様の骨も長いあいだに土にかえったみたいで。 できたときは、こういうふうに、白い葺石が敷き詰められて、そりゃきれいだったでしょうね」
「……そうだな。 なんだか今でも、光ってるじゃないか?」
「この石が、御陵を守ってるんでしょう。 草がほとんど生えていないでしょ? 特別な石らしいですよ」
「そうだな」
「どうしてこんな寂しいところに、埋めてもらおうと思ったんでしょうね。 この王様は…………海から敵が来るから、死んでからも自分の国を守ろうとした、という人もいますが、どうなんでしょうね」
「ここが好きだったんだよ、王様は。 きれいなところだろ」
「そうですね。 わたしも、ここが好きです」
「おれも好きだよ」
リアムはゆっくりグレミオの顔を引き寄せて、キスをして、それからグレミオの肩に顔を寄せた。 ひどくやすらかな気分だった。
「もうすぐ誕生日だろ。 なにがいい? グレミオ」
「え? 覚えててくれたんですか? 私が忘れてたのに……」
「覚えてるよ。 6月1日、わかりやすいからな」
彼は戦災孤児で、本名も、親のことも覚えていない。 グレミオという名は、牧師がつけたのだと聞いたことがある。
ふと不思議に思って、リアムはたずねてみた。
「両親のことも本当の名前もわからないのに、誕生日だけわかってるって、どうしてだ?」
「6月1日は、私が教会に保護された日なんです」
「そういうことか……」
グレミオは、優しい目をリアムに向けた。
「坊っちゃん、始めて私と会ったときのこと、覚えてますか?」
「ううん。 全然。 ずっと一緒にいたような気がするよ」
そうだ、グレミオは気がついたらリアムのそばにいた。
考えてみると、マクドール家に来たころのグレミオは今のリアムよりも若かったはずだ。 ずっと大人のように思っていたが。
「そうですよね。 私も小さいころのことは覚えてませんし、年々忘れる一方で。 でも、一つだけ、子供のころのことで、覚えてることがあるんです」
「子供のころのこと?」
「広い原っぱで、ちょうどこんなふうな丘の上でした。 私がひとりで、もう歩けなくなって泣いていたら……」
「うん」
「髪の黒い、若い騎士さまが、私に話しかけてくれました。 それから私にお菓子をくれたんです。 甘くて、口の中で溶けて、本当においしかった。 本当にお腹がすいていましたからね」
「よく覚えてるな」
「あの甘さは忘れられませんよ……少しずつ食べさせてくれて、がんばれって……水を飲ませてもらって、それから馬に乗せられて……」
「うん」
「そのまま教会に連れて行ってくれたんです。 おかげで命拾いしました」
「その、命の恩人の騎士様は?」
「それっきりです。 お名前も知りません」
「そうか」
「今のリアム様は、あの方に似ているような気がします。 髪の感じとか、目の感じとか」
「…………」
リアムが黙っているので、グレミオは慌てたように言い直した。
「あ、私がそう思い込んでるだけですよ。 せいぜい二歳か、三歳くらいだったんだから、顔だって覚えてるはずないんです。 変なこと言い出して……気を悪くしないで下さいね」
「グレミオ」
「はい?」
「ちょっと、目つぶってみて」
「……あ、はい」
リアムは、ポケットを探った。 そして、小さな袋を出した。
何かあったときのために、必ず持っている傷薬、気付薬、それからてっとりばやく血糖値を上げるための金平糖だ。
その金平糖を一粒、そっとグレミオの口に入れた。
「目、開けていいよ」
信じられないというように、青い目がリアムを見つめた。
目のふちが見る間に赤くなり、グレミオはうつむいて、そのままリアムの胸に顔を埋めた。
柔らかい髪が、かすかに震えているようだった。
「もっと食べるか?」
「…………」
口移しで食べさせてやろうか、と言いかけて止めた。
今はそんなことをしなくてもいい、この腕の中の存在はリアムのものだ。 そして、リアムのすべては、グレミオのものだ。
腕の中の体は、いつもより小さく見えたが、温かかった。
このぬくもりがあれば、もう何も要らない。
なにかが胸の中で溶けていく。
暖かい風が吹いてきた。
このままもうしばらく、こうしていよう、とリアムは思った。
終わり。
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