Missing 21
東の空が白みはじめた。
ケネスは「ラズリルで会おう」とスノウに約束させ、イワドリを空高く浮上させた。スノウを責める言葉を口にしなかった。
アカギはスノウと目を合わせず、早々に御者台に上った。馬車の横には、まさに喪服のような黒い服のディルが、馬を走らせてついてくる。
馬車の中には、魔法が暴発したときの火傷がひどいイリスと、半病人の老人であるスノウの父を入れると3人、まともに戦えるのはスノウひとりだった。
寒い馬車の中、父はすぐに眠ってしまった。そして隣に座るイリスは、明らかに弱ってきていた。
小さく身じろぎするたびに、傷の匂いが漂った。寒さが良くないのか、じわじわと何かが蝕んでいるようで確実に弱っている。何かがうまく行っていない。
イリスは器用な男で、紋章の暴発など起こしたことはなかった。怪我をしたらすぐ治るほうだった。
(失いたくない)
スノウは唐突にそう思った。イリスを抱き寄せたが、その肩は少年のまま線が細かった。
港へ行く街道を一日走る。冬の雨が冷たく、馬車の中へ振り込んでくる。
「検問がある」
ディルが馬を寄せて、窓から覗き込んだ。
「通行証を見せて、もし何か言われたら、そこらの兵隊は確実に口封じをしなければならない」
「あなたとぼくと、アカギ。三人でやるってことですね」
スノウが言うと、ディルはつっけんどんに答えた。
「お前は御者台にのぼって、かかってくるやつを防ぐんだ。おれがついてこなくても構わず走れ」
ディルが窓枠に手を掛けたとき、骨ばった手首に、銀の腕輪が見えた。はめ込まれた黒い宝石が鈍い輝きを放つ、禍々しいものだった。
「その腕輪はヴィンスがしていたものですね」
従兄は頷いた。
「そうだ。まあヴィンスほどじゃないが、これを身につけているとおれでも魔法が強化される。紋章砲にも匹敵する力を生身の人間でも振るうことができる」
「生身の人間が、紋章砲に対抗できるものですか。無理しすぎでしょう」
そういいながらスノウは(罰の紋章のようだ)と思った。
「そうだな、酒を樽から飲むほどには体に悪いだろう。長生きしたければ使うべきではない」
「あなたはフィンガーフート本家の跡取りでしょう、危ないことはやめてください」
従兄は肩をすくめた。
「お前達のためではない。お前達なんか一ミリも惜しくはないんだが、ヴィンスの望みは叶えなければならない。海へ出るまでは死ぬな」
検問では何も問題なく通された。検問の兵士はディルの見せた偽造通行証を見て、ぼそぼそと隣の兵士と相談をし、「行け」と命じてくる。
ゆるい上り坂を半分登りきったとき、横を馬で行くディルが話しかけてきた。
「来たぞ」
後ろから並足でついてくるのは5人ほど、全て騎乗している。全て剣を帯びているようだった。ゆるい上り坂で馬車は遅い、追いつかれるのは明らかだった。
ひとりが合図をすると、彼らは一斉にスピードを上げ、まっすぐこちらへ駆けあがってきた。
従兄は「下郎、走れ」とアカギに怒鳴ると、街道を駆け下りていった。
防具もつけない馬、抜いた剣をぶら下げ、大声で叫びながら兵士の一団に突進していく。戦術もへったくれもない。
「相手が多すぎる、ディル!」
従兄の心配をするヒマもなく、馬に乗った兵士が馬車に追いついてきた。御者台に飛び乗り、兵士と斬りあって落馬させたとき、視界の隅で火柱が上がるのが見えた。大勢の人間が悲鳴を上げるのが聞こえた。やがてそれも聞こえなくなった。
港に着き、馬車を捨てて、少し離れたところに停泊している船を捜した。船はすぐに見つかった。船の上空に、イワドリが旋回してるのが見えたからだった。
スノウはイリスを背負って、艀を歩きながら、死んだヴィンスと、生死不明のディルのことを思った。
自分達は、本家の従兄を二人も犠牲にして生き延びようとしている。本家の伯父は置いてきた。病身で動けない伯父は、主君を殺した男の父として捕らえられるだろう。
(ぼくは本家を根絶やしにしたのか)
それほど価値ある命ではないというのに。それなら生きなければならない。
