野ばら 21    2003/8/12
             
 昼時、山羊にやっとの思いでエサを与えていたら、バーニーが配達に来てくれた。 額の傷に絆創膏を貼ってはいるが、すっかり元気そうになっていて、ぼくを見ると開口一番、こう抜かした。

「こんにちは。 ひどい顔してますね。」
「まあな。」
「ちゃんと食べてます?」
「ああ、さっきパンを食った…。水も飲んだ。 まあ適当にな。…」
「生きてるだけってかんじか。食べるもの食べてりゃ、なんとかなるって母ちゃんに教わらなかったんですか?」
 バーニーはため息をついて、首を振った。
「昼飯でも食いに行きましょう。 …クージだって戦争終わったら帰ってくるんでしょう?」

 ぼくだってそう思いたい。 しかしぼくとクージは何もかも始まったばかりで、こちらが熱を上げたとたん、肩透かしを食わされるように、いきなり失ったのだ。
 ぼくは気持ちがとても荒んでいた。 たとえ戦争が終わって無事に帰国できても、もうクージは帰ってこないような気がしていたからだ。
 
「味がわからないんだから、何を食っても同じさ」
 バーニーはにこっと笑い、ふいにぼくの手をつかんだ。
「んじゃあ、無理やりボクを食わせてやろうかな。今だったらほら、こんなに簡単だ。」
 あっけなく体が飛んで、若造の腕のなかにいた。 あわてて腕を振り解こうとしたが、ろくに食べていないものだから、まったく力が入らない。 ぼくは郵便屋の胸を押し返した。
「それはちょっと遠慮したい。」
「あんなヒゲ男のどこがよかったんです? すぐ忘れさせてやりますって」
 
 ヒゲが痛くて気持ちよかったのさ、もちろん。 そしてバーニーの股グラでもつかんで、つまらん、何だこれは、もちょっと育ってから出直して来い、などと言ってやれればよかった。
 しかしぼくはパニックに陥り、「放してくれ。本当に嫌なんだ、いやだ。」というのが精一杯だった。
 するとバーニーは「落ち着いてください」と言い、ぼくを放した。
「冗談ですよ。 決まってるじゃないですか。 もしかして本気にしました?」
「………した。」
「やだな、そんな卑劣なこと、するわけないでしょう。」
 そして目深に帽子をかぶりなおし、ぼくに手紙をくれた。
「あいつ、アウチさんの住所知らなかったんですね。郵便局留めになってますよ。」
 
 クージからの手紙は太いボールペンで、力強く書いてあった。 あまり筆圧が強いので便箋に穴が開いてるほどだった。

「アウチ様へ。 
 ここへ来てやっと10日です。 毎日忙しいけど、メシはまあまあ。 どうにかうまくやってます。 上官はそんな恐くないです。 あと、友達もできました。 マニアックな性格の、ネパール系の菜食主義者の男です。
 ところで、そいつが変人で、おれに刺青を彫ってやるって言うんだ。 風呂場でおれの肌を見て、ゲージュツ心をそそられたのかな。 冗談だから真剣に取らないように。
  認識票でわかるだろ、っていったら、爆弾で飛ばされるとかして、何人かの死体と固まって肉の塊みたいになったら、どれだかわからないだろ、って言われた。 それをまた楽しそうに、おれが羊の臓物の煮込みなんか食ってるときに言うわけさ、 食欲なくなるじゃないか、一瞬友達やめようかと思ったよ。
 でもいろいろ考えて、太腿の内側に自分と、アウチの名前を彫ってもらった! きみはすごく怒るだろうな。 自分でもどうかしてると思う。 どうかこれを見たときに、おれのことを嫌わないでやってくれ。 もちろん、おれは生きて帰るつもりなんだ、この刺青の肉片だけになって帰るつもりなんかはない。 生きて帰りたい。 アウチがそこで笑って待っていてくれたら、おれは一日も早く、きみのところへ帰れるような気がする。 だからおれのために、どうか元気でいてください。それからもしよかったら、君の写真を送ってくれ。」
 
 自分の体を傷つけるなて、なんて馬鹿なことをするんだ。 そんなことをしたら二度と消えないじゃないか。 それでも愚かな若さが愛しく、たまらなくて手紙を抱きしめた。
 そしてその日、郵便屋に頼んで何枚か写真を撮ってもらった。
 クージがカンファーと呼んでいた木の前、国境の碑に覆いかぶさる野ばらの茂みの前、それから菜園の前で。
 現像した写真を見れば、げっそりやつれた顔に無理やりな笑顔を浮かべて、たしかにひどい顔だったが、それがありのままなので、
「クージへ。 ぼくはここで君を待っています。 百万のキスを。 追伸、その親切なネパール人に、襲われないように気をつけてください。」
と書き添え、この写真がクージを呼び戻しますように、と願いを込めて、ポストに入れたのだった。

 ちゃんと着いたのかどうかはわからなかった。 返信がなかったからだ。 そして、クージがいなくなってから3ヶ月くらいで問題の島は奪還され、敵に白旗を揚げさせて、戦争は終わった。
 新聞では島の形が変わるほどの激戦だったとあったが、クージの国は最後の小さな海外領土を守り通したのだ。 しばらく新聞はそのことばかり扱い、勝利に酔いしれ、そしてだんだん忘れていった。 それでもクージは帰らず、手紙も来なかった。



 来る日も来る日も、曲がりくねった道を見守り、思う人が戻ってくるのを待って過ごした。 一日が一年にも思えるほど長かった。 
 どういうわけか後任者は来ず、クージの住んでいた家や庭の手入れまでして、多忙でもあった。 事件のおかげで村の人とも親しくなって、飲みに誘われることも多く、多少は気がまぎれたのだ。それも春までのことだ。

 季節は初夏に入ろうとしていた。 クージがカンファーと呼んだ木から、香しい花が零れ落ちていた。 小鳥が木の枝で騒ぐので、花が零れ落ちていくのだ。 そして野ばらが一杯に白い花を咲かせ、ミツバチが盛んに羽音を立てて飛び回っていた。

 突然、これ以上待っていてはいけないと思った。
 自分の宿舎に帰って、ありたけの金を掻き集め、パスポートをポケットに放り込んだ。 これは職務放棄で、脱走に当たるのだろうか。 かまわない、とにかくクージの国の陸軍省へ行って問い合わせるのだ。
 ドアを飛び出したところで、男にぶつかりそうになり、肩を抱きとめられた。見上げると、そいつはナップザックを肩にかけ、短パンと袖なしのTシャツを着て、驚いた顔をしてぼくを見つめていた。

ぼくよりずっと若いはずなのに、クージの黒い髪にはずいぶん白髪が混じっていた。

 声も出ないぼくに、クージはこう言った。
「こんにちは。おれは、クージといいます。こちらにシルバーコックさんというかたは」
 ぽかんと口を開けていただろうと思う。 初対面のような挨拶をされて唖然としたのだ。 奴には双子の弟でもいたのか。 それにしても名前まで一緒なのか? ぼくはバカ面で口を開けたまま見上げていた。
 クージはうれしそうに微笑んだ。
「あなたがアウチさん、ですね? おれに手紙と写真をくれた?」と、ぼくの名前を確認したのだ。 そして次に奴が言ったことには、肝をつぶした。
「すみません、頭を打って、病院で寝たきりだったので。そんなひどい怪我じゃないのに、けっこういろいろ忘れちゃったらしいです。 とくにここ数年のことをほとんど忘れたらしいんです。 陸軍省の人に、おれがここにいたって聞いて、来てみました。何か思い出せるかなと思って。」
 こいつはどうしたのだ、わけのわからなさに涙が出そうだ。
 いや、ぼくが涙を流して悔やんではならない。かわいそうなのはクージなのだ。ぼくのことを忘れてでも忘れたいほどに、嫌なことがあったのだ、あのろくでもない戦場で!

「あの、おれはあなたに、嫌われてたんじゃないですよね?」
 不安げに、クージはぼくに問いかけた。痛々しいほど若いのに、髪は白くなっていた。

 襟元に手を伸ばした。 そこには二本、銀色のチェーンが光っている。ひとつは、ぼくの名前を記した銀色のプレートであるはずだ。もう一つは、新しく支給されたクージのものだ。
「夜も昼も、ずっと君のことばかり考えてた。食事も喉を通らないくらい」
 クージはぱっと赤くなった。抱きしめたくなるほど愛しいと思った。
「きみの脚には、きみの名前と、ぼくの名前が彫ってあるはずだ。それは今もあるの?」
 クージはいっそう顔を赤らめ、「あります。」と頷いた。
「もし嫌でなければ、ぼくたちのことを話していいか?」
「聞きたいです。」
 ぼくは話し始めた。
「ここはきみの生まれ故郷なんだ。 ぼくらは同じ国境を守っていた。 はじめは口も利かなかったが、でも正直言うと、会ったときから、君が好きだったんだよ。 きみもぼくのことを好きだと言ってくれた。 何度もそういう機会はあったんだけど、正確には、きみが前線に送られる直前に、やっと……その、特別な関係になった。 お互い除隊になったら、二人でミツバチを飼って旅をしよう、という話もした。」
 ぱっとクージの顔が輝いた。
「おれの親父とお袋がやってた仕事だ!」
「そうだよ。 だからきみをずっと待っていた。待ちきれなくて、これから迎えに行こうと思ってたとこなんだ。」
「ああ、よかった。」
 クージははにかんで笑った。
「アウチの写真を見て、優しそうな人だなって思った。 この人はおれを待っててくれるのかなと思ったんだ。 それですごく会いたくなった。がんばってリハビリもして。心配だった。 まだ待っててくれるのかなって。 でも来てみてよかった!」
 
 ぼくはショックを与えないように、できるだけそっとクージの肩に触れた。
「怪我はもう痛まないのかい? 退院してすぐに旅では、疲れただろう。中に入って少し休んだほうがいい。」
 しかしクージはぼくの目を見て、こう言った。
「もっとおれたちのこと、教えてくれますか? まだおれのことを待っててくれますか? おれはこんなで、あなたのことも、その、ちゃんと思い出せないんだけど」
 ぼくはこう答えた。
「正直、ぼくも、きみの事を全部、わかってたわけじゃないんだ。 クージが嫌じゃなかったら、これから、いろいろ君のことを知りたいと思ってる。ぼくのことを何でも知って欲しいと思ってる。」
「何でも、って」
 何を想像したのか明白だ、クージは首まで赤くなった。 ずいぶん恥ずかしがり屋になったものだ。 でもこっちも、クージの困惑が移って妙に気恥ずかしくなってしまった。 夜通し愛し合ったこともあるというのに、どうしたことか。 
 胸が痛かった。 今すぐに抱きしめてキスしたい。 でもそうしないのは、クージを脅かしたくないだけだ。
 それでぼくは、急いで紳士ぶって、こういいなおした。

「きみは、見せたい景色がいっぱいあるって言ってた。 一緒に歩いてくれと言ってくれた。 ぼくもそうだよ。 きみと歩きたい。 きみと話したいことがそれこそ、いっぱいあるんだ…」

終わり。

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