千草峰の新しい置物
もと魔王は、庭に安置された白い大岩を、寂しそうに見つめていました。
岩は、とぐろを巻く蛇の形をしています。ここは昭華寺の奥座敷。もと魔王は天琅君という人物でした。
「甥は童貞のまま死んでしまったのだ。当然、嫁もおらぬし子孫もおらぬ」
「……お辛いですね……お察しいたします」
はるばる蒼穹山から派遣されてきた、当代一の名医は、優しく頷いていました。名医は、この病める元魔王を治療するために、蒼穹山から派遣されていたのです。
心の痛みは、体に影響します。それゆえ名医は、死んだ蛇が犯した多くの罪には触れず、ただ優しく、「どうか、お力落とされませんよう」といったのでした。
病める天琅君は、少し元気になれば魔境に戻り、甥を葬るという目的があったので、頑張って苦い薬も飲みました。
体の壊死は落ち着きかけていたけれど、長生きするのは難しそうだったし、本人もよくわかっていました。
だから一生懸命、終活を行っている最中なのです。
「甥は、なぜか石化してしまって焼くこともできない。しかもただの石ではない、翡翠なみに硬度がある石で、どんな刃物でも砕くこともできない。しかも魔境に持って帰れないほど重いのだ」
「翡翠なみの硬度ですか、それはすごい」
お医者様は優しくうなずきました。この先生、名前は木清芳といいますが、薬をちゃんと飲まない病人にはそれは怖いけれど、基本的に患者には優しいのです。そして彼は生薬の知識はもちろん、精神的に問題がある人の対処もちゃんと心得ています。
「このようになったのも、やはり甥は今生に執着を残しているからだと思うのだ。童貞のまま死んでしまった、このまま遺骨になるのは耐えられぬと。しかしもう世を去っているのだからしかたない。この上は」
もと魔王は重々しく言いました。
「人間の世界には死後婚、という美しい習慣があるという」
「はい」
「あの世に行く男子のため、嫁を見繕って結婚させるというのだ! そこで私は考えた。甥の嫁になってくれる娘を探そうと。だが無理だった」
もと魔王は肩を落としました。
「儀式だけでもと、近隣の村の娘さんたちに頼んでみたが、大蛇の嫁になってくれるような奇特なものはいなかった」
「生きている娘は難しいでしょう。独身のまま亡くなった娘さんならば、遺族に承諾してもらいやすいのではないのでしょうか」
「昭華寺を通して当たってもらったが、どの遺族にも断られた。生前の甥は美男子だったが、魔族であったし、私同様、恨みを買っている。死んでこのような大岩になっては無理だ」
木清芳は「兵馬俑を思い出しました。メスの大蛇を、石で作って、甥御様と埋葬すればいかがでしょうか。寂しくないのでは」と案を出してみましたが、魔王は首を振りました。
「甥は、あのような姿で死んで石になったが、もともとは半人半蛇であったし、私が人の姿に変えてやった時は泣いて喜んだものだ。メスの大蛇には興味がなかっただろう」
生きていたころの甥は、伯父にしか興味がなかったのですが、それはさておき。
「では石か、木で作った美女はどうでしょうか。彫刻のうまい職人を探して、作らせるのです」
木清芳はもともと親切な人であったので、あれこれ一生懸命考えてやりました。天琅君は嬉しく思ったのでしょう。
「君は本当に良い人だな。生きていれば甥と良い友人になれたことだろう」
「それは買いかぶりすぎです」
木清芳はいい人などと言われたので少し恥ずかしく思い、庭の岩に目をやりました。
「ご覧ください、甥御さんの頭に蝶々が止まって、鳥も怖がらずに寄ってきております。まるで陽だまりの中で日向ぼっこをしているようですね」
「そうだな」
「魔境に行けば日も当たらないでしょう。もしかしたら甥御様はこのまま、人界に留まりたいのでは? だからこんな重たい石に変化したのではないでしょうか」
天琅君は喜びました。
「君もそう思うか! 実は私もそう思っていたのだ! だが私が死んでから、甥の遺体がどうなると思うと心配でな。もし君のような慈悲深い人間のそばにあれば、粗末には扱われないと思うのだ」
「はい?」
ここで天琅君は、何かを思い出しました。
「ギリシアの名医アスクレピウスの杖には、蛇が巻き付いているというではないか。先生と蛇は特に縁がなかったが、どうだろうか。これを機会に、あなたの千草峰に蛇を一体、置いてみれば。良い象徴となるのではないか? いや、別に私の甥と死後婚してくれというつもりは毛頭ないぞ。嫁になってくれなくてもいいのだ。むろん、あなたが甥の嫁になってくれたらこんなうれしいことはないのだがな。甥の嫁にひげがあっても別に私は全然気にしない」
木清芳もようやく気付きました。大きな厄介ごとを押し付けられつつあるのではないかと。
まったく終活にひとを巻き込むのは迷惑というものです。断捨離したいからといって他人に押し付けないでほしいですよね。
木清芳の親切に漬け込んで、死んだ大蛇の嫁にしようとは、元魔王も何と食えない男なのでしょう。しかし木清芳は根気強い人でした。
「閣下、さきほど申し上げたことは、私の勝手な印象です。やはり大切な甥御様、閣下のお側近くに置いておかないとかわいそうです」
「しかし私はもうすぐ死ぬ。先がないのだ。それはわかっている。そのあとのことを心配しているのだ。このままでは甥の魂が迷ってしまう」
木清芳は、何だかかわいそうになりました。天琅君は昭華寺で過ごすうちに、よけいな知識を吹き込まれてしまったのでしょう。
「どうしても引き取り手がなければ、うちで引き取りましょう。しかしその前に一日でも長く生きることを考えてください。心配しすぎるのは体に毒ですよ」
そういったのが運の尽きでした。先生は医学のことはすごいけれど、性格はとてもちょろいのでした。
木清芳が千草峰に戻った一か月後。
ゴロゴロと恐ろしい音がします。巨大な荷物を積んだ巨大な丸太車が道を塞ぎます。
その周りを何百人もの屈強な男たちが、えいや〜えい!と汗を流します。法力を使って補佐する僧侶も多数います。皇帝の墓を作る事業もかくやとばかりの、大ごととなりました。
現代日本なら10トン運べるユニック車を何日かレンタルして、ガーっと運んで、クレーンで吊り上げてドーンと下ろすのですが、この世界にそんなものはないのですべて人力です。
「認めお願いしま〜す」
荷物を下ろした坊さんは送り状を出して、軽い調子でそういいました。
たまたま木清芳先生は学会で留守、主だった人たちも往診に出かけたりしていました。残っているのは若い子ばかりでした。
「シャチハタ忘れた。俺の苗字だけでいいっすか」
「全然問題ないっす」
そんな会話があったのかどうか。大荷物は千草峰の薬草園に置いていかれてしまいました。
戻ってきた木清芳峰主は、あやうく「ファッ!」と叫びそうになりました。思わずOOCになりかけた一瞬でした。
「こ、これは……竹枝郎どののご遺体! なぜここに。天琅君は亡くなったのですか!」
送り状には、天琅君からの手紙が添えられていました。
「親愛なる木先生。少し気が早いが、甥をあなたに託します。どうぞよしなに。天琅君より★キラッ」
このふざけた手紙に腹を立てないものはいませんでした。特に最後の「★キラッ」は意味が解りません。地味にいらっとするではないですか。
しかし木清芳医師は、汗をふきふきいいました。
「ここに来ちゃった以上、仕方がありません。窮鳥懐に入らば、という例えもある。まあ、送り返すすべもないし、昭華寺に抗議しに行っても角が立ちます。この上は、この薬草園の名物として置いておく方がいいでしょう。石に見えますが、れっきとしたご遺体ですから皆さん、けして粗末にしないようにお願いしますよ。上に乗ったり上でおやつを食べたりしてはいけません。いいですね」
してはいけないといったら、したくなるのは人情です。
三日も経たないうちに、竹枝郎の石の上で無邪気な弟子が遊んだり、おやつを食べたり、デートをしたりするようになりました。
一番怖いのは、無邪気な人間なのです。
しばらくすると、竹枝郎石の上で寝転んで体を伸ばすと、腰痛が治る。という噂がたちました。とぐろを巻いたからだから伸びている尻尾のようなところは、少し細くなっています。そこにあおむけで寝ると腰痛が治るのだそうです。
「何だか変な噂が立っているな」
木先生も気になって行ってみました。すると春の日差しの中で、白っぽい大蛇がのんびりととぐろを巻いているのが見えました。
「尻尾の先で伸びをすると腰の痛いのが治る、か」
先生は「却って痛くなりそう」と思いましたが、見ているうちに好奇心が湧いてきて、とうとう座ってみました。お天気なので石の蛇はポカポカと温まっていい感じです。
「よいしょっと」
先生は、石の蛇の尻尾の上に寝転がってみました。ボキッ、と腰が鳴って「やばっ」と思いましたが、やばかったのは一瞬で、起き上がってみると腰は軽くなっているではありませんか。何と頑固な肩こりも治っています。
「本当に治った? はははは。まさかな」
とはいうもののいい日和です。日ごろの疲れもあり、先生は蛇のお尻付近にもたれて、気持ちよく眠ってしまいました。
先生が寝ている間に起こったことはこうでした。
先生が寝ていた蛇の尻尾には、ちょっとした器官があります。竹枝郎が生きている間には一度も使わなかった交尾器が格納されている総排出腔は、今は岩になった表皮に隠されていました。
その隙間から、ちっぽけな緑の蛇が「ミ??」という感じで、小さな顔を覗かせました。石でできた蛇の皮を、一生懸命に中から押し開けて、小さな蛇は外へ出てきたのです。小さいのにすごい力と根性です。
小さきものは「ここはどこなのかしら」と言いたげに、頭をもたげて、桃色の細い舌をちろちろと動かしました。
すぐそばに、大きな人間が「スピー」と寝息を立てながら寝ていました。偉そうなおひげを蓄えていますが、顔つきは若い人間のようです。
「グオッ」
人間はいびきをやめて目を覚ましました。蛇はびくっとして身を縮めました。人間は口を拭って独り言を言いました。
「いかん、寝てしまっていた。戻らなければ」
人間は立ち上がりましたが、緑の蛇に気が付いて「おお?」と言いました。蛇は気づかれたので、怖がってじっとしていました。小さな蛇なので、人間の足で踏み潰されたらひとたまりもありません。
しかし人間は優しく言いました。
「天琅君のところから来たのか。見たところ毒蛇でもなさそうだし、ここにいていいよ。ここは千草峰の薬草園だ。たまに大きな鳥も来るから、食われないように気を付けるんだね」
蛇は許された気がして、蛇の大岩に隠れました。白い雲、温かい日差し。周りにいい匂いのする薬草や木がたくさん生えています。
ここは良いところのようでした。住んでいる人間もみな、親切そうでした。
ちょっと寂しかったけれど、蛇は新しいおうちで、のんびり暮らし始めましたとさ。
おしまい。
2024/12/09
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