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リフレビィ   00/08/11

「おれは飲みたいです、坂東さんの。 朝、昼、晩と! 毎日でも! だからもう、誰にも触らせないでください!!」

 ついに言ってしまった……。
 坂東さんはしばらく黙っておれをみていた。

 それから白い咽喉をのけぞらせて、声を上げて笑った。
「そんなにおかしかったですか? 坂東さん……」

 さんざん笑ったあと、先輩はやっと息を整えておれを見た。
「ありがと。 こんなときにボケてくれて。 言いふらすなんて、ちらっとでも思ったのは悪かったよ。 おまえはそんなやつじゃない……わかってたんだけど」

「坂東さん、ちがう……」
 別にボケたつもりなんかなかったのに。
 坂東さんは、口ごもるおれを優しく見つめた。
「おまえは、いいやつだ」

 なんでこうなるんだ。 一気に勝負に出たつもりだったのに、『いいやつだ』なんて……それって対象外ってことじゃないか。

「もう帰ろう。 そんなに心配そうな顔をしなくても大丈夫だよ」

 先輩は、よほどおだやかな顔になっていた。
 茶色っぽい、柔らかそうな前髪が、額に乱れ落ちて、先輩が息をするたびにふわっと持ちあがっていた。
 
 思わず手を伸ばそうとしすると、先輩はさりげなくかがんで、ゆるんだ靴紐を直した。

 振られたんだ。
 悲しくて、顔がじんと痺れてきた……。 おれはやっと、これだけ言った。
「おれ帰ります」
「うん……また来週な。 それから、ポカリごちそうさま」
 おれは、後ろを向いてすたすた歩き出した。
 そうでもしないと、自分を押さえられそうになかった。

 それから、そっと振りかえった。坂東さんがさっきよりしっかりした足取りで歩いていくのが見えた。
 おれは、坂東さんに笑ってもらえただけで、満足しなければならないんだろうか。

 黄色い月が、おぼろに霞んでいた。
 大学に進学するために沖縄を出るとき、おじさんが、
「色白の、やまとんちゅの美人、連れて帰ってこいよ!」なんて言っていたっけ。
 でも、やまとの美人は一筋縄じゃいかないみたいだった。



 日曜日の夕方は退屈だ。
 洗濯も掃除も、土曜日に全部すませてアイロンまでかけてしまった。
 土曜日にカレーを作って、なかなかおいしくできたのはいいけど、量を作りすぎたから、今夜もカレーだ。
 スーパー・マルナカの特売で、枝豆と葡萄を買ってあるから今夜はそれで充分だ。 働かない日は腹もすかない。  (注・スーパー・マルナカはスーパーマーケットのチェーン店です)
 
 
 夕飯を食べてからおれは、借りていた「エピソード1」のビデオを返しにTSUTAYAに向かった。
それから、本を立ち読みした。
 その日、なぜかお客さんは少なかった。
 最近はほとんど小説も買わなくなってしまったから、本屋は久しぶりだ。
 実は時代劇ファンなので、「人の斬り方」なんて物騒な本を、ぱらぱらと立ち読みしていた……

 時代劇ファンだけど、おれは血にヨワイ。 その本はかなり過激なことを書いてあった。 でも面白いからやめられない。

 ……日本刀は人を斬ると刃こぼれするし、人の血や脂肪で切れ味が鈍る。 だから一番強いのは棍棒だ。 これで骨を叩き割るのが一番だ、云々…………
 血に弱いんだから読まなければいいのに、怖いもの見たさというのかな。
 あ、だめだ。 本当にめまいがしてきた。
 おれは本を閉じて、書架に手をついて支えた。

「何読んでるんですか?」
「え?」
 振り向くと、背の高い高校生が見おろしていた 色白で、にきびがちょっと赤く見える。
日曜日なのに、制服を着ていた。 目が切れ長で、頭が良さそうな子だった。

「さっきから熱心に読んでるから、面白いのかなと思って」
「う、うん」
 おれは本を見せた。

 男の子は吹き出した。
「危ないもの読んでるんですね」
「危なくないよ。 これ、時代劇の解説みたいなものだもん。でもおれ、血、苦手だから。ちょっと気持ち悪くなってたとこ」
「時代劇、好きですか?」

 人懐こい子だった。
「ぼくも時代小説好きなんです。 今、吉川英二の『宮本武蔵』読んでるんだけど」
「あれ、長いだろ」
「受験生なのにって、親に怒られます」
 にきびの高校生と、たわいのないことを話しているうちに、気分が落ち着いてきた。

「なにか、お勧めの本あります?」
「司馬遼太郎なんか、映画になったからいいんじゃないかな」
「映画って、『御法度』?」
「それじゃなくて、『梟の城』。 あれは原作のほうがずっといいから。それから『竜馬がゆく』なんかいいんじゃないか。元気になるよ」

 おれは、だんだんそわそわしはじめた。
 その子が、それがクセなのか、ちょっと近寄りすぎなんじゃないかと思うほど、だんだん近くに寄ってきたからだ。
 白いカッターシャツに汗が滲んでいる。
 つんと体の匂いが鼻を突いて、ああこの子も一人前に男だな、なんてよけいなことを考えたりする。
 だからどうというわけじゃないけど、ちょっと気詰まりだ。
 リラックスしようとして立ち読みしてるんだから、そろそろ離れてくれないかな……。

 でも唐突に逃げ出すのもなんだし。
「本、好きなんですね」
「う、うん。好きだけど……最近はあまり読んでないんだ」
「おれ、学校であんまり話の合うやついなくって。塾の友達もそう。 みんな子供っぽいんだ」
「そう……」
「よかったら、コーヒーでも飲んで話しませんか」

……これって…………ナンパ? おれ、鈍いからわからなかった。

「う、うん……でも」
「それとも映画なんか見に行く?」
「え?」

 おれは、ますます逃げ出したくなってきた。
「お、おれ」
 はっきり言って、ガキはイヤだ。 ずっと前、年下の高校生に気を許して、すごくいやな目に会ったことがある。
 この子がそういうやつとは限らないし、おやじが安全だとは限らないけど、とにかく。
 逃げよう。
「おれ……用事を思い出し……」

 急に、膝の力が抜けて、倒れるんじゃないかと思った。

 その高校生のガキに手をつかまれたから。
 それとも、つかまれる前に気分が悪くなったのかもしれない。

 おれは、すんでのところで書架に手をついて体を支えた。
「大丈夫? 気分悪いの? さっき変な本読んだから?」
「……大丈夫だから、手、放してくれるか」
「おれの家、すぐ近くだから、休んでいきませんか」
「い、いい……おれ、自転車……」
「なんか、すごい真っ青だよ。 貧血起こしたんじゃないですか?」

 目の前が白っぽくなる。
……フラッシュバックだ。 
 いやなことを、思い出したくないから、体が勝手に貧血起こしてるんだ。 思い出せないように。

「平良くん?」
 耳慣れた声がして、ほっそりした体がおれと高校生の間に割って入ってきた。
「気分悪いのか? どうした?」
 狭くなった視界に、坂東さんの顔が入ってきた。

 こういう醜態を、一番見られたくない人だ。

「なんでも……ちょっと、立ちくらみ……はは……」
「ずっと忙しかったから疲れてるのかもな。 ほら、歩けるか? つかまって」



 差し出された坂東さんの腕にふれたら、不思議なことに息ができるようになった。

 恥ずかしかったけど、視界は狭くなってるし足元も覚束ないから、坂東さんにつかまって店を出た。 
 すっかり日が暮れて、涼しい風が吹いてきていた。

 おれは車の助手席を倒して、休ませてもらった。
 駐車場のフェンスに、大きな夕顔がからみついて咲いているのが見えた。

「……平良」
 坂東さんはしばらくして言った。
「おまえ、ナンパされてただろ」
「見てたんですか」
「本屋でナンパ。 高校生らしくていいじゃないか。 どうしてびびってたんだ?」
「びびってなんか」
「乗り気ならほっとくつもりだったけど、おまえがパニくってぶっ倒れそうにしてるから声かけたんだ」
「パニくってなんかないです」
「じゃあ、ほっとけばよかったのか?」

 おれは、先輩を見た。 それからこういった。
「あの制服が怖いんです。 すごく、威圧感ないですか?……」
 先輩は変な顔をしていた。
「おれ、ずっと制服だったから、別に。 どうして? いつも元気なおまえが、貧血起こすほど怖いか? そりゃ、没個性だし、かっこいいもんじゃないけど」

 服が怖いんじゃない。
 それを着てたやつが、怖かったんだ。

「高校生は怖いんです」
 おれはやっとコレだけいった。 そしたら、また思い出して、気分が悪くなった。

 大学一年のとき、その高校生に会った。
 誘われて、なんだかうれしくて……無防備についていった。
 優しそうな顔をしていたと思う。 そいつは、黒い詰襟を着ていて、背がやっぱり高かった。

 そこから先が、よく思い出せない。
 本当は、忘れたわけじゃない。 全部覚えてる。 全部。 でもいやなだけだ、思い出すのが。 それでも、思い出してしまう。 
 いやだ、思い出したくない!


「気持ち……わるい」
「おい!」
 おれは車を飛び出して、フェンスのほうによろめいていった。
 それからしゃがんで、嘔吐した。 でも、ほんの少し、唾液が出ただけだった。
 
 先輩は黙って背中をさすってくれた。 少しましになって、車に戻ったとき、坂東さんはすっと立って、自販機で飲み物を買ってきてくれた。
 緑茶かなにかに見えたけど、ほんの少し甘かった。
「リフレビィ」
 呪文みたいに、坂東さんがこういった。
「リラックスする飲み物だっていうけど。さっぱりしてはいる」

 おれは、ほんの少しだけ飲んでみた。 悪くない味だったけど、それ以上は飲めなかった。
坂東さんも、同じものを飲んでいる。

「なんか、気の抜けるみたいな味だけどな」
「ありがとう、坂東さん」
「うん、少し顔色ましになったけど……気持ち悪いときはね。ちょっと左手、出してみて」
 おれは坂東さんに左の手を差し出した。 すると、中指の関節のあたりを、強くつままれた。 一瞬、飛びあがるくらい痛かった。

「知り合いに教えてもらった。 吐き気が止まるんだ。 二日酔いにもいいから」

 おれは、教わったところを同じように圧迫してみた。
 そういえば、胸がすっきりしてきたような気がする。

 坂東さんはしばらく、不思議そうにおれの顔を見ていた。

「平良、おまえ」
「…………」
「今日は、なんだか。 幼く見える」

 おれは、ふいに前髪をかきあげられて、びくっとした。
 坂東さんの、白い、小さな顔が近づいてくる。

「……どうしてだろうな……すごく、かわいく見えるんだ。へんだな」

 おれは、反射的に目をつぶっていた。 すごくやわらかいものが口に触れた。
 さっき冷たいものを飲んだせいで、坂東さんの唇はひんやりと湿っていた。

「そういう顔を見ると、おれ……」

 坂東さんは小さくつぶやいて、またおれにキスをした。今度は、もっと深く、長いキスだった。

 ああ。

 ……なんだかわからないけど、すごく幸せな展開かもしれない。
 気持ちのよさに、また貧血を起こしそうだった。おれはそろそろと、坂東さんの背中に手を置いた。
 
 何回も、何回もキスをした。そのうちに、首にも、それから耳にも坂東さんの唇を感じた。
 ここはTSUTAYAの駐車場なんだけど……。
 のぞかれたって平気だ。

 目をつぶっていても、紅潮した坂東さんの顔が見えるような気がした。 優しい息遣いが、だんだん速くなっていく。

 ふいに、先輩が体を離した。困惑しきった表情だった。
「平良、今日な」
「……は、い……」
「あのな、吉野川の河川敷緑地で、花火があがるんだ。 その、見に行かないか?」
「……行きます」

 どこにだってついて行きます、坂東さん。
 おれはそういいたかった。


おわり
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注: 吉野川=高知県、徳島県をまたがる大きな川。 徳島市はこのデルタ地帯にある。
   近年第十堰の住民投票で有名?になった。