謝肉祭

 付き人は欠かさず日曜の礼拝に参加する。今日は一人だ。

 ひなびた村の教会は、敬虔な村人であふれかえっている。牧師のさびのある声が響く。
「欲望を持って女を見るものは、心の中ですでに姦淫したるなり」
 初老の牧師は淡々と続けた。
「心の中でなにをしようが、勝手じゃないか、などとは思ってはいけません。神様は、心弱き私たちの日々の行いを、何もかもご存知で、心を痛めておいでなのです」

 グレミオはふと、女たちがテオに向けるまなざしを思った。
 テオの肩甲骨の美しさ、一分のすきもない身のこなし、完璧な脚のライン、それらに向けられる女たちの欲望に満ちた目。自分もあんな、飢えたような目をしていたのだろうか。

「私たちは、姦淫の罪を犯してはならない。子供を授かるための交わりは、神聖なものだが、それ以外は姦淫の罪なのです。それに自らを汚してはなりません」
 付き人は辛くなった。姦淫の罪に自らを汚す、という言葉が胸に刺さった。
「われらが罪を犯すたびに、天国への道のりは少しずつ遠くなり、正しく歩めばまた少しずつ許されるのです」
 付き人は現世で天国を見つけてしまった。
 愛しい男の腕の中の、地獄のような天国だった。
 礼拝の後、付き人は墓地へ向かった。礼拝の前に花を供えておいたが、掃除をする時間がなかった。

 先客がいた。
 マクドールの奥方の墓前に、背の高い、金髪の男がひざまずいている。
 グレミオは立ち止まった。あまり会いたくない相手だ。
「オウエン様」 亡き奥方の兄、オウエンであった。
「君か。久しぶりだな」
「礼拝にいらしたのですか? 気づきませんでした」
「後ろのほうにいたからな。いつも妹の墓を綺麗にしてくれてすまんな」
 マクドールの戦友で、亡き奥方の兄である。この美貌の男が、グレミオは少し苦手である。

「テオはあいかわらずか」
「ええ、お元気です」
「百人斬りは達成したかな」
「さあ、わかりません。最近は果し合いも少なく……」
「野暮なやつだな。色事のことだ。相変わらず墓参りもせず、女漁りをしているのか」
「……知りませんよ、そんな」
「ふん。お前にはもう手を出したのか?」
「テオ様を侮辱するんですか?」
「赤くなったな……図星か。あいつは、こんな初心な子をもてあそんでいるのか」
「……!」
 こんなふうに、いやに絡むのだ。
 誰も見ていないところで、ちくちくといやらしいことを言う。
「テオ様がそんなことをするはずないでしょう」

 この場合、嘘ではない。先に手を出したのは、グレミオのほうだったのだ。
 奥方の兄はグレミオの髪を指差して、ことばを継いだ。
「そんなに怖い顔するな。あいつは金髪と青い目が好きなんだよ」
「奥様の墓前で、何てこというんですか」
「あいつが死んだのも、テオの浮気のせいだ」
 オウエンは口をゆがめて笑った。笑うと、この男の美貌は品のないものとなる。
 坊ちゃんが性格も容貌も、伯父に似なかったのは幸いだった。

「奥様は、お産で亡くなったと聞いていますが?」
「ああ。弱っていたところにショックを受けて、心臓が止まったのさ」
「ショック?」
「知りたいか?」 
 今日はいつもよりしつこい。どうしたのだろう。
「妹は、見てしまったんだ」
「見たって、何を」
「あいつと浮気相手が、ベッドの中で一大バトルをやってるところをな。せめて毛布でも掛けてりゃよかったのに。その場で妹は倒れ、あの世行きさ」
「根も葉もない噂です!」
「噂じゃないよ。事実だ」
「まるでその場にいたような言いかたを……」

 グレミオはふと、奥方の兄を見た。
 くせのない白金のような髪、そしてこのように青い目は他に見たことがない。背中に悪寒が走った。
「帰ります。失礼します」
「おれが相手だったのさ」
「あ、あ、あなたという人は!」
 付き人は耳を覆いたくなる高笑いから、走って逃げ出した。



カーニバルの夜、マクドール家の食卓にはご馳走が並んだ。
「こんなうめえ飯は生まれてはじめてだぜ」
 パーンは、鹿肉ときのこのワイン煮をくらいながら唸った。
 ローストして木の実のソースをかけた、つややかなうずら、香り立つアスパラガスのポタージュ、そして白い山羊の乳のチーズ。ワインは、カナカンの赤だ。
「もっとゆっくり食べたらいいのに。誰も取らないよ」
「自分がおいしいように食べるのが一番いいんですよ。坊ちゃんもお代わりしてくださいね」 
 幸せそうに食べる人の顔を見ると、グレミオも楽しくなる。

「テオ様、遅いですね」
「ちょっと用があるとおっしゃったんだけどね」 クレオは時計に目をやった。もう七時を過ぎている。
「今日は早く帰るって言ってたのに」 リアムは少し不満顔だ。
「坊ちゃん手伝ってくれたのにね。もう先にいただきましょう」
 グレミオはフルーツケーキを切った。テオとの分を皿に残し、四人分を皿に取り分ける。
 そのあと、クレオとパーンは飲みに行くと言い出した。
「テオ様がお帰りになったら、若い連中といつものパブで待ってるって伝えてよね」
「飲みすぎないでくださいよ、クレオさん」
「あんたも今度一緒にいこうぜ」
 パーンとクレオは機嫌良く出ていった。

「坊ちゃん、そろそろ花火が上がる頃ですよ。窓から見ましょうね」
「グレミオ、外に見に行きたいよ」
「外は危ないからだめです。町は酔っ払いが一杯ですよ」
「ねえ、ちょっとだけ。近くで見たいよ」
「うーん、でもねえ、本当に危ないんですよ」
 そう言いながら、グレミオは半分折れているのだ。
「ねえ、お願いだよ。一生のお願い、ね、グレミオ」
 坊ちゃんはつぶらな目でグレミオを見つめた。グレミオはこれにヨワい。
「ちょっとだけですよ、見たらすぐに帰ってきましょうね」

 厳重に鍵を締めて、二人は外に出た。
 奇態な格好をした人々がぞろぞろ歩いていく。
 グレミオはしっかりリアム坊ちゃんの手を握って言った。
「手を離さないでくださいね、はぐれたら大変ですから」
 二人は人だかりのしている川岸についた。グレミオは坊ちゃんを肩車した。
「しっかり私の頭につかまっていてくださいね」
「うん」

 甲高い音に続いて、花火が始まった。見物人は歓声を上げた。
 巨大な、極彩色の光の滝が、音を立てて、川の上になだれ落ちていく。
「すごいなあ」
「きれいですねえ」
 心配するようなこともなかった。
 前の年、カーニバルの喧騒の中で、子供がさらわれて行方不明になっている。
 グレミオは、神経質になりすぎたのかも知れなかった。
 何事もなく今年のカーニバルも終わるはずだった。


 坊ちゃんは少し遅く、九時ごろになってようやく眠った。
 付き人は、自分の手を握っている小さな手を、そっと毛布の中に入れた。

 ふっくらした頬にお休みのキスをして、自分の部屋に戻ると、使徒行伝を開いた。
 今日の礼拝で教わったところを、ランプの灯りの下で読み始める。

「欲望を持って女を見るものは、心の中ですでに姦淫したるなり」
 グレミオの心は痛んだ。
 テオと寝た。夢の中や妄想の中でなら、何度テオと寝たか見当もつかない。とっくの昔に姦淫していたというのか。
 ため息をついたとき、玄関の呼び鈴が鳴った。
「テオ様だ」
 グレミオは玄関に走り、ドアを少し開けた。外の喧騒はまだ続いている。

「よう」
 付き人はその場に固まってしまった。無礼で下品な、リアムの母の兄がそこにいた。
 力任せにドアを閉めようかと思ったが、かろうじて思いとどまった。
「これはオウエン様」
「そんなあからさまに嫌な顔をするなよ」 オウエンはにやっとした。
「いえ、私はそんなつもりは……てっきり、テオ様かと思いましたので」
「ちょっとテオに話があるんだよ。中で待たせてもらうぞ」
 グレミオを押しのけるようにして、テオの義兄は中に入ってきた。

「リアムはもう寝たか」
「ええ、さっき」
「静かだな。あの大食漢の居候はどうした」
「ああ、パーンさんなら、クレオさんと飲みに行きました」
「無用心なことだ」
「……私がいますから」
「よけい無用心だ」
「……」
「お前がどれほどの役に立つって言うんだ」
 ぐいとグレミオのあごを捕らえて、繰りかえした。
「言ってみろよ。え?」
「おかしいですよ、オウエン様、このあいだから」
「そんなやつを家に入れるお前も、な」
 テオの義兄はくるっとグレミオの体をひっくり返し、後ろから羽交い締めにした。
「何をするんですか? 放してください!」
「自分で振りほどけ!」
「いくらあなたでも、許しませんよ!」
「面白い。ほら、もっと抵抗しろ」
 渾身の力をこめてもがいたが、びくともしない。肘鉄も効かない。

「放してください、オウエン様」
「泣き叫べ!カーニバルだ、騒がしくて聞こえやしないさ」
「狂ってる……あんたがテオ様の戦友だなんて」
「何とでも言え」
 オウエンは、グレミオの前に手を伸ばした。
「意外と、いい体をしてやがる」
「あ、あんたも騎士のはしくれなら……」
「あいつはどんなふうに、おまえとヤルんだ?」
「テオ様を侮辱することは許さない!」
 グレミオは声を絞り出した。
「ふ、見かけよりは肝が太いか」
 のどに冷たいものが触れる。ナイフだ。

 ドアが開き、何気なく入ってきたテオは、その場に立ち尽くした。
「何をしている!」
「やっと帰ってきたな、色男」
「当家の奉公人を放せ、オウエン」
「顔色が変わったな、テオよ。こいつはお前好みだと思ったのさ」
 のどの奥で嫌な笑い声を立てる。

「何が望みだ、当家に何の恨みがある」
「腰抜けのバルバロッサなど見限って、わがほうに寝返れ」
「断る! おれは死んでも節は曲げぬ!」 
 グレミオの喉に押し当てたナイフが動き、ややあって血が滲み出した。
「次の皇帝は、バルバロッサ皇太子殿下と決まっているのだ!」
「お前が皇弟殿下につけば、情勢は一気に動く」
 テオは剣を抜いた。長い剣が、青白く光った。
「よせ、テオ! こいつの喉をぶった切るぞ!」
「かまわん。好きにするがいい。だがそのときは、お前の命もないものと思え」
 テオの剣は突きの構えで静止した。付き人は自分が失神しないのが恨めしかった。
「テオ、やめろ」 グレミオをねじ上げているオウエンの手が、震え始めた。
「二人一緒に串刺しにするくらい簡単だ。おれの腕は知っているだろう」
「やめてくれ」
「問答無用!」
 グレミオは、後ろから思いっきり突き飛ばされて床に転がった。
 見上げたときには、オウエンはもういなかった。後ろの窓から逃げたのだ。



「戦場でまみえようぞ、と言いたかったのだが、逃げ足の速いやつだ、ふん」
「……」
 付き人は言葉もなくテオを見つめた。
「どうした、グレミオ。腰でも抜かしたか?」
「……二人一緒に」
「ん?」
「二人一緒に串刺しにするとおっしゃった」
「……おれは節は曲げん。マクドールの名にかけて」
 いざとなったら、この人は自分の息子でも手にかけるかもしれない。

「あの方とテオ様は、どういう関係なんです」
 テオは吹き出した。
「わかりきったことをきくな。おれの妻の兄ではないか」
「あの方、オウエン様は、それ以上の関係だと言っていました」
「何を言っている」
 浅黒い顔が、珍しく紅潮している。グレミオは逆上した。
「あんな、顔だけの情けない卑怯者と、あなたが!」
「おい、何を怒っているんだ。冷静に」
「信じられない!!」
「お前に責められる筋合いはないぞ。誰と寝ようと、おれの勝手だ!」

 付き人は言葉に詰まった。何を自分は怒っているんだろう。坊ちゃんのため?ちがう。
「そのとおりです。でも私には耐えられない」
 首を斬り落とされても、言わねばならない。

「あなたを愛しています、テオ様。あなたを愛しています」
 ほとんどうわごとのように、グレミオはかき口説いた。
 テオは、ぎょっとした顔をして奉公人の若者を見かえした。
「あんなやつよりも百倍も千倍も」
 夢の中で何度もしたように、テオの唇にわが唇を合わせた。
「私は、もう何でもしますから!」
「やめないか。もう懲りただろうが、ばかもの」
 テオの声は奇妙に弱かった。
「深入り、という言葉を知っているか。一度目はきまぐれですむが、二度目、三度目となると、そうはいかないんだ」
「私は、あなたが死ねといったら、死にます」
「簡単に死ぬなどと口にするな!」
「テオ様、私は本気です!」
「お前は、愚かだ。愚かだぞ、お前は!男はやたらと捨て身の攻撃をするものではない!」
 付き人は、こんなふうに狼狽するテオをはじめて見た。
「そんなことを言わせるために、お前をここに連れてきたのではない」
「私が嫌いですか?」
 テオは、ことばもなくグレミオの顔を見つめていた。
 付き人にも、もはや言うべきことばはない。

「おれの部屋に来るか?」
 彼らの血が騒いだのも、カーニバルのせいなのだった。

FINN

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