波類間ユンタ  

波類間ユンタ   38

小嶺目差の語る

 夕刻近くに宿に戻ると、与人の姿がどこにもなかった。サンラーに尋ねるが、要領を得なかった。
(どこに行かれたのだ)
 坂口啓次郎が島に留まっている今、この島は安全ではない。
 草履を突っかけて外に出たとき、与人が戻ってこられた。涼しげな紺地の着物で、いつものように、目深にクバ笠を被っている。
「どうした、怖い顔をして」
 のん気なものだ。しかも胸に大きな白い花を抱えていた。私はほっと息をついた。
「その花は?」
「綺麗だろう、白いアカバナーだ。今日、岬に行く途中で見つけたので、掘り返して墓に植えてきた。その残りさ」
「それは良いことをなさった。しかし今は物騒ですから、お出かけになるときは、拙者に声を掛けてください」
 与人は、「わかった。ああ、暑かった」と無造作にクバ笠を脱ぎ、草鞋を縫いで座敷に上がろうとする。
「ああ、お待ちを」
 慌てて水を持ってきて、与人の土に汚れた手を洗い、足を洗った。
「こんなに泥だらけになって、まるでワラバーだ」
 罵りながら、時間を掛けて足を洗った。くすぐったかったのだろう、与人は忍び笑いを漏らした。
「お前、洗いかたが嫌らしい」
「すみませんな。生まれつき助平なもので」
 本当は無論、触りたいだけだ。与人はそれを見抜いておられた。
「小嶺。私を好きか?」
「もちろんです。嫌いなヤツの指の股など洗えませんよ」
 わざとそっけなく答えるが、「好き」ではとても足りぬ、食いつくしたいほどに愛していた。この情けのほどを知ると、与人は重たく感じるだろう。
「里之子はどうなのです」
 与人はそれには答えず、ただ濡れた手のまま、私の肩を抱きしめてきた。



 その夜、亡き妻と、初めて子供の夢を見た。真っ白なアカバナーの咲く生垣の下で、妻は紺地の絣を着て、二歳ばかりの男児を抱き上げて、白いアカバナーの花を触らせていた。
「男の子、だったのか」
 ふたりは私に向かって、微笑みかけた。
 妻のところに行きたいと思っていたころは、笑んだ顔など夢にも見なかった。与人に恋々とし、悲しみが薄れかけて、初めて、私に笑みを見せてくれるとは。
「辛気臭い男は嫌いだったのか?」と問うたが、妻はただ微笑むだけだ。

 貧しさの中で妻子を死なせてしまった。悔いばかりだ。悲しみに朽ちることも出来ず、妻を死なせて何年も経たぬのに、新しい恋をして、悶々としている。
 まだ、側にいけない。
「許してくれ。わしは、里之子とともに生きたいのだ」
 そう念じた瞬間に目が覚めた。頭に浮かんだのは、「妻をきちんと供養していない」ということである。自分の悲しみだけにとらわれて、おのれを哀れみ、そんなことすら頭になかった。愚かな夫だ。
(首里に戻ったら、改めて、きちんと弔ってやらねば……)
 隣で、与人が静かな寝息を立てていた。床の間に与人が生けたアカバナーが、ほの白く浮かんでいた。


 翌朝、与人は、朝餉の席に少し遅れて姿を見せた。腹が空いていないと朝飯も召し上がらず、開口一番。
「お前にこの三線を譲ろう。対になっている一方だ」
 黒漆に螺鈿飾りの三線ひとさおを、私の前に差し出した。驚きのあまり、味噌汁を喉に詰まらせそうになった。
「何ですか急に」
 第一、与那城のお家の紋が入っている。父の形見、愛用の品ではないか。
「いただけません。与人のお宝でしょうに」
「大切なものでなければ、情けのしるしにはならぬ」
 私は、箸を握ったまま、与人の幾分疲れた顔を、じっと見つめた。急に優しくなるというのは怪しいではないか。
「絶対、怪しい。何ぞ後ろめたいことでもあるんですか? まさか浮気でもなさったか?」
 与人は苦笑した。
「お前も三線くらい習うべきだと思うのだ。首里へ戻ったとき恥をかくぞ。お前のためを思って言っている」と言った。
「では、里之子が拙者に教えてくださるか? 上手になったら、拙者に下されたらいい」
 そういうとあきらめると思った。だが与人は、「いいだろう。私の教え方は厳しいぞ」と微笑んだ。本気で言っているのか、ただの酔狂か。とにかく与人は、上機嫌だった。

