坊ちゃんの習い事
ある日の午後。十五歳のリアム坊ちゃんは、お守と二人で、体術を教える道場にいた。
「それで、リアム君はどうして体術を習いたいのかな」
小柄な温顔の道場主は、多少異国なまりがあった。
「おれは遊んでいたいんです。 親父のヤローが行けってうるさくて」
「坊ちゃん! も、申し訳ありません。ちょっと虫の居所が……」
道場主はうなずいた。子供相手の仕事だ、人間も我慢強くなるのだろう。
「よく分かりますよ。元気が余り過ぎて手におえないから、お父上に進められたんだね」
「そう、そうなんです。あ、いえ、その、この機会に、体術を習うのがよかろうと、この子の父が申しまして」
「マクドール将軍がですか」
「父親がうかがうべきなのですが、なにぶん多忙なので」
「そうだろうね」
「どうか、リアム様を先生のお弟子にしてください。お願いします」
「それはいいけれど、リアム君は乗り気ではないようだよ」
「おれは、棒術だけで満足です」
リアムは、なぜか心にもなく駄々をこねてしまう。本当は体術にも興味がある。第一、喧嘩が強くなるじゃないか。
「ほう、棒術をやるのか」
「ただ、何年も教えていただいた師匠が、先日姿を消してしまったのです」
「何でまた」
「それが、皆目わからないのです。ただある日ふらっと……ねえ、坊ちゃん。体術を習うのは良いことですよ。武器がなくても身を守れるじゃないですか」
「さよう、我々の体術は、鍛えた心身と技で身を守ることを、第一の目的としている。ただ、非常に危険を伴うものでもあるので、私闘はご法度だよ、リアム君」
喧嘩に使えると思っていたリアムは、気まずい思いをした。
「ね、リアム様。将来きっとよかったと思いますよ」
「グレミオは習わないのか?」
「わ、私ですか?」
「グレミオが習うんだったらおれもやるぞ」
「やります。先生、わたしにも体術を教えてください」
あっけにとられている道場主にグレミオは頭を下げている。ほとんど教育ママである。
こうして、なぜか二人とも道場に通うことになった。
ただ、グレミオは仕事があるので、月一回だけの稽古である。
これでは上達するはずがない。
一方、坊ちゃんは師匠があきれるほど筋が良かった。まもなくリアムはこれに熱中し、
目覚しく上達していった。
「投げられるのが上手いってさ」
道場に迎えにくるグレミオに、自慢するようになったのだ。
リアムは、異国渡りの体術を始めてから、いらいらしなくなった自分に気がついていた。
やはり彼は、武術が大好きなのだった。
リアムは基礎的な動作はすぐに覚え、まもなくさまざまな技を習いはじめた。
ある日のこと、稽古が早めに終わってしまったので、リアムは付人を道場で待っていた。
新しい技を習ったが、稽古相手にどうしても決まらないで、悔しい思いをしたのだった。
付人は時間どおりにやってきた。
「あ、坊ちゃん。待たせてしまいましたね」
「先生が何か用事があるって、早く終わったんだ。それに今日習った技を思い出していたから退屈しなかったよ」
「そうなんですか」
グレミオの顔を見ていると、ふといたずら心が動いた。
「どんな技を習ったか知りたいか?」
「どんなのを習ってるんですか?」
「見せてやるよ。まず、投げるやつ」
「え?」
グレミオの手をふいに引き、よろけたところを腰に乗せ、そのまま投げをうった。
頭一つも背が高い付人は、派手な音を立てて仰向けに倒れた。
「いたた……」
「で、これが固めるやつ」
「うわっ、ちょっと待ってくださ……く、くるし……」
倒れて動けない付人に馬乗りになり、上半身を縦に締め上げると、グレミオは苦しがったがリアムは止めなかった。
しばらくすると、もがいていた付人の手が、パタンと落ちた。
リアムがぎょっとして付人の顔を見ると、すでに意識がなかった。
なんと白目をむいて失神しているではないか。
「グレミオ、おい」
顔をつついても、肩をつかんで揺さぶっても、起きない。
「わあああっ」
「こらっ、何をしている!!!」
跳んできた師匠に張り飛ばされて、リアム跳ね飛ばされていた。
師匠はすぐに付人を抱え起こし、脇から手を回すと、こぶしでみぞおちのあたりを押し上げた。グレミオはうっとうめいて息を吹き返した。
その顔を横向けにして寝かせると、やっと目を開けた。
「しばらく休めばましになるだろう」
師匠は、恐ろしい目をリアムに向けた。
「リアム、何故こんなことをした」
「……」
「答えられないのか。私闘は禁止だと言ったはずだ。これは私闘ですらないだろう」
「……」
リアムは声も出なかった。言い訳などできないのだ。
「理由を言わないのなら、リアム、君は」
すると先ほどまでのびていた、付き人は起きあがった。
「先生。私が頼んだのです」
「?」
けげんそうに師匠はグレミオの顔を見る。
「新しく習った技をどうしても見せてくれと、私が頼んだのです」
「グレミオ!」
彼は師匠に頭を下げた。
「破門するならどうか私を。リアム様はどうか稽古を続けさせてください」
師匠はしばらく黙っていたが、
「体術は、もとは人殺しの道具だった。今でも、命の危険を伴うものだということを忘れず、二人とも以後気をつけなさい」
と言って稽古場を出ていった。
師匠を見送っていたグレミオは、まだ気分が悪いのか、仰向けに横になった。
「はあ、今のは効きましたよ。まだふらふらする」
力なく言いながらも、怒っているようではない。
「ちょっと待っていてくださいね。もう少し休めばなんとか……」
リアムの緊張の糸が切れた。
「坊ちゃん?」
リアムはグレミオの青い服の胸に突っ伏したまま、黙っていた。泣き顔を見られるのは、いやだった。
謝りたいのに、なぜ謝れないのだろう。
自分はどうしてグレミオにひどいことをしてしまうのだろう。そして、どうして彼は怒らないのか。
危うく殺されかけたと言うのに。
グレミオは本当に困惑していた。リアムに寝技をかけられたとき、ふと、
「テオ様の体と同じ匂いだ」と思ったのがいけなかった。
そのままふわっとなってしまい、気絶したときは、そのまま死んでもいいくらい気持ちがよかったが、それはよけいなことであった。
「リアム様、もう大丈夫ですよ」
自分の胸に顔を埋めている坊ちゃんは、泣いているらしい。
力は強いが、まだ子供なのだ。
その頭を撫でずにはいられない。
どうか、まだ少しだけ子供のままでいてほしい。
しかし、そう思うことは許されない。この子は、武門の家の子なのだから。
「坊ちゃんが強くなるのが、何より嬉しいのです。どうかもっと強くなってください」
「……」
「そして、いつかテオ様に負けないような、立派な帝国軍の武将に……」
ここで本当にグレミオは真っ赤になった。テオ様の、天下御免の『ご立派な』お姿と、ベッドにおける勇ましさが脳裏によみがえったからだった。
(いけない。私ときたら、またみだらな想像をしてしまう)
付き人もまた、ちょっとした個人的な問題を抱えていた。
「も、もう大丈夫です。さあ、帰りましょう。今夜はローストビーフですよ!」
坊ちゃんを急き立てて、家路についたのであった。
2.場外乱闘
そんなことがあってしばらく、坊ちゃんはおとなしかった。
おとなしすぎてグレミオが心配になったくらいだった。
ある日、付き人は坊ちゃんの机を拭いていた。書きかけの日記が、そのまま放り出してあった。
「日記を開きっぱなしにするなんて、まだまだ子供なんですね」
グレミオはほほえましく思った。ずいぶんしっかりしてきたようでいて、まだまだ子供っぽいことだ。
「机の中にしまっておきましょう」
日記を閉じようとして、超特大の、下手な文字が目に飛び込んできた。いけないと思いつつ、つい目をやってしまう。
『今日、テッドと酒場で飲んでいると、マリーに見つかってつまみ出された。ふん、けちけちばばあめ。ふぁっく・ゆう』
グレミオは愕然となった。テッド君。まじめそうな少年なのに、かわいい坊ちゃんを不良の道に引きずり込むなんて!
『テッドはびびりまくっていた。無理に誘って悪いことしたかな?でも何事も経験だ』
ちょっと違ったみたいだ。そして日記はこう結ばれていた。
『マリーめ、家に帰れない理由でもあるの、とか、またグレミオにいたずらでもしたのかい、とか、言ってやんの』
また、グレミオにいたずら・・・・・・
その文字が目に飛び込んできたとき、付き人は真っ赤になってしまった。
坊ちゃんが、私にいたずら?
「そんな意味じゃない。変な想像したらだめだったら」
ボッチャンに、イタズラシテホシイ……
付き人は、変なことを考える自分の頭を、こぶしでぽかぽかと殴った。
その日、グレミオが道場に迎えに行くと、リアムはこう言った。
「なあ、お前も忙しいんだし、送り迎えはもういいよ」
「そんな、危ないですよ。誘拐なんかされたらどうするんですか」
「大丈夫だって。そのための武術だ。 おれももう十五歳だし、いつまでも過保護じゃ笑われちまう」
そう言えば、そうかもしれない。
「でも・・・・・・グレミオは心配です。坊ちゃん一人で・・・・・・」
「もう決めたんだよ。だいたいお前がおれを守るって? 弱いくせに」
ひどいショックだった。 グレミオはしかたなく承知した。
「わかりました。でも、まっすぐ帰るんですよ。けんかはしないでくださいね」
「わかったよ」
リアム坊ちゃんはにっこりした。
しかし次の日、迎えの時間が来ると、グレミオは心配でいてもたってもいられなくなった。
「迎えに行くんじゃありません。買い物をしに行くんです」
買い物かごを下げて、エプロン姿のまま、屋敷を出た。
途中で大根、長ねぎ、卵、ごぼうなどをあわただしく買い求めた。
じつは献立も考えずに、片っ端から買っていったのだ。
(偶然通りかかったんです、迎えに来たんじゃありませんよ)
自分にそう言い聞かせる。しかし足は道場に向かってしまう。
向こうの橋の辺りで、人だかりがしていた。なにか騒がしい。
「なんだろう?」
怒鳴り声が聞こえる。けんかだろうか?
「いやですねえ、乱暴者が多くて」
ふと胸騒ぎがして、人を掻き分けて見る。
グレミオはあごをはずしそうになった。
坊ちゃんが、はるかに体の大きい少年たちを相手に、大奮戦をしていた。
ちょうと橋の欄干から飛び降りざまに、一人の肩を打ち据えて倒したところだった。
その瞬間、後ろから殴りつけられ、別の少年に蹴りを入れられて、坊ちゃんはうずくまった。
グレミオはかっとなった。
「坊ちゃんになにをする!」
大根をふりかざして、悪童どもに突進する。
その勢いに押された大柄な少年に、大根の一撃を食らわすと、太い大根はぽっきりと折れた。
歯向かってきた別の悪童に、生卵をぶつけ、うずくまった坊ちゃんを蹴ろうとしているやつの頭に、トマトを叩きつけた。
気がつくと、ごぼうを振りまわして、少年たちを追い払っていた。
辺りには無残な野菜くずが散らばっている。
「・・・・・・はあはあ・・・・・・坊ちゃん、大丈夫ですか」
坊ちゃんはあ然として、グレミオを見守っていた。
「グレミオ、何だかすごく強かった・・・・・・」
付き人はエプロンで坊ちゃんの顔をふき始める。
「そ、そうですか? いまの不良どもは、見覚えがありますか?」
「ひとりは道場の先輩だよ。あとのやつは知らない。目つきが気に食わんとか、からんできた」
「それにしても卑怯な。大勢で一人を襲うなんて!」
グレミオは怒りに震える手で、長ねぎを握り締めた。
「グレミオ。斧より、大根とかごぼうで戦ってるときのほうが、迫力あるな」
「やっぱり扱い慣れてるせいでしょうか。とにかく坊ちゃん」
グレミオは、真剣な顔でリアム坊ちゃんを見つめた。
「あいつら、逆恨みして、また襲って来るでしょうね」
「・・・・・・」 何か言いたそうだ。
「お願いします。送り迎えさせてください。お屋敷にいたら、心配で心配で、何も手につきませんよ」
「・・・・・・」
「お願いします。目立たないようにしますから」
「わかったよ。でもエプロン姿では来ないでくれよ」
リアム坊ちゃんは、付け加えた。
「お前がいなかったら、おれ、半殺しにされてたよ」
胸が一杯になって、グレミオは口も利けなかった。自分はまだ必要とされているのだ。
「ほら、またすぐに泣くんだ。お前は泣き虫なんだから」
リアム坊ちゃんは、手でグレミオの涙をぬぐった。
「あ、ごめん。よけい汚れちまった」
今度は少しきれいな、手の甲を使った。思いがけない優しさに、グレミオの涙腺はゆるみっぱなしになってしまった。
「泣くなって、グレミオ。どうしたんだよ、いったい」
困り果てた坊ちゃんが、グレミオの頭を抱え込んだ。
「もう、手間がかかる奴だな」
「ちょっと、お二人さん。この野菜のごみは持って帰ってよ」
橋の近くにすんでいるらしい女が、声をかけるまで、二人は動かなかった。
おしまい。
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