魔王の姫と大蛇の話


魔族の王が住む宮殿の奥に、小さなお姫様が閉じ込められていました。

庭には、人の世界からとってきた草花や灌木が植えられていて、魔界の弱い光の中でひょろひょろと枝を伸ばしており、美しい蛾や蜂、鮮やかな色の甲虫、土の中にはいろいろなミミズも住んでいました。虫たちは他の場所に行くことはできません。庭には魔族の結界が張られていて、虫も鳥も、また小さな姫も、外に出ることはできませんでした。

姫はここで終日、小さな手で、草花を手入れしたり、虫の幼虫を見つけて世話をしたりしていました。魔物の侍女は虫を見つけたら食べてしまう癖があったので、毎日お姫様は叱っていました。
「この蛾は食べてはいけない。貴重な蛾なのだから。これ、止まれ。私のフンコロガシを踏むでない、気をつけよ」
姫が叱ると、侍女は怖がって逃げてしまいました。この小さい姫が睨むと、どんな魔族も恐れてひれ伏しました。

姫の小さな部屋には、書き溜めた帳面がうずたかくつもり、取り寄せた植物や虫の図鑑でいっぱいでした。小さな姫は目もあまりよくなかったので、顔を擦りつけるように不思議な生き物の図鑑を眺めていました。

姫は、一度でいいので、人間の世界へ行ってみたかったのです。虫だけではない、それを食べにくる鳥たち、青い空、流れる雲、広い大地、本で見る、命に溢れた、不思議で広い世界を見たくてたまりませんでした。

ある日、姫の庭に大きな蛇が迷い込んできました。姫は恐れげもなく言いました。
「どうした、蛇よ。迷子か」
蛇は、舌をペロペロさせながら、庭の隅の柳の陰に隠れました。姫は寂しく笑いました。
「お前も私を怖がるのか」
そのとき、猪の顔をした女兵士が駆けつけてきて、ひれ伏して言いました。
「このものは、南彊から連れてこられた大蛇の一匹です。力が強く非常に素早いので、兵隊にするために王宮に召し上げたのに、訓練を嫌って逃げ出したのです。さあ来るのだ、次に逃げ出したならば、三枚に下して干し蛇にして最後には粉薬にしてしまうぞ」

すると蛇は、柳の根元にぐるぐる巻きついて、石のように動かなくなりました。姫は見かねて言いました。
「やめよ、怯えておるではないか。蛇よ、ここに居たいだけ居てもいいが、私の虫を食うてくれるなよ。皆、私の可愛い虫たちなのだ」

姫の声は鈴を振るように澄んで優しかったのですが、蛇は怖がっているのか丸くなったままでした。
「姫様、このように恐ろし気な大蛇ですら怖がるのです。どうかお化粧をなさってくださいませ」

魔族の侍女はそう言いながら、姫に鏡と、白粉と口紅を差し出しました。鏡の中には、絹のように細く白い髪と金色の目、そして血管や歯や筋肉や骨が、全て透けている顔が映っていました。顔の中の血管の中を血が通う様まですべて丸見えでした。

姫は、「蛇よ、そなたも私が怖いか。化粧をした方がいいと思うか」と尋ねてみました。
しかし蛇は喋れないので、ただじっとして舌をペロペロ動かしているだけでした。姫は仕方なく白粉の厚塗りをして、もう一度微笑みました。不気味であった姫の顔はお人形のように美しくなりました。
「蛇よこれでどうじゃ」
しかしやっぱり蛇はひれ伏したままでした。

それから蛇はずっと、姫のお庭で暮らし、毎日のように、姫に手ずから卵をもらって、門番をしていました。門番ですが特に何もせず、ただ姫に飼われているのでした。

そのうちに少し賢くなったのか、姫のために土を掘り起こしたり、木の上に登って芋虫を取って来たりして、働くようになりました。荒れていた姫のお庭は、だんだんきれいになりました。

ある日姫は、庭を見ながら言いました。
「なあ、蛇よ。私はこんな恐ろしい顔だが、来月には嫁に行くことになっておる。父親よりも年かさの翁だ。私を嫁にしたら、そんなじじいでも若返るそうだ。なんのことだかよくわからぬ」

蛇もやはりわからないふうでしたが、ちゃんと聞いていました。
「今宵、地上は満月。人間の世界からは月が良く見えて、虫の鳴き声も力強いのであろう。一度でいいのでお月様を眺めながら、にぎやかに虫が鳴くのを聞いてみたい。それから朝まで原っぱで過ごして、朝の光を浴びてみたい。草が風にそよいで、虫が飛ぶのを見たい。地上の小さな生き物は、醜いも美しいもなく懸命に生きている。私はそれを見られるのなら、この顔が光に炙られようと、ちっともかまわない」

聞いているのは蛇一匹でした。もちろん喋りません。姫は少し考えて、蛇の頭に手を置いて言いました。
「そなたも思うことがあるのであろう」
すると瞬く間に蛇は、立派な若者の姿に変化し、にこにこ笑って、元気よく言いました。
「お姫様、この蛇の頭の上に乗っていただければ、このお庭から飛び出して、外の世界をお見せします。どこまでもどこまでも走ってごらんにいれます!」
姫は喜んで、羽織っていた上着を蛇の若者にかけてやりました。「そなたはこの顔を見て恐れないのか。醜いとは思わぬのか」

蛇の若者は、さらに元気に言いました。
「顔? 醜い? 全然わかりません。蛇には、どうでもいいことです。でも姫様のくれる卵はとてもおいしい。姫様の匂いは、とてもいい匂い!」
小さい姫はとても面白く思い、蛇の若者についていくことにしました。それからすぐ、小さい姫は館からいなくなって、何年も何年も行方が知れずになりました。どこぞにいるという噂があって、すぐに捕らえに行っても、どうかして逃げられてしまうのです。

ある時、二人はとうとう捕まりました。二人を捕まえた将軍は言いました。
「この卑しい蛇め、何ということをしでかしてくれたのか。嫁入り先が決まっていた、尊い姫君をかどわかすなど」
すると、見違えるほど背が高く、健やかに育った姫が言いました。
「かどわかしてなどおらぬ。私と夫は面白く旅をして人界を見物しておった、数えきれないほど標本をつくった。まだまだ旅をするのだから、邪魔をするな。私たちは、これから南疆に行き、卵を産まねばならぬ。忙しいのだ」

将軍はびっくりして叫びました。
「あれよ、姫君、ご乱心遊ばされたか。この卑しいものの卵を産むなどあってはなりませぬ。はよう産婆を呼んで来い」
姫はまたあの小さな館に連れ戻されてしまい、蛇の若者はさんざんに打ち据えられて牢屋に入れられ、死を待っておりました。

ある時、蛇の若者は牢屋の外に引き出されました。目の前には、大きな卵が置いてありました。獄吏はいいました。
「卑しい蛇よ。もしお前がこの卵を一口で飲んで見せたら、お前の命は助けて、南疆に去るのを許してやろう。もし拒むのならここで三枚におろして、干し蛇にしてくれるがどうか」
蛇の若者は黙って、大きな蛇に変化して、大口を開けて卵を飲み込みました。そしてそのまま、獄舎を後にしました。姫には一度も会うことがありませんでしたと。

魔王の姫君はそれからずっと、蛇の若者と一緒に集めた虫の標本を眺めて過ごしました。お部屋から出ることは一度もなく、一言もしゃべらなくなりました。亡くなるまで庭に出ることもなく、生きた虫を眺めることも、お化粧をすることもなかったそうです。
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人界と魔界の辺境の村に、一匹の、たいそう痩せこけた大蛇が迷い込んできました。大蛇は大きなお腹をして、そのお腹のあたりがすっかり石になっているのでした。これでは水も飲めなかったでしょう。そんな哀れななりでしたが、蛇の目は優しかったのです。

そこへ村人が来て言いました。
「哀れなことだ。石になる護符でも飲み込んでしまったのか」
すると蛇は、村人の腰の山刀を咥えて引き抜き、前に置きました。
「何と不思議な、これで腹を裂けというのかい」
蛇が大人しくしているので、村人は仕方なく、蛇の腹を裂きました。蛇の腹は石室のようになっていて、その中に卵から孵ったばかりの幼い蛇がうずくまっていました。
蛇の子は石の壁に守られていたため、蛇の胃液に溶かされることなく、卵から孵っていたのでした。

しかし幼い蛇は、腰から上が人、腰から下が蛇という、たいそう哀れな姿をしており、とても育つとは思えませんでした。
「これは何だろう。見たこともない。何という魔物だろうか」
すると蛇は、何とか顔だけを人に変化させて言いました。
「どうかその子を、南疆まで連れて行って、森の中に置いてきてください。もし願いをかなえてくれるなら、私の体を三枚におろして薬にしてもかまいません」
言い終わるや否や、蛇は死んで、見る間に全身が石になりました。石になってはどうして薬にできるでしょうか。

村人は仕方なく、この幼い蛇を袋に入れて、はるばる南疆にまで旅をして、約束通り森の中に置いて来ました。幼い蛇がどうなったのかは、もう誰にもわかりません。

2024/12/08
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