 いつもの一日が始まった。私は先に番所へ行き、いつものように耕作筆者と相談をして、農事の指示を出した。かなり遅れて、与人もやってきた。
「今年は豊年祭りも盛大にしよう。皆に御馳走を食べてもらおう。その算段を、マフサに頼んでくる」
 与人は張り切っているようだが、祭りを盛大にすることは、首里が禁じているうえ、負担が大きい。
「あまり派手にするのは、望ましくありません。まあ誰も監視はしていませんが。費用がかかります」
「かかりは、私が出す。賄い田からの収穫、全部出す。これで足りないかな?」
 私は頭の中で計算した。確かに十分足りる。が、無茶である。
「しかしそれでは、あなたが貧乏になりますぞ。前の与人はそりゃあ、蓄財上手で……」
「前のお方は、貯め込んだ財産を、あの世まで持っていけたか?」
 私は思わず絶句した。確かに前の上司は蓄財上手であったが、島を出る前に亡くなり、財産も国のものとなった。与人は、黙り込んだ私に苦笑した。
「今年は奇跡の豊作だったが、来年はわからぬ。今年だけでも、弥勒世を見てもらいたいのだ」
 そういって、与人は忙しそうに出て行った。

 その日に限り、忙しさに取り紛れて、茶を飲みに戻る時間もなかった。百姓らの争いごとの仲裁があり、それがまた長引いて、気がついたら午後も遅くなっていた。
 白い着物姿のマフサが、そこに居た。彼女は大またに、番所に入ってきた。
「目差に折り入って、お話があります。」
 マフサは、次から次へと流れ出る汗を、手ぬぐいで拭っていた。
「豊年祭りのことか? 与人主の気まぐれにも困ったものだ。まあ与人だけに負わせるわけにも行かぬ、わしも費用を出すが」
「目差主。豊年祭りどころではなくなります、葬式が出ます」
「何を言っている」
「与人主を問い詰めて、白状させたのです。ああ、目差主も御存じないのですね!」
 マフサは、興奮しすぎていて、全く要領を得ない。血走った眼をして、霊力の高い女とはこうなのだろうか。
「本日はツカサではなく、物知り(ユタ)()としてお話があります。薩摩のサムレーとの果し合い、止めてくださいまし」
 この女はまた何を妙なことを言っているのだろう。果し合い? 薩摩のサムライがどうしたのだ。
「出かけていく思左さまは見えました、でも、戻ってくるところが、どうしても見えないのです!」
「わかるように言わないか!」
 私は、マフサの細い腕を掴んで、揺さぶった。そして、ようやく彼女の口から、「明朝、与人主と坂口啓次郎が、岬にて果し合いを行う」ことを知ったのである。
「私はユタです。ユタとして申し上げます、与人主を行かせたらいけません!」

 戸口で耕作筆者に捕まりそうになった。
「目差主、豊年祭りのことですが、」
 私は無言で波平良をつき飛ばして走った。宿に飛び込んだときには、既に優しい色の夕焼けが、西(いり)()の空を染はじめていた。



 与人は、濡れ縁に座っていた。私の血相を見て、嘘がばれたのを察したのだろう。
「マフサは良い女だが、霊力が高すぎるのと、おしゃべりが玉に瑕だな。今日は、静かに過ごしたかったのに」
 淡々としている。私が掴みかからんばかりに興奮しているのに、与人は冷静すぎた。白い麻ものを着流し、髪が濡れて、また水が滴っていた。
 沐浴が、何のためかは明らかだった。
「朝から食べていらっしゃらないのは、そういうことか。食を断って、髪を洗って身を清めて、斬られる準備ですか!」
 与人は眉をあげた。
「斬られる準備とは、心外だな。私は、啓次郎に討たれてやるつもりはない。全力で戦う」
「まだ嘘をつかれるのか。豊年祭りも嘘でしょうが」
「生きて帰ったら勿論、せいぜい盛大にやるさ。万一、私が死んでも同じだ、弔いがてら派手にやってくれ。ジラーも居なくて大変だが、しっかり頼むぞ」

