優しい手
学園都市グリンヒルにも、ちゃんとお祭りがある。 夏至祭りだ。
その日、町は私服の学生、風船を持った子供たち、綿あめやアイスクリームの屋台、そして大道芸人であふれていた。
聴講生である坊ちゃんは、何とかレポートも提出できたので、久しぶりにグレミオとデートだ。
「けっこう大きなお祭りだろ?」
「本当ですね。坊ちゃん、金魚すくいします?」
「……子供だと思ってんの?」
「とんでもない。でも、きれいな金魚ですよ」
グレミオはいそいそと小銭を出し始めた。
「ね、坊ちゃん。気晴らしにどうですか?」
しぶしぶはじめた坊ちゃんだが、これが難しいとわかって燃えた。
「あ、破れちゃった。残念でした」
「もう一回やりたい!」
「コツがあるのかもしれませんよ。端っこで捕まえるとか?」
坊ちゃんは気合で、二匹捕まえた。袋に入れてもらって、気をよくしている。
「さすが坊ちゃん、お見事です」
「本気出せばこんなもんさ。グレミオもやってみたら?」
付き人は首を振った。
「やめときます。私はすばやくないし。それより、あれ……何でしょうね?」
グレミオの指差す先に、白髪の男が、屋台を出していた。
雰囲気が何だか違う。
そしてこちらを見て、にやっと笑う。
「ああ、あれか。手相見だ。見たことないか?」
「何ですか、それ?」
「手のひらのしわを見て、運勢を当てるんだ。健康とかいろいろ」
「へえ。おもしろそうですね」
「占いなんて信じるのか?」
「良いことだけ信じます」
「お前見てもらったら。おれはいいよ」
坊ちゃんは人前で手袋を取るのを避けている。呪いの紋章を人目から隠すためだ。
そして、めったなことではソウル・イーターを使うことはない。
付き人は占い師の前に立った。坊ちゃんは、綿あめを食べながら付き合った。
「今日は何を見ましょうかな?」
「何をといっても……わかりません」
「では、全体運を見るとしよう」
白髪の、初老の占い師は付き人の右手を取った。
指でしきりに触りながら説明をはじめる。
「指先がこう細くて、反っている人は、手先が非常に器用です」
手のひらの、半月形のしわに沿って指を走らせ、恐ろしいことを言い出した。
「生命線。一度若い頃に途切れていますな。死ぬほどの大病でもなさったかな」
「ええ、まあ」
「長寿に恵まれると出ています」
そして手のひらを横に走る線をなぞりながら説明する。
「これが感情線……安定しているが、周囲に流されやすいところもある」
「……」
「そしてこれが、知能線。平凡ですが、一つのことに凝る傾向がある」
占い師は、知能線の上を何度も指を往復させた。
しだいに付き人の顔に困惑の色が広がる。
占い師は、その手のひらを、指で縦になでた。 付き人の顔が引きつった。
「運命線。 歳を取るほどに吉。 ただ金運はぱっとせんな」
「……」
占い師は、グレミオの親指の付け根の厚みをはかった。
「愛情は、非常に豊かであって」
手のひらの側面をなでながら、断定する。
「結婚は二回」
グレミオはもう逃げ出したそうにしているが、老人はお構いなしに続けた。
そして最後に手首の内側にふれながらいいかけた。
「ここに現れるのは子供運ですが……」
瞬間、付き人は手を引っ込めた。この男にしては珍しく、荒っぽい仕草だった。
占い師は少し驚いたような顔をした。
「あ、ありがとう。もう十分です。いくらですか?」
「20ポッチです」
並んで歩きながら、しばらく付き人は口をきかなかった。
「良いことだけ、信じたらいいんだよ。お前もそういっただろ?」
「そうですね」
「腹、減らないか?」
「そうですね。帰ってお昼にしましょう」
「そうだな、でもほら。あれ、美味そうだ」
坊ちゃんは、ピロシキを売っている屋台を指差した。
「食べようよ」
「そうですね」
立ったままピロシキを食べながら、坊ちゃんはたずねた。
「お前怒ってなかった? 手相見のところで」
「怒っていたんじゃないんですが」
いいかけてまた付き人は眉をひそめている。
「何でもないです」
「あやしいな」
「……あんなふうに触られるなんて知らなかったから」
「? 別にふつうじゃん。あんなもんだよ」
「そうなんですか……」
「もしかして、感じちゃったとか?」
坊ちゃんは冗談で言ったつもりだったが、付き人は過敏に反応した。
「冗談じゃありません!」
顔は真っ赤で、汗までふき出している。
「どうして私が、知らないおじいさんに触られて、感じなきゃいけないんですか」
坊ちゃんはしばらくあっけにとられていたが、問い直した。
「でも感じちゃったんだな? 手を触られただけで」
「……」
沈黙を、肯定と坊ちゃんはとった。
「……この浮気者」
言い捨てると、ぷいと横を向いて歩き始めた。
「どうしてそうなるんですかあ?」
付き人はあわてて後を追う。
「気に食わないぞ!」
「ね、怒らないで下さい、坊ちゃん」
付き人は懸命に言い募った。
「帰る!」
「考えなかった私も悪いけど、怒っちゃだめですよ……」
くるっと振り向いた坊ちゃんは、もう怒っていなかった。
「ほら、帰ろう」
そう言いながら付き人の手のひらをつかんだ。付き人は息を呑んだ。ぱあっと目尻が赤くなる。
この男は手を触られるとすごく感じるらしい。
「ひとつ発見だ」
困り果てて、長身のグレミオがうつむいていた。
「……放してください、道の真中で」
「男なのに変わってんな、お前」
「仕方ないでしょう、そうなってるんだから」
「すぐに帰ろう」
「え?」
付き人を引きずるように、坊ちゃんは宿に戻った。
祭りの賑わいは、窓を閉めると遠くになる。
まだ昼間だと言うのに、坊ちゃんはグレミオを座らせて手を取った。
いつになく優しい態度だった。付き人は戸惑ってうつむいた。
リアムは荒れた白い手に、オリーブ油を塗り広げた。
「そんなことをしていただいたら、気の毒です……それに」
「それに、どうだって?」
グレミオはうつむいたまま、小さな声で言った。
「……つい、変な気分になってしまいます……」
「なったらいい、遠慮せずに」
「……まだ、日も高いのに?」
リアムは少し笑った。
「かまうもんか。……荒れちゃって、痛そうだな」
「水仕事しますからね。でも平気です。ずっとそうなんですから。坊ちゃんがこんなふうに」
グレミオはことばを切った。 見上げる目がすこし赤い。
「こんなふうに、私の手をいとおしんで下さる。もったいないことです。手荒れくらい、何でしょう?坊ちゃん、私はあなたのためなら何でもします……」
「何でも?」
「こんな私ができることなら何でも。私の手と体と心でできることなら何でも。ずっと前からそう思ってきました、リアム様」
「そんなこといって、ときどきいやがるじゃないか」
坊ちゃんは、荒れた手のひらを自分の口元に引き寄せた。
「すみません」
「でも結局、言うこときいてくれるけど」
リアムは、どうしても気になっていたことをきいた。
「本当は、お前はおれがいやなんじゃないのか?」
「どうしてそんなことを?」
「親父を忘れていないだろ」
「そうです」
グレミオは涙をこぼした。
「テオ様のことは、忘れません。でもあなたのためなら、私はテオ様にだって刃を向けたでしょう。テオ様を本当に好きでした、でもあなたのほうがずっと大切だったんです」
「……ごめん」
「あなたを息子のように思って、仕えてきた。でも今は、すこしちがいます」
「あなたといたい。私は、ずっと生きていたい……リアム様は、私のすべてです」
澄んだ青い目が、リアムを見上げていた。
「満足にあなたを守れないほど弱いけれど、それでもあなたといたいんです」
END
坊グレの部屋へ