ロクス 4
2006-04-28

コイン駐車場にたどり着き、ロクスが車のキーに手を伸ばそうとすると、ラビエルが「待ってください、ロクス」と声をあげた。

ロクスは、どんなに罵られるかと、少し身構えたのだが、ラビエルの言葉は少し違っていた。

「あなたを少しでも疑ったことを、許してください」
ラビエルの背中には、再び灰色の翼が見えた。だが、それは力なく大地に垂れていた。
「おれを疑ったのか?」
「あなたを信じるといいながら、疑いました。ほんの少しですけど、ぼくを置いてそのままいなくなるのではないかと」
「そうか」
ロクスは重くつぶやいた。この場合、ラビエルの疑いは当たっていたわけで、まるっきりバカでもなかったらしい。
「おれを疑ってたんなら、なんであの男についていったりしたんだ」
「少しでも可能性があるのなら、と思ったのです」

天使は自分の二の腕を抱えて、羽根をぶるっと振るわせた。羽毛が逆立っていた。

「人間の女と情を交わすと、堕天使になると教えられました。男と交わったとしても恐らく、同じでしょう」
「ふん……」
ロクスは困惑して頭を掻いた。

天使はふと首の後ろに手を回し、白いセーターの襟からネックレスのようなものを引っ張り出した。
それは細い銀の鎖で、ちょうどペンダントトップのように、白い大きな羽根がついていた。

「あなたがぼくを疑うのは、ぼくが正直ではないからでしょう。シータス、ミカエル様の羽根を石にしてくれるかい?」
天使の肩のあたりから、淡い光に包まれた妖精が姿を見せた。
「天使様、そんな恐ろしいことはできません」
「頼む、どうしても必要なんだ」

天使は、白い羽根を額に押し当ててから、手首にネックレスをかけて腕をまっすぐに伸ばした。
「さあ早く、シータス」
シータスは観念したように頷き、「それ!」と掛け声をかけた。
すると、その瞬間、白く輝いていた羽根は、灰白色の石に変わり、重たげに鎖の先にぶら下がっていた。直後に、ラビエルは変化をはじめた。変化は、急激だった。

ロクスは思わず「おい、変身するのか、今度は特撮ものかよ!」と叫んだ。ツノが生え牙が生えて、爪が長く伸びてきたらしゃれにならない!
だが叫び終わらないうちに、灰色だった翼は、黒褐色の強靭な翼へと姿を変えていた。

ロクスは、そこで変化が終わったのに、ほっと安堵のため息をついた。変わったのは翼だけで、ラビエル本人の姿は同じだった。
「それで終わりか?」
「これが、本当のぼくです」
「悪くないじゃないか。角でも生えるんじゃないかと思ってさ、マジ、びびったよ」
「角は生えないですよ! でもそれに近いことは言われましたよ、いろんな天使にね。神様の火の中に堕天使の髪が紛れ込んだとか、梟の羽根だろうとか。本当のことはわかりません。あまり考えないようにしています」と自分の翼を見下ろした。

「翼の色を恥じるな、黒くても白くても、神の御用をするのが良い天使だと、ミカエル様はおっしゃいました。ただ地上に降りるときは、ミカエル様が白く見せる術をかけてくださいます。人間は、愚かな天使と同じくらい、見かけにだまされるものだからと」

ロクスは苦笑した。
「……ミカエルか。政治家になれるな、そいつ」
「もうひとつ。勇者として戦うことには、危険が伴います。ぼくが全力でお守りしますが、助からなかった命もあります」
「敵が強かったのか?」
ラビエルは「いいえ」と首を振った。
「その勇者はとても辛いことがあって、苦しんでいました。ぼくが彼をわかってあげられなかったせいで、彼は一人で苦しんで、とうとう堕天使の手先になってしまった。ぼくたちは互いに敵となりました」
ラビエルはかすかに羽根を震わせた。この天使の翼は、顔の表情よりも、むしろ素直に感情を露わにするようだった。
「最後には、先生を動かしていた堕天使の力が離れました。助けようとしたのですが、治療が効かないのです。強くて賢い先生だったのに、死ぬときはあっという間でした。堕天使の手先だといって、教会にも引き取ってもらえなかった」
ラビエルは、コイン駐車場の傍らに置いてある、車止めにそっと触れた。
「これくらいの、ほんとうに小さなお墓に先生を葬りました。悲しくてたまらなかった。だけど先生はもっと痛かったし、悲しかったんです」

「おまえにも、人間の痛みはわかるのか? 天使」
ラビエルは、かすかな微笑を浮かべた。
「ぼくたちは長く生きているけど、肉親がありません。だから人の心は、ほんとうにはわかってないでしょう。あなたがた人間ほど深く傷ついたりすることもないかわり、悲しみを忘れることもないのです。亡くなった勇者のこともけして忘れません」

「て、天使様」
黙って光っていた妖精が、突然声をあげた。
「ああっ、そんなに悲しまないでください。わたしも泣きたくなってしまいます」
「いや、笑ってると思うが。」
「このお悲しみがわからないのか、無礼者!」
妖精はえらそうに叫びながら、ロクスの周りを飛び回り、羽根でその頬をたたいた。
「あいた、やめろ」

「お前は天使様の身を危うくしたのだぞ、この慮外者めが! この上、約束を破るなどというと、このシータスが許さんぞ! 天使様がなんと言おうと、石にしてやるぞ、石に!」
「ああもう、わかったよ! くそ」
ロクスはふてくされて怒鳴った。
「なってやるよ! 勇者とやらにな。そのかわり、できないことはやらないぞ!」
「ありがとう、ロクス。それでいいのです」
ラビエルはやさしくほほえんだ。先ほどの寂しげな微笑とは違った表情ではあった。そして明るく笑い出したのだった。
「ああ、よかった。ロクスが勇者になってくださった。最後まで断られたらどうしようか、と思ってました」
春の日差しのような微笑みだった。

「ラビエル」
ロクスはさすがに罪の意識を感じていた。この真っ黒な翼をロクスに見せるのは、ラビエルにとって辛いことだったに違いない。それなのにこうして、優しく微笑んでいる。
まるで天使のようだ。

「なあ、天使様よ。おれはお前の翼の色が気に入らないとか、そんなつもりで断ったんじゃないんだ。どっちかというと、面倒だっただけなんだ」
「ロ、ロクス?」
「確かに人助けなんて嫌だったんだけどな。ださいことは嫌いってこともあるんだ。お前をあのホモバーに捨てて、逃げようとしてた。お前の言うとおりだ。すまない」
ラビエルは、長いまつげを少し伏せて、微笑みを浮かべたままだ。
「本当に?」
「あ、ああ。ごめんよ。お前に押し付けたの、人間の使う避妊具ってものなんだ。つまり、人間同士が『情交を結ぶ』ときの小道具さ」
「なるほど……ひとつ学びましたよ……人間って賢いんですね」
「だましてすまない」
「いいんですよ、ロクス。正直に言ってくださってありがとう」

ラビエルの顔には、相変わらず端正な笑みが浮かべられていた。それまでにもまして端正で、まるで美術室の石膏像のようだ。
「ああっ。万事休すだ、天使様を怒らせたぞ」
「今度は怒ってるのかよ!!」
「天使さま! なりませんっ! 勇者様を手にかけてはなりませんっ」

天使は巨大な翼を広げ、また微笑んだ。
「え? ぼくが何をすると思うのかい、シータス。ぼくは気にしてないよ。変な男に変なものを見せられたり、変なところ触られまくったり、ぶっちゃけズボン脱がされて手篭めにされようとしたりこともね。いやいや、ちっとも気にしてませんよ、気にしてませんとも。たとえ、どんなに腹が立っても、まさか大事な勇者を殴ったりするわけないだろう?」

天使は微笑みながら、右のこぶしを左手で掴んでいた。目が、点滅する蛍光灯を反射して、異様に輝いていた。
笑顔であろうが、泣き顔だろうが、この上なく激怒しているのは明々白々だった。
「だぁあっ、だめです、ラビエル様ぁっ! ロクス、逃げなさいっ! 頭を粉砕されますぞっ」
ロクスには逃げる余裕もなかった。
目を見開いたその瞬間、何か硬そうなものが顔のすぐ横を掠めた。

「わぁっ!」
何かを爆発させたような轟音が上がった。
ロクスの後ろにあったコンクリート塀はあとかたもなくなり、その瓦礫の傍らで、天使が肩を落としている。
「ああ……また怒りに負けてしまった。天上に帰ったら詩篇を100回唱えねば」
「それより、もうそろそろAPがなくなりますよ、天使様。フェイン様も訪問しなければなりませんのに」
「そうだね、シータス」
そういうと、ラビエルは忙しげそうに立ち上がり、ジーンズの裾を叩いて埃を払った。
「勇者ロクス、私は天上に帰ります。何かお願いすることができたらお知らせいたします」
「ちょっとまてこら、この始末はどうするんだ!!」

ラビエルは困ったように首を振った。
「地上界で介入できるのは勇者様だけですので、私にはなんとも」
「私にはなんとも、だぁ?」
そう叫んだときには、すでに天使は消えていた。
「まて、戻って来い天使! この塀をなんとかしろ!」
だが天使の答えはなく、あたりにはロクスの怒号がむなしく響くばかりだった。



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