 情けなさで涙が出た。私は、その程度の存在だったのか。涙が止まらぬが、もはや恥も感じない。
「行ってはなりません。啓次郎に何の理があるんです。これは私闘です、行く義理はない」
「行かなかったら向こうから来る」
「わしがお相手しよう。あなたに手出しはさせぬ」

 薄い唇の間に、白い歯が覗いた。
「そういう単純なところが、好きだよ。カマデー」
「は?」
「はじめからそう言わせるつもりで、お前に近づいたのだ」
 時間が、止まった。
 どれくらい止まっていたのか。アダンを優しく揺らしていた風の音も聞こえない。
「うそだ!!」
 風が、ふいに強くなった。里之子の裾がふわりと靡いて、白い脚が見えた。美しい血の色も、白い肌から透けて見えるようだった。
 私が衝撃を受けたのを見計らったかのように、与人はさらに言い募る。
「いずれ啓次郎が追ってくると思っていた。だから、お前をたぶらかした。お前を身代わりにして、私が生きるためにな。こんなに上手く行くとは思わなかった。でも、気が変わった。小嶺は、自分で言うほど強くないものな」
 ああ、立て板に水である!
 思えば今朝から、与人はいくつ嘘をついたのか。三線を教えてやる。盛大に豊年祭りを。全部嘘だったのだ。では、今言っているこの憎まれ口も嘘なのだ!

「嘘をつくな、思左どの」
 うなり声を上げた。里之子の顔がかすかに歪んだ。
「あなたにそんな芸当が出来るものか! 踊るしか能がないくせに。わしが行く。必ず勝ってあなたを自由にして差し上げる」
「ならぬ。それは侍の振る舞いではない」
 里之子の腕を掴んだ。
「この細腕のどこがサムレーだ」
「痛い」
 与人が顔をしかめた。
「斬られたらもっと痛いんだぞ! 明日は、宿から出さぬ。わしが返り討ちにしてやる!」
「聞き分けてくれ、カマデー。ここで逃げたら、私はサムライではない、男ですらない。どうしてもわかってくれないのなら、今すぐお前と別れるしかない」
 私は本気だ、と里之子は言った。
「このまま行かせるか。どうしても引き止めて、私を失うか、選べ」
 どうしたらいいのか、里之子はなぜこんなに頑ななのか。
「わしを、捨てるというか。この胸はあなたで一杯なのに」
 心の片隅においてくれと言われた。全部明け渡した。
「ここはもう、あなたのことで、一杯だ!」
 だが里之子は苦しげに、顔を背けた。
「お前の情け、けして忘れぬ。その情けに免じて、もしものときは介錯を……」

なんという情け知らずなのだ。
「そして、後生を弔ってくれ」
「人でなし!」
 乱暴に掻き抱き、口付けをしようとしたが、嗚咽が込み上げてきて、果たせなかった。私はまた死に遅れるのか。無明の地獄にまた置き去りにされるのか。
「わしは、そんな強い男などではない。あんたが来る前は狂いかけていたんだ! 弔う前に狂う、狂って死んでしまう!」
 やがて、里前は「そうだったな」と呟き、しばらく唇を噛んでいた。
「私の我侭だった。もう覚えていてくれとは言わない。辛かったら、忘れてくれ」
「嫌だ。わしを一人にしないでくれ!」
 里之子はまっすぐに私を見た。幻ではない、切れ長の眼に、かすかに光るものを見たのである。
「約束しよう。必ず帰ってくる。そうしたら、ずっとお前のそばに居よう」
 本当だ、というように、手を握られる。その手のひらを吸う。柔らかく、温かい。これが血にまみれ、冷たくなるなどと考えたくもない。
「この手で、どうやって勝てるというのだ」
「勝てるさ。強く思えば。お前が待っていると思えば」
 そういうと、里之子は私を抱きしめた。
「お前のところに、必ず帰ってくるから!」


波類間ユンタ 39


2008/5/26
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