ホウアンの手記 5    01/01/11
 次の朝はいい天気だった。
 私は、いくぶん緊張したようすの兄弟子を伴い、シュウの部屋へ向かった。

 ちょうど食事が終わったところだった。
 私はリュウアンを外に待たせて、シュウの居室に入った。

 軍師は私が入っていくと、かすかに顔を赤らめ、眉をしかめた。
 先日の風呂での一件も、まだ記憶に新しい。
 いろいろといきさつもあり、気まずいのは私も同じだ。 しかしここは、ビジネスライクに行きたい。

「お時間は取らせません」
「なんだ」
「先日よりここに来ております、私の兄弟子ですが」
「ああ、あのくたびれたオッサンか」
「その、リュウアンですが。 医師としてこの軍に協力させてほしいと言っています」

 軍師は眉を上げた。
「それは助かる。 枯れ木も山の賑わいというからな」
「リュウアンは枯れ木だとは思いませんが、ひとりでも医師が多いのは助かります。 兄弟子は優秀な人間ですから」
「それで?」
「まず軍師にご挨拶したいと申しますので、連れて参りました。 会っていただけますか?」
「ああ、連れてこい」

 私はいったん外へ出て、辛抱強く待っていたリュウアンを招き入れ、軍師に引き合わせた。


「コロネで医業を営んでおりました、リュウアンです。 よろしくお見知り置きください」
「ホウアンの兄弟子だそうだな。 荒っぽいことが多いが、大丈夫か」
「拙い腕ですが、力を尽くします」

 ふとリュウアンは、懐中から布包みを取り出し、机の上に置いた。開くと、中から細長い金塊がいくつも現れた。

「これはつまらぬものですが……」
 軍師は困惑と、いくぶん苛立ったような表情を見せた。
「難民から賄賂をとるような、悪党に見えるか?」
「もちろん、軍師ご本人にではありません。 こちらの同盟軍に供出するんです。 ささやかな寄付だと思ってください」
「お前自身、それを出したら困るのではないのか」

 リュウアンは首を振った。
「いいえ、もう欲は捨てました。 私にはもう必要の無いものです。 貧者の一灯と思ってお受け取りください。 少しでもお役に立てればそれでいいんです」

 兄弟子の目は澄んでいた。

「では、最大限役立てさせてもらおう」
 そういって、軍師がそれを受け取ろうとしたときだった。

 兄弟子はふいに手を動かして、その長い延べ棒の一本を、左右に引き放った。

それは左右に別れて、そのつなぎ目から青白い刃が見えた。

「……にいさ……!」
 兄弟子の長身が、シュウに飛びかかっていった。



 気づいたらシュウをかばって、なおも匕首を振り下ろそうとするリュウアンの手を、掴んでいた。
「はなせ、ホウアン」
「どうして、どうして、こんなっ」
「離してくれ、頼む」

 兄弟子の目に涙が浮かんでいる。 思わずたじろいだ隙を突かれた。
 足に衝撃が来て、私は床に飛ばされた。 向う脛を蹴られたのだ。

 顔を上げると、リュウアンは逃げるシュウを追いかけ、めちゃめちゃに匕首を振り回していた。
 カーテンが切り裂かれてぶら下がるのが見えた。

「やめろー!!」

 私は兄弟子に後ろから飛びかかり、当身を、後ろ首に食わせた。
 なぜ手加減ができなかったのか。

 気づいたらリュウアンが、仰向けに床に倒れていた。

 白目を剥いて、口を開け、泡を吹いて……首は折れていた。 しばらく痙攣して、すぐに動かなくなった。
 まだ断末魔の呻き声を聞いたと思ったが、低くうめいているのは兄弟子ではなくて、私らしかった。

「ホウアン……」
 
 放心して座りこんでいたのか。 
 シュウが私の肩をつかんで、ゆすぶった。
「ホウアン!」

 すみません、軍師。 ご無事でしたか。 ご迷惑をかけました。
 恐ろしい思いをさせてしまいましたね。
 私はそう言おうとしたが、声も出なかった。

「大丈夫か、ホウアン」
 シュウは私の頬を軽くたたいた。 遠のきかけた意識がはっきりしてくる。 気絶している場合ではない。

 私は、兄弟子の方に這いより、見開かれた目を閉じ、苦しげな口を閉じ、くぼんだ頬を、秀でた額を撫でて、苦悶の表情を消した。
 こんな怖い顔は兄弟子には似合わない。
 それから、強張りかけた長い指をまっすぐにして、胸の前で組み合わさせた。

 早く処置をしなければ。 他の人にはさせたくない、私がしなければ。

 私はまだ温かい兄の顔を撫でた。
「すみません、シュウ……責任はあとでどんなにでも取りますから」
 シュウはかすかに震えている。 その顔は真っ青で、いつものポーカーフェイスの影もなかった。


 なんとしてもシュウ軍師を死なすわけにはいかなかったのだ。
 この若者の頭脳に、全ての未来がかかっているのだから。

「連れていきたんですが……どなたか人手を、呼んでいただけますか」



 地下の墓地には、遺体を安置し、清めるための小屋もある。

 ベッドに寝かせた兄弟子の、胸ポケットから、走り書きのメモを見つけた。
 そこには私への「遺言」があった。 

「妻をハイランド兵に連れていかれた。 私が軍師の首を掻けば、無事に返してもらえることになっていた。 許してほしい。 本当に、最後まですまなかった」
 
 それだけだ。
 返してもらえることになっていた、すまなかった、と過去形なのは、いったいどういうわけか。

 結局やりおおせないと、自分でもわかっていたとでもいうのか。
 灯りの下で、私は兄弟子に言い募った。

「どうして何も言ってくれなかったんですか?」
 頬を撫でると、指に少し伸びたひげが痛かった。

「いつもそうなんだ。 肝心なことは黙って、何も言ってくれないんですよね」
 蝋のように硬くなった胸に、顔を埋めた。
 拒絶するような硬さだった。
 当然だろう。 話してもらっても、誰にも、どうすることもできなかっただろう。


「ごめんなさい……」
 私は何も気づいてやれなかった。 とりかえしがつかない、私が殺してしまった……。



  
 休む暇はなかった。
 兄弟子を葬って、それから私は仕事に戻った。 忙しくしていたほうが気が紛れる。
 
 兄弟子の計画に気づかなかった罪は、あとで問われるにしても、そのときはそのときだと思った。
 しかしシュウ軍師は、なにも言ってこなかった。
 

 数日して、雪が降った。
 「先生、雪だるまつくろうか」

 トウタが珍しい雪にはしゃいでいる。 あっというまに中庭に降りていってしまった。

「霜焼けになるよ」
 私も笑いながら後に続いた。
 優しい子だ。 いつもより明るく振舞ってくれる。

 こんなトウタに心配をかけては申し訳無い。
「ほら、手袋」
「ありがとう、先生」
 小さな手に手袋をはかせた。 
 雪だるまなんて作ったことがない。 二人で奮闘して、かなり大きいがいびつな雪だるまができあがった。
「腰痛起こすぞ、先生」

 振り向くと、シュウ軍師がいた。
 手には、小枝を何本か重ねて持っている。 うす紅色の山茶花だ。

「キレイですね」
「よく咲いてたんで折ってきた。 これは桜か?」
「桜……」

 私は絶句した。
「ちがうか? じゃあ、これはチューリップか」
「ち、ちがいますって」
「おれは花なんてわからん。 チューリップか桜の区別しかつかんのだ。 草みたいなのはチューリップ、木に咲いてるやつは桜だ」
「…………」
 こみ上げてくる笑いを押さえきれない。
「笑うな」
 
 機嫌悪く、軍師は枝を私に押し付けた。
「……」
「お前にやる」
「わ、私にですか」
「お前のために折ってきたんだ」

 ちょっとびっくりしたが、素直にそれをもらった。
 そのうちに罰を受けるものと覚悟していたんだが。

「いい匂い……ありがとう」
「その、なんだ。 元気出せ」
「…………」

 驚いてシュウを見つめると、軍師は少し顔を赤らめた。
「お前は笑ってるほうがいいからな」

 私は微笑んだ。
「うん、そのほうがずっといい」

「先生、おやつにしましょう」
 トウタが私の袖を引っ張った。
「あ、シュウもお茶をいっしょにいかがですか?」
「おれはちょっと忙しいのだ。 また今度馳走になる」

 せかせかと雪を踏んで、向こうに行こうとする軍師の肩は、少し上がっていた。
 慣れないことをして緊張したのだろう。
「お花ありがとう、シュウどの」

 二枚目ぶって、こちらを振り向きもしないでシュウは片手を上げた。
「先生……」
「ん? あ、ごめんねトウタ。 入ろうか」
「先生、男は星の数ほど、なんて思ってない?」

 私はトウタの頬を軽くつねった。
「そんなこと言うのは10年早いですよ。 入りましょう」

 まっすぐ前を見て歩いていけばいい。笑えなくても笑っていれば、いつか本当の笑いになるんだ。
「トウタはいい子ですね」
「な、なんすかいきなり」
「私みたいなばかな大人になっちゃダメですよ」
「とりあえず、先生よか背は高くなりたいですね」
「なりますよ。 すぐに追い越しますよ、きっと。 トウタのお父さん背が高かったし……」


 大切なものがたくさんある。
 トウタも大切な家族、シュウは大切な仲間だ。 愚かな私だが、力を尽くそう。
 
 手の中の山茶花はやさしい香りを放ちつづけていた。

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