背中のイリスは背負われるのも痛いようで、胸が触れるたびに息を詰めているのがわかる。船に乗り込むと、船室にイリスを寝かせ、力尽きるまで水の魔法を施した。
「スノウの手は優しいな」
イリスが微笑んだとき、轟音が響いて、船がひどく揺れた。
「何だ?」
ケネスの叫び声が聞こえる。
「紋章砲だ。また来るぞ、こっちを狙っている」
スノウが飛び出していって、信じられないものを見た。既にラズリルでもオベルでも捨てたはずの、紋章砲を装備した船が追ってきている。
紋章砲をこちらに向けて、今まさに放とうとしている……。
「来る! 伏せろ!」
ケネスが叫んだ。
次の一撃は船尾を掠めた。命中率は良くないようだったが、一方的にやられるのは同じだった。
「迎撃の一つもできないのは、辛いな……」
ケネスの声が途中で聞こえなくなった。気がついたらスノウの体の上に、ケネスがいた。
両手を広げてかばう姿勢のまま、頭から血を流して、気を失っていた。しかしケネスよりもさらに、一瞬でスノウの注意を引いたのは別の人間だった。
甲板の手すりに細身の若者が縋りついている、それに気づいたのはスノウひとり。イリスが、いつのまにか船室から抜け出して、手を差し上げ、取り返しのつかないことをしようとしている。黒い禍々しい気配が集まり始める。弱った体に引導を渡すようなことを、誰にも相談せず黙ってやり遂げようとしている。
(イリス! やめるんだ)
スノウは叫びながら立ち上がろうとしたが、力が入らなかった。足が妙な具合に折れ曲がって、感覚がなかった。
赤い光が走り、空が真っ黒になる。何度も聞いた恐ろしい叫び声が響いた。
追って来た船が燃え上がって崩れ落ちていく。イリスは衝撃で吹っ飛んでいって、倒れた水夫の死体に突っ込んでいった。
スノウは足を引きずってイリスのところにいき、抱え起こした。水夫が倒れていなければ、マストにまともに激突するはずだった。頭には怪我はない。何年前かにクールークの海で起こったことの再現だった。今度はイリスは生きて、意識もはっきりしている。
それでも、本人にしかわからない何かを感じたようだった。
「離れてくれ。紋章が離れて行くような気がする……できるだけ遠くへ……」
「イヤだ」
スノウはそう叫んで、イリスを抱える腕に力を込めた。
「きみは死なない、きみは死なない、きみは死なない」
呪文のように呟きながら、抱え続けた。
「言うことを、聞いてくれないのか」
イリスは小さな声で呟くと、人事不省に陥った。
冬の晴れた日、ラズリルの港に白いカモメが飛び交う午後のこと。
ラズリル海上騎士団の病院に、果物を抱えた若い男が見舞いに訪れた。帰国後も休む暇もない、海上騎士団の副団長ケネスだった。
見舞う相手は、群島の英雄イリス。ガイエンへの冒険から帰って以来、ほとんど眠り続けている。
副団長は忙しい公務の間を縫って、友の見舞いに来たのだった。
イリスは、不思議な状態で安定していた。
ときおり目を覚まし、看護をするスノウの手から食事をさせてもらい、また冬眠する獣のように眠りに落ちる。
医師の見立てでは、健康状態に問題はないとのことだった。
「大丈夫なのか」
「ああ。ときどきは目が覚める。そのときに食事をさせる。かなり食べるよ」
「お前のことだ。足は痛くないのか」
そういわれて、「忘れてた」と気のない返事をする。スノウの足は、添え木と包帯でぐるぐる巻きだった。普通なら歩ける状態ではない。
「それどころじゃないからね」
戦場で腕が痛いと叫んだ御曹司は、痛みを飲み込む大人になってしまった。
「それより、ぼくを罪に問わないように動いてくれて、ありがとう。きみの立場に影響しなければいいが」
「そんなこと、心配するな」
「ぼくたち親子のせいでずっと迷惑をかける。どうしても連れて帰りたかったのだけど、連れて帰れた立場じゃなかった。愚かだった」
スノウは静かにケネスにわびる。何のてらいもなかった。
「でも結局、ヴィンセント様はここへ帰らないのだな。もうお年だし、以前のヴィンセントさまとは違う。人道上の理由だから恩赦を働きかけようかと思ったのだが」
「いや、そこまで迷惑はかけられない」
スノウは首を振った。淡い色の髪がフワフワと揺れる。そこにはいつまでも、少年の面影が残っていた。
「ミドルポートで老後というのは、父が望んだことだ。ガイエンよりは近いから、何かあったら会いにも行ける。美人が多いミドルポートで居たいなんていうんだ、本気かどうかわからないけど。それで若返るのなら……」
ケネスは「ご本人の希望に沿うのが一番だ。お元気になればいいな」と頷いた。
助かったというのが本音だった。かつて、スノウはラズリル島民から許されたが、その父はまだ贖罪をしてはいない。無理を通そうとすると、スノウの立場が微妙なものとなるだろう。
ケネスは、「紋章砲の状況とガイエンの事情を探るため、スパイの誘いに乗るふりをして、ガイエンに渡った。そしてラズリルへの野心を摘み取った」という、黒いカラスを白というような言い訳をでっち上げて、スノウを守った。
それを支えたのは、途中でポーラが集めた情報だった。ガイエンには紋章砲がある。地上にも備え付けられている。
武装解除の働きかけはガイエンには関係のないことだったので、当然のことだった。群島に野心を向けるそぶりをしなかったので、問題にしてもいなかった。
随分と苦労をして回ったのに、こうなったら紋章砲を壊さないほうがよかったのかとさえ、ケネスは思った。
孤独な旅の道連れだったのはスノウ。二人で危険な旅をして、辛い思いもしながら、村を回って紋章砲を壊した。ケネスには大切な思い出だっただけに、(無駄だった、国を危険にさらすだけだったかもしれない)と思うのは、辛いことだ。
しかしスノウは、「そのうち砲弾はなくなるだろう。新しいものを作れないのだから」とのん気だった。
(温度差というものか、これが)
ケネスはただうつむくしかない。
「イリスが動けるようになったら島へ一緒に行こうと思う。イリスを、ひとりにしないほうがいいと思うんだ」
「きみの果樹園は、どうするんだ。あんなに大切にしていたのに」
「ひとに頼むことになる。オレンジは待ってくれるだろう。イリスは今、ぼくを必要としてくれている」
(おれだってスノウが必要なんだ!)
心の中で叫びたかったが、口にしてはいけない。どうしようもない思いをぶつけて、スノウを傷つけたくなかった。
「帰って、来るんだろう?」
「イリスが、ぼくを必要としなくなったときには戻ってくる。そのときに島に入れてもらえたら、だけど」
ケネスはできるだけ快活に言った。
「当然だろう。ここはお前の故郷なんだから」
そして部屋を出た。
大通りを歩いて、港の広場に出た。病室を見上げることはしなかった。多分誰もケネスのことを見下ろしてははいない。
(スノウが幸せなら、おれはそれでいい)
スノウはケネスのものにはならない。それは最初からわかっていた。
できるだけ現実を見ないようにしていただけだ。そして選ばれなかった。わかっていたことだ……。
「ケネス」
頭上から澄んだ声が落ちてくる。見上げると、巨大なイワドリが舞い降りてくるところだった。
「お休みを取ってるって聞いたから、探していたの。あなたのエルメリーナは、空を散歩したいそうよ。それも、私とあなたを乗せて、遠出したいんですって!」
ポーラが快活に話しかけてくる。落ち沈みそうなケネスの心を、明るいほうへと引っ張りあげてくる。
「半分は冗談。気晴らしのお供になればと思い参上しました」
見守られていた。胸が痛くて泣きたかった。悲しいのか、うれしいのかもわからなかった。
「季節外れのアーモンドが咲いているんですって。きっとキレイよ。見に行きましょう!」
ポーラが白い手をさし伸ばしてくれる。その手はとても温かで、柔らかだった。強い翼のイワドリは二人の体重を軽々と支え、瞬く間に明るい冬空に舞い上がった。
おわり。
2010/1/